季秋某日、神狐、使い先にて乙女と雑談(1)
「俺は人が嫌いだ。基本的に」
「おやおや、そうなんですか。僕は結構好きですけどね。面白いじゃあないですか」
そんな事を言う俺とこいつは勿論、人ではない。
俺は、妖狐というやつだ。
本来の姿は狐だが、術を使い人に化けて暮らしている。まあ、それ以外にも色々術は使える。
あいつらは勝手だ。
誰のものでもなかったものを勝手に自分のものだと主張して、そこにあったものを無遠慮に壊していく。煙草の火を踵で消すように、無造作に、ばらばらにしてしまう。
父上の育ったという森もあいつらのせいでなくなった。
どんどん緑をなくして、そのせいで母上と姉上の身体の加減が悪くなってしまい、慣れ親しんだその地を離れる事になってしまった。
縁ある者と会うのも一苦労な、遠いところに行かなくてはならなくなった。
「あんな事があって、よくそんな事が言える」
「ま、あれはちょっとえげつない方でしたね」
俺達は、色々な場所を巡って色々なやつと戦う。
大抵は荒ぶって、祟っている魂だ。
荒ぶるものは鎮めなければならず、その準備が出来るまでの抑え役として立ち回る事が多い。荒ぶる事になる原因は大抵人間だ。
あいつらが騙して、裏切って、陥れて、壊して、粗末に扱うからそうなる。
今回の仕事もそうだった。
人によりもたらされたものから出た恨み。
そこから生み出された力は半端な神くらい軽く超えてしまうものだった。
鎮めの術を使っても鎮めきれずに、調伏も受け入れず、怨嗟を叫びながら消えることを選んでいった。
人がいなければそんな事にはならなかったのだ。
えげつない、で済む案件ではなかった。
顔に出ていたのか、連れの男が薄く笑った。
「僕らと違って、彼らは持ち時間が短いですからね。取りっぱぐれないよう必死なんですよ。そこに時代とか、元気と知恵と勇気じゃどうにもならない事とか色々絡み合って、ああいう事が起きるんでしょうねえ」
「短いったって、百年は生きるんだろう。分別つくんじゃないのか」
「それスッゴイ最近の話ですよ。しかもそれも全員じゃないし。今回の原因の時代は三十年生きることが出来れば万々歳なんじゃないですか?きみ、いくつでしたっけ」
「人間の暦に合わせれば二十五」
「明日で終わりですって言われて、時間足ります?」
死ぬのは怖くないので無様に取り乱したりはしないだろうが、世話になった者に挨拶くらいはするべきだろう。
家族は各所に散らばっていて、俺は天を駆ける術は使えないから、一日で回りきることはできない。
「いきなり言われたら無理だ」
「予め知っていても、やりたい事ばっかやって生きていけないから合間に働いて、報酬を得て、食べてってやってると上手くいかないほうが多いんですよ。そうすると上手くやれている奴が妬ましくなる、引きずり落として自分の足元に跪かせたくなる、そういうもんみたいですよ」
「それこそ時間の無駄だ。その時間を、己が目的を達成するための鍛錬に使えばいい」
「まったくもって正論なんですが、きみが言っちゃうとですね……」
こいつはたまにこういう、含みのある言い方をするのが気に入らない。
「俺が未熟だからか」
「違いますよ。きみがちょっと色々持ちすぎているからです。若くて、強くて、健やかで、ご家族に大切に育てられて、しかも妖狐の中でも最上級クラスなんでしょう?王子様的な」
「…………」
「勿論選り好みしてそこに生まれた訳ではないし、強さはきみが努力した結果ついてきたものですが、それを解っていても、いわゆる恵まれている人の正論ってやつはね、素直に受け取れなかったりするらしいです」
「それが正しい事ならば、口にしたものの貴賤は関係なかろう」
「心がね、しっくりこないみたいですよ。僕はそのへんが面白いと思うんですがね」
そう言って、そいつはさっきまでと同じように、双眼鏡を覗き始めた。
「さっきから何やってるんだお前」
「いやあ、長崎で本当に雨にあたると思わなくて。折角なので街の感じとか見ておきたいじゃないですか」
この街の中で、比較的高い建物の屋根の上に俺達はいる。
傘はさしていないので、濡れっぱなしだ。
ざっと眼下の街を見渡すが、そこまでして見たいものがあるようなところではない。
「何がそんなに楽しいんだか全く分からん」
「えー?雨の日って水に光が映り込んで、世の中きらきらしたように見えません?そこが異国情緒漂う街並みなら、なおさら」
「異国って、お前そっち系だろ」
「まあそうなんですけど。でも微妙に違うんですよ。ああ、こんなに素敵なのになあ」
「興味ない」
「勿体ない。きみってそういう所ありますよね。独り立ちして何年目でしたっけ?」
「今年で八年」
「たかだかそんなもんで、色んなものをそうやって決めつけるの、損ですよ。あ、ほら、あそこにかわいい女の子達が。あれ嫌いになれないでしょう」
「は?」
「ほら、眼鏡橋の近くの、閉まってる店の軒先で雨宿りしている」
興味ないので無視していたら「ほら」と促される。
ごねるのも面倒なので付き合ってやることにする。
こいつに必要でも俺には双眼鏡は必要ない。
術には幻術や荒ぶる魂を鎮めるものなど様々なものがあるが、俺が一番得意なのは身体強化の術だ。
意識をそこに集中すればいつもよりよく機能する。
仕方ないので目の感度を上げて、指差されたほうを探す。
軒先にいたのは娘三人。
寸分違わぬ揃いの服を着ているから学生というやつなんだろう。
「……麗さまや母上の方が上等だ」
「マザコーン。あ、まさに!あ、ごめんごめん。僕だって昨日の今日でドンパチやりたくないですよ。女の子が集まってるといいですよねえ。何喋ってるのんですかあ?お嬢さんたちは」
「悪趣味」
「……非日常が続いてるんで、平穏のお裾分け欲しいんですよ。昨日の借り、今返して下さいな」
人の弱みに付け込んで。
仕方がないので言う通りにしてやる。耳の感度を上げた。
「……予報は晴れだったから、困っているらしい」
「……もっと臨場感。台詞ごと下さいな」
「『あらあ、どうしようかしら』『あーこれ、無理だわ、この後の予定、無理だわ』『ちゃんぽん食べれたから、とりあえずいいかな』『もう、食いしんぼさん』」
「棒読みにも程があるでしょう。ちょっと感情とか込められないんですかー?」
「知るか。『あ、ちりんちりんアイスがまだ』『まだいけんの?マジで?』『いらっしゃらないわねえ』『アイス待つにしてもとりあえず、傘欲しいね』『コンビニ、あったけかな』」
ぱちり。
指を鳴らす音が響いて、そちらを向けば連れの手の中に三本の傘が現れていた。
「……お前、そんな術も使えるのか」
「まあ条件が揃えば。日がよかった。きみ、これをあの子たちに渡して来てくれませんか」
「断る。自分で行け」
「ほら、僕がいくと、こう、ややこしいことになりますから。ねえ?」
意味ありげな笑みを浮かべる連れは、大変女にもてる。
見た目もだが、その振る舞いがいいらしい。
下の姉上もこいつのファン、というやつだ。
「じゃあ関わらなければよかろう」
「かわいそうじゃあないですかあの子達大荷物だし。濡れて風邪でもひいたらいけません」
渋っていたら「借り」と一言。
確かに昨日借りた分は、さっきの盗聴分くらいでは足りない。
俺は仕方なく傘を受け取る。