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門前仲町小夜曲  作者: ろじかむ
ちょっとした狐噺2
93/155

たまには突き当りを右、の話でも (7)/粋連さんのご退場です

 

 来週から出勤時間を早めようと思う。

 精神衛生上よくない。


「鈴木さん、この後飲みに行きましょうよー」

「行かない」

「えー」


「女と別れた」

 と火曜の昼、喫煙所でうっかり口を滑らせて以来、下北沢に住んでいる方の後輩にやたら過剰に誘われる。



 社内でいざこざを起こしたくないので絶対に手は出さない。

 こいつのせいでこいつに粉かけていた等々力に住んでいる後輩の作業効率が落ちた。

 繁忙期だというのに。


 というか面と向かって断るのが面倒だから俺にすり寄って等々力をスルーしようとしているのではないだろうか。この下北沢よ。計算高いのを俺は知っている。


「鈴木君もそろそろ所帯持った方がさあ。そろそろいい歳だし」


 謎のタイミングで謎の話を振ってくる課長が面倒くさい。

 人間換算すればお前よりよっぽどいい歳である。お前は母上か。


 心をささくれ立たせる出来事が束になって襲ってくる時期が来る。

 今がそうだ。


 示し合わせたようにやってくるのだから、去り際もそうであってほしいのに結局ひとつずつ処理をしないとなくならないのが腹立たしい。


 とりあえず来週から電車を変える。

 通勤定期が来週の火曜までだからいっそJR通勤に変えてもいい。

 これで一つクリア。


 繁忙期は、ただ無心でこなす。


 あとは下北沢をなんとかすれば等々力と課長は黙る。


 これが厄介だ。

 女というのは訳がわからない生き物である。

 理屈より感情で動く割合が多い。断り方には細心の注意を払わなくてはならない。

 失敗すると平気で仕事をさぼったり放棄したり俺を貶める噂を流したりする。

 相手の態度が気に食わない、自分の留飲を下げたい、そのためだけにだ。


 入社一年目の下北沢がそういうタイプなのかどうかは測りかねる。

 とりあえず繁忙期が終わるまでは気のないそぶりを見せて受け流すしかない。


 もちろん、術を使えば簡単に解決だが、普通の人間でもどうにかできる火の粉を、わざわざ術を使って楽をするというのはどうにも気が進まない。

 自分の器が人と比べて狭量であるように感じる。そこは負けたくない。

 いわばこれは人間力を鍛える修行なのだ。


「予定あるんですか?」

「ある。お疲れ様です」


「お疲れー」


「わたしもお疲れさまでーす。え、お友達ですか?」

「そんなところ」


「鈴木さんのプライベートって謎なんですけど。どんなお友達なのか興味がありまーす。ついてっちゃだめですか?」

「遠慮しろ」


「女の人ですか」

「さあ」


 気のない返事オンパレードだというのに下北沢はめげない。

 男から好かれそうな容姿だから、袖にされるのが気に食わないのかもしれない。気が強い。

 この負けん気を仕事に反映させることが出来れば出世しそうだ。


 実際は約束などない。


 約束していたレストランの予約はキャンセル済みだ。

 土曜の二度寝のあとに思い出して電話を入れたからキャンセル料はかからなかった。


 余計な金も時間も使わずに済んだ。体力もだ。

 なぜかやたらと疲れたこの一週間の締めにあんなうるさいのと一緒にいたら神経摩耗する。


 ここだけは不幸中の幸いだ。


 早く帰って寝たい。もう疲れた。


 速足でオフィスを出てエレベーターを待たずに階段で5階から1階まで駆け下りる。

 階段でめげると思ったのに下北沢はついてくる。

 通りに出たらタクシーでも拾って逃げよう。この勢いだと家までついてきそうだ。


 そう決心して、ビルの出口に視線を向けると、ありえないやつがそこにいた。


 しかも何やら様子がおかしい。

 いつもそのへんの学生みたいな装いなのに、今日は違う。


 黒いトレンチコートに黒いシャツに黒いズボンで細いネクタイだけ白い。

 下ろしっぱなしのやたら目立つ茶髪は撫でつけられている。

 髪型と日が落ちていて暗いせいか、いつもうすらぼけた笑みを浮かべている顔が幾分精悍に見える。


 あいつがいるのは建物の外、俺がいるのは建物の中なのだが、俺の存在に気付いたようだ。こちらに向けて手を振ってくる。


 どうしてこいつは、その、厄介ごとがいつも束になって襲ってくる時期に的確に現れるのか。

 正月もそうだった。

 元から気に入らないし仲良くしてやる気も起こらないのだが更に邪険に扱ってしまう。


 もしや狙ってやっているのか。

 腹立たしいが今はこいつを利用できる、の気持ちの方が強い。なんせ今下北沢は面食らっている。

 この隙をついて建物の外に出る。


「あ、粋連さん!こんばんは。突然すいません。会社(ここ)の場所、八汐(やしお)兄さんに聞いて……」

「ちょっと黙ってついて来い。待たせたな、行くぞ」


 前半は小声で、後半は周りの退社中の人間(含む下北沢)にも聞こえるように少し大きめの声で話して歩き出す。

 何の用かしらんが会社の人間にはこいつとの会話は聞かれたくない。


 早稲田駅方面は通勤で使っている奴が多いし、金曜で足を延ばす奴もいるから神楽坂も新宿方面もだめだ。人がいない方いない方へ進んでいって、開けた公園に出る。公園の名は忘れた。


 そういえばここに来たのは初めてだ。


「……それで、何の用だ。どこかに移動したいなら従う」


「あ、大丈夫です。いきなりすいませんでした。あのですねーお正月にお会いした時に、僕と一緒にいた女の子と、朝通勤で使っている電車が同じらしいじゃないですか。いつもあの時間帯なんですか?」


 こいつのこういう所が嫌いだ。


 あの小娘が何を言ったか知らんが、好意的な内容ではないだろう。

 あのアホそうな雰囲気から「椿さん、お正月に見たあの人一緒の電車にいつもいるんですけどー、つきまといみたいですっごくこわーい」とかだろう。

 で、こいつは俺に釘を刺しに来たんだかなんだか。


 なのにへらへら笑っている。

 そして話が遠回しだ。

 都会で弱いやつがなんとかうまくやっていく処世術なんだろうが鼻につくのだ。


「回りくどい」


「あ、もう終わります。今度から彼女、あと15分遅い電車に乗ることになったんで、もうお心を煩わせることはありませんので、ご迷惑おかけしましたって話です。で、粋連さんが寝坊とかでその電車に乗ることになってしまった場合は、車両変えてもらえませんかっていうお願いをしに。あの、若い女の子って、一回無理ってなったら、もうその男の人無理なんですって。そういうものなんですって」


「わかった」

「ありがとうございます。それと、お願いついでにもうひとつ」


「なんだ」

「粋連さん、僕の事あんまり好きじゃないじゃないですか」


「そうだな」


「僕も同じ気持ちで。気が合わない所だけ会うって変なんですけど。それで、もう大人げないからって我慢して付き合うのやめませんか?集まりはしょうがないですけど、街中で顔を合わせたら本当は挨拶とかしたくないじゃないですか」


「そうだな」


「見かけてもお互いスルーって事にしましょう」

「そうしよう」


「僕の用件はそれだけで。お時間取らせてしまって申し訳ありませんでした」

「ああ」


 無理ってなんだあの小娘。


 なんで今日に限ってこんなにバッサリした物言いなんだこいつ。

 いつもあたりさわりないようにしてくるくせに。


 提案に異論はないがそれ以外に追求したい点があるが、全て口に出さない。


 なぜなら俺はこの場所を一刻も早く離れたい。


 ここはとても気分が悪い。


 ここが初めて来る場所で、そういう〝場〟のようなものだからこんなに嫌な気配に満ちているのかと思っていたがどうやら違う。


 嫌な気配は、目の前の椿(こいつ)から出ている。


 穢れている。

 淀んでいる。

 悪意の塊のような。


 身構えているのに強引に押し入ってきて、俺の内側を手あたり次第目の粗い(やすり)で傷つけながら逆立てられるようなこの感覚。


 得体が知れない。

 目の前のこれは、何か別の生き物のようだ。

 今までこいつと顔を合わせた際に、こんな感覚を味わったことはない。

 一体なんだ。


 こういう物が得意な妖狐(やつ)ならこの原因がわかるのだろうか。

 そんな気配を纏って、なぜこいつは平然としているのか。

 好奇心が疼かない訳でもなかったが、それよりも防衛本能が勝つ。


 絶対にこれに関わらない方がいい。


 用事は終わった。

 ここを離れてはいけない理由はもうない。

 口調こそ丁寧、表情こそ笑顔だが、目的は絶縁宣言という相手に、去り際の挨拶が思い浮かばない。

 そもそも絶という程縁もないのだが。


「お時間いただいちゃってすいませんでした」

「ああ。じゃ」


 ふり絞った声はひどく乾いていたのだが、それを悟られはしなかっただろうか。


 格下の相手に圧倒されている現在を情けなく思う自分もいるが、矜持のために触れたら死にそうなヘドロの沼に突っ込んでいくような無謀さはない。

 そういうのは人間のすることだ。


 やつに背を向けて俺は歩き出す。


 速足になりたがる足を押さえつけて、余裕をもって歩く。

 臆している事を悟られたくないくらいの虚勢を張る余裕はある。なけなしだが。


 どうしてあいつは平然としているのだろうか。

 あれが所謂死臭という物なのだろうか。

 寿命が近い妖狐にはまだであったことがない。ありうる。

 だめだ、もう後方にいるこいつの事を考えたくない。


 鳥肌と寒気、吐き気と頭痛で叫びだしたくなるのを抑えながら、俺はやつから距離を取っている。


 用が終わったと宣言したくせに、相手の意識がこちらに向いているのを感じる。

 その場に響く足音は俺のもの一組だけだ。


 なぜ。しかし振り返って確かめるのは嫌だった。

 無心で足を動かす。



 自分の足音が雑踏に紛れて聞こえなくなったのだという事に気付いた時に、俺がいた場所は目白だった。



 そのまま山手線に乗って帰宅し眠って翌朝起きて冷静になったところで、ふがいない自分を恥じたのだが、選択が誤っていたという後悔はひとかけらもわいてこない。


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