たまには突き当りを右、の話でも (6)/もやもや粋連さん
月曜の列車はなぜ混んでいるのか。
見た感じほぼ会社勤めの人間と学生が列車に詰まっている。ほぼ全員月曜から金曜までこの列車に乗るのであろう。なぜ増えるのだろう。
朝一で会議があるのでその準備のため。これは仕方ない。
しかし、この増加分全員がか。
しかも最も乗客が憂鬱な顔をしているのが月曜だ。
いつもより混んでいて周りの人間が辛気臭い。心を引きずられはしないが鬱陶しくはある。
『九段下、九段下。半蔵門線、新宿線はこちらでお乗り換えです』
そんな中今日も頭悪そうな小娘はご機嫌そ……うではなかった。
今まで月曜も神楽坂で薄ら笑いを浮かべていたのに、今日は今にも舌打ちでもしそうな面相だ。
あいつ――椿と喧嘩でもしたのだろうか。この小娘は。
こいつの名前は知らん。
年寄りどもは大騒ぎして祝福していたが、そもそも現代で人間と妖狐で番になって上手くいくはずがないのだ。
関係を維持していくための問題は山積み。
それに気づかないで浮かれて仲間内に報告なんぞしてしまうあたり、考えの足らない田舎の、下級の、さらに俗世とは言い難い場所で働いている妖狐ならではの浅慮。
人間と付き合っている妖狐なんぞいくらでもいる。
しかし面倒だから遊びにとどめておいているのだ。
そのあたりがわかってないで、どう収集つけるつもりなのか。あいつは。
『飯田橋、飯田橋です。有楽町線、南北線、JRはこちらでお乗り換えです』
小娘は降りない。
相変わらず凶悪な顔をしている。
特に興味がないし教えてやる義理もないので放っておく。
扉が開いたと同時に小娘は現在地を把握したらしい。
「すみません、降ります」と言いながら、車両の端から人をかき分けて動き出す。
ちょうどその延長線上に俺はいる。
邪魔をしてやる理由もない、仮にあってもそんな大人げないことはしない。
鞄をずらして通り道を作ってやると、心遣いに気づいたらしく小娘が顔を上げた。
多分小娘と俺は身長が20センチくらい違う。
「すいません、ありがとうござッ――――」
こちらに向けた笑顔が盛大にひきつって、親の敵に出会ったかのような凶悪なご面相に変わった。
その間にドアが閉まった。
「あ!」
俺のせいではない。
完全にこの小娘が悪い。
だというのに目を吊り上げて、俺から視線をそらすように背中を向けた。
身体を回転させる際、一瞬睨まれたような気さえする。背中から怒気を感じる。
列車が動き出す。
次の駅に着くまで、小娘は俺に背中を向けたままだった。
聞こえよがしなため息をついて、肩を怒らせながら小娘は神楽坂で降車していく。
知り合いの気に食わない妖狐の番だという人間の小娘は、一度見た人間(厳密には妖狐だが)の顔を覚えていられる程度の知能は持っていて、性格はすこぶる悪そうだという情報が俺の中に記憶された。
鬱陶しい月曜日が腹立たしい月曜日になった朝だった。
※※※※※※※
火曜はあの顔を二度と見たくないと思い、今までより一本早い列車に乗ったら、いた。
水曜は一本遅い列車に乗ったのに、いた。
木曜はなぜ俺が気を使わなければいけないのだと思いなおし、通常通りの列車を待っていた。
入線してきた列車の中に小娘はいた。
道を歩いていて反対方向から来たやつとぶつかりそうになって同じ方向へよけようとしてまごまごする現象みたいなものなのだろう、あのどんくさい人間がよく陥っているやつだ。
もう苛つくのはやめて平常通り過ごそうとその電車に踏み込んだ瞬間に、小娘は自分の脇にある車両と車両をつなぐ扉を乱暴に開けて出て行った。
「…………」
最高に感じが悪い。
頭の悪い女特有の、感じの悪さ全開だ。
※※※※※※※
ここで違う車両に乗るのも負けたようで口惜しい。
あっちが勝手にいなくなってくれるならそれで別にいい。
察するところあの場所が気に入っていてあそこに乗っているようだし。
ざまあみろ。嫌ならお前が電車変えろ。
もう7年もこの電車なのだ。今いくつか知らんがおそらく俺の方が乗車歴は長い。
そう、開き直った金曜日。
今日も定位置に小娘はいたが、俺と目が合う事はなかった。
車両も移動しない。理由は今日、二人連れだったからだ。
学ランの、同じ年くらいの小僧と。
こいつは多分小娘の事が好きなのだ。弾丸のように小娘に話しかけている。
はたから見ればまあまあ似合いの二人だ。
恩があると言ってもこの小娘ならもっといい縁談があるだろうに、なんであいつをわざわざ選んだのか。夢見がちで現実を見れていない浅はかな子供故の選択か。
人と違う特別な状況に置かれている自分、それに酔っているのだ。
どうせ何年かしたら自分の選択の誤りに気づく。
友人に紹介するときどうする。
何も知らない相手との雑談でうっかりボロをだしてその都度取り繕ってとするのはなかなか大変だぞ。
一生そうして生きていくのか。
そもそも住むところどうするつもりなんだ?
この小娘の家にどう自分の事を説明するんだ?あいつ。
後ろ盾もないから人里にあったり、あるいは人ではない領域にある家に嫁を迎え入れるなんてことも出来ないのに。
結納とか結婚とかどうするつもりなんだ。
まさか何にも考えてないんじゃ。
―――何も考えてないのかもしれん。
下級の妖狐は野生に近いと聞く。その日暮らし、その場しのぎだ。
かもあいつそろそろ寿命が近いんじゃなかったのか。
抜けすぎだろう。色々と。
そう考えるとこの小娘も哀れだな。
恩があるとはいえ振り回されて。不機嫌にもなる。本当に抜けすぎだろう。あいつ。
俺の機嫌を損ねたら、報復にどんな目に合うのかもこの小娘に教えてないのか。
そこまでするまいと思っているのか。
寛大な妖狐である俺はこれくらいで腹は立てないが、種族の上の方にいる者としては下の者が人間に迷惑をかけそうなら止めるべきだとは思っている。
巡り巡って自分にまで何らかの火の粉がかかってきたら鬱陶しい。
それを回避するために、この、人間が詰まった車両の誰一人に気付かれることなく、小娘の心を操ることが俺には可能だ。
例えばこの小娘の中にある恋慕の宛先を、椿から、今小娘の隣にいる小僧に変えさせることとか。
そう難しい事ではない。
人間の作った虚構話などでは愛の力で洗脳が解けるとかよくあるが、俺は今まで術を失敗したことがない。
人の心は脆くてやわい。
その件に関しては卑下するつもりはない。そういうものなのだ。
小娘は椿にベタ惚れのようだった。この後別れるのはさぞ辛かろう。
その点隣の小僧はぴんぴんしとる。
人生何があるかわからないが、椿よりは長く生きるだろう。
名門校の制服だから、将来有望というやつだろう。多分。
こいつとくっついた方が幸せになれる。
椿は知らん。
年端もいかない子供騙したのに責任放り投げていいとこ取りしようとしてるんだろう。
振られて泣いて暮らせ。
「ここで乗り換えなので」
「あっ、そっか、じゃ、じゃあ!」
そんな会話をしながら、小娘が飯田橋で降りる準備を始めた。
早々に降車扉前まで移動してくる。一瞬目が合った。忌々しそうに睨まれた。小娘は降りていく。
なぜ俺はあんな頭が悪そうで性悪な女の将来を一瞬心配してしまったのか。
ばかばかしい。
絶対心変わりの術なんてかけてやらんからな。
あの抜け作と共倒れになれ。
あいつ彼氏いるし、あいつ本人の性格すこぶる悪いぞ、顔だけだぞ。
と、小娘が自分の方を振り返らないかそわそわ窓の外を見ている小僧に忠告してやりたくなったのだが、不審者でしかないので俺は黙った。