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門前仲町小夜曲  作者: ろじかむ
ちょっとした狐噺2
80/155

年来たりて想うは、為来りのあれやこれや

 解凍しておいたキッシュを軽く指でつつきます。溶けている。


 電子レンジに放り込んで50秒。持てる程度に温まったそれを手づかみで口に運びます。

 今一人だしフォーク洗うの面倒くさいですし。どうせこの後顔も洗うから手も洗うし。

 本場フランスの方が見たらキッチンで立ちっぱなし、皿を持って手づかみでキッシュを食べるという、テーブルマナーフルシカトの僕の様子をみて顔をしかめるのでしょうか。


 はいはい、ぱるどんぱるどん。急いでるんですごめんなさい。


 食べ終わった皿を流しに置いて、そのまま洗面台へ向かいます。

 石鹸と歯ブラシとコップしかありません。

 普通の男の人だとあと髭剃りとかあるんですかね。あれ楽しそうですよね芝刈りみたいじゃないですか。 小春さんのお父さんがやってるのをつい見てしまいます。


「えっ、髭とか生えないの?」


 って驚かれましたっけ。髭付きでってイメージしながら化けなおさないと生えないですね。


「このつるつる肌で化粧水とかいらないの?まーあ、なんて憎らしい!」


 って小春さんのお母さんに散散頬をつんつんされもしました。

 そう考えると人間に化ける妖狐というのは人間と比べてコストパフォーマンスが高い存在なのかもしれませんね。


 三日くらいお風呂入らないと獣くさくなってくるような気もしますが、僕が人間の男の姿をしているからなのか、妖狐だからなのかはわかりません。


 人間の男子と僕を用意して三日風呂に入らないで誰かにかぎ比べてもらうみたいな実験をする訳にもいきませんし。

 誰に頼むんだって話ですよ、小春さん以外嫌ですし小春さんにそんな事させられませんし、たとえそれが実験の為だとしても小春さんに近寄る男はこの世からいなくなればいい。


 あーあ。小春さんとお風呂入りたい。

 いけません、霧散して下さい煩悩。


 なんだか、でも、発情期の毒気がいつもより少ない気がします。今日は。

 急いでいてそれどころではないのと、僕の部屋だけではなく街中がしん、と静かで神聖な気配がするからでしょうか。


 今日は年が変わりまして1995年1月1日、そう、お正月です。


 毎年なんかしらありましたからこうして通常通り朝起きて、東都でお正月を迎えるというのは初めてな気がします。実家に帰るのは大体この休みでしたし。


 ぼうっとしている場合ではありませんでした。一応今日くらいはちゃんとしないと。

 石鹸を泡立てて洗顔を行い、水けをきちんとふき取ります。念入りに。

 髪に櫛を入れてなんとなく整髪料で整えて。


 鏡の中の顔はいい人そうと称される青年です。


 ……もうちょっと男前にも化けられるんですよ。一応。

 でも今更顔変えると、なんでやねんってツッコミが絶対入りますし、ナルシストみたいで嫌ですし、なにより小春さんが世界一格好いいって言ってくれたからこの顔でいいんです。ええ。


 狐の時も人間の時も母似なんですが、明るい、狐を思わせる髪の色は父譲りです。

 人間に化けるのちょっと下手だったんですよね。父。

 今なんかだったら茶髪の若者で済ませられますが、郷里ではそんな人いませんから、人間の振りをする際は帽子が欠かせませんでした。僕は変えようとすれば変えられるんですが。この色。


「おひさまがあたると、きらきらしてきれいですね」


 そう言ってくれる恋人(ひと)もいるので、これでいいのです。


 さてさて、どういう手順でどうしたらいいのか。


 とりあえず寝間着を全部脱いで洗濯機に。

 えー、あ、そう。脱衣所の肌着入れから襟ぐりが深く取ってある肌着を見につけます。袖見えると格好悪いから、袖を少しめくって7分袖くらいにしておきましょう。

 下は用意してもらってるんですよね。確か。


 欠伸をしながら洗面所を出ます。

 着替えてからあんまり動きたくないので、出かける支度を。財布と。オレンジカードの入ったパスケース。残額大丈夫でしょうか。あ、大丈夫。あ、五円玉、ある。四十五円にするべきかな……あ、どっちでもある。


 小春さんの分、も、ある。茉莉くんに早めにあげたお年玉の袋の余りがあるから、ここに九十円入れて……

 で、玄関わきに置いて。


 あ、あとお年賀も。とりあえず日本酒にしたんですが大丈夫ですかね。好みありますかね。駄目だったら料理に使えるんで大丈夫、なはず。

 風呂敷で包んだ一升瓶二本も玄関へ。

 これ、えーと。手元で出してから、中身だけ渡すんですよね。たしか。大丈夫。大丈夫。

 履物を出して、準備オーケーです。


 さて、ある意味今日のメインイベント。寝室に戻ります。

 姿見よし。電気つけた。

 足元にはたとう紙が。


 たとう紙とは着物が入ってるあの、ほどくと変な展開図みたいになるあの紙です。つまりここには着物が入っている。しかも僕用の。


 僕が振袖の小春さんと初詣に行くという話を聞きつけた堅香子さまが、僕の為にあつらえてくれちゃったらしいです。

 二時間で。


「あ、でも反物は家にあったやつなの。気にしないで。どっちかにと思って買っておいたんだけど、どっちもそんな動きにくいの嫌だって。だからよかったら着てほしいの」


 だそうで。


 現物と術の合わせ技。得意なんですよね。堅香子さまこういうの。

 折角なので有難く頂きます。たとう紙も術で出したんでしょうね。これ。芸が細かい。


 まず黒足袋を。後に履くとめんどくさいですから。で、一緒に出してもらったあったかいらしいステテコをはきーの。柄千鳥格子なんですけど。派手なんですけど。見えないからいいんですけど。

 で、腰骨のあたりで一周させるように横半分に折ったタオルを一枚巻いて、ひもを打ちます。


「お腹出てればいらないんだけど、椿細いから。帯上がって来ちゃうと思うのよね。そうしときなさいな。多分よく締まるわ」


 このためにお腹が出た体型に化けなおすのはめんどうなので言う通りに。


 でー着ながらわちゃわちゃするとまた面倒なので身に着けるべきものを全部出しておきます。準備万端。

 肌着と足袋は装着済み。これは料理で言うところの下ごしらえですね。


 本番はこれから。


 女性に比べて男子の和装は着付けが簡単ですが、久々なのでちょっと緊張します。

 基本的に温泉にある浴衣と着方は変わりません。枚数が多いだけです。


 まず長襦袢を……結構大きい市松模様なんですけど。ハデだなあ……見えないからいいんですけど。を、はおり、腰骨に紐を打ちます。

 バスローブに紐ついてるじゃないですか。ああいう感じではだけないために必要なんですよね。紐。


 続いて所謂着物です。藍色よりもう少し暗い、紬の着物。

 あ、家紋入っている。堅香子さまのところのではありません。

 縫い取りで、上弦月(じょうげんげつ)に椿。


「お心づかいはうれしい……うれしい……ですが……」


 意匠は見事で、粋な計らい、というやつなんでしょう。しかし、なんか、世の中に自己紹介して回っているみたいでちょっと恥ずかしい……。

 まあ見て悟る人とかいないから、いいんですけど。ありがたく着させていただきます。

 同じように紐を打って、更にその上から角帯を締めます。白い……この柄なんていうんでしたっけ。忘れてしまいました。まあいいや。帯は帯です。


 男子の着付けで一番難しいのは帯だと思うんですが、慣れれば簡単です。ぐるっと巻いて織り込んでくるっとして手をギュってすれば出来上がりです。ああそう。女性ものと違って身体の真ん中に帯があるとちょっと野暮なので、どちらかに少しずらすのが粋って聞いた事があります。

 なのでそのように。

 ま、更にもう一枚着るんで、あんま帯意味ないんですけどね。


 着物と同じ素材の、こっちも紋が入れてあります。羽織を羽織って、羽織紐を結べば完成です。

 いやー。意外とまだ手が覚えていました。割と様になっていると思います。

 うん。


「ねえ、袴もほしくない?」


 って言われましたけど、これで十分です。

 今日日(きょうび)そこまでガッチガチの和装男子見たことありませんもん。浮きますよ。


 よし。準備万端。ただいま朝八時二〇分。約束は半なので間に合いました。


 あとは袖に財布とカードケースとお賽銭の入ったお年玉袋を放り込むだけです。

 男物の袖はなんでも入るポケットがわりなのがいいですよね。逆になぜ女物は空いているのでしょうか。寒いし百害あって一利なしです。


 あ、でも、袖口じゃない側のあそこから手入れて腕さわれるからいい。

 …………いかんいかんいかんいかん。新年早々(よこしま)すぎます。


 でもあれですよね、人間の男性なんて常時発情期らしいですから、そういうしょうもない理由の為に空けられているのかもしれません。

 女性が所有物として扱われがちだった時代の、忌まわしい産物なのかも。

 でも、正常な時に後ろから抱きつきながら腕突っ込んで小春さんの腕ふにふにしていちゃいちゃしたいんで、しばらくは空きっぱなし文化のままになっていて欲しいなと思います。


 チラリズムの最高峰ですよね。女性の着物の袖。あ、そう。袂。袂だった気がします。


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