【R15】決戦はクリスマス――耐え抜け、制の12時間(4)
助かった。ちょっと冷静になれました。
鳴り続ける電話をどうにかする為に、手をほどいて起き上がろうとしますが、出来ません。小春さんが僕の手をつよく握っているからです。
「小春さ……」
「どうせおとーさんです……とらなくていいです」
「でも」
そうこうしているうちに、留守番電話に切り替わりました。やはり小春さんのお父さんからでした。ケーキ食べにおいでという内容。
「こっちにもあるじゃないですか。いかなくていいです」
「持ってって皆で食べた方が楽しいですよ」
「嫌です」
強く握られていた手が、離されました。
そのまま僕の腕をなぞるように上がって行って、下がって、着ていたシャツのお腹辺りを掴まれます。
「二人のほうが、た、たのしい……です」
押し倒されて口内をさんざん舐られて、頬は上気しているのに、その言葉と声はまだ清らかでした。無垢です。
もしかしてそんな事をねだったら、このあと僕に何をされるか、という事を知らないのではないでしょうか。
男女の仲の進展具合を東都始発の山手線外回りで例えると、普段の僕は鶯谷くらいまで行きたいです。
いやあの、例えで。
小春さんをあんないかにも淫靡なホテル街に連れ込みたい訳ではありません。
そして今現在、発情期中の僕は上野で路線ギューン飛び越えて、宇都宮まで行っちゃえそうな事をしたいんですよ。
小春さん。危険なんですよ。
そのお目めきらきらした感じとか、原宿くらいで済むと考えているんじゃないですか?
すみません、済みませんよ?いいんですか。
いやでもはっきりそういう事言ったことあるし。そう。それでいい、みたいな事言われたし。いいのかな。
逡巡しながらも脳からの言う事をほぼ聞かない仕様になっている身体はすでに勝手に動いております。親指で小春さんの唇をなぞります。瞳が潤んだような気がしました。
たまらず人差し指を口の中に突っ込みました。
さすがに驚いていましたが、やめません。
だって小春さんがいけないんです。
歯列を順番になぞり、唇に戻り、何度か押して遊んで、それからまた突っ込む。
えづかせないようにしながら小さな舌を弄んでやります。困惑しているようですが、僕はやめません。
ねえ、一言「やだ」って言ってくれればいいんです。
そうしたらきっと抑えられるから。
指を二本に増やします。
「んん」
危ないんです。僕。もっと嫌がってください。ほら。こんな訳わかんない事されて怖いでしょう。怖いって言って。
「は」
という、声帯を通り過ぎてきたんだなと実感させる様な声が微量混ざった吐息が、すっかり濡れた僕の指を撫でて外に出てきました。
黒い瞳は何か言いたげです。
手は相変わらず僕のシャツをぎゅうぎゅうに握っています。
シャツには、アイロンをかけないと外出できないほどの皺が出来ているでしょう。
指を動かすのをやめた途端、それまで控えめに開かれていた口が閉じ、指をくわえられました。
苦しかったのかとあわてて引き抜いたのですが、その瞬間、引き留めるように中で指を舐め上げられました。小春さんは顔を真っ赤にして視線を僕からそらしています。
今のわざとですか。
行った事ないんですけど、学校の授業とかって、彼氏の理性をぶっ飛ばす方法とか教えているんでしょうか。
成績優秀って言ってたもんなあ小春さん。
成程、なるほど。
―――何も知らずに仕掛けて来たなら才能だと思います。
もう無理。
今日何度めか解らないキスを、僕のお姫様に。
頑張って頑張ってこれからなんとか巣鴨くらいまで優しくするから、もうこれ以上僕を刺激しないでください。
そんな許しを請うくちづけです。
唇から首筋に。鎖骨の根元。今見える範囲で可能な所全てに。
体重をかけないように気を付けながら、背中に腕を回して彼女を抱き込みます。
ふわふわの身体。
電話がまた鳴りました。僕は受話器をとる気がすっかりありません。
これ今から17時半までに終らない。
急きょ、イルミネーション見に行くことになっちゃいました、今外ですって後で嘘電話しよう。
それで遅くなるからって、お母さんの反応次第で遅れてご飯食べにお邪魔するか、外でご飯食べてくる事にするか決めよう。
離れたくないから狐に戻って向こうの家で一緒に寝て、起きたらこっちの家に戻って来て続きしよう。
続きっていうか新たにっていうか。
お店なんかちょっと遅刻してもいいや。たまには困れ店長さん。
そんでセンセイから一万円もらって。絶対電話しないから。
「椿さん」
「ん?」
「好きです」
「僕も」
微笑みの形を合わせようとしたのですが、小春さんはそうではない。
「……僕もじゃなくて、ちゃんと、ほしい、です」
ああそうか、随分言ってなかった。口にすると言葉に引きずられそうになるから。
少し緊張する。いつも緊張する。
「どうしようもなく好きです。小春さん」
雪解けを促す陽だまりみたいな笑顔だ。
これを見ると頭が真っ白になってしまう。
口づけを段階的に深いものに落としていく。落としきっても今度は声を出される事はありませんでした。
そろそろ「か」破ろうかな。
探り探り。背中の下に入れていて、ちょっと痺れてきた腕をぬいて。
キスをしながら頬を障り、そのまま首筋、肩、シャツを掴んでいた手の片方を取って掌にも口づける。嫌がる様子はない。次どうしよう。
『椿くん』
鳴り止んで、留守番モードの電子音声が終わった瞬間に名指しでご指名を頂いて、不埒な僕の指は止まりました。
『15分以内にうちに来ないと、昨日偶然知ってしまった、君の恥ずかしい秘密を―――小春にばらすからね』
「え!?」
『それじゃ』
堅く目をつぶって、開けると、僕の下で小春さんが電話と僕を見比べていました。
溜息と共に僕は小春さんの肩口に顔を埋めます。
「……付け合せのホイップクリーム立ててから行くので、小春さん、先に帰っててもらえますかね……?」
「椿さん!?」
小春さんは信じられないようなものを見る目で僕を見ています。
合っていますよ。そのリアクションで。
今の僕を信用してはいけないのです。
助かった、最低な脅し文句ですが最高に効きました。
昨日の敵は今日の友です。
今の僕は自分の自制心が信用出来ないので、ストッパーを外注していたんです。
僕の知る中で僕を二番目に押しとどめてくれそうな存在、小春さんのお父さんです。
一番ですか?
小手毬ちゃんですけど「ねえ小手毬ちゃん、僕が小春さんを押し倒さないように術かなんかで見守っててくれない?」
とか、そんな恥知らずな事はお願いできません。
それよりはお父さんに全部暴露した方がマシ。
昨日、小春さんが茉莉くんと遊園地に行っている間に、小春さんの家に電話をかけて、お父さんに今の僕の状態を説明したんです。
こんな状態だけど小春さんを寂しくさせているのを解消するために、明日二人の時間を過ごしたい。
だけど自分を抑えきれないので、怪しいと思ったら速攻邪魔して下さいと。
こちらで用意している対策とタイムスケジュールを提示した結果、13時半から15分ごとに僕は窓際に立って、身の潔白を証明する事になっていました。
雪の予報なんて大嘘です。
小春さんちの小春さんの部屋とお父さんお母さんの部屋からは僕の部屋が見えますから。
姿が見えなくなったら、電話で邪魔してくる。
そういう手はずになっていたのです。
「いやです。お父さんにちょっと言って、また戻ってきます。秘密ってなんですか」
「大したことじゃないです。なんか、こう、ちょっとどじっただけで。でも小春さんに格好悪いと思われたらいやなので。本当に大したことじゃないです。お父さんもちょっとそういう遊び心のある何かなんです。そんなこと言うものではありませんよ。小春さんの事が心配なんですよ」
その約束を反古にして、しらばっくれて事に及ぼうと思っちゃってたあたり、今の僕の倫理観がいかに脆くなっているかお分かりいただけるかと。
誰に?小春さんですとも。
もう頭の中全部見せて、僕が小春さんで何を行おうとしているか、見てもらったらこんなに好いてもらわないで済むのかな。
無理、嫌われる。絶対嫌われる。百年の恋も冷める。
小春さんの手を引っ張って起こして立たせて、衣服の乱れを直します。
一昨日のニットとスカートじゃなくてよかった。
絶対境目から手入れて揉みしだいて足りなくてめくってめちゃくちゃにしてた。
こういうすとんとした全身覆うワンピースは、色々触るにはスカートをめくらなければいかず、スカートをめくるという変態的行為は攻め手をためらわせる抑止力にもなりますし、見ていてかわいいですし、攻守最強のお洋服なのかもしれません。
ありがとうワンピース。
ステキですワンピース。
これからも永遠のスタンダードであり続けてください、ワンピース。
「心配って、もう子供じゃないんですよ」
「いくつになっても親にとっては子供なんですよ。堅香子さまの長男さんなんて、センセイと同じ年くらいでセンセイと違って一回も死んでないし殺しても死ななそうな強力な妖狐なのに、まだ心配されていますから」
「え?そんなにおじいちゃんなんですか」
「見た目はね、茉莉くんが言う通り、格好いいお兄さんですよ。センセイとはまた違った感じで、女の人に好かれそうな」
最後いつ会ったっけ。あ、この調子だ。消えろ煩悩。
妖狐界一のエレガント系問題児の事に思いをはせていたら、小春さんが抱き着いていました。引きはがせないように腕ごと抱きしめられています。
「椿さんが、世界一格好いいです……」
そうしてこてん、と頭を預けられました。
殺す気か。
いや、自殺行為ですよ小春さん。
「……私が子供だから、一緒にいてくれないんですか」
あ、なんか、既視感。いや、あったことだ。
動きを封じられているのが幸いしました。僕は小春さんに聞こえるように大げさ目にため息をつきます。
「子供だったら好きになんかなりませんよ。でも、今日までご両親に大事にされてきた事実があって今の僕が大好きな小春さんがいる訳ですから、僕もそれを大事にしたいんです。なんか訳わかんない事いってますけど。わかって。大人ならどうか解ったふりをしてください」
「……わかりました」
不服そうな声を出して、小春さんが離れていきます。
そのまま玄関と逆方向に歩き出し、掃き出し窓を勢いよく開けて、ベランダに出て自分の家の方角を向きました。
背中しか見えませんが、多分、お父さんに向けてあっかんべーしてます。
唇を尖らせて部屋の中に戻ってきた小春さんは「先に行きます」としょんぼりして、小走りで玄関へ。慣れた手つきでブーツを履いて、部屋を出て行ってしまいました。
あ、子供だ。
しかしたまらなくかわいらしい。
ロリコンの気があるのかな。僕。人間の年齢に換算すると完全に犯罪な歳の差ですし。
……あまり考えないようにしよう。
ホイップ立てよ。
※※※※※※
ケーキを手にして小春さんの家にお邪魔したら、雰囲気は最悪でした。
小春さんはむくれ、小春さんのお母さんもお父さんへの少し態度がとげとげしい。
台所から「大人げなさすぎる」というつぶやきが聞こえよがしに聞こえてきました。
アップルパイもシフォンケーキも、甘さを全く感じませんでした。
お父さんは僕を責めません。黙秘を貫き通してくれています。
「もう一切れくれないか」
と、シフォンケーキをお代わりまでしてくれました。申し訳なさ過ぎて泣きそうです。
来年、父の日奮発しますね。お父さん。
そもそもお父さんともお父さんって年の差じゃないんですけど。そんな事言ったら家から叩き出されそうで言えません。
妖狐の中ではひよっこの若手なんですよ。
肌まだシャワー全然はじくし。
毛並つやつやだし。
と、誰にするでもない言い訳を、少し歯ごたえを残してある林檎の砂糖煮と共に飲み込みました。
桂皮松が僕の中の行き場のない熱をほんの少しじりりと、上げます。