15歳の、生まれて初めて
【1991年3月31日】
思い切って聞いてみたところ、こんさんはものすごく笑って違いますよと言いました。
「店長さんは恩人みたいな方です」
ほっとしました。つねさんに好きだと伝えました。
一緒に暮らせなくても、こうして1年に1度会えるだけでいいので恋人にしてもらえませんかと。
つねさんはすごくびっくりした顔をして、それからそれはできません、と言われました。
それはわたしの勘違いなのだそうです。鳥の『刷り込み』のようなものだそうです。
もう会うのはこれで終わりにしましょう、とつねさんは言いました。涙があふれて止まりません。
つねさんはわたしの頭を撫でてくれます。もう会えないなんて。
「元から、今日はそのつもりだったんです」
偶然再会した時に新しい家で上手くやっているか心配だったので、今まで会いに来てくれていたことを教えてくれました。
去年大丈夫だと思って今年で最後にしようとしていたそうです。
大丈夫じゃありません。
「1年に1度しか会えない僕を支えにするのはよくありません。何かあった時に駆けつけられないのですから。それより色々なものを見て、読んで、これまでに僕と話したような事を、色んな人と話して、そうして信用できる人を探してください。あなたにはもうそれが出来るはずです。頑張って」
頑張れないと、更に大泣きしました。つねさんは困って困って、考えた後
「もし頑張れると約束するなら3年後、最後にもう一度会いましょう」
そう言ってくれました。約束して、別れました。場所は日比谷公園の鶴の噴水です。
忘れないように帰り道に何度もおさらいしました。
日比谷公園、鶴の噴水。
つねさんに言われた通りに過ごしました。
色んな人とお話ししました。
世の中には色んな考え方の人がいて、つねさんが何を言いたかったのか私、少し解った気がします。
話したいのに、会えない。
せめてどこかで見かけないかと、つねさんと出会った場所でつねさんを探して見たのですが、姿を見かけることは出来ませんでした。
けっこう近所に住んでいるのに偶然、ってないものなんですね。
つねさん。今何してるんでしょう。
【1994年3月31日】
3年振りにあったつねさんは、何も変わっていませんでした。
気がついたら、口が勝手に動いていました。
勉強や部活を頑張っていること、友達が沢山いること、両親は変わらず優しくて、でも最近心配性なので喧嘩をよくすること。
そして先輩に告白されて、少しおつきあいした事。
その人をとても尊敬していましたがお別れした事。
「やっぱりつねさんのことが好きです。男の人も女の人も、全部の知ってる人の中でつねさんが一番好きです」
それを聞いたつねさんは、あなたのお気持ちにはお応えできませんと言いました。
「私が子供だからですか」
「いいえ、あなたは若いですがしっかりしたすてきな女の子です。でも今は解らないかもしれませんが、世の中にはもっと色んな男性がいるんですよ」
「もっと大人になって、色んな人とお付き合いして、それでもつねさんのことが一番好きだったら、私の事好きになってくれますか?」
つねさんは難しい顔で少し考えています。そうです。それなら文句なしでしょう。
あ、笑った。
つねさんは今までで一番優しく笑っています。
「実は僕は、あと何年生きられるかわからないんですよ」
笑ったまま、そう言いました。
つねさんは妖狐の中でも一番下級であること
そういうものは寿命が普通の狐よりすこし長い、20年程だそうです。
つねさんのご両親はもう亡くなっていること。
そしてつねさんはもう30年以上生きている事を教えてくれました。
「あなたはちゃんとしたほかの誰かと生きたほうがいい」
つねさんはやさしく笑ってそう言いました。
「こんさんがいなくなってしまったら私、悲しくて死んじゃいます」
怒られました。
それはそうです。つねさんが見つけてくれて、今の両親が拾ってくれた大事な命です。
粗末にしてはばちが当たります。死ぬのは怖いです。でもそれくらい悲しいです。
体の内側をずたずたにされたみたい。ぶたれるより何倍も痛い。
死にそうになった時の事を、思い出しました。
たくさんぶたれて、水をかけられてベランダに出されました。
寒くて、寒くて、寒くてあんなに怖い事はありません。
でも、そのとき、つねさんのことを思い出しました。
温かいスープに優しく撫でてくれたあの手。
寒いのも、悲しいのもだいぶましになりました。
つねさんは、怖くないのでしょうか。思い切って聞きました。
「さみしい、が強いです。もう誰とも会えなくなってしまいますから」
誰に会いたいんでしょう。あ、そうです。
「ご兄弟はいるんですか?」
「たしか、いましたがふつうの狐でした。そういうこともあります」
多分、もう生きていないでしょう。と、つねさんは言いました。
全然聞きたくなかったのですが恋人はいますか。とも聞きました。
「下っ端なのでちょっと焦って番いを探さなくてはならなかったのですが、人の世が面白くて、そっちにかまけてばかりでそういうのを忘れていました」
いきおくれなんですよ、と言った後にすこし考えてまた笑っていました。
「今はさみしくないんですか?」
「はい、店長さんもお客さんもよくしてくれますし、友人もいます。下級の妖狐ではありえないくらい恵まれているんですよ」
つねさんの笑顔はとても優しいです。きっとその人達のおかげなんでしょう。
私はそんなつねさんが大好きです。
「そうだ。飴でも、いかがですか」
つねさんはきれいな包みをくれました。
両側をほどくときれいな緑色の飴玉が。
食べるのがもったいないくらい、きれいな飴玉でした。そっとつまんで、舌にのせます。
―――とてもあまい、青林檎味。
美味しいのに、悲しい。涙が出てきました。
つねさんはもう、私の頭を撫でてはくれません。
ああ、さよならなんですね。
こんなに景色がにじんでいるのに、目の前の池の水面はまっすぐです。鏡みたい。
今日は噴水、お休みなんですね。
びゅうと風が吹いて。
風が水面をなぞっていきます。なぞられたほうはぐわあ、と歪んでいきます。
修学旅行のお布団のシーツを、外すときみたい。
「いたい」
目に何かごみがはいってしまいました。
「大丈夫ですか」
わたしの頬に、つねさんの指が触れます。触れて、すぐ離れてしまいました。
ああ。私、このひとの事が好き。
これで終わりなんてもう嫌です。
どうしたらいいのでしょう。
「つねさん」
どんな形でもいい。
「じゃあ、私とも、お友達になって下さい」
あなたの、そばに。
「私の名前、日向小春です。よろしければあなたのお名前を、教えて下さい」
お願いします。
妖狐がいるんだから、神様だっているはずです。
神様、神様、聞こえていますか。
この人に、名前を言わせて。
知っているでしょう。あなたにお願いするの、生まれて初めてです。