幻燈廻すは撫子の指先/精一杯のひとおし
『帰ってきて』
「…………」
『小春』
――――キュン、通り越して今、ちょっと冷静です。
『さびしいよ』
お部屋の前で思わず脱力して座り込んでしまいました。
扉の一枚向こう側では椿さんの鼻をすする音が聞こえて来ています。
『こはるう……』
……まさか、こんな事になっているとは。
そんなになるまで我慢して、何になるって言うんですか。椿さん。
私は深呼吸をして、目の前のドアを勢いよく開けます。
がちゃん!
「…………」
その音に反応して振りかえった椿さんは、未だかつて見た事のない、おまぬけさんな顔をしていました。
たしかにこれなら景色を見ながら歩いていて、排水溝に躓いて転びそうです。
「お呼びですか?椿さん」
私は出来るだけ可愛らしく見えるように微笑みます。
椿さんはしばらく固まった後、はっと我に返り顔を布団にうずめ顔を横に振り、あ、どうやら涙をふきたかったみたいですね。
バツが悪そうな感じが見えていますが、おおむねいつものちょっと落ち着いた感じを装っています。
「ど、どうやって入ってきたんですか」
「それは秘密です」
本当は先生に紹介状の予備もらってたんです。
コースターだと持ちにくいので、定期券と同じサイズのやつ。
「し、しかも何で着替えてるんですか」
「バイト代が入ったのでパーッと使ってしまいました」
店長さんから連絡貰って急いでここに来たので、ジーンズとシャツとカーディガンでしたから。
どうですか未だかつて見たことが無いミニスカートのワンピースにブーツの私。
八重洲地下街で一式揃えてみました。けっこう寒いです。
椿さんは上から下まで私を見てこほんと咳払い。
「風邪ひきますよ。あと何か誤解をしていそうなので先に訂正しておきますが先ほど僕が思わず口走ってしまったのは、平成狸合戦ぽんぽこの小春さんのほうですから。タイプなんです。狸だから公の場で言えなかったんです。ロミオとジュリエットみたいなものです」
自分が端整な狸みたいな顔して何を言っているんでしょうか。玉三郎さんよりは狐っぽいですよね。で、この状況でまだしらを切るんですかこの人は。
「そうですか。確かに私と全然似てないですね」
ブーツのファスナーを下ろして、許可もないのに勝手に上がり込みます。
お行儀悪いですけどもう知りません。
茫然とそれを見る椿さんの隣に体育座りして、具合が悪いって解ってるんですがその腕にしがみつきます。
熱いなあ椿さん。
「……気安く触らないでください」
いじっぱり。
こういうのドラマとかだったら「うるさいバカ」とか言って、椿さんにキスとかすればいいんでしょうね。
椿さんが私の事思っていてくれている事を知ってること、ばらしちゃえばいいのかも。
でも、私はそういうの苦手です。
「実は私も言い出しにくかったことを言う決心がついたんです。椿さん」
あ、キスの事じゃないです。自分の思いを相手に押し付けることが、です。
椿さんが私を思いやってくれてしてくれた行動を、なんだかなかったことにする行為みたいではありませんか。
「こないだ言ってたそういう関係でいいんです。お願いします」
これも十分押し付けです。でも椿さんが言い出した事なんですから知りませんよ。
どんな形でもいいから椿さんと一緒にいたいんです。
好きとか、直接言ってもらえなくてもいいですよ。
そんなことより、私の知らない所で椿さんがいなくなってしまうほうがずっとずっとずっと嫌だな、と倒れた椿さんを見て思いました。
私の事嫌いなふりしてもいいんです。
だからお願い、椿さん。
この手を、取って。