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門前仲町小夜曲  作者: ろじかむ
門前仲町小夜曲
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幻燈廻すは撫子の指先/おなかがすいたよ

 恥ずかしながらおなかが空いてしまい、椿さんのお部屋の向かいがお店の厨房になっていたことは覚えていましたので、いけないと思いつつも何か作ろうかなと勝手に冷蔵庫を開けてしまいました。

 なんにもなかったのです。椿さんいつからご飯食べていないのでしょう。


 椿さんをひとりにするのはとても心配でしたがなにか食べさせないと、と思い八重洲側の百貨店に行ってごはんの材料を。

 ついでに効くのか解らなかったのですが熱に効く風邪薬や、映画を参考にドリンク剤なども買って戻ってみるとまだお休み中でした。

 お熱を計ろうにも体温計はありませんし、買って来ても狐さんの平熱が人間と一緒なのかもわからないので、このままそうっとしておくことに。


 起きてすぐ何か食べられるように、まずご飯の用意を。

 具合の悪いときと言えばおかゆです。

 私はふつうのおかゆがちょっと苦手なので、出来上がったおかゆに白だしを入れます。

 口にあわなかったときのためにもう一種類あったほうがいいのかなと思い、うどんのおつゆも作りました。あまじょっぱい関東風。あとはうどんを柔らかく煮るだけです。


 様子を見に行くとまだ起きていません。すごく心配。


 ※※※※※


 なんだかやさしいはなうたが聞こえて来て、目が覚めました。

 ああこれ、魔女の宅急便のやつです。僕、あの映画大好きなんです。


 主人公が空を飛ぶことしかできない所とか、ひとり立ちして不安なときに優しい人に出会ったりする所とかなんだか他人事に思えなくて。


 布団の中だとよく聞こえないなあ。


 シーツをかき分けて頭を出すとひんやりした空気。

 歌っているのは薄暗い部屋で洗濯物を畳んでくれている小春さん。

「あ」

 僕に気付いて、駆け寄ってきます。目線を合わせるように畳に顔をくっつけて。

「ごめんなさい、起こしちゃいましたね」

 そう言って僕の頭を優しく撫でてくれます。

「具合はどうですか」

 だいぶましです。僕は首を縦に振ります。よかったといいながら小春さんは微笑んで、それから一瞬躊躇った後に

「おなかすいてませんか?椿さん」

 そう僕に問いかけるのです。


「デパ地下にはレトルトとかなかったので手作りですみません」

 と言いながら、小春さんはたまご粥を持って来てくれました。

 万能ねぎと生姜に刻みのりがのっています。人の姿に戻って、僕はそれを頂きます。

 すごくおいしい。

 うれしい。

 冷まさずに熱いまま飲み込んで、食道に悲鳴を上げさせます。

 身体の中が火傷してただれるようなこの感覚。

 こうでもしないと、なんだか気が抜けてしまいそうなのです。

「お嫌でしょうが、我慢して食べて下さい」

 などと言わせてしまいました。うっかり「嫌じゃないです」と言ってしまいそうになったりもうボロが出そうで怖い。


 ――――これを食べ終わったら、お礼を言って帰ってもらいましょう。

 僕は急いで、小さな土鍋に入ったそれをかきこむのです。


 足がふらつきそうになるので必死に床の線に添って歩いて厨房にいる小春さんの所へ。

 すっかり良くなりましたと嘘をつき、レシートを出してもらって買って来てもらったものの代金を精算しました。

 少し多めに渡したら「これは貰い過ぎです」とどこかの魔女さんのような事を言うので、ちょっと可笑しくなってしまいました。

「バイト代です。そのままお納めください」

 そう言うと小春さんは渋々それを受け取り、お店を出て行きました。


 センセイが渡した《紹介状》もきちんと回収。これでもうお店に来ることはありません。

 僕はお店のドアの傍に立って、小春さんが出てゆくのを見送ります。

 薄暗いトンネルの向こうに蛍光灯の光がちらりと見えて、すぐに消えて行きました。


 実にあっけない、お別れでした。


 なんだか頭がすっと冴えて、僕は店に戻ります。

 誰もいないがらんとしたお店。

 カウンターの椅子に座って、身を伏せます。

 頬が冷たくて、気持ちいい。


 あ、いけない。また寝てしまいました。


 倦怠感はそのままです。

 これ、いつ死んじゃうんでしょう。

 全然実感ないなあ。

 走馬灯ないし。

 しょうがないから自分で回してみましょうか。


 なんだか東都に来てからずうっと忙しかったです。

 帳簿とか在庫管理だけでいいって話だったのに、店長さん一人で回せなくて、結局僕もお店に立つはめになるし、そのためにお酒の資料とかいっぱい読まなきゃいけなくて、でなんとか回るようになってきたらセンセイとかが「乾きもんばっかじゃなくて煮込み料理とか食べたーい」とか言い出すから料理も覚える羽目になり、しかも調子にのってリクエストがどんどん高度になって行くわ、皆さん舌が肥えていらっしゃるから、おかげさまでそこそこの腕前になってしまいました。

 おちついたら店長さんが別の事始めちゃって、その手伝いとかでまた勉強させられる羽目になり、毎日まさに戦場ですよ。戦場。

 僕の実家の近くの神様が言っていた事は間違いではありませんでしたよええ本当に。


 まあ、でも基本神様達はのーんびりですから、僕の待遇も過労死するほどのものではなかったですけどね。自分の時間ちゃんとありましたし。

 センセイの話じゃないですが、下っ端妖狐にしてはなかなか波乱万丈な人生でした。


 楽しかった。

 最期に好きな人にも会えたし。

 幸せな時間でした。

「…………」

 そうです。小春さんに「ごはん何品か作ったんですけど、お口にあわなかったら捨ててください」って、言われていたのでした。


 カウンターに肘をついてよろよろと立ち上がります。なんだかあの、遊園地のコーヒーカップに乗っている感覚です。視界がぐにゃり。

 なんとか厨房にたどり着くと、コンロの上には手作りめんつゆ。

 あ、おいしい。


 銀色の冷蔵庫の中には茹でてラップのかかったうどんに、おかゆの残り、野菜のスープにあんかけ豆腐。あれ、このタッパーなんでしょう。

 上段に置かれた琺瑯製のそれを手に取ります。


 半透明のふたを開ければ焼き目のついた丸くて平たいものが4つ。

 まさかと思って、それを半分に割れば満月色の餡。


 かぼちゃのおやきでした。


 ふたつ取って、オーブントースターに放り込みます。

「……誰ですか、小春さんにこんなの教えたの」

 どうせセンセイです。余計なことして。本当に余計なことして。

 なんだか心臓も痛くなってきました。

 電熱線がじりじりとあかくなり始めるのを眺めていたら、気が付いたら5分経っていました。出来上がりの音がしてはっとします。


 じわじわと熱いそれをお皿にのせて、向かいの僕の部屋へ。

 ああそうだ。コップに入れておいた牛乳も忘れずに。

 半開きのドアを開けて、靴を脱いで。

 寒いので布団に足をつっこみます。


 行儀悪いけどいいんです。どうせ誰もいないんですし。


「あつ」

 既に半分に割れているものを手に取って、ひとくち。

 ほろりとくずれて、すっととけていきます。

 先生のやつより甘さひかえめです。


 おいしい。


 なんだか今まで、自分では作る気がしなかったんです。

 だから食べるのは先生の家でもらった時ぶりです。

 そうです、先生が倒れる数日前でした。

 何十年振りなんだろう。


「おいしい」


 なんだか飲み込むのがもったいない。

 もう半分も。

 ゆっくり食べて、牛乳を。

 そういえば先生の家ではいつも牛乳飲ませてもらいました。

 誰にも言っていないから、これは偶然。

「小春さん」

 きみって人は、何だっていつも僕の心をぐらぐらかき回すんですか。

 ひどい。

 ひどいよ。

 あ、涙出てきちゃった。男なのに。

 泣くのなんて、いつ振りでしょう。

 ぬぐってもぬぐっても止まらないんです。

 まあ、いいんですよ。誰に見られるわけじゃないし。

「…………」


 いいかな。


 誰もいないんだし。


 ずっと口に出して言いたかったんです。


 言いたくて言いたくて、我慢してたんです。


「小春」

 きみは都会っ子なのに結構人ごみあるくのがへたくそなんですよね。

「小春、大好き」

 危なっかしいから、手をとって歩きたくなってしまうのをいつも我慢していました。

「大好きだよ」

 微笑んでくれるたび、僕の名前を呼んでくれるたびにそう言いたくてたまらなかった。

「帰ってきて」

 具合悪くてよかった。走って追いかけちゃうところでした。

「小春」


 もう家かな。もし元気だったら僕は厚かましくも家まで追いかけて、チャイムとか押して、小春さんが出て来て「なんでうちの場所知ってるんですか?」とかそういう感じになるんでしょうね。きっと抱きしめちゃうなあ。

「さびしいよ」


 我ながらばかみたいな妄想に泣き言。


 いいか別に。誰に聞かれるわけでもなし。

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