幻燈廻すは撫子の指先/シリアスモードも洗い流せるとか石鹸さんはとっても有能
ちゃんとわかってるつもりです。
椿さんがあんな風になっても誰も呼ばない、という事なら私がそれを邪魔してはいけないということ、そして店長さんも仕方なく私に連絡したであろうこと。
もういいって言われたら、帰るつもりです。
さっきお風呂に入る途中だったって言われたので、今、お手伝いしています。
具合の悪い椿さんがこれ以上悪くなることのないように、細心の注意を払って真剣にやらなくてはいけないんです。
私、こんな時に、こんな気持ちになってはいけないんです……。
いけないんですけど、どうしても、どうしても自分を抑えきれなくてっ……!
「椿さん……お湯加減、大丈夫ですか?」
極めて真剣な表情を作って浴槽の淵から中を覗き込むと、狐の状態の椿さんがこくこくと頷きながら、私を見ているのです。
ぴん、と立った三角の耳に、くりくりした瞳は半開き。
具合悪いですもんね。
時折ひくひくと動く鼻、つやつやのまさにきつね色の毛並み。
足だけ黒くて靴下を履いてるみたいなんです。
さっきまでぱたぱたと動いていた、ほわほわの尻尾は、今はお湯の中でぺちゃんこになっています。
か、かわいい………!!
水分補給してちょっと元気になったので、普通に椿さんは立ち上がれるようになったのですが歩くとちょっとふらふらする状態で、でも何日もお風呂に入っていなかったらしく耐えられないというので妥協案として、狐に戻ってお風呂に入ることとなったんです。
溺れちゃうといけないので、お湯を浴槽に15センチくらい張り、その中に狐になった椿さんを抱きかかえて、そっと入れようとしたのですが、後ろ脚が水面に触れた時にビクッとしたので一旦中止しました。
しばしののち椿さんが私を見上げて、こくこくと頷いたので、そのまま湯船に入れると椿さんは気持ちよさそうに目を細めて尻尾をぱたぱたと振り、あれ膝をつきっておかしいですね。なんていうんでしょう。座って丸まるでいいんでしょうか。
その状態でじっ、としだしたのです。
時折大きな耳がぴくぴくと動いて、前足でそれをこう、掻いたりするのがまたとってもかわいいんです。具合の悪い人……狐……?を、つかまえておいてこんな気持ちになってはいけないのですが、あっ顔をお湯につけて前足でそれを拭き取ってる。
もうそれはそれはかっわいいのです。
背中の部分がちょっと出ちゃってるのでお湯を足しますか?と聞いたら首をぶんぶん横に振り、でもちょっと気になったので、たらいで背中にお湯がかかるようにしてあげたら私の手にすり寄って会釈してくれたのです。狐の椿さんが!
子供の頃見た時も、破壊力抜群のかわいさだったのですが、そのあとは人間の椿さんと過ごした時間のほうが長いのでなんというか………
これがクラスの子が言ってた男の人のギャップにキュン、というものなのでしょうか!
あ、二本足でびょんびょんしてる。
「もう出ますか?」
狐の椿さんはこくこくと頷きます。
さっきから前足の間……脇でいいんですかね。を抱えて椿さんがびろーんとなる抱き方なんですが、これで合ってるんでしょうか。
「椿さん、お身体洗うのって……シャンプーと石鹸どっちがいいんですか?」
椿さんは小首を傾げて少し考えて、前足で石鹸のお皿をかりかりしだしました。
さらに悪化させないように気を付けないといけないのに、顔がでれでれしそうになってしまいます。
あ、耳たれた。
※※※※※
―――――物凄い、苦汁の、決断でした。
人の姿で無理してお風呂に入って、そのまままた気絶でもしたら小春さんにはどうすることも出来ませんし、寿命の前に恥ずかしくて死ぬ!と思ったんです。
狐の姿で入浴した事がなかったので、おっかなびっくりだったのですがなかなかよかったです。そういえば昔父に泳ぎを教わったことなどを思い出しました。犬かきでした。
ザックリ言えばイヌ科ですもんね僕。
寒気がしていた体がお湯で温められたせいか、そんな事を考える余裕が出てきたのですが、小春さんにはそんな事が伝わらないので、溺れさせまいと思っているのか、かなり真剣な表情で僕の事を見守ってくれていました。本当に申し訳ない。
で、今石鹸で洗われています。
「椿さん私、力強くないですか?」
……気持ちいいです。
ので、首を縦に振ります。小春さんも神妙な顔で首を縦に振り作業を続行してくれます。
これ、美容院でやってもらうシャンプーの比ではありません。
狐の状態で身体を洗われたのなんて生まれて初めてなのですが脱力です。
崩れ落ちそうになるのを耐えています。
心配されちゃいますから。
ちょっと、あ、耳の後ろすごい気持ちいいです。あのう、もっと。あっ、つたわった。ああすごい気持ちいいです小春さんっ。
……。
……。
……年ごろの女性に何て事をさせてしまっているのでしょう僕は。
本当に申し訳ない。
「ちょっと洗いにくいんで失礼します」
ぐりんと視界が回って仰向けにさせられてしまいました。
ああそんな肉球の間まで丹念に……至れり尽くせりです。
あっ。お腹はくすぐったい!くすぐったいですう小春さん!
湯あたりしちゃったんでしょうか?椿さん……。
洗ってる途中でぐでんとなってしまってあわてて洗い流して抱っこして外のバスマットの上にのせてバスタオルでわしわしと拭いたらすっ、と立ち上がってこう犬みたいにぶるぶるっと身震いして、こっちを向いてぺこりとしてくれたので大丈夫かと思ったのですが、ドライヤーをかけだしたらまたふらふらしだしてしまいました。
「熱いですか?」
と聞いたら首をふるふると振るのですが、なんだかふらふらしています。
早く乾かさないと!と思って丁度洗面台にブラシがあったので、それで毛並みをとかしながら乾かしていたら、椿さんはぺたりと座り込んでしまいまして。
「これ痛いですか?」
と聞くと首をぶんぶん振ってくれるのですが、なにかお辛いのか「きゅーん、きゅーん」と鳴きだしてしまいました。
ごめんなさい椿さん。
でも乾かさないと更にお身体に障りますから。我慢して下さい。
椿さんは前足で私をたしたしと叩きながら鳴き続けていて、かわいそうなのですが心を鬼にしてドライヤーで乾かし続けます。
しっぽがなかなか乾きにくくて大変です。
※※※※※
……。
今、死にたい。
ずっと我慢してたのにドライヤーでだめでした。
声出ちゃいました。悶えちゃいました。超はずかしい。
もちろんいやらしい感じに気持ちよかったのではないのです。断じて!
小春さんは狐を手なづけるなんかこう、神の加護かなんかを持っていらっしゃるのでしょうか。もう力が入らないです。
そんな僕を小春さんは優しく抱きかかえて部屋まで運んでくれたのですが狐の状態だと嗅覚が結構鋭敏なので小春さんのいいにおいが割増しされてる上に……抱きかかえられて胸の感触がですね。ええ……。
本当、僕最低です。でもなんなんでしょう、この安心感。
小春さんは心配そうに僕の頭を撫でてくれ、布団に下ろしてくれます。
脱力しちゃって化け直せないのでこのまま少しだけ眠りたい。
小春さんは僕の身体をやさしくやさしく撫でてくれます。
あったかくていいにおいがして、しあわせ。