沸点が高い
……寝ました?
横たわる小春さんの頬を大分強めにつんつんしたけど反応がないから、きっと寝ました。
一度寝てしまえばぐっすりなのは、あまり変わっていないと思うんです。
狐の時に足でベッドからけり出されたときに小春さんのお父さんとお母さんが何事かと様子を見に来るくらいの思わず大きめの声出しちゃったんですけど、けり出した小春さん我関せずでぐっすり。という事が二回くらいありましたので。
別に小春さんを責める事ではありません。僕もまあまあ寝相が悪いので足元に行っちゃってるわけですし。本当に面目ない。とくに狐の時が気をつけようがないんですよね。
寝ぼけて巣穴から転げたのも一度や二度ではないので、最終的に僕は巣の一番奥で寝て、父が巣穴の入り口をふさぐように寝てくれていましたっけ。懐かしい思い出です。
夏、風が入らなくなるので寝苦しくて、余計脱走しようとしたそうです。僕。
両親には苦労を掛けました。
「えーとそれで」
普通の声量で喋ってしまいましたが、小春さんが目覚める様子はありません。
そうは言っても幸せそうな寝顔を崩したくはありませんので。細心の注意を払って部屋を出ます。枕元の電話を忘れないように。
子機って便利ですね。
お店の電話は黒電話、外でかけるときは公衆電話なので受話器と本体部分がつながっているのが当たり前だと思っていたのですが、便利です。
手のひらサイズで、ウスターソースの入れ物とだいたい同じくらいですもんね。
そしてウスターソースより軽い。
これだけで電話が出来るとは。
作業しながら通話ができて便利なので、お店も子機を導入すればいいのに。
まで思ってしまったほど僕はこの電話の子機という存在に感動してしまったのですが、そもそもお店に電話がかかってくることがめったにありません。
だいたい手紙。
たまに使いの方が伝言を持ってきたりです。
電話。いらないんですよね……まあでも、電話がなければ小春さんが僕に連絡できる手段がなかったのだからあってくれてありがとう電話。
ありがとうございますグラハム・ベルさんとNTTさん。
「NTTにお金払ってるの見たことないんですけど大丈夫なんでしょうか……あの店」
この件は考えてはいけないやつでした。社用車扱いの車の減らないガソリンメーター、切れることのないビールサーバーと同じ類のやつです。
さて、今日の最後のひと仕事です。
小手毬ちゃんの家に電話をしなければ。静かに部屋を移動しながら、そうです、声が一番漏れにくい念のためお風呂場がいいでしょう。
『はーい、斉藤でーす』
電話番号を押しながら、お風呂場に移動し、ドアを閉めたところで耳元の呼び出し音から山茶花ちゃんの声に変わりました。
「こんばんは、山茶花ちゃん。あのね、最近の防犯事情的には、電話口で名乗らない方がいいらしいよ」
『あ、椿?えっ、なんで?』
「世の中の悪い人のなかには、あてずっぽうで電話をかけて「あ、ここはなになにさんの家なんだな」ってメモったりする人がいるらしいよ」
『えー何に使うのそれ』
「さーでもいい事じゃないよねえ」
『なんか年々人間の方が悪だくみがえげつなくなってきてるっていってたわーお年寄り衆がー。いやねー……え!?何、うるさいのよ兄様!』
「あ、そうそう、山茶花ちゃん、八汐兄さんに代わって欲しくて電話したんだ」
『え?そうなの?………兄様、椿が、え?知らないわよー……早く、いいから、おそばの湯切り私かわるから、え?もう、うるさい!』
よくわからないけど、仲睦まじい様子が聞こえてきました。
山茶花ちゃん……さっきお店でアップルパイとミートソースドリア食べてたはずなんですが……八汐兄さんの夕食でしょうか。
夜食みたいな時間ですが。だとしたらかけ直した方がいいかもしれませ
『あ……椿……ひ、久しぶり、だね』
不自然によそよそしいです。
小手毬ちゃんからの手紙の通りならば八汐兄さんは『好き勝手やって説教されたり怒られたりしてもケロッとしてるのに、避けられたりとかは地味に傷つくめんどくさいタイプです』な一面があるそうで、なのでこのよそよそしさは小春さんの事と引っ越しの件を八汐兄さんに黙っていたことに対して傷ついていると仮定します。
「ご無沙汰してます、突然すいません、これからご飯ですよね?あとでかけ直してもいいですか?」
『えっ、違うよ。おそばはザンカちゃんとこてっちゃんの夜食ふたりでおそば三束たべいたたたたたザンカちゃんその意地悪なつねり方やめなさい、嫌な女になりますよー』
小手毬ちゃん、アップルパイとカレー……カレーはチーズを2倍トッピング……まあいいのですが。元気で何よりです。
力持ちですしね。
そうですよね。
「そうでしたか、あのう、今日八汐兄さん、小春さんに会ったみたいで」
『うん、会ったになるのかよくわからないけどそういった存在には遭遇したよ』
これはすねているのでしょうか。
めんどうなのですが、ここで引くとあとあと微妙になることくらいは知っています。
「なんか、すいません。ご報告が後になってしまって」
『いや、別にそんな改まって、ていうか女子じゃないんだからそんなのいちいち言わないじゃん、何も気にしないでいいから』
「……そうなんですよね、僕ももうー少し内々にしたかったんですが、公然の事実になってしまっていて……」
そうなんですよねえ。
そこは本当に、そうなんですよねえ。
『そうなの』
「まあ。人に完全に混ざって暮らすの初めてですし、恋人って、なりました、もれなく全員が末永く幸せに暮らせます。って訳じゃないですか。上手くいかなかった時に恥をかく…とは思わないんですが……なんでしょう、余計な気づかいを事情を知ってる相手にさせるのは面倒と言いますか」
小春さんの事は多分ずっと好きですし、大切ですし、幻滅されないように務めますし、気分を害してしまうことがあったら信用回復に努めると思うのですが、そんなことは世の中の人々は当然心がけているのでしょうにそれでも別れる二人という物が多数存在するのですから、なにやら色々あることなのでしょう。
僕は多分その色々に疎いのです。
『まあねえ』
「ねえ。堅香子さまのこと責めたりしないでくださいね。別に隠すつもりはなかったのでまあ予想の範囲内なの」
『えっ、下手人おかんなの』
「おかん」
熱燗ではなくどこかの言葉のお母さんを指す言葉だったと思うのですが堅香子さまを現すのには最も遠い言葉の一つな気がします。かかあ天下はなんかあってると思うんですが。
あー気を回そうとして余計な失言をしてしまいました。
『それは申し訳ない……そういう細かい感覚が時代に合わせて更新されないんだよなあ。歳だから。そこをつくのあれだからしないよ、安心して』
「はあ」
『まあなんだね、あまり役には立たないだろうけど何かあったら言いなよ、こてっちゃんの次くらいには役に立つんじゃないかな。人間生活のあれこれとか』
「そのときはお願いします」
お年寄りが昔の事をずっと言ってる現象はこの人にも当てはまると思うのです。
昔は色々やらかしたそうですが、僕に対する八汐兄さんは割とほんとうにお兄さんっぽいのですが。
「そうですね、いまのところなかなか楽しいです人間のあれこれ」
『へえ、何がとか聞いてもいいのかな』
「なんていいますか、ご近所づきあいとか。それから得られる謎のアイテムとか。ほら、神様たちってなんだかんだ節度を守ることを心掛けていらっしゃいますけど、人間の方が気安くてですね、そしてなにやら珍妙なグッズとか見せてくれます。神様だと必要ないからそもそも買わない、みたいなものとか沢山見れて楽しいんですよ」
『あー、神様蒸し器とか使わなそう』
「……究極の肉まんを作れと蒸篭を買ってきたことは……あります……すごい高い豚肉とかフカヒレとか燕の巣とか松茸とかも買ってきて。筍も取れたてのやつで」
『ええ絶対めんどくせえ……椿……おつかれ……』
「そうなんですああそう干し貝柱も持って来たんですよ。もどしたりあく抜いたりした処理がめんどうで、もうめんどくさいから具だけ作ってあげて味見させて具は間違いなくおいしいと言わせて、包餡作業は神様達にぶんなげたんですけどね」
『……え、神様公認商品にするためになんか法律とか作るのかい?』
「え、あ、あー違います。皮の生地も作って、中にどの具をどれだけ詰めるかと包む作業を神様達にやらせたんですよ。意外によくばり、とか雑なんだなとか新たな一面を見れて楽しかったです。最終的にその形のよくない出来損ないの肉まんをつまみに酒を飲みべろべろになった神様達がコンスタントにおいしいものを作ってくれる肉まんやさんの方角に柏手を打とうとか言いだしたんですが、551派と井村屋派と中華街派に分かれて口論になり、どの派閥が一番高貴な柏手を打てるかみたいな争いになってお店せまいのに絶え間なくパンパンパンパン本当にうるさくてまったく」
『………おつかれ』
そうなんですよね。
三人寄れば文殊の顔が引きつるようなくだらない争いを巻き起こし夕方の鳥なんか目じゃないくらいやかましい神様達に比べれば八汐兄さんなんか落ち着いていて、ねぎらってくれるまともなひとのほうですよ。
「あ、そうだ。蒸し器もなんか鍋に直入れするやつがあるんですよ。小春さんちにあってしかも鍋の径によって大きさを調節できるっていう」
『なにそれめっちゃ気になる』
「多分ホームセンタ―とかに売ってるんですけど、今度一緒に行きます?」
『いいねーホームセンター行く行く大好きさ。ホームセンターとか金物屋とか。雑貨屋とか何年もいってないから色々様変わりしているんだろうねえ』
「大好きなのに行かないもんですか」
『だって買っても置くところないんだもん。前の家残しておけばよかったのになんでも放り込んどける土間があったんだからさー』
八汐兄さんが言っているのは北海道に移住する前に小手毬ちゃん達が住んでいた、天嵐さまが作ったというお屋敷の事ですね。
地図には載っていないけどかつて街中にあった大きなお屋敷です。
地図に載っていないどこかであるという点はお店と一緒ですが、あそこは明確に扉のような仕切りがなくて、歩いていればいつの間にかたどり着けるという場所でした。
お引っ越しの時にそのお屋敷を作る術をほどいてしまって、あとにはもうなにも残っていないのです。
お庭の池で僕と山茶花ちゃんが笹船浮かべて遊んでいた時に。ラジコンの船で乱入、爆走させて八汐兄さん怒られていましたっけ。
そうラジコンの波で笹船が沈んじゃったんですよ。
八汐兄さんも悪人じゃないんで笹船の代わりに割りばしと竹ひごと和紙かなんか加工して山茶花ちゃんに本物みたいに出来のよい屋形船を作ってあげたんですけど「こんなんいらない」と泣かれて、更に天嵐さまに怒られていましたっけ。
そういうこっちゃないんですよ。気持ちはわかるんですが。
『違うよ?別にタダ宿が欲しいとかじゃなくて、小手毬と山茶花にとっては生家だからさ。あとから寂しくなっても取り返しがつかないから。維持くらい私が引き受けるのにさあ』
「そんな事思ってないですよ」
小手毬ちゃんちは皆そうなんですが、こすからいという要素が皆無なんですよね。
保身だったり自分の利益のために立ち回ることをほとんどしないというか。もともとお持ちのものが莫大だからそんな必要もないというのもあるのでしょうが、僕はあのおうちの方々にお会いするたびに自分もこうありたいと居住まいを正すのです。
『いいよ無理しなくて』
「あ、そういえば八汐兄さん僕気になる事があったんですが」
『何さ』
本題を思い出しました。別に本題でもないのですが。
あわよくば、くらいですね。
「白狐を白髪染めで染めて仮に染まったとして、その状態で人間に普通に化けたら、黒髪の人間になるのでしょうか」
『は?』
狐が人間に化けるときに最初に躓くのが髪色なんですよね。
僕も人の事は言えないのですが。化け始めの頃は毛色が毛髪に反映されちゃうんですよ。そこから人間の色に寄せてくもんなんですけど。
八汐兄さんは白…なんか違うって言ってましたね。普通の白狐より白いんですよね。まあでも白狐でいいです。で、気を使わないで人間に化けてるので白髪のままなんですけど。
その流れで行くと黒く染まった白狐が人間に化けたら黒髪になるのかという素朴な疑問でして。そんな話を八汐兄さんにも。
『それもはや人間になった時に黒染めした方が早くない?』
「薬局で売ってるやつは一個でセミロングくらいしか染まらないんですよ。八汐兄さんの長さだと4セット以上必要なのでは?それだと不経済だなって」
『あれいっこいくらすんの』
「さー。千円くらいしそうじゃないですか」
『……狐なら2セットくらいで事足りるね。めっちゃやりたいけどまだらに染まってまだらな頭の人間になったらしんどいなあ』
「そうなんですよねえ。兄さんが常時黒髪に化けてたらまだらに失敗しても普通に黒髪に化けなおせばいいだけですけど、いきなり黒髪になったらめちゃくちゃ噂になりますもんねえ」
『ザンカちゃんが言いふらすねえ。そして親の耳に入り説教コースだ』
「そうですねえ。無理ですね。なんかすいません、くだらない話して」
『いやいや。いやいや。親が説教できないくらいよぼよぼになったらやってみるよ』
「よぼよぼ」
『五百年後くらいかなあ……あ、え?こてっちゃああそうか。ごめん。無駄話につき合わせてしまったなあ。明日も神様の世話焼きがあるんだろうに気を回させてごめんね』
「いえそんな、僕も普通に楽しいお話でした、ぜひ近いうちにまたお会いしたいです」
『うん、お店に行くよ。あれでもいつもみんな結構行儀いいよねあごめん話また長くなりそう。切る』
「あ、はい。おやすみなさい」
小手毬ちゃんににらみでもきかされたのでしょうか。そんなに気を使わなくてもいいのに。
とりあえず、いつか意趣返しになるかもしれない種は撒きました。
八汐兄さんの悪い所はそれがすっごい面白そうだと思ったらやめられない所だと思うんですよねえ。
今現在八汐兄さんの近くにいる兄さんにとって気安い白っぽい狐は彼含め二匹です。狐も人の時も毛色が白い八汐兄さんと、人に化けるときは黒髪の粋連さん。
八汐兄さんが自分でやってなんらかの失敗したらなんか誤った女性のタイプを小春さんに吹き込んだらしい件のおしおきになりますし、粋連さんがとばっちりを食らったら約束を破って小春さんにちょっかい出しに行ってるペナルティです。
どっちも抗議するほどの事ではないので、ちょっとひどい目に遭ってくれたらいいんですけどねえ。どっちかが。
出来れば粋連さんが。
まだらに染まったどうも真面目らしい粋連さんが、八汐兄さんを正座させて説教が一番理想なんですが……。
でも八汐兄さんとても手先が器用なので、きれいな黒狐になれるのではないのでしょうか。それはそれで見て見たい。