営業日誌2018/7/28 ①
この店は大体いつも暇だ。
新顔の店員が入った時だとか、初詣が終わった後の慰労会だとか、そういう時期を外せば空いているのでたまに立ち寄っていた。
馴染みの店を作れない事情のある俺には都合がいい。
空いている主な理由は店の主が店の切り盛りがど下手くそだからだ。
何十年もこの主でやっているらしいここに俺が足を踏み入れ数年経つが、その間も一向にこいつは店員業務のすべてが上達しない。
一般的に神というものは全知全能という認識であるがそうでもない事は俺も知っているが、こいつに能を感じることがない。
大抵の客は店の主より立場が下らしく「こき使うの悪いから」という理由で、客同士で予定の調整を行い、客数が一定数を超えないようにしているらしい。
客が気を使っている。
《お客様は神様です》という言葉は早くなくなった方がいい。
この店の客層はとりあえず置いておく。
売り手と買い手、立場は対等であるべきなのだ。どちらも下手に出る必要がなく、相手を得難いものだと思ったら、自身を滅ぼさない範囲で引き立ててやればいい。
その滅ぼさない範囲を見誤って、もしくは必要以上に分捕ろうとしてみっともなく騒ぎまわるのが人間の特徴であるが。
こいつらは何故、うまくやれない。神なのに。
主は我が身の菲才をもう少し恥じるべきであるし、客は主のためにもう少しどうにか忠言してやればいい。
こいつら特に明確な序列がないんだから好きにやればいい。
今日は盛況だ。
ご予約的なものが入ってるらしい。
「………そろそろ、つっこんでいいのかな。今日、どうーしたの?」
名は呼ばれぬが、視線と声がこちらに向いている事くらいわかる。
我が身に宿る怒りの炎をどうにか鎮静化すべく、炎上するまとめサイトのコメント欄を斜め読みし「こうなったら終わりだ」と、自分に言い聞かせていた俺はその作業を止めた。
とはいえ質問への答えはすぐに終わることなので、俺は携帯端末を仕舞わない。
視線だけ、よくこの店で会ういけ好かない闇医者に向ける。
こいつはいちいち動作が芝居がかっている所が鬱陶しい。生前はこういう所が疎まれたに違いない。
「小僧にいけにえに差し出されての。丸焼きにでもするか」
「依頼主はあいつで、お前に雇われている訳ではない」
つい三時間ほど前の話だ。旧知の関係にあるこの店のバイト兼学生に助けを求められた。
色々難はあるがそれは若さ故。根本的な人としての芯の部分はこの不真面目な店主と違い腐り落ちてはいないので、依頼の内容を聞かずに二つ返事をしてしまったのだが。
「頼む!」と頼まれたのがこの店の店番とは思わなんだ。
普段、客としてしか訪れたことのないこの店の。
飲食業を経験したことがある、と申告をしたこともないのに。
実際ないのにもかかわらず。
「ほん、態度わるいのー」
「ここに居てくれるだけでいい、とのことだからな。ある程度お前の言い分は聞き入れたではないか。これ以上は譲歩せん」
「仏頂面の意味が解らん。似合っとるぞ、男前」
笑みを浮かべながら世間一般では絶世の美女の部類に分類されるそいつは俺を肘で小突いてくる。
こいつはこれで褒めているつもりなのだろう。
美女に顔面の件を褒められた俺はまんざらでもないという態度をとらなくてはいけない流れなのだろう。
だが断る。
ギュンターディクディクが「ハッハー!さてはお前はギュンターディクディクだな」と指摘された所で「見ればわかるだろう、お前馬鹿か?」という感想しか抱かないのと一緒だ。
指摘して来たのが雌やはぐれた子供のギュンターディクディクならまだしも、今さっき競馬で負けて来たような雰囲気の、ストロングゼロを片手に持った老人寄りのオッサンだったらどうだろうか。「うるせえ、目の前から消えろ」と思う事だろう。
俺の心はそのささくれ立ちに酷似している。
「おっ、照れとる照れとる」
神がまだここに生きているぞ。名前をど忘れしてしまったが、あの辺の学者が嘘つき呼ばわりされるのを防ぐために代わりに殺しておくべきだろうか。
「……………」
こいつの変に底が見えないのがなんだ。
「こっち側に入るなら規則じゃから」
無理矢理渡された、この店の制服は誂えたように俺の寸法に合っていた。
店番を頼まれた依頼主とは全く違うサイズなのであるが。
何かをやってこれを用意したという雰囲気はなかった。
俺の感覚では「地味にやるな」に当たる芸当なのだが、鼻にかける様子もない。
「で、本人はどこ行ったの」
「サークラなるおなごの所」
「えっ、その話まだ続いてるの」
「つかず離れずじゃから、難しいんじゃと」
店番交代の理由は深く聞かなかったが、前に聞いた、熱心に付きまとわれている女がらみの話らしい。
「……何しに行ったの」
「台風こわーい、こないだからうちのアパートのシャッター上手く下りないの、管理会社に電話がつながらないの、助けてー、じゃと」
だっはっはと主は品のない高笑いを始めた。
「……それは、もう勝負に出てるやつじゃん、麗ちゃん、止めなよ…」
読モレベル顔面偏差値の女、部屋着はおそらくジェラートピケ、店番を代わった時間帯から察するにお礼に手料理が用意してあるだろう、止まる電車、非常時のつり橋効果、ここから導き出される答えは一つである。
「あのさ、何もなかったと言っても何もなかったと納得しない層が現れるやつじゃん……」
「小僧もそこまで阿呆じゃない―――最愛の彼女同伴でおててつないで行きおった」
「えー」
「違う方向に阿呆じゃから。今頃世界の片隅で修羅場かと思うと胸が躍るのー」
「大丈夫なのかな」
「刃傷沙汰になっても負けるのサークラだけだからのう」
「まあそれはそうなんだけど……」
女の嫉妬は恐ろしい。この言い方はあれだな。嫉妬深い人間というのは厄介だ。が正しい。
自分の苛立ちを昇華するためには常識や理屈から目をそらす、そういう人間もいる。
あの愚カップルに相手の人柄を正確に把握する能力があるとも思えんが、人間は失敗して成長する生き物であるから、好きにしたらいい。
「お前さん意外と過保護じゃの」
「そりゃねえ」
闇医者とこいつだと、まだ闇医者の方が人間らしい。どうでもいいが。
話が済んだところで、俺は視線を携帯――
「ここでさぼると、小僧の株が下がるぞ?お前さんを見込んでここを任せたんじゃから」
「…………」
駄目店主のくせにまとも風の事を言う。
……ならば俺もきちんと対応しないといけない。
「お前が理解しやすい風に言うと、俺は呪われた身である。故にお前が俺に全振りしようとしている作業は出来ん。掃除、レンチン、何か運ぶくらいは手伝ってやるが、後は出来ん」
「はあーあ?そんな呪いあってたまるか」
「お前から俺がどう見えてるか知らんし知りたくもないが、理不尽に従う気はないが、譲歩はするし怠惰でもない。俺が無理と言ったらそれは絶対に無理だ。試しにモスコミュールでも作ってやろうか。ここがどうなるか知らんが」
「ここ」
「普通なら何かしら起こる。ここでは或いは何も起こらんかもしれんが、試したいなら好きにしろ」
怠惰で杜撰で根性が汚いが、こいつは踏み込んではいけない領域に突っ込んでくるほど愚かではない。自分にも突かれて痛い所があるようだし、その辺は弁えているのだろう。
だからこの話は終わりだ。
「こんばんは」
願うという行為を一度もしたことがないので叶ったわけでもないのだが、話の流れを遮るように新しい客が来た。
「末っ子」
「やあ、久しぶりだね茉莉くん」
今まで俺と怠惰のやり取りを見守っていた客達が少しそよぐ。
新しい客を知らない者があれは誰かと尋ね「てんらんの所の」「ああ」などというやり取りが耳に入ってくる。
新しい客について知っているのは闇医者の口にした名前と、妖狐というものであるらしいことくらいだ。尤も俺は妖狐という生き物が狐になっているのを見たことがないので、実際そうなのかは知らない。
以前あった時はマトリックスの見過ぎというレッテルを貼られても仕方がない格好を好んでしていたが、今日は量産型大学生のような服装である。
「どうしたんです、その恰好。そしてそっち側に」
「本来の店番の代打だ」
その恰好、についてはお前もなという返しをしたいところだが、右手に持った不似合いなアタッシュケースがゼロハリなので、趣向が変わったのではなくただ単に人間の擬態が上手くなっただけだと推測する。
「それは、ええ、どっちだかわかりませんが、ご迷惑おかけしております……」
「そーじゃそーじゃ」
「なんか、茉莉くん雰囲気変わったね」
「センセイはお変わりなく何よりです。麗様も今日もおきれいで元気そうで」
「……お前さん、そんなんじゃったっけ」
「ああ、まあ、朱に交われば何とやらっていうか……まあいいじゃないですか」
そう言って新しい客は、俺に向き直った。
「折り入ってご相談があるんですけど」
「俺か?」
「相談というか、世間話に付き合っていただきたいというか……手ぶらではなんなので手土産を用意してあります。お納めください」
カウンターの上で、妖狐はアタッシュケースを開いた。覚えのある甘い香りが鼻をくすぐる。
「これは………」
「―――お好きだと、お伺いしています」
アタッシュケースの中には、国内で一か所しか販売していないワッフルがあった。
甘さと、さくふわ食感の均衡が絶妙なのだが、いかんせん食べたいと思い立って購入しようと思うと、施設の駐車場から10分ほど歩き、施設正面に到着し、そこから人間がひしめく通路を進み店に到着してから更に行列に並ばないといかんので面倒で足が遠のいてしまう、そんな店のワッフルだ。
「お前、縦持ちしてたよな、鞄」
「特殊な術がかけてありましてこのようにきれいな状態です。焼きたて状態もキープしております」
「ねえ茉莉くん、これ一人で買いに行ったの。ねえ」
「彼氏はパレ待ち係で、わたしは買い出し係。みたいな感じの女子に化けて買ってきました」
「……まじで」
「俺最近、インスタ映えしそうな女子に化ける、を習得したんですよね……ああ、センセイ、ブラックペッパーポップコーンありますけど食べます?すいません、ここに居るって解ってたら色々買ってきたんですけど」
「……う、うん。気使わなくていいよ…ポップコーンは食べる……」
ここまで変貌するとこいつの親は心配になったりしているのではないだろうか。
朱に心当たりがあるだけに胃が痛いが、この妖狐も分別ある大人であるので、俺が気をもむことではない。好きで、必要があってこうなったのだろう。
「とりあえず食ってから話聞くでいいのか」
「ええどうぞどうぞ」
「おま、ちょ、何勝手にフォークとか出してるんじゃ、それ食う気じゃろ、さぼりじゃ」
「バーテンが客の勧めを断るのは野暮で、動かない部下を動かすのには上司が手本を見せるのが手っ取り早いぞ。ほら、3番テーブルとその、いつもいる山崎のやつのグラスが長い事空だ。たまには神らしく願いを聞きいれろ。働け」
怠惰の化身として祀られているに違いない神はなにやらわめいていたが、そのうちおとなしく渋々と働きだした。
やればできるではないか。
あとで褒めてやろう。