スナック女狐 営業中
「…………」
「はい、父様、お水」
「ああ、ありがとう。なんかさっぱりしてるね」
「ああ、檸檬入ってるから」
「へえ、ハイカラだねえ」
頭の上でそんなやり取りが行われている。
ああそっか。寝ちゃったんだわ、わたし。
父様が北海道に帰っちゃう最後の夜だから、三人でごはんを食べて、まったりして、ちょっと横になろうと思って、そのまま。
母様には「行儀悪い」って怒られるようなことだけど、いないし。だからいいの。
他の人がごそごそしている中でうとうとするのって気持ちいいのよ。
「小手毬、なんかかける物ある?」
「山茶花出がけにホッカイロ三枚貼ってたから多分いらないと思う」
姉様は探偵になったらいいと思うの。なんでもお見通しだもの。
そうなのぽかぽかなの。
「貼ってない部分以外は寒いじゃないか」
「熱すぎても汗で冷えて風邪ひくわ」
「そうかー」
相手の言い分は否定しないけど、自分の考えも曲げないのよね。父様って。
そんな訳で薄手のなにかが寝ているわたしにかけられた。父様のにおいがするから父様のマフラーかなんかだわ。
厚着して来たと思ったけど、北海道はまだ寒いものね。
「……大きくなったなあ」
口に出すと子供みたいだから言わないけど、そろそろ頭を撫でるのをやめてほしいと思っているの。
わたしは父様の子供だし、父様から見たら子供なのはわかっているのだけれども。
「6、7年前からそのサイズじゃない。あんまり子ども扱いすると怒るわよ」
「子ども扱いというか、逆だよ。大人になってしまったなあと思ったんだよ。堅香子が心配しているよりも、ちゃんとしっかりやっているようだし」
「そうね」
これが兄様だったら父様にわたしの仕送り使い込みの件について暴露し、強制労働所……もといバイト先でのわたしのはたらきをおもしろおかしく過剰に話を盛って吹聴するに違いなかったわ。
姉様でよかったわ、本当に。
「本当にねえ」
音こそしないが、父様が静かにため息をついた感じがする。ば、ばれてるのかしら。
「急にどうしたの」
「いやあ、僕らの寿命に対して君らが大人になるのが早すぎるよなあって。百年くらいちんまりしててもいいのに」
「百年じゃ多すぎるでしょ。茉莉が手を離れたからちょっと寂しく思うだけで、百年続いたらさすがの父様でも参るわよ」
「……そうだね。よくよく考えたら大人になってないとおかしいのになってないの、訳一名いるしね。うちに」
「そうね」
あの、それはわたしじゃない方よね。
ねえ。
すごく気になるわ。
「……頭ごなしに叱るとこっちがみっともないみたいな、ギリギリの線をふらふらしているくらいの知恵があるのがなあ」
まったく、と父様はごちて、机がごんって言った。
薄目を開けて確認すると、父様が机につっぷしていた。
「誰のせいでもないわ。本人がいけないのよ」
「ああ……うん……」
わたしのことじゃ……ないわよね……?
ここで起きて聞いて父様の落胆の先がわたしだったらちょっと明日の強制労働所の作業を頑張る元気がなくなるから、聞かないでおくわ。これから頑張るわ。
「……小手毬」
「なあに、父様」
「あれかい、きみがなかなか伴侶を見つけないのは、私含め、うちの男連中のせいで男という生き物への心証が悪くなりすぎて、見るのも嫌とかそういう事かい……?」
「……………父様?」
「ああ、すまない、ちょっと飲みすぎたんだ。忘れてくれ」
母様は半年に一回くらいはその話題で姉様をつついているけど、父様も気にしていたのね。
ねたふり気まずいわ。
自分で自分を熟睡させることが出来る術があったらいいのに。
「……あのねえ、父様、確かに兄様たちはちょっと自由奔放だと思うし、よくある兄様と結婚出来たらいいのに、みたいな気持ちは一切起こったことがないけど、そうじゃないから。ただちょっとご縁がないだけなの。よく考えてみてほしいんだけど」
「うん」
「母様はあんなで、兄様達もあんなだけどその、そこそこ優秀でしょう」
「……う、うーん。うん」
「そこに婿入りしたいと思う勇気のある狐があんまりいないの。それができる格で同年代いなかったし……」
「そうかー、そうだったっけー」
「べつに、過剰なこだわりがある訳でも、なんかトラウマがあるわけでもないから安心してください。なんかそのうちに」
「うん」
「……父様、眠いんでしょう。もうとっくに寝てる時間だものね」
「明日帰らなきゃいけないから、頑張ってたんだけど、うん、眠いなあ」
「もうホテル帰るの面倒くさいんでしょう。お布団敷くからちょっとまってて」
「いいよ手間だからー狐に戻るよ。省スペースだし暖房いらずだ」
「それならそれでいいけど」
立ち上がった父様がどこかに向かう気配がする。狐に戻りにいくのかしら。
「……さっきあんなこといったけど、お父さん、小手毬と山茶花が彼氏つれてきても好きになれる気がしないなあ。べつに娘の男見る目がないって思ってる訳じゃなくて」
「はいはい、そうね。そうよねー。お風呂は自分で入れるの?あたしが洗うの?」
「年寄り扱いは心外だな……でもあれだね、他人にドライヤーかけてもらうっていいねえ。いいなあ椿君。お嫁さんに毎日あんな至れり尽くせりしてもらってるのかあー」
「別で暮らしてるから違うって」
「そうか、このご時世に通い婚なんだっけ。あ、そういえばそれどころじゃなくてご挨拶に伺うの忘れていた。明日出発前にお店寄ってもご迷惑じゃないかな」
あしたわたしバイトなんですけど。
ばれるんですけど。
泣き落とせば椿も神様達も口裏合わせてくれるかしら。
それとも父様には白状して、一緒に母様をごまかしてもらうほうがいいかしら。
「……店長さんは明日お休みだから行っても椿しかいないわよ」
姉様大好き―――――――!!
明日お土産にハーゲンダッツ買って帰ります!
「椿だけだから大変なのに、父様が行ったらあわあわしてお仕事大変なんじゃない?」
「私、そんなに怖いかね」
「故郷の神様にちょっと似てるから懐かしくてうれしいって」
「似てるっけ……」
「そういえば、それどころじゃなかったって、どうかしたの?」
「え?あ、いやいやいや、大したことじゃないんだがいやいやいや。歳かな、何でもないようなことが何でもあるように思えてしまっただけさうんうんうんうん。さ、先に風呂すまんね」
「はいはい、行ってらっしゃーい」
そのあと父様がどこかに何かぶつけたような音がしたが、わたしは寝ていることになっているので、子細を確認はしない。姉様の声に「大丈夫」と答えていたから大丈夫だと思うわ。
寝るの早いし、起きるの早いし、いまだってなんか言ってる事あやしかったし、父様だってもう結構なお歳なのよね。
わたし、もうちょっとしっかりしないとだめね。
父様を安心させてあげないと。
「ああ、ねえ小手毬、銀行口座の管理、ちゃんとしっかりしてるよね?」
「え、うん。色んな所にばらけて。とりあえず一家百年くらいつましく生活できる分くらいはあるけど。貸す?」
「いや、そうじゃないんだ……そうじゃないけど……普通そうだよね」
父様の声には嘆息が混ざっているような気がする。
やっぱりうち貧乏なの……?
それともわたしこの歳だと、ひと財産築いてないとおかしいのかしら?なんだかんだ両親やさしいから言わないでいてくれるだけなのかしら。
どうしよう、しっかりしなきゃ。
どうやって?
とりあえず、明日椿に勝つわ。あのいやらしい先輩風を明日こそ止めてやるのよ。凪に叩き込んでやるわ。
あいつ絶対ドSよ。
小春騙されているわ。本当に別れればいいのに。絶対変な性癖あるわよ。
「あーあ」
「なにー?シャンプー切れてた?」
「いや、違うんだ、昔のことを思い出して唐突に恥ずかしくなる現象が起こっただけだよ!聞こえよがしで申し訳ない!」
とりあえずお疲れみたいだから父様の肩を揉んであげよう。
そして浜松町まではお見送りしてあげよう。うん。
うん。




