北の国から`95 初春~秘密/中編
戦国時代に電車があったらどうなっていただろう、いや、変電所をつぶされたら終わりだから武士とは蒸気機関車時代がいちばん相性がいいのだろうか、などとしょうがない事を考えているうちに目的地の仙台に到着。
宿に直行して何だかんだ疲れていたのだろう、久々の杜の都をぶらつくこともせず、すぐに寝付いてしまった。
茉莉を寝かすために早寝生活を続けていたせいもあるだろう。
お年寄りだからではない。断じてない。
歯に衣では足りず、口の中に十二単を突っ込んで五十年くらい黙らせておきたい長男の軽口を思い出して苦々しい気持ちになる。
あれは本当に……!
「……………」
長男の事は今日は忘れよう。あれを更生させるのは海を完全に干上がらせる方法を編み出すに等しいくらい難解なことなのである。
まだ予定はないが妻や自分亡き後の子供たちの人生で、長男だけ非常に心配である。
心配というか不安というか。いやだから、長男の事は考えない。
心の奥底に重石をつけて沈める。
実際に本人をそうしたい。相模湾のいきなり深くなっている箇所が適当だろう。
酒のように熟成し、尖りが取れてくれないものだろうか。
「うーん」
「あの、何かご不明な点が?」
「失礼、考え事をしていて。しかし説明は聞いていました、同時並行で」
失態である。
慌てて申し訳なさそうな表情を作ったが、特に気分を害した様子のない受付嬢は「ご不明な点がないようでしたら手続きは以上です。お気をつけて」と、私に向けて一礼した。
相手がそのそぶりを見せないのだから、これ以上の謝罪は無粋というものである。
いつの時代も、取引成立後に相手の領分に居座るのは野暮である。
そういう訳で私はレンタカー店の受付嬢から引き渡されたインプレッサに乗り込んだ。
いささかカスタムしてある。
家業を継ぐ前はレンタカー屋さんで働いていた佐藤さんちの旦那さん曰く、中古車として払い下げする時に下取りの値段を上げやすいように、らしい。
細かい所まで様々な世の中の仕組みを作り上げるところは素直に尊敬する。
さて、地図は頭に入れてきたが、初めての道なので慎重に車を発進させる。
北海道と違って車が沢山いるので緊張する。スピード超過も気を付けなくては。
最終目的地の前に、待ち合わせ場所の青葉城に寄らなくてはならない。
※※※※※※
落ち合う場所は仙台駅でいいと思うのだが、相手が人目に付きたくないという。
駅ではなく観光地で待ち合わせをする方が人間の道理に合わせればよっぽど奇妙なのだが、断固としてそれを奇妙である、と主張するほどでもないので相手の指示に従う。
お互いいつもと違う容姿で落ち合う予定なので、それぞれが相手だと解るように目印を持つ手筈になっている。
相手はほかの画材を持たずにスケッチブックのみを小脇に抱えて城内をうろうろしているという。
到着して敷地内を一周してみたがそれらしい人はいない。
当たり前だ。待ち合わせ時刻の40分前である。いるほうがおかしい。
私は自分の目印――榮太郎あめの紅茶味の缶と缶のコーラ――を鞄の中にしまったままで、それらを口にしていても怪しまれない、かつ、なんとなく人目につく場所を探すことにした。
目印の選出基準は、その場所で普通の人が持っていてもおかしくないが、よくよく考えるとおかしいものである。息子がどうしてそれを選んだのかは知らないが、私が飴を選んだのはこれから会う彼が昔好んで携帯していたからだ。
手土産がてら、実に無駄にならない選択である。
「……………」
久々なのでなにやら緊張する。
いや、毎年何だかんだ顔を合わせているのでそんなに久々でもないのだが、膝を突き合わせて真面目な話をしないといけないのが何百年ぶりなので緊張をしている。
もう片方の息子ともそれくらい真面目な話をしていないが、それはもう言っても無駄だからである。
こちらは、まあ、言わなくても大丈夫だからである。
「親父、さん?」
脳裏に浮かんだのと寸分違わぬ顔を持つ人―――間によく似た二息歩行のものが、私の目の前に現れた。
普段私が人に化けようと思うとそうなる顔を若くしたような青年だ。
似ていないところは八重歯が目立つところ。
性質も私似で、人に化けるのが上手いのだが、どう頑張っても八重歯が印象的な顔になってしまう術の癖がある。
それがうちの次男の皐月である。
「目印まだ出してないんだが、よく私だとわかったね」
「なんか親父さんっぽかった。あたりじゃった」
そう。人に化けるのが上手い、かつ、あまり人、というか同族には知られたくない話をするために会うので普段と違う姿(八重歯の呪縛からは逃れられないが)で来るはずだったのだが。
「どこか調子悪いの?」
「いんや。ああは言ったが必要以上にこそこそするのもおかしな話かなと思ってのう」
答えの割に表情はいつものように柔らかくはない。硬いまではいかないが、何とも微妙。
気持ちはわからんでもない。
「……もう、出発していいのかな?話は道すがら」
「ああ、そうね。わざわざすまんです」
※※※※※※※
北海道の道が懐かしい。広い、でかい、失敗しても何とかなる。
都市部を抜けて我々は郊外へ向かっている。あまりぐねぐねしない道だといいのだが山道なのであまり期待はしない。
そういえば息子はどうやって待ち合わせ場所まで来たのだろう。
助手席の皐月はぼんやりと窓の外を眺めている。
普段の彼を知っている者から見れば今の彼はひどく気落ちしているように見える。
私にもそう見える。
皐月の気質を端的に説明しろと言われたら、天真爛漫が一番適当である。
当時は災厄と呼んで差支えのない兄と、それを諫める為とは言え時折鬼のような一面を見せる母親に囲まれながらも、悪の道に走ることもなく、朗らかで優しい子に育ってくれた。
狐や人を区別せず平等に、弱きを助け、強きをくじく。くじきかたも温情のあるものであった。
まあ、昔はくじきかたは、いささか、派手……では、あったが。
やんちゃの範囲内である。
今はすっかり、常時朗らかな大人の狐として落ち着いている。
いや、ひとところに落ち着くのは苦手なので、諸国を放浪しながら、その土地の人たちとの交流を楽しみ、足を延ばして年に一度くらい親元へ立ち寄り、顔を見せてくれる生活をしている。
と、思っていた。のだが。
すでに彼が私を呼び出した件についてはぼやっとした全容を聞かされているのだが、このぼやっとしたまま目的地に到着していいものだろうか。
先ほどの私からの、話は道すがら、という言葉に拒否の姿勢はなかった。
ここまでなんだかんだ、家族の近況報告だとか、そういう全く関係のない雑談をしてきてしまった。
そういった話題は尽きた。
沈黙が気まずいが、肝心の話をどう切り出したらいいのものかと私は困っている。
運転しながら気の利いたことを思いつけるほど器用ではないのだ。
「親父さん」
「うん」
「……怒っとる?」
「いや……その、驚きはしたけどね」
「そか」
「……しかしその、そもそも、どうしてそうなったのかは気になるんだが……勿論、話したくないんならいいんだよ」
「どうしてって……」
「あー……その、てっきり今まで通り過ごしていると思っていたから、その、あちこち回って」
皐月は数年前から、根無し草を止めてひとところに留まり暮らしていたらしい。
うちを訪れるときの手土産は相変わらず全国各地のものだったのでまったくそんなことを疑ったことはなかった。
「……ああ、なんか、疲れてしもたんよ。急に」
彼の性質と程遠い言葉に、危うくハンドルを全然違う方向に切りそうになる。
なんとか踏みとどまった私はバックミラーで自分が変な顔をしていないか確認する。
歳の功で平静は装えていると思われる。
その後ぽつぽつと語られた彼の「疲れた」の理由をまとめるとこうである。
田植えや稲刈り、漁の時期などに飛び込みで手伝いを申し出ると大体泊っていくように誘われるのでそれに甘えつつ作業はしっかりこなし、その間に人ととりとめのない話をすることを楽しんでいたのに、最近不審者扱いされることが増えた。
機械が発達したので人の手はいらないと言われることもある。
それでも大抵の場所では喜んでもらえるが、向こうの人が聞いてくる、皐月への質問が増えて複雑になったらしい。実家はどこなのかとか、学校はどこだとか。
更に、以前訪れた場所に再訪した際に、前回その家の主に請われて撮った三十数年前の写真がまだ残っていて「これなんかあなたにすごい似てない……?」みたいに変な雰囲気になってしまったことが2回ほどあったらしい。
昔の方が余所者に対する風当たりは強かったが、薬売りに、行商に、飛脚に旅人にと昔はその場所を訪れていい大義名分がある装いに化ければ、警戒を解かれるのは早かったように思える。
皐月には相手に警戒心を抱かせない気質もあるし。あるにもかかわらず。
「いや、回数にしてはそんなに多くはないと思うん、うっかりでもあった。しかしなあ、これまで連戦連勝だったところに初めてうまくいかんことが続いてしまったんで。そんなことで落ち込む自分にびっくりしてしもて。打たれ弱かったのにも驚いて。情けない」
そういえば皐月が挫折した場面を見たことがないような気がしてきた。
いつもその上が盛大にやらかすからそちらにばかり気を取られて、修行をつけてやるのが足りなかったのだろうか。試練が足りず、転んだ時の立ち上がり方を教えそこなった……?
子育て、間違えたのだろうか。今更だが。
このまま、今、向かっている場所―彼がここ数年腰を落ち着けている場所―に永住するつもりなのだろうか。
それはさすがにどうかと思う。
上手くいかなかった件に関して励ましても却ってプライドを傷つけることもあるだろう、叱咤で更に意気消沈させてしまうのは避けたい。どうしたらいい。
彼の人となりはどうだっただろう、どうするのが適当かと自問してみたが独り立ちしてとりとめもない会話をしていた時間の方が圧倒的に長く、幼少の頃の思い出と言えば、妻に食べさせてあげようと桑の実を両手いっぱいに持って山から帰宅してきた皐月だったが、加減を間違えて手の中の桑の実を握りつぶしてしまっていて原型をとどめていなかったことに大泣きした思い出が今わたしの中でよみがえり、愛しさでいっぱいになってしまった。
うちの子世界一かわいい。
つぶれた桑の実は妻が雪を作り出して今でいうかき氷にして三人で食べたのであった。
「こんなにおいしい桑の実は初めてですよ」
と、皐月に微笑む妻は愛くるしかった。
異論は四方八方どころかあの世からも飛んでくるだろうが、うちの妻も世界一である。
ちなみに妻は人間の世にかき氷が現れる遥か昔からかき氷が好きなのである。
「―――さん、親父さん、通り過ぎとる」
「え!?……ああ、すまない」
車通りがない事を確認し、Uターン、駐車場に入る。静かな山合だ。
長年諸国を廻り続けるのも疲れるだろう。ここは一旦休息するにはいい場所だと思う。思う。
「……………私はどうしたらいいのかな」
「とりあえず、こっち」
「うん」
車を降りてから勝手知ったると言った様子で歩き出す皐月の後に続く。
数年この施設に居る訳だから勝手知ってて当たり前なのであるが。
「………………」
こめかみと胃が少々痛むのだが、悟られないように平静を装う。
痛みの原因は今さっき通り過ぎた看板に書かれた文字である。
『蔵王きつね牧場』と書かれている。
目的地の名前は知っていたし心の準備はできていたのだが、各所しくしくと痛む。