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門前仲町小夜曲  作者: ろじかむ
ちょっとした狐噺3
137/155

北の国から`95 初春~秘密

 上野は落ち着く。

 広く言えば生まれ故郷であるが、だから、というよりは、この雑多な雰囲気が好ましい。


 ごみごみしている街は他にもたくさんあるが、大体流行りを、未来を追っている。街も人も。とりっぱぐれまい、恥をかくまい、置いていかれまいとつんけんしていて少しせわしい。


 ここはそういう空気が少ない。しかし店はたくさんあるので活気はある。

 活気は築地にも似ているが、あそこは商人の為だけの街だ。

 それ以外の人間が排斥されることはないが、やはり余所者は余所者なのである。


 べったりとフレンドリーな訳ではないが、誰が何をしていても割と寛容。

 ほどほどにドライな所が上野のいいところだ。


 行きつけは何件かあるが、一人じゃないと入れない店にしようと思う。

 という事で入ったのはガード下の居酒屋である。

 巨大な餃子の店にすればよかったと一瞬後悔したが、あの餃子を一人で平らげるのは一苦労である。

 ちょっとでいいのだ。


 しかし、あの餃子、作り置くにしてもあの大きさは場所を取るだろうな……どうやら私は思いのほか餃子に未練があるようだ。

 まあ、最終日に土産用を買えばいい。茉莉なんか驚くだろう。サイズに。


 運ばれてきたジョッキのビールを口にすると、懐かしい味に頬が緩む。

 北海道はご当地ビールがあるからそれをおしのけてはなかなか。そこまで熱狂的に好きなものではない。

 という訳で久々に口に出来た銘柄である。

 これはこれでここのご当地ビールであった、そういえば。果てしなくどうでもいいことなのだが。


 ああ、落ち着く。


 別に嫌ではないのだが、今の、何者かであることを常時強要される生活というのはそれなりに疲れるのだ。妻との馴れ初めを捏造して口裏合わせないといけなかったり。


 捏造途中で実際の馴れ初めを思い出して精神がタコ殴りにされる。

 今まで負ったどんな深手よりつらい。

 おそらく妻もそうだ。つらい。


 認めたくない若さゆえの過ちとかの部類である。

 うちの長男はたまに耳に残る、うまい物言いをするんだよなあ。そう、若さゆえの過ちは、認めたくない。


「…………」


 一人だとすぐ思考の沼に嵌る。

 重要な案件なら構わないが、今片足を突っ込んでいるのは出口もなく更に建設的でもないものだ。


 騒がしいのも応対がなかなか大変だが、こういう余計な事を考える暇がないのはよい所だった。


 騒がしいと言っても妻の主なけんか相手だった山茶花は家を出て、茉莉もものの道理がわかるようになってきたので今後はそうそう派手な悶着は起きる事もないだろう。


 茉莉もあと十何年もすれば独り立ちするのだろうし、そうしたら妻と二人だ。

 本格的に静かな暮らしになるのだろうな。


「…………」


 成長がうれしいような、寂しいような。

 とはいっても山茶花が生まれる前も長い事二人暮らしだったが……ああそうか。その前は世の中が目まぐるしく騒がしかったから、退屈する暇もなかったのか。


 そのへんは私比ではつい最近なはずなのだが、ずいぶん遠い遠い昔のように思える。

 年々時間の流れが速くなっているような気がするが、これは年寄り特有のものだけではない。

 実際速くもなっているのだ。


 何かが起こればはテレビやラジオで即日概要が広がるし、手紙は3日あれば大体のところにつく。

 移動だってそうだ。徒歩から……


「!」


 このぎくりは杞憂なのだが、それでも念のため内ポケットからぎくりの元を取り出す。

 新幹線の切符である。発車時刻はまだだいぶ余裕がある。


 そう。すでに出そろった注文商品を片づけて会計して、上野動物園を速足で一周しても乗り遅れないくらいの余裕だ。


「お時間大丈夫でした?」

「大丈夫でした」


 店員の気づかいに笑みを返す。このおばちゃんはいつもいるが経営者側なのだろうか。はたまたものすごく縁があるのか。

 おばちゃんと言っても私よりは年下だからお嬢さんと呼ぶべきなのだろうか。うーむ。


「これからご旅行ですか?」

「いえ、ちょっと、久々に息子に会いに」


「あらー……小さいでしょう。離れて暮らすの寂しいですねえ」


 私の中でのおばちゃんの扱いをどうするかについてあれこれ考えていたせいでうっかり取り繕わないで会話をしてしまった。

 今日は私は成人した子供がいるとはとても思えない、若い男の姿に化けているのだった。


 ここからどうごまかせばよいのだろうか。

 小さい子供と離れて暮らす理由って何があるのだろう。

 離婚して嫁に子供を取られた、単身赴任である、子供が病弱で転地療養を?


「――そうなんですよ」


 こういう時は喋りすぎないのに限る。濁しておいて聞かれたことに答えればいいのだ。


「かわいいさかりですもんねえ」


 そんなさかりはとうに過ぎているのだが、おばちゃんに頷きで同意をしておく。

 いや、別にかわいくない訳ではないのだ。子供はかわいい。

 よそから見てかわいいの頃を過ぎている子供たちも私にとってはいつまでもかわいい。そういうものだ。


「あ、お土産におもちゃ買ってくなら御徒町に問屋さんあるから安いのよ!知ってる?」

「そうなんですか。急いで食べて今から行ってみます」


 いつもの姿で来るときはそっとしておいてくれるのに今日はどうしてこんなに積極的なのだろうか。おばちゃん。

 やはり若い男がいいのか、おばちゃんよ。


 知り合いはぱっと見たところいないし、いたところでこの姿は大分久しぶりに化けるので私が私だと気づかれる事はないのだが、それでもこれからどこに行くのかなどの話を外に出すことはなんとなく避けたい。


 旧知に会いに、と、家を出て小手毬と暮らし始めた山茶花の様子を見に、都会に出て来た天嵐(わたし)であるが、目的はもうひとつあるのだ。

 それは今のところ妻にも娘たちにも秘密にしなければいけない案件なのである。


「…………」


 おもちゃ……買った方がいいのだろうか。いや、必要ない……。

 もうちょっとここで粘るつもりだったのに飛んだ大誤算である。どこで時間をつぶそうか。


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