かきあつめると1.8人相当のアンハッピーエンド(2)
「はいはーいっ、て、えっ、小春さん、どうして」
「すみません、こんにちは椿さん」
「わたしがセンセイに頼んで手配してもらったのよ!」
「センセイあほの子の我儘なんて聞いてやらないでください」
「だって小春ちゃん的には嫌でしょう。彼氏の職場に女子が現れて、一緒に働いている事を全部決まってから後から知らされるなんて。ねえ?」
「えっ」
不満はないです。
とは言い切れません。
山茶花ちゃんは学校終わってからお店で働くことになるのでしょうか。
そうなると山茶花ちゃんの方が椿さんと一緒にいられる時間がわたしより長くなりそうでとても羨ましいけど、山茶花ちゃんにも働かなくてはいけない理由がある以上わたしの我儘で反対する訳にもいかないけど、どうしたらいいのでしょう。
久々に見るお店バージョンの椿さんがとっても格好良くて、なにも考えずに穴が開くほど見つめていたいのに。
「あっ、店長さん、人間のアルバイトは募集していないんですか?時給とかいらないのですが」
「採用」
「不平等条約も真っ青な契約を締結しないでください。小春さんも何言ってるんですか」
「だって、あの」
お客さんとしてお店に立ち入るのではなく、同じ店員さんだったらいいのかなと思ったのですが、それも駄目だったみたいです。
でも椿さんは怒った様子はなく優しく微笑んでいます。
「小春さん、僕、これから頑張って山茶花ちゃんに業務知識を叩き込みますから。育成途中のフォアグラのように暴力的に。で、なんとか半人前くらいになったら、土曜日の営業を山茶花ちゃんに押し付けられます。そうしたら、なんと、土日に二人で沢山遊べるようになるんですよ?」
「ほらこいつこういう人を人とも思わない鬼よ!わたしの土日つぶしても心を痛めない人でなし!いいのこんな彼氏で!?」
「……あんたいままで毎日がお休みだったし、成績ごまかすなら学校で勉強もしなくていいでしょうに。やったげなさい昔あんだけさんざん遊んでもらったんだから」
「姉様冷たい!」
「なー椿、オレンジジュース2つあるんじゃが」
「ああほら、月曜にとうさんがいらっしゃるじゃないですか。それ用です」
「どっちがあのでくの坊用じゃ?」
「基本お嫌いですよね……どっちって、こっちがいつものじゃないですか」
「あそっか。これじゃと、妹」
「……………はい」
「氷一個多いね」
「細かい男は嫌われるわよ」
「作ってる途中に喋らないでくれるかな。あと、飲みにくいのね。あまり多いと。決まりごとって、大体、そうしなくてはいけない理由があるんだよ」
「ううー!」
お小遣いに困っているけど普通の所でアルバイトをするのが難しい山茶花ちゃんの救済案としては完璧で、更に椿さんと私が一緒にいる時間が増えるかもしれないという素敵な現象なのですが、わたし、やったーって気持ちになれません。
山茶花ちゃんに対する椿さんの態度は、私に対するそれよりざっくばらんで、気安くてすこし羨ましいです。
さんざん遊んでもらったからなのでしょうか。いいなあ。
私がこのお店で働くという話がうやむやになってしまいましたが、やっぱりなしなのでしょうか。
全部わがままなのです。でもわがままだから、しょうがないとあきらめても、楽しそうなカウンターの中がうらやましくて仕方がありません。
ちょっとさびしいのです。
恥ずかしそうに「お、お待たせしました、オレンジジュースです」とがんばってジュースを出してくれる山茶花ちゃんには頑張れって気持ちしかないのに、さびしいのです。
行き場のないこの気持ちを、わたしはまだラベルをつけてしまうことが出来なくて、手の中であそばせてしまいます。
「小春」
「はい」
ほっぺたをぐいーっとつっつかれました。呼んで、ぐいーをしたのは店長さんです。
優しく微笑んでいらっしゃいます。
そしてそのまま「えいっ」と言いながら、店長さんは椿さんの背中に抱き着きました。
「――――――――――!」
「なんですか。直立するの疲れちゃったんですか。鬱陶しいんで離れて下さい。疲れたなら和室で寝ててください」
「つれないのう。昔は真っ赤になって照れていたのに今じゃこの有様じゃ。マンネリってやつじゃのー」
「というかなんで来たんですか今日お休みでしょう。離れてください」
「妹の制服がぴったり合ってちゃんとやってるか不安でというのを口実に脱出して来たんじゃー。あーここが一番落ち着くのー。じゃまなら振り払えばよかろ。本当は嬉しいんじゃろ」
「振り払ってグラスが割れたら掃除するのが山茶花ちゃんだからですよ。かわいそうでしょう」
「姉様パワハラ!ほらこれパワハラ!」
「割れ物の処理の練習は空いている時にやっといたほうが混雑時にテンパらないで済むんじゃないの?」
「姉様―!」
「というかなんなんですか。あんまり営業妨害するとつまみだしますよ」
「椿くん」
「はい」
「今ね、楽しそうにきゃっきゃうふふしているきみと山茶花ちゃんを見てね、ちょっとだけやきもちを妬いている小春ちゃんに気付いた麗ちゃんがね、さらに事態を悪化させようとしてるんだよ、それ……」
来店時からすでに置いてあったお酒のグラスを回しながら、先生はそう言いました。
顔に出ていたのですね、私。子供みたいな我儘で恥ずかしいです。
「えっ、あ、ああー小春さん、あの、まったく楽しくないんですよ。僕は。犬のしつけを頑張ろうみたいな気持ちで山茶花ちゃんに接しています。人間扱いしていません。いや人間じゃにけど、なんというか、人間程度の知性を持った生き物として扱ってはいません!」
「ちょっと!」
「あと店長さんにときめくとかないので。まったく。見てくれは完璧にケーキでも、中身が粗悪な、だんごむしとかみみずとか巻き込んだまま固まってるアスファルトですから。ときめくと思われることが割と心外です」
「いくつもの夜を手前と共にしといて、その言い草はなかろー?」
「お店から無理矢理美貌で借り受けたゴミ出し用の台車に乗った店長さんを夜中の銀座でガラガラ運搬させられた悪夢とかありましたね……店長さんも山茶花ちゃんと一緒にそろそろ接客とか勉強したらいいんじゃないですか?せめてスクリュードライバーくらいは覚えてください」
こんなに感情のない顔で淡々とお話をする椿さんを見るのは初めてです。
店長さんは本当におきれいなのに、一切鼻の下を伸ばさない椿さんがとても不思議なのですが、安堵している自分もいます。
不思議と店長さんにやきもちも妬きません。
「生意気な!」
「なんでもいいから離れてください。というか僕にくっつくことが嫌だとか思った方がいいですよまた怒られますからね」
「ふーんだ。あ、小春、こんなところでぐだぐだしているの嫌じゃろ、センセイと遊んで来たらどーじゃ?」
「あー、椿くんの方にやきもちを妬かせたい作戦になったのね。行かないからね」
「えと、はい。行きません」
ぐぬぬ、という悔しそうな表情を浮かべたあと、店長さんは口惜しそうに椿さんから離れました。
ご機嫌が悪いのでしょうか。
先生のご指摘通り、私にやきもちを妬かせたいのだとしても、根っからの意地悪な人という感じではないですし。むしろたくさん優しくしていただきましたし。
何か嫌な事が合ったのでしょうか。
「あ、じゃあ小春、手前とならどうじゃ?昔みたいに服買いに行って一緒にパ」
「いけません。却下です。寝言は寝て言ってください」
「決定権は小春にあるんじゃからの。そうやって女を所有物扱いすると振られるからの」
「前科ありありの身でよくどこからもストップかからないと思いますね」
「えっ、えっ、店長さん、椿の元カノを略奪したって事ですか?」
「ややこしくなるから山茶花ちゃん、ちょっと黙ってようね。ボクが学校の勉強見てあげようか」
みなさんのお話が早すぎてついて行けません。
元カノ……そうですよね、椿さん、いますよね、そういう方……たまに「女の人ってこういうの好きですよね」とかおっしゃいますし……事実好きですし……
「はい、ぜえーんぶ手前が悪いんですよ。もうええ。手前が悪いでええ。あたりちらしてすまんかったでしたー。ええのー人間は簡単に離婚とかできて。うらやましいのう……」
ぼーっとしている間に店長さんがグラスに何かを注いで飲み始めました。
ご結婚なさっているということなのでしょうか。
結婚って、男の人とですよね。
前科。
えと、あの、つまり椿さんには元カレがいたという……?
多分違うと思います。ええ違うと思います。
「店長さん、現行法では、やらかしたほうからの離婚要求は認められませんから、結局離婚できませんからね」
「えーそうなの。ほんに博識じゃの。姉は本当普段何して生きてるんじゃ」
「まあ、まあ、いろいろと」
「めんどくさいのー。手前自由が欲しい。サンタさんにお願いしたら来てくれるかの」
「確実にサンタクロースより年上なくせに何言ってるの麗ちゃん。あと麗ちゃんより自由なひとは世の中にそういないからね」
「手前だって色々制約があって大変なんじゃぞ!」
「一番守らなきゃいけないものダダ破ってるくせに何言ってんのさまったく」
店長さんもやっぱり、聞けば、ああ、となる神様なのでしょうか。謎です。
このあとも帰りたくないと言いふてくされ続ける店長さんは皆でそうっとしておいて、山茶花ちゃんの特訓は続きました。覚えることがいっぱいで大変そうです。
それを見ているだけの私は申し訳ないような気がしつつ、椿さんのパンケーキに舌鼓を打ってしまいました。
お店の器具を使わないとこの味に仕上がらないのです。
おうちで一緒にホットプレートでやいたのもおいしいのですが。ここのは格別なのです。
おいしい。
しあわせ。
ちょっとうらやましい。
そして解決されない疑問。
ふくざつなひとときでした。