かきあつめると1.8人相当のアンハッピーエンド(1)
「お休み中ごめんね。どうしてもって言うからさあ」
なんだか既視感のある……既視感ではありませんでした。そうそう。そうでした。
違うのは今回は先生があまり楽しそうではない事です。
土曜日という事で大変に混雑している大手町から東都駅までの道を私は先生と歩いています。
お昼過ぎくらいに先生から電話をいただいて、もしどうしても暇を持て余しているならちょっと出て来ないか、と聞かれたのです。
誘っているのに誘いたくなさそうな口調が気になってしまい、出てきてしまいました。
もとから予定はなかったのですが。
大手町の改札ですでに待っていた先生は「じゃ、行こうか」と、言って歩き出して、歩き続けて今に至る訳なのですが。
ご用事は一体何なのでしょうか。先生はそれに関しては何も言ってきません。
先生と会うのもそういえばクリスマス以来です。あまりお久しぶりな気はしませんが。
神様ですから「お元気でしたか?」もないですし、世間で期待されているような働きを先生はしていらっしゃらないそうなので「お仕事お疲れ様です」もおかしいです。
更になんだか速足ですし話しかけづらいので、黙って後を追います。
「…………」
進む方向は間違いなくお店があるほうなのですが、お店に私が呼ばれる理由が思い当たりません。
相変わらず椿さんは、私にはあまりお店に来てほしくなさそうですし。
このまま行ってしまっていいのでしょうか。
顔を出して、椿さんがちょっと嫌そうだったら早々にお暇することにします。
目的地がお店だった場合の一番いい行動は中に入らないという事なのでしょうが、久しぶりにお店で働くすてきな椿さんを見たいという欲求がむくむく湧いてくるので自分の足を止められそうにありません。
先生の足が止まったのはやっぱりお店の扉の前でした。
ドアを開けて下さったので先に入らせていただきます。そして先生は無言で私を追い抜かし、左の道の突き当りのドアをまたもや開けて下さります。
お店に来るのもクリスマスぶりなのですが、いつもと変わらない店内です。
バーカウンターには、シャツとチョッキというバーテンの制服を着た人がいて、私に気付いて満面の笑みを浮かべました。
「よかった、小春ぅ―!」
山茶花ちゃんでした。
山茶花ちゃんは笑顔のままカウンターを抜け出して、私に駆け寄ってきます。
まごう事なきバーテンさんの格好です。下はスカートですが。
よく似合っていますが。
「山茶花ちゃん、どしたの?」
「どうしたもこうしたもないわよ!」
「あるでしょ」
聞き覚えのあるというか、つい先週聞いたばかりの小手毬さんの声です。
カウンター席に座っていらっしゃいます。ちょっと険しい顔です。
「あ、こんにちは」
「うん、ごめんね呼び出しさせて。あたしがいたら止めてたんだけど」
「いえ。あの、これは」
「これねー……」
眉間をもみもみしながら小手毬さんが離してくれた内容はこうでした。
山茶花ちゃんは食費兼お小遣いが二か月に一回支給されるようになっているのですが、3.4月分のお小遣いが3月前半の現時点で半分以下なのだそうです。
「で、まー部活やる気ないらしいし、勉強も術でごまかしてしないで済ませてるなら足りないお小遣い分働けばいいんじゃないかなって思って。働けばその分赤字補てんどころか自由に使えるお金増えるんだし」
「で!しょうがないから雇ってやることにしたんじゃ!時給600円でな!」
黒ひげ危機一髪の黒ひげさんのように勢いよくカウンターの中から店長さん飛び出てきました。
多分それまではしゃがんでいたのだと思います、今日もとてもきれいです。
「安すぎでしょ!外のお店は時給1000円とかじゃん!あたし銀座で時給7000円で働きませんかってスカウトされたことあるし!」
「……妹バカじゃのー。そういうのは一時間の間中ずっとオッサンに尻触られたりするんじゃぞ。そんなに触られると尻に手形つくぞ!」
「麗ちゃん、どこでそういうの覚えちゃったの…銀座だったらそういうのじゃないし……多分……とりあえず小春ちゃんはオレンジジュースでいいのかな?呼び出しちゃったおわびにあと何でも好きなの頼んでいいからね」
「え、あの、いえそんな」
「ま、とりあえず座ったらどうかしら」
「お前さんはこっちじゃ」
「不当搾取!奴隷貿易いいいいい」
「お、バカじゃバカじゃと聞いてたが四字熟語くらいは知ってるのか。偉いのー偉いのー」
「麗ちゃん、今のは四字熟語じゃないからね」
カウンターの中にずるずると引きずられていく山茶花ちゃんに圧倒されているうちに、私もカウンターの席に座らされていました。
「姉様、なんでよりにもよってここなの!外の、なんかもっと普通のバイト探すから!普通の時給の!」
山茶花ちゃんの必死の訴えかけに、小手毬さんは浮かない顔です。
「山茶花、あんたね」
「うん」
小手毬さんは浮かない顔のまま、この間も飲んでいた薄緑色のとてもきれいなお酒を一口飲んでからため息をつきます。
「……都内の、高校生が働けてうちから近くてバイトできるところ、そうね、ファミレスとかハンバーガー屋さんは、だいたい土日激混みで出勤必須なのよ」
「えっ」
「さらにね、どこのバイト先にもバイト先を仕切っているバイトリーダーという存在がいてね、あんた多分そういう人種とそりが合わないの」
「バイト、リーダー……」
「そう。よしんばバイトリーダーに気に入られても、バイトリーダーは大体バイト内に彼女を作っているから、彼女から嫉妬されてとても面倒くさいことになるのね」
「…………」
「それに加えてあんたその顔でしょ。お客さんから声をかけまくられる、プレゼントを貢がれる、既婚の店長があんたをえこひいきする、シフト上がりに客やバイトの同僚に待ち伏せされる、それをよく思わない女子バイトたちに冷遇される、袖にされた男の人達から悪評を流される、などの人間関係でダメージ受けてるところでバイト先の電話をとったら卑猥ないたずら電話だったりするのよ。あんた、温室育ちでそれ耐えられるの?」
「……小手毬ちゃんってさ、普段、何してるの……?」
「山茶花が話を脱線させる隙を与えないでください。センセイ」
「あ、ごめん」
「はい。で、それに加えて横のつながりとかできて全然違う高校の子なのにあんたの高校とおんなじ子とかいたりして、あんたの話題になったりしてクラスの子がバイト先に来たり、横のつながりで他校の生徒があんたを見に来たり、なんていうかひたすらめんどくさいわよ」
「あ、うちの学校アルバイトする場合は、届が必要です。あと保護者の判子」
「あ、そうなの?じゃあなおさら無理ね。母様にバイトしたい理由どうやって説明するの?そういうのしながら人間のふりをして生きていけるの、あんた」
「……………!」
押し黙る山茶花ちゃんの肩を優しく微笑む店長さんが優しくポンと叩きます。
「……いやならやめていいんじゃぞ?」
「……ここで、はたらかせてください……!」
血を吐くような一言でした。
口をはさんでしまったことが結果的に山茶花ちゃんの希望を折る形になってしまいました。失敗しました。
でも、どうしてそんなに嫌そうなのでしょう?
このお店で働く事はとても楽しそうに見えるのですが。
「とりあえずオレンジジュースじゃ。なんか背の高いグラス」
「これ?」
「そう」
「麗ちゃんそれカクテルに使うやつじゃん……なんかもっと円柱の……あっ、ええと……チップスターの入れ物の形に似た」
「円柱くらいわかります!これね!これでしょ!」
「偉いのう偉いのう。そうしたら氷を入れてオレンジジュースだばーじゃ!その下の冷蔵庫に入っとる」
「……………どっち?二種類あるけど」
「え、知らん」
中でしゃがんで冷蔵庫を覗き込んでいる二人がどんな表情をしているかは謎です。
立ち上がった店長さんが「いらんとこ凝り性なんじゃから」と悪態のようなものをつきながらカウンターの内側にある置き型べルをばしーんと叩きました。
鳴らすとどうなるのかは知っています。
お店の奥から私の好きな人が急いでやってくる素敵なベルです。
私の部屋にもあったらいいのに。
あったら四六時中使ってしまいそうなので、なくていいんですが……。