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門前仲町小夜曲  作者: ろじかむ
恐れ入ります、恐れ入ります、当て馬にもならない道産子が通ります。あっ、ご協力ありがとうございます。
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ほんのちょっと、の、ぐらつ帰路(1)/椿

 

「すっかり遅くなってしまいましたね。急がないと」

「そうですね」


 腕時計が指し示す時刻は10時半。夜のほうの10時半です。


 東西線の車両は空いています。今日は日曜日ですから。

 大抵の人はもう家にいて、明日への英気を養っている所でしょう。


 今日は日曜日だったので、恒例の、小春さんとのお出かけの日です。


 少し早起きして遠出してお昼を食べたら都内に帰ってきて、小春さんちで晩ごはんコース。


 だったのですが、やたら風が強くて電車のダイヤが大幅に乱れてしまい、出先で夕食食べたり休憩したりなんだかんだして、今です。

 日向家では特に門限などは設定されていないらしいのですが、ちょっと遅くなりすぎです。帰ってお風呂入って眠れるのが12時回っちゃいますよね。髪を乾かすのに時間かかりそうですし。


 隣の座席に座っている小春さんは、言葉少なげです。

 もとからそんなにお喋りなタイプではないと思うのですが、疲れているのでしょう。大分連れまわしてしまいましたので。


 どこかで休憩するにしても、お店は大体混雑しているので、思う存分英気を養うとはいかないのが日曜日のちょっと面倒くさい所です。


 あー休憩で今週あった非常にろくでもない出来事を思い出してしまいました。

 ひどい目に遭った。被害者の立場なのに渋谷のど真ん中で「人生の無駄だったわ!」とか叫ばれるし。

 願ったりかなったりの反応だったんですけどね。そうそう。


「……………」


 隣に座る小春さんが、僕の方へほんの、ほんの少し寄りかかってきました。

 甘えてもらえる事はそれはもう大変にうれしいのですが、いかんせんまだ絶賛発情期中の身にはつらい仕打ちです。

 僕も疲れているのでタガが外れやすくなっている自覚があります。


 普通だったら今日の反芻などをしながら、小春さんの事がやっぱり好きだなあなどと確認できる幸せな時間になるはずなのですが、そんなことしたら気持ちが溢れて暴走しかねないので意識を彼女からそらすために、なにか別の事を考えなければいけません。


 明日の仕込みとか、センセイと何を話すとか、そういう関係ない事を。

 考えていればあっという間に降車駅です。


 階段に近い車両を選んで乗っていたので、電車を降りてから比較的スムーズに改札を抜け……られるはずなのですが、小春さんの足取りが気持ちゆっくりで、いつもより時間がかかります。


「駅出たら、タクシー拾いましょうね」

「あ、いえ、疲れてる訳じゃないんです。ごめんなさい。ちゃんと歩きます」


 小春さんにしては珍しく、なんとなく含みのある言い方です。こういうのは素直に聞いてしまったほうがいいのか。それとも察してほしいのか。


「…………」


 山茶花ちゃんの言葉が頭にちらつきます。

 騙されてる、とか、隠し事をしている、とか。


 小春さんを信用していない訳ではないのですが、ほんの少しだけ、踏み込むのを躊躇ってしまいます。

 一瞬ですけど。


「無理、あんまりよくないですから。疲れた時は疲れたって教えて欲しいです」

「全然、本当に、元気なんです。ほら」


 そう言って小春さんは僕を追い越して階段を昇っていきます。無理している訳ではなさそうな、軽やかな足取り。追い越した時に僕に向けた顔は微笑んでいました。

 喜ばしいことなのです。が。


 歩幅は僕の方が広いので、比較的容易に小春さんに追いつけます。二人でほぼ同時に改札を抜けて、なんとなく並んだところで僕は彼女の手を取りました。驚いたような表情の小春さん。


 理性かっ跳び防止のため、アイマスクなしの肌の接触は5秒以内、手をつなぐのは自粛中なのです。

 すでに5秒経過しています。


「今日は、大丈夫そうなので、このままこうして帰っていただいても大丈夫ですか」

「あ、はい。も、もちろん大丈夫です。うれしいです。でも大丈夫なんですか?」


「大丈夫です」


 大丈夫の安売りセールが終わった所で、どちらともなく家の方向へ歩き始めます。

 手をつなぐのは久々で、なんだか緊張します。

 無論本当は大丈夫ではありません。ですが、我慢してでも彼女の近くにいたいのです。

 相手にはダメだって言っておいて自分はいいとか、本当自分勝手で嫌になります。


「…………」


 こんなの、普通の人間同士だったら当たり前の事なのに。


 つなぎたいつなぎたくない以前に、それができない事に対して、小春さんは何も苦情を言いません。思う所はあるでしょうに。


 好きだという気持ちだけで、勢いだけでここまで来てしまいましたが本当にこれでよかったのでしょうか。


 あまり小春さんと一緒にいられない分考え事ができる時間が増えて、そんな思いが最近頭をよぎります。


 人間の世界になんとなく紛れ込むのはそこそこできていると思うのですが、本気で人と向き合うという事に関して、僕はきちんとできているのだろうか。など。


  人に近づく努力はもちろんするつもりですが、小春さんが僕に不満や煩わしさを感じたときに、僕の余命だとか、近所に引っ越してきてしまって、周りにやたら祝福されて外堀を埋められたこの状態では、それをそのまま口にできないで無理させてしまうのではないか。

 とか。


「あの、椿さん、コンビニ、寄っていいですか」

「どうしました?」


「家に、お土産とか」

「足りないですか?これだけじゃ」


「あ、そうでした……」


 すでにお出かけ先でお土産におせんべい12枚セット購入済みです。家路への歩みが再開されました。が、どことなく不服そうな小春さんの尖った唇がいつもにも増してやわらかそうでそれを貪りたくてしょうがない僕はいや違います去れ下心。


  あーもーなんかお経とかで静まればいいのに下心。

  よからぬことを考えたら勝手に締まる緊箍児とか欲しい。

  少年ジャンプの裏表紙の謎の通販ページをよく探したらありそう。あ、下心治まって来た。よしよしです。全然よしよしじゃないんですけど。


  好きな人の様子がいつもと違う理由を探るのにも難儀するこの忌々しい発情期(たいしつ)

  春になればなくなるとはいえ、小春さんの様子がおかしいのは今なのです。


 間に合わないせいで、取り返しがつかないものもある。


 山茶花ちゃんの、独自の情報網ってなんなのでしょう。

 山茶花ちゃんは大分残念ですが、堅香子さまが独り立ちを許したということはそれなりの何かをちゃんと習得しているのでしょうし、何もなくてあんなことを口にしたりもしないとは思うのですが。


 小春さんの様子がちょっといつもと違うのは、なんとなく感じていました。

  元気がないというか。

  でも、テストとか、会えないことの不満とか、寒いの苦手みたいなのでそういうものなのかなと思っていたのですが。

 帰り道もこんなに言葉少ない事はないのです。


 騙されている。とは。


 僕を騙したところで巻き上げられるものなんて大したものではありませんし、どうしてそんな話になるのか。


  痛くもかゆくもないのというのもおかしいのですが、僕の何かで小春さんが幸せになれるなら、別に、いいんです。全然。


 むしろこれから何か小春さんに不利益なことをやらかすのが怖いので、そっちの方がいいかも、と思ってしまったりもします。ほんの少し。


  というか山茶花ちゃん、小春さんの事知っているのかな……見に行ったとかそういう事なのでしょうか。


「……椿さん」

「はい」


「ちょっと、遠回りして帰りませんか?」

「今日、どうしたんですか?」


「……あまり家に帰りたくない、んです」

「お母さんと喧嘩でもしたんですか」


「そうじゃありません」


 少しむっとした顔の小春さんは「もういいです」と、速足で歩きだしました。手は繋がれたままです。


「どうしたんです」

「……なんでもないです」


 全然なんでもなさそうではないのですが、早く家に帰さなくてはいけないですし、もう夜遅いのでわざわざ足を止めさせて道端で問いただすのもいかがなものかですし、小春さんのお家は駅からそんなに遠くないので、あっという間に家についてしまいました。


 つないでいた手を離し、玄関先で「おやすみなさい」と一礼して、玄関を開けて中に入る小春さんの跡を追って、僕も日向家の玄関の三和土に踏み込みます。


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