小手毬ちゃんは竹之内派(2)
などとわたしに内心で罵られまくっているとも気づかない男は、まだ微笑んでる。
「それについては大丈夫」
「なんで」
「だって山茶花ちゃん、いい子だもの」
「は?」
「まあそれなりに人を――人じゃないけど、言語を介したやりとりが成立する相手の本質を見る目はちょっとそれなりにある気でいるんだ。山茶花ちゃんはそんな事するタイプじゃないもの。違ったらご両親が子育て大失敗したってことだろうね。評判下がっちゃうねえ。理由はどうあれ、圧倒的に力の差がある、非力で無力な人間の女の子に危害を加えるとか、妖狐の名折れ」
「…………」
親を盾にする言い方は卑怯だわ。
返事に困っているわたしの状態を知ってか知らずか、彼は「ああでも」と言葉をつづける。
「目測を誤って僕がやつあたり喰らうなら自業自得だけど、小春さんになんかされると困るなあ。大事なんだ。好きだから。青たんひとつ、かすり傷ひとつつけたくないんだ。だからしょうがないなあ。ちょっと汚い奥の手を使うしかない」
「―――な、なによ、奥の手って」
今ここで口封じとかかしら。いやさすがにないわ。多分。
「―――お兄さんに、全部言いつけるね」
「ちょっ……ど、どっちの」
「やだなあ。山茶花ちゃんが絶対に知られたくない方に決まってるじゃない」
あいかわらずわたあめみたいな笑顔の男は、耳にした瞬間に死ぬ呪いの言葉、みたいなものを吐き出した。
「無理。無理。絶対嫌」
二人いる兄様のうちのそっちのほうは、無駄に長生きしているくせに、相手がどう思うかとか、それやったらどうなるかとか考えないで、自分が楽しいと思ったことを押し通す男よ。
あの邪悪な笑顔。思い出しただけで三時間くらい震えられる。
そんな、今回の――毎週バーに通って周りに気付かれるほど好き好きアピールして、デートでうわついて、あげくこんなところに入っちゃった話とかされたら――間違いなく一生からかわれるわ。折を見て混ぜ込まれるわ。
何なら毎回会う時に椿の花束を渡してきたりするわ。
あのクソ兄貴。
ぜんぜん想像つかないけど、わたしの子供とかにも言うわ。そういう男だもの。
ふさがった傷の傷跡を見つけ出してもう全然痛くないのに、あえて岩塩で殴りつけてくるような男だわ。
一生の破滅だわ。
「口の利き方がなってないんじゃないの?山茶花ちゃん」
「絶対やめてくださいおねがいしますわたしがすべて悪かったです!」
「うん。でも心配だから今回の顛末と二度と僕と小春さんに関わらないって一筆書いてもらえるかな」
「はい喜んで!」
「元気でよろしい。えーと……」
言いながら椿さん部屋のドレッサーの引き出しをごそごそして「あった」とか言いながら、ノートをひっぱりだした。そしてぱらぱらめくって1ページ破った。
「なんですかそれ」
「この部屋に来た人がひとこと残していくための雑記帳みたいな……喫茶店の壁に相合傘とか書いてあったりするじゃん、ああいうの」
「さっきからなんか色々に無駄に詳しすぎて、そういう所もすごい気持ち悪い。最低」
ポットの中に水が入っていることを開けないで知ってるところとかいろいろ色々。
なんか手馴れてるのよ。
「八汐兄さん、いまどこにいるんだっけなー……」
「あ、すいません!書きます!ペンとかありますか」
「どうぞ。最初に西暦と今日の日付、今日山茶花ちゃんが術を使い僕をフワフワさせてここに連れてきたこと、それに関する謝罪、今後は僕らに関わらない事、最後に署名ね」
「……はい」
なんなのかしら。
思っていたよりこの人ねちっこいわ。
恋叶わなくてよかった。本当よかった。
だいたい備品勝手に破っちゃっていいの?たかがノート、されどノートよ。
本体にはどんなこと書いてあるのかしら。
「うわ山茶花ちゃん字、汚っ」
読めればいいのよ!自分が!
反論してどうなるかくらいわかっている。とっとと書き上げて一刻も早くこの場から離れたい。
そうよ。わたしはただ文字を紡ぐだけの機械になりきるの。
仮面をかぶるのよ、山茶花!
自らを奮い立たせて、全然一筆じゃない一筆を書き上げる。それを椿さ……もう椿でいいわ。呼び捨てで。椿は畳んで胸ポケットに入れた。
「ま、じゃ、出ようか。あーあ。証拠はなくても誰かに入る所見られてたかもとか、そう言うの全然気使ってなさそうだよね、山茶花ちゃん」
「あ、当たり前でしょ!こんな所連れてこられるなんて思ってないもの!」
「ほんと気を付けてあげなよ……身近な男子妖狐のこと……まあ、出るときだけ別人に化けて出ようか。あーめんどくさい」
言いながら椿はベッドの中に潜って視界から姿を消した。
「めんどくさい事態にしたのあんたでしょ、ていうか好きな人いるのにどういうつもりなの?モラルとかないの?あたしの術はあんたの中にちょっとでもそんな気がないとかかんないんだからね!」
あんだけのろけといて浮気心があるとか本当最低。
最低なうごうごする布団の塊はうごうごをやめ『えー』と、くぐもった声を発した。
『そんなもん使ってどうやってなんの人間の修行してるの?あ、ごめん、ぜんぜん山茶花ちゃんの事興味ないからいいやどうでも。それに関しては小春さんを襲うくらいならどっかで一回欲望を捨てたら、今まで通り手出さないで小春さんといちゃいちゃできるかなって発想のせいじゃない?』
「捨て、はァ?最ッ低!」
『まあ嫌われたいからうれしい反応だなー。結局全然その気にならないで、僕が小春さんの事しか見えてないっていうことを再確認できるいい機会だった。ありがとう山茶花ちゃん、でも気が散るから黙っててくれる?』
「―――――」
うごうごを再開した布団の塊を蹴り飛ばしたい衝動に駆られたが、我慢よ山茶花。
あいつの手の届くところに電話があるもの。
外にかけられるかわからないけど。
わたしは手を出してはいけないの。
だからせめて心の中でこいつを呪うわ。
箪笥の角に小指ぶつけなさい、全身龍角散の粉まみれになれ、自動改札機があんただけ閉まれ、コーラ開けた瞬間ブシャーってなれ、ファスナーかんじゃって服一着だめになれ、いったいあれなにがなんなのかよくわからないけどホーム・アローンの顔ぺちぺちして「あー――――ッ!」って状態になれ!
「……………」
ばさっと布団が持ち上がって、中から人が出てきて、化けなおすっていうから普段と全然違う姿になるのは予想通りだったけど予想外だわ。
「何」
「な、なんでもないわよ」
すごいイケメンがそこに立っていたわ。
どうやらわたしの美の基準って平均より高いみたいなのよね。だからわたしから見て椿は別にすごい格好いいって訳じゃないけど好きだから、この気持ちは本物なんだわって感じだったんだけどいまもうそんなもの跡形もないけど。
そもそも、ワイルド系が好きなの。
人間だったら反町隆史の延長線上にいる方がタイプなの。
でもタイプ全然違うのに、その垣根を越えてくるイケメンが立っていた。
通常の椿は、ログハウス程度のつくり顔だけど、今は北海道庁舎、いえシンデレラ城並みにつくりの細かいイケメンの姿になっていた。
なんということでしょう。
イケメンは半眼になり、舌打ちした。
「あれだけボコボコにされといて、いまちょっとぐらっと来てるでしょ。ちょっと愚かにもほどがあるんじゃない?」
「だ、な、そんな驚いただけよ!自意識過剰!」
「あれだね、あんまり似てないと思ってたんだけど、やっぱ姉妹だね。小手毬ちゃんと似てるんだね」
「――――そ、そう?」
「うん、小手毬ちゃんから知性と思慮を87パーセントずつ抜いた感じ」
「あんたなんか、さっさとあの女に捨てられちゃえばいいわ!騙されてたことに気付いて枕をしゃばしゃばになさい!」
「負け惜しみもここまでくるとすがすがしいね」
「わたしだって独自の情報網持ってるのよ!あの女隠し事してるからね!そのうち吠え面かくのあんたなんだからねー!」
どっかであの子のこと忠告してあげようと思ったけど、そんな優しさは失せた。
相手が敵だっていうんだから、わざわざ助ける必要はない。
でも塩は送ってあげてもいいかも。失恋の傷に思いっきり塗り込んであげるわ。
しかし悔しい事に今の姿はイケメンだわ。
汚いものを見るような目でこっち見てるけど。
「あーあれだ、その気にならなかったの山茶花ちゃんに魅力がないってのもあるけど、堅香子さまに似すぎってのもあるわ多分。僕むかしから人妻ものに食指沸かないし」
「何のことだかわからないけど、あんたのこと絶対倒すわ!」
「茉莉くんにも似てるんだね」
「ハァ?弟になんかしたらただじゃおかないわよ!」
「はいはい至らないほうのお姉ちゃん頑張ってー、フーゥかっこいいー」
くそう、格好いいのは今のあんたよ。
内面のクズを帳消しにするイケメンぷりだわ。
なんで常時これでいないのかしら。
彼女の前でもその顔でいれば、メロメロになって大体のこと解決なんじゃないかしら。
でも教えてあげないけど。
泣いたらいい。あの出汁顔で泣いたらいいわ。涙で味がぼやけた出汁顔になるがいいわ!