新しい朝が来たが、希望の朝かはまだ不明
やっと鳴った。
起床を促す目覚まし時計。
促されるよりずっと早くに目は覚めてしまっていたのだけど、寒いしめんどくさいので待機していた。」止めて、起きる。
汚れるといけないので、着替える前にご飯食べよう。
実家だと朝から一汁三菜出てくるから食べるのしんどかったけど、今は
「好きにしたら?なんか入れといた方がいいと思うけど」
という家主の指示に従ってご飯の支度をする。
「ねー、わたしパン焼くけど、お姉ちゃんは……」
「あー……一枚」
「はーい」
泥のように眠っていると思われた姉は起きていた。
ちなみに同じ部屋で寝起きしている。
姉ベッド、わたし床でお布団。居候なのでなにも文句はありません。
いつもなら寝ていて返事はないのでちょっと驚く。
時間の余裕はないので驚きを堪能しているひまはない。
そう。朝ごはんにパンもすばらしい。父様がお米派なので実家ではまずないシチュエーションだ。
トーストにバターとジャムを塗って。
それにカフェオレ。
手軽でいい。作るのも食べるのも。
朝から出汁をちゃんと取ったお味噌汁とか、本当つっかれるのよ。
「いけない」
愚痴ってる暇もないのだ。
返事さえしたものの起きてくる気配がない姉の分のトーストをお皿のっけて、カフェオレも入れて、あとは放置でいいや。
義理は果たした。
急いで食べて、洗面所で身支度して着替えて。と。
「…………何、変?」
「……いや、別に。変ではない」
着替えたりとかしたりしばったりして支度が済みかけているわたしを、姉が洗面所の入り口から、怪訝そうに見ている。
変ではないといったくせに姉の表情は改善されない。
「なんかあるなら言って」
「いや、というか、なんかあってからじゃまずいから、まずそうになったら早めに手を打つのよ。と言いたいんだけど、あんたまずそう、が、わかるのしらって」
「ひどーい!こう見えて北海道ではそつなくやってたじゃない!!」
「北海道と都心だと捌かなきゃいけない人数が違うわ、色々あれだし。別にあんたが駄目って訳じゃなくて、あたしが人に紛れ始めの時代より今のがよっぽど色々複雑だと思うから多分あたしの時より大変じゃないかって……」
「予習はぬかりない!つもりだけど、まあ、やばかったらさっと逃げる」
「うん。それくらいでいいと思う。落ち着くまで母様はあたしが止めとくから」
「なんかごめんね。かさねがさね」
「普段姉らしいことしてないんだから、いいわよたまには。あ、ごめん時間あんまないのよね」
「う、うん」
洗面台の時計は「そんなことない、大丈夫」とは言えない時間を指していた。
家を出る時間はもちろん余裕をもって設定したけど、ここで時間の余裕を使ってしまうよりも、向こうまで余裕を温存しておきたい。
この時間に出かけるの初だし。
「今日ご飯連れてってあげるから、どこがいいか考えといて」
「う、うん。じゃ、じゃあ行ってきます」
「んー。いってらっさい」
なんとなく姉がどんな表情をしているのか見たくなかったので急いでいる体を装ってっていうか、急いではいるんだけど、まあ、そんな感じで家を出た。
今日はこっちきてからまだあまり使っていない駅、末広町から電車に乗る。
利用回数は少ないけど、道順を忘れるほどおバカさんじゃないので難なく駅に到着。
改札からホームに向かうと、ちょうど目的の方へ向かう電車がついてしまっていた。
「あー」
人の波にぶつからないようによけたり謝っていたりしているうちに、電車のドアはしまってしまった。ま、まあ。早めに出たから全然大丈夫。大丈夫。
「あら?」
見知った人っぽい人が目に入って、思わず駆け寄る。
向こうもこっちに気付いたみたいで、一瞬嫌そうな顔をされる。
いや、さすがに多分被害妄想だ。不愛想気味なだけ。
そうだわ。わたしあんまりこの人の事得意じゃないのだった。
それなのに顔見知りだからという理由でほっとしてしまった。
という事は、やっぱり不安だったのね。わたし。
朝ラッシュ初だし。
「お、はようございます山茶花殿」
「こんなところでその呼び方やめてもらえますか粋連さん」
「それもやめてもらえますか。鈴木でお願いします」
「うちは斉藤です……」
偽名はどこにでもいる、ありふれたものに限るらしい。
ちょっと特別感出そうとして、突飛なものをつけると根掘り葉掘り聞かれてしどろもどろになったりする羽目におちいるらしい。
そういう訳で今わたしは斉藤さんである。
粋連はしげしげとわたしを眺めている。上から下までである。理由はなんとなく見当がつく。
「……年齢的に無理があるとかそういう事言いたいんですよね……?わかってますよ」
「誰もそんな事言ってないじゃないですか」
話している間に次の電車が来た。思っていたより混んでいない。
目の前でぴたりと止まった電車のドアのガラス窓に、スーツ姿の粋連と、コートを着たわたしが映った。
ピーコートの裾から除くスカートは紺のプリーツで、その下はハイソックスにローファーだ。
一見、女性が学生服を着ているように見えるだろう。
見えるじゃなくて思い切り学生服なんですけどねうふふ。
やっぱり声かけなきゃよかった。
恥ずかしさに消えてしまいたくなるが、どのみちどこかのタイミングでこの格好は見られることになるのだから今日でいいのだ。
無理矢理自分を納得させながら、電車に乗り込む。
人間の社会に馴染んで暮らしていけるようになることは、一人前の妖狐として生きていくには最低限クリアしなくてはいけないラインになりつつある。
父様は「べつに働かないと生きていけない訳じゃないしいいじゃないか」とか言うけど、みんなできている、やろうとしていることを、出自が恵まれててしなくていいからやらない、とするのは子供っぽくて嫌だし、家にいると母様うるさいし、都会の方が漫画がちゃんと発売日に発売するし、遊ぶところたくさんあるしそういう訳でわたしは独り立ちをしたいのである。
でもやろう、と思い立ってすぐできる器量でない自覚もちゃんとある。
病弱だったから家にずっといて人と接する機会も少なかったし、親は過保護だしやんごとないから周りに気を使われてきたのでいわゆる世間知らずのお嬢様だ。
で、とりあえず人間のふりして同年代の人間と交流を始めてはどうかという話になったのだ。
年相応の――学生として。
人間に換算するとわたしは20歳なのだが、そのままの年齢だとなんらかの学生になるらしいのだが、姉曰く「色々めんどいから学業と修行同時に並行してやるの多分無理よ」と、バッサリ言われたのでおとなしく従い、高校生として生活することになった。
今日が通学一日目。
着ているのは当然その通う学校の制服である。
姉は「似合ってる似合ってるかわいいかわいい」と言っていたが身内の欲目ではないだろうか。
はたから見たらおばさんが制服を着ているように見えるのではないだろうかと気が気ではない。
化粧はしてないし、髪はハーフアップできっちりしつつも幼い印象出してるし、出来ることは全部やったけど、大丈夫なのかしら。
粋連のこの苦虫をかみつぶしたような顔は、お世辞を我慢して口から出したからなのでは。
なんとなく流れで隣に立つことになっている相手の沈黙が気まずい。
離れられると思ったら相手も日本橋で乗り換えるし。
しかも東西線で一緒だし。
わたしの動揺なんてお構いなしに電車は動く。
「…………」
「…………」
逆に、恥を忍んで違和感がないか聞いてみよう。
なんだかんだ人間の世界でちゃんと生活している部類に入るし。
なんか全体的に嫌な感じのやつだけど。
「す、鈴木さん」
「なんですか斉藤さん」
「わたし……どこか変な所、あります?今日初めてだから、あんまり浮きたくないんです」
「コート含め普通です。普通におかわいらしいですよ斉藤さん」
「こ、コートの下はどうですか」
「普通ですというか変態みたいな台詞と行動はおやめになったほうが」
「あ、そうよね!ごめんなさい!」
まだ遭遇したことはないけど、露出狂という人がコートをバッと開いてしてはいけないものを露出するという事は知っている。
わたしは中にちゃんと服を着ているが、突拍子もない事をやってしまったらしい。
周りの人わたしの事見てる。
めっちゃ恥ずかしい。
粋連はやれやれみたいな感じで肩をすくめてる。
これ八つ当たりだって自覚あるけどなんかむかつく。
「……あれですね。お兄さんに似てるんですね」
「ハァ?どっちの」
「しばらく皐月さんしかお見かけしてないのでそっちですね」
「どこが、無理無理無理無理」
「あ、次飯田橋ですよ。降りるんじゃないんですか」
「あ、そうだわ。ありがとう」
って、どこに通うとか言ってないはずなのにどうして粋連はわたしの目的地を知っているのかしら。
制服でわかるのかしら。
それって誰もができる事なの?
わたし絶対覚えられそうにない。
たぶんわたし、今、しかめ面だと思う。
しかし、なぜかそれ以上に粋連がしかめ面だった。
「な、なによ」
「外身は何も問題ないんですが」
「なによ」
「……偏差値、大丈夫ですか?」
「……鈴木さんなんてあのかわいい彼女さんにふられちゃえばいいのに」
「あれは彼女とかそういう関係じゃないですよ斉藤さん」
「彼女じゃない人に家にアイス置かせてるんですかーふっしだらあー。八香が聞いたら泣きますよ」
「は?」
「ご親切に。お仕事頑張ってください。鈴木さん」
返事を聞かずに、私は電車を降りた。待ってたらドア閉まるし。
口をぱくぱくさせた粋連を乗せて電車は行ってしまった。
いつもすました顔をしてるから、なかなか珍しい物を見たわ。
さて、もう一本乗り換えたら最寄り駅。一回行ってるからあとは安心。
※※※※※※※
「…………」
粋連の言いたいことは、わ、わかっています。
妖狐が成長と共に習得していくものは人間と大きく違うから、同年代の人間と同じくらい人間の世界の知識があるかと言えばノー、なのよ。大抵は。
でも、わたしの、が、学力に合わせた学校とか、多分、やばい学校なのよ。
窓ガラスとか割っちゃうヤンキーがいる系っていうか……。
さすがに最近はそういうのないのかしら。
ともかく、人間のふりをする修行の場としてはいきなり難易度高すぎっていうか。
良識をもっていて、基本的に善の心を持ってそうな子が通ってそうで、家から通いやすくて、あと色々ごにょごにょして編入するけど、学費は納めないとねってことで両親に負担書けないように公立でっていう条件にあてはまる学校はここが一番だったの。
別に勉強しに行くわけじゃないし。
人間のふりを上達させるために行くから勉強そんなに関係ないしー。
「わからない事があったらなんでも聞いて頂戴ね」
あ、こんな色々にふけっている場合ではない。
すでにわたしは教室にいるのだ。
自己紹介の場面だ。
テレビで見たことがある。
黒板の前に立つわたし。こういうシーンの当事者になるとは思わなかった。
教室中の視線がわたしに集まっている。クラスの男女比は半々くらいかしら。
「さ、さ斉藤やよいです。よろしくお願いします」
さいとうさざんかって、さが多すぎるし、山茶花、好きじゃないのよね。
花はともかく字から響きから強そう。すごい強そう。
ふつう名前につけないし。なので名前も偽名です。ちなみに三月生まれだからー。
拍手されて、迎え入れられてる。多分歓迎されてる。とりあえず第一関門クリア。
「斉藤さんの席……あら、どっちだったかしら」
「よーちゃん、前、前」
教室には空席が二つあった。窓際の後ろと、廊下に一番近い列の前から二番目。
「あ、そうだった。斉藤さんそこの席に―――」
担任の先生の声といい勝負の大きさの、足音が聞こえてきた。わりとどんくさい足音だと思う。
ばたばた響いて、なんとなく予想していたが予想通りにこの教室の前で止まって、扉が勢いよく開いた。
「すいません、遅刻しました」
現れたのは女子生徒だった。髪が長い。
クラスの男子の何人かが、そちらを熱心に見ている。かわいいからだろう。
走ってきたせいで頬は真っ赤で、困ったように笑いながら窓側の席に向かう。
慣れた様子で鞄とかを机の横にかけたりしてる。
「珍しいね、日向。具合悪いの」
「いえ、なんか、あの、寝坊……」
先生の問いかけに応えながら顔を上げた日向と呼ばれた女子生徒の言葉が止まった。
なんか見られている気がする。
気がする。なのは、わたしが視線をそらして時間割表とか見ているからだ。
違います。
その人じゃないです。
さすがにそんな若作りは恥ずかしいと思います。わきまえてます。
でも別に今後の学校生活でこの人と会話する予定は今後ないから、これはする予定のない弁解だ。