状況が変わったらしいので上京してみたという事情のある次女、甘やかされて生きて来たので当然自重せず(3)
「大丈夫?一人で帰れる?」
「大丈夫です。子供じゃないんですから」
「金曜はめんどくさい人が多いから、それでも気を付けて帰ってね」
「わかりました。あの……また遊びに来ても、迷惑じゃないですか?」
「美人が来ると売り上げ上がるからのー、破産しない程度にまたおいでー」
「ありがとうございます。ごちそうさまでした。また」
足をそろえて、しゃんと立って、きれいにお辞儀をして、ほんのり微笑んで。
よし、大人の女の人っぽくできた。皆にこにこしてるから変じゃない。はず。
手を振ってくる神様にはどう対応したらいいのかしら。振り返すと失礼よね。多分。
あたりさわりのない笑顔で会釈をしながら、お店を後にする。
出口の扉でもう一度店内を振り返る。わたしの好きな人はわたしの事を見ていた。
今まで見られていたのであろう背中が、時間差でじりじりと熱くなる。
「おやすみなさい、山茶花ちゃん」
「お、おやすみなさい、椿さん」
「椿だけかの」
「あ、え、そうですよね、おやす……神様ってお休みになられるんですか?」
お店の中がどっと沸いた。あ、変なこと言ってしまったのね。どうしよう。
「大人げないなー。このひとたちめんどくさいから、ほっといていいから。またね、山茶花ちゃん」
「あ、はい、また」
笑い声に押し出されるように、お店を完全に出る。
扉が完全に閉まると、お店の中の喧噪は嘘みたいにどこにもなくなった。
ひどく静か。
そこそこぞっとするほどに。
「……帰ろ」
トンネルを抜けてまた扉をくぐって、駅に出て改札に入って、ああこうなってるのね。
地下から地上に登って京浜東北と山手線の……さっきとホームが違うことにホーム上がってから気づいたので、正しいホームに登り直す。なるほど駅は酔っぱらってるひとでいっぱいだった。
もう夜の8時。長居してしまった。
久々に顔が見られてうれしくて、話すとやっぱり楽しくて、「そろそろ帰ります」がなかなか言い出せなかった。遠慮ない子だと思われちゃったかな。
ちょっと落ち込んだけど、すぐ「まいっか」になった。わりと楽天的なわたしです。
くわえて今お酒入ってるからふわふわだしー。
「ふふふ」
ふわふわと浮いてきた愉快な気持ちが勝手に漏れ出てしまった。
いけない。一人で笑ってたら変な人。と、自らを戒めるためにつり革をぎゅって握る。
「お姉さん楽しそうだね」
「普通です」
「これから飲みに行こうよ」
「もう十分です」
「じゃ、送ってくよ。危ないし」
「お気遣いありがとうございます」
酔ってる男の人に話しかけられて正直面倒くさい。
そう。油断してると話しかけられるから気を付けろって姉に言われていたんだった。
こういうことなのね。
なるほど確かにめんどくさいと納得しつつ、あんまり邪険にすると逆上されそうでめんどうだけど、微笑むと勝機ありと判断されてさらに寄って来られたりしそう。
「ねえどこ住みー?」
「ここなんで」
とだけ言い捨てて、ドアが閉まる瞬間に電車から降りた。
髪が挟まるか挟まらないかくらいのギリギリのタイミングで降りたので、話しかけてきた人は追ってこない。
撒くの完了。
達成感と疲労感でちょっとおもかるな身体で、秋葉原駅の改札を出る。
実演販売の人、こんな時間にいる。酔っぱらって判断力がふやふやになった人が買っていくのかしら。
あの穴が開いててキュウリがくっつかないという包丁はとても気になるけど、ものを増やしたら怒られるので買いませーん。
さて、家路家路。
「お姉さんもう一軒飲みに」
「行きません」
「あのー夜のお仕事に興味とか」
「ありません」
「すいません手相の勉強してるんですけど」
「手相ないんですいません」
「えっ」
実体のてのひら肉球だもーん。
猫みたいにもっとぷにぷにしてたらかわいいのに。なんか硬いのね。あれ気に入らない。
なんか今日はよく話しかけられる。皆気が大きくなっているのかしら。
わたしに隙があるのかしら。
「…………」
なんでもないなんでもない。帰る。
かかとを鳴らして、まとわりつく考えを振り切って家路を急ぐ。
速足で歩き始めたら話しかけられなくなった。
帰ったらお風呂お湯ためてからお水飲んでもう夜だから洗濯機回せないけど起きてすぐ回せるように色柄物とか服分けてネットに入れてってしてー。
そんなことを考えていたらあっという間に家だった。
駅近だからあたりまえだけどー。
ポケットから鍵を取り出して、差し込んで回したところ手ごたえがなかった。
「あれ」
戸締りはしたはず。ノブを回してちゃんと閉まってるか確認もしたもの。
「まさか」
なんで開いてるのかの予想がというかそれ以外考えられないんだけど、そうじゃなかったら犯罪的なことなんだけど、でもだって……
「えー……」
どうしよ。家に入りたくない。
犯罪的だった方がまだましだけど、多分違う。
このあと起こることを想像してわたしのふわふわは急降下どころか地底にどーんして地獄までつきぬけちゃう感じなんだけど、廊下寒いし、遅くなればなるほど状況は悪化するから、意を決して扉をあけた。
静かに、静かに。
キッチンの電気がついている。
「ああ」
出かけたのはお昼すぎだったから電気は絶対ついてなかったの。
部屋に入るまでは固焼きおせんべいくらいに固まっていた確信が、今、鋼に変わった。
「おかえり」
「ひぃぃい!」
背後から声をかけられるまでに何も気配を感じなかったのはわたしの修行不足じゃなくて、この人の方が上手だからなんだからね。普通ならちゃんと気づくから。
おそるおそる振り返ると、予想通りの人がそこにいた。
身長はわたしよりちょっと高い。
顔は母様のおばあちゃんに似ているらしい。
まつ毛の量が多いのが羨ましい。あ、人に化けている時の話ね。
狐状態だと母様にうりふたつ。
年のころは今のわたしとあまり変わらないように見えるけどわたしとの年齢差はもうお母さんというか世間的にはひいおばあちゃんくらいの年の、わたしの姉の小手毬が、仁王立ちで廊下に立っていた。
仁王が子猫ちゃんに見える迫力で立っている。
「お、おねえちゃ」
「これから何を言われるかわかってると思うけど、それをわかってる上で言うけどずいぶん、のびのびやってたみたいね?」
わたしも今年で21歳。
一人で生計を立てて独り立ちとかしてみたいお年頃なんだけど、心配性の両親(特に父)の反対にあって、とりあえずお試しで、人間社会に馴染む練習を監督付きで始めることになったのだ。今年から。
姉がその監督。
そしてここは姉の部屋。今のところ間借りしている。今風に言えばルームシェア?
几帳面でしゃきっとしている姉の部屋はいつも片付いてきれいなのだが、今は、まあ、そうね、百人いれば百人が「乱雑」と表現される部屋になっている。
「だだだだ、だって、帰ってくるの明後日って」
「予定が早まったの。なんでどうして三日部屋を開けただけでこうなるの。ごみ屋敷じゃないの!ニュースでやってる!」
「そんなにひどくないでしょ!今日帰ってきてやるつもりだったの。一気にがってやりたいタイプなの!」
「術で?あのね、あれよ。何人か術使ってる気配がわかる妖狐がこの建物にいるから、術使って部屋なんかかたづけたらばれるんだからね。別に使ってもいいけど、「術使わないと部屋も片づけられないズボラ女狐」とかこっそり思われたり言われるの嫌だったら自力で頑張るしかないんだからね」
「わかってるわよ。もう本当そういうくどくどうるさい所母様そっくり!」
「やめてよ!それは嫌!まあ、じゃあ、片づけて―――で、課題はどれくらい進んだの。見せて」
「うっ」
人間社会に馴染む訓練をするにあたって、その訓練の準備段階として姉に課題をいくつもいくつもいくつもいくつもやらされていて正直うんざりしていて、出かけるっていうから解放されると思ってうきうきしてたら、留守中の分もしっかり用意されていて今姉が見せろっていっているのはその分なのだけど、ばっちり全部やってない。
答え写せばいいかって、思って、それも明日やろうと思っていて……。だから……
「だ、だいたい早く帰るなら連絡くらい入れてよね。晩御飯の用意だってあるし」
「あんたはあたしの嫁か。済ませて来たからご心配なく。そっちも――済んでるみたいで」
舐めつけるように姉はわたしを見る。
二階の姉にご執心なあのひと名前なんだったっけまあいいや。が、「嫌われたくないけどあの冷たい瞳で眺めてもらうのたまらない!」って言ってた、今その状態だと思うんだけど変わってくれないかしら。
無理よね。そう、無理よ。
「そうだけど。だって自分一人のために作るのめんどくさいし」
「お酒くさい」
「何か問題ある?」
「別に……信玄餅買ってきたけど、食べる?」
「食べる。お、お、お茶煎れるね」
とりあえず、ごまかせた。ため息をつくとばれるから心の中でだけついて、わたしはキッチンへ向かう。