超普通の日常パート・ちゅー編/椿
お店に住み込みの時は余りものつまんだりしてよかったので、ほぼ食費ゼロだったんですよね。
一人暮らしを始めたらドカッとかかるんだろうなあと覚悟していたのですが、覚悟は空振り気味です。
僕の一人暮らしを聞きつけた神様たちが地元の野菜とか差し入れて下さるようになって、一人でさばききれないのでお裾分けを小春さんの家とか大家さんにしていたら「これ持っていきなさい」とか言われて別のもの渡されてしまって、物々交換が成立してしまっています。
という訳で今日のけんちん汁は鶏肉しか買ったものがありません。あとはただ。
お米も大家さんからのおすそわけです。ただ。
朝ごはんのおかずは小春さんが家から持ってきてくださるので、ただ。
出勤前に軽くお昼食べますけど、多めに作った汁物くらいで十分ですし、夕飯はまかないがありますので、ただ。
むしろセンセイとか常連さんが遠慮してくださっているのか飲みに誘ってくれることが減ったので、食費は下がったのかもしれません。
まあ光熱費とかかかりますけど、都市ガスですし。小手毬ちゃんのところはプロパンだから自炊が躊躇われるんですって。
「椿さん、おいしくなかったですか?」
「あ、いえ、おいしいです、おいしくて大変に」
すごくどうでもいいことを考えていたせいで朝ごはんを食べるのを怠ってしまいました。
卵焼きをくわえたままでした。なんと行儀の悪い。
咀嚼して飲み込んで、作ってくれた方に笑顔を向けます。
ほっとしたように僕に向かって微笑んでくれる僕の恋人、小春さんの笑顔、プライスレスです。
いやただって事じゃなくて、現代の貨幣価値に換算すると高額になってお金払えないからあえてスルーっていうか、そういう意味です。
「そういえばあのあと、粋連さんと会います?大丈夫ですか」
「お見かけしないです、大丈夫です。なんか、わざわざ、すみません」
「そういえば小春さん、ちょっと遅くて学校大丈夫なんですか?」
「なんか、無駄に早く行ってたので、全然大丈夫なんです。本当はもっと椿さんと一緒にいたかったんですけど、いつも言うタイミング逃しちゃって……」
恥じらいながらの微笑みマジプライスレスです。
「あ、椿さん湯呑下さい」
「あ、そんな、すいません」
「いえいえ私も喉乾いちゃったんで」
お茶のお代わりをつぎにコンロの方へ向かうその華奢な後姿を見送ります。
ワイシャツにリボン、紺のワンピースは膝丈という清楚な制服。
今は動きにくいので紺のブレザーの代わりに僕のカーディガンを腕まくりして羽織っています。
それだけでもかわいいのに、さらにふりふりめのエプロンを着用しているという……。
もうこれRPGでいう所のラスボス戦前にダンジョンで宝箱開きながら揃えた最強装備だと思うんですよね。
制服は学生さんだから着用していて、エプロンは汚れないためにしているので、全てが当たり前なのですが相当罪深い。
後ろから抱きしめたい。しないけど。
さっき散々しましたし。
発情期特有の、小春さんを目にした瞬間に理性が吹っ飛び「そうだ、押し倒そう。なぜ今までやらなかったんだろう」という決心がいきなり現れ身体が動いてしまう現象はおかげさまで一月中旬あたりから完全におさまりました。もう二人きりでも大丈夫。
今はもう作業が一工程終わるごとに淡い願望がふっと湧いて消えていくくらいです。
そうですね。具体的な例といたしましては「注文を受けてビールを提供する」という作業が発生するとします。
その際に、まず水と氷が張ってあるシンクに手を突っ込んでつけてあるジョッキを引き上げながら
「手が冷たいから小春さんの太ももであっためてほしいな」
と願い、次にビアサーバーにグラスをセットしてレバーを手前に引きながら
「引き寄せたいのはあの細くてきれいな首なんですよね」
とか思いながら七分目までビールを注ぎ、泡を出すためにサーバーのレバーを押しながら
「あーあ、全然関係ないけど小春さんを揉みしだきたい」
などとよからぬことを思いながらグラスの淵まで泡を注ぎ続ける。
そしてジョッキをにこやかに提供。
みたいな感じで、誰にも迷惑が掛からないレベルまで落ち着いてきました。
無論表情には下心は出ていません。
謀りごとを隠すために、元来狐はポーカーフェイス得意ですから。
狸とかはもうダダ漏れなんですけどね。本当あの狸達、恥を知った方がいいです。
まあ都会でてから見かけないから全然いいんですけど。
そんなわけで現在小春さんを目の前にしても、頭の中はもう本当、袋とじが「参りました、未熟でした」って自らを瞬間接着剤で封印しなおすレベルでいやらしいことを考えている僕ですが、表面上は平静を装って小春さんと一緒にいられるようになりました。
イエーイです。
しかし寝起きが、ちょっと怪しい。
打率三割くらいで怪しい。ちょっとがうがうしちゃうんですよね。
頭はなんとなく起きてて、やばい所で止められるんですがどうも口から本音駄々漏れちゃうっていうか。
最後まで行かないにしても危ないから、目覚ましかけて自分で起きるから起こさないでいいですよって小春さんに言っているのですがなんだかんだ起こしに来てくれてしまいます。
それはつまり小春さんも乗り気っていうか乗ら……いけません。ストップ都合のいい妄想。
今朝もがうがうしてしまいました。
完全に押し倒して太ももを撫でまわしてしまった。しかも裏ももを。やわらかくてすべすべで、そこにお目覚めのちゅーにしては過激な感じのちゅー付き……。
世の中の男の願望ロイヤルストレートフラッシュみたいな状況でした。
おそらく僕は毎日浦島太郎さんよりいい目に合っているに違いありません。
恥じらいを糊に固く閉ざされた膝をこじ開けて色々押し入りゴー……いけねクッソくだらないことを思いついてしまいました。本当、しょうもない人たちとつ……あー!もう本当どうしようもねえ僕。
もう、もう考えない。
「椿さん、大丈夫ですか?」
「あ、あ、すいません。考え事をしていただけなんです。何でもないです」
テーブル越しに僕を心配そうにのぞき込む小春さんの心配を慌てて晴らします。
入れてもらったお茶を飲んだりごはん食べたり。
あとなんか無難な話題えーとえーと。
「……さ、最近学校どうですか?平常運転ですか?」
「テストが億劫なだけです。あ、でも転校生が来週来るんですって」
「へー。この時期に。もうちょっとで二年生なのに。転勤とかも年度変わるのに合わせたりしそうなのに。辞令は出て……引っ越しはもう決まってるんでしょうが」
「そういうものなんですか?」
「そうみたいですよ。小春さんのお父さんの方がお詳しいと思いますが」
「……ちょっとでも早く学校になじみたい、とかなんですかねえ」
「あー。なんか大変なんですねえ人間社会。女の子か男の子かもうわかってるんですか?」
「女の子みたいですよ」
「へー」
そんな話をしながら朝食を食べ終わり、二人で手分けしながら器を流しへ運びます。
小春さんは朝うちに来て僕が起きる前にご飯と汁物を温めておいてくれるので、お皿洗いは僕の仕事です。
その間に彼女は洗面所で歯磨きとか身支度とか。
うちに置き歯ブラシが置いてあります。もちろん同じメーカーの色違いです。
小春さんのはピンクの歯ブラシ。
あ、誓って口に含んだりしたことはありません。
神に誓って。
知ってる神には誓いたくないのでなんかあの、一番世界的に有名な、僕は見たことのない神様に誓う事にします。
あの人も実在するんでしょうか。謎です。
そんな事を考えながら洗い物をしていたら支度を終えた小春さんが戻ってきました。
色々脱いでブレザーを着たその姿は、どこからどう見ても超絶かわいい女学生さんです。
このあと小春さんはおかず持ってきてくれた時のタッパーをお家に返しながら、出来上がったお弁当を受け取り登校という流れなのですがここを出なくてはいけない時間まであと15分ほどあります。
粋連さんとのバッティングを避けたおかげで出来た15分。
有効活用させていただいています。
嬉しいやら気を引き締めないといけないやら。
とりあえずタッパーの水気を拭き取って、忘れないように玄関先の小春さんの鞄の中に入れて、キッチンに置いてある目覚まし時計がちゃんと目的の時間に設定されているか確認をして。準備完了です。
あ、忘れてた。
玄関先に置いてあるアイマスクを装着して、よし、何も見えない。これで準備万端です。
「お待たせしました」
たぶん小春さんから見るとアイマスクをつけた人が薄ら笑いを浮かべてつったっているという相当怪しい状況なのですが、申し訳ないのですがこうするしかないのです。
いつも通りに、小春さんが僕の腕の中にやってきました。見えませんが。
玄関先で行ってきますの、朝の抱擁タイムです。
自制できているとはいえ、長時間はやっぱりまだ危ないのでなかなかくっついてはいられないのですが、今は時間制限があるので。
そして念には念を入れてアイマスクで視覚を遮断。
目を閉じても我慢できなくて見ちゃいますからね。絶対。
「椿さん、もっとぎゅってしてほしいです」
「制服、皺になっちゃいますから」
「…………」
魅力的なおねだりなのですが、それだけじゃなくておさまりがつかなくなるので申し訳ありません。小春さん。
終わったら二時間でも三時間でも抱きしめますので。
無言だともうしょうもない事を考えてしまうのでなにか会話を探さないと。
「……そういえば、女の子でよかったです」
「え?」
「転校生。格好いい男の子だったりしたら、ちょっと妬きます」
「…………椿さんより格好いい人はこの世のどこにもいません」
「……それは言いすぎかと」
「私にはそうなんです」
小春さんは怒ったような口調です
。そうして、今は僕に身体を預けてくれている状態なのですが、身動きして、僕の背中に腕をまわしてぎゅっとしがみついてきます。
「……これならしわになりませんから」
このかわいい台詞をどんな表情で言っているのでしょう。見られないのが口惜しい。
思い切り抱きしめたいのをこらえて、そっと、に留まります。
それにしても前々から思っていたのですが今朝確信しました。
スカートって危ないですよね。
この布の向こう、生足なんですよ。すぐそこに、あのやわらかいすべすべが。
さっと後ろに回り込んでぺらっとめくったらもう触れる状況に生足が。
人間の男性って万年発情期なんでしょう?心配なので小春さん制服の下にジャージ履いてくれないでしょうか。ギャルギャルしい女の子がたまにやっていらっしゃる感じで。
心配です。
僕が上等の妖狐だったら小春さんに触った男もれなく死ぬみたいな術もかけられるかもしれないのに。
そんな無力感ともう一回揉みしだきたいという下心にさいなまれていたら目覚まし時計の音が鳴りました。15分は長いようであっという間です。
身体を離して、アイマスクを取って小春さんをお見送りして、朝のひと時は終了です。
の、はずだったのですが。
小春さんと出会ってから何回目かは嬉しいことにもうわかりませんが、本日二回目、何度目でも、これからも変わらずとびきりやわらかく気持ちいい感触が僕の唇に当たりました。
驚いてアイマスクを外すと、上目遣いの小春さんがいらっしゃいました。
今のはいつもの流れにないのです。
「……いってきますのちゅー、を、今後追加することを要求したい、です」
「……あ、はい」
「よろしくおねがいします」
「こちらこそ」
固まっている僕をよそに小春さんは春先取り、満開の笑顔で「いってきます」と頭を下げ、コートと鞄をひっつかんであっという間に部屋を出て行きました。
いつももうちょっとぐだぐだしてから行くのに。
恥ずかしかったんでしょうか。