5歳の朝のこと
午後の日比谷公園。
鶴の噴水周辺は開き始めた桜が風に揺れ、優しい色のさざなみを形作っていた。
それを眺めるために設えられたかのような長椅子に腰掛ける二つの影。
ひとりは少女。
一つに結んだ黒髪に意志の強そうな瞳。まだ10代半ばであろうか。
もうひとりは青年。
色素の薄い髪と瞳。少なくとも20歳を超えている。
少女は珊瑚色の唇を固く結び、膝の上の手で拳を作ってからその唇を開いた。
「私の名前、日向小春です。よろしければあなたのお名前を、教えて下さい」
【1983年】
おかあさんはわたしをぶちます いつも怒っています
でもその日はおかあさんがとても 優しかったのをおぼえています
「おでかけしましょう」と言われて車にのりました
道路の真ん中にある 大きな駐車場で降りました
「かくれんぼ しよう?」
と、おかあさんはいいました 遊んでもらえる とってもうれしかったです
鬼は おかあさんではない人がなるそうです
「そのひとにみつかると いえにかえれなくなってしまうからしっかりかくれて」
と いわれました
とっても こわかったので がんばってかくれました
お腹がすきましたが がまんしました
木がいっぱい生えているところの地面とのすきまにかくれました
ここならきっと見つからない
夜になっても おかあさんはきませんでした
こわかったのですが 鬼はもっとこわかったので かくれていました
もういちど夜がきて 朝がきました さむくてさむくて真っ暗になりました
明るくて あたたかい
そう おもったら車のなかにいました
うちの車ではありません となりには知らないおにいさんがいます
鬼です 見つかってしまいました 家にはもうかえれません
かなしくてかなしくて たくさん泣いてしまいました
おにいさんは あわててわたしの頭をなでてくれました
「おとうさんかおかあさんはどんなひとですか?さがしてあげます」
かくれんぼのことをはなしたら おにいさんはとてもこわい顔になりました
やっぱり鬼です
また泣いてしまいました
おにいさんはまた頭をなでてくれました
「とりあえず、おなかすきませんか?」
そういって パンをくれました
おいしくてぺろりとたべてしまいました
おにいさんは車をでていってしまい かえってきたらおにぎりとスープをくれました おいしかったです
おなかがいっぱいになったらねむくなってしまって そのままねてしまいました
おきたらしらない部屋にいました
そばにはおにいさんがいてくれて
「おなかすいてませんか?」
と またきかれて だいじょうぶです とこたえたらお風呂につれていってくれました
ぶたれたきずに石鹸がしみて あばれてしまいました
おにいさんの服がびしょびしょになってしまいましたが 怒られませんでした
おにいさんの服をきせてもらいました
わたしより大きくて ドレスみたい
くるくるまわるとふわりとひろがります それをみて おにいさんはわらっていました
「とりあえず きょうはここでねて下さい」
電気をけして暗くなった部屋にひとり
かくれんぼをおもいだしました
こわくなっておおきな声で泣きました
おにいさんはすぐとんできてくれて 頭をなでてくれます
とてもきもちがよくて ぐっすりねむれました
きがついたら部屋にひとりでいて おまわりさんがやってきました
おうちにかえってしばらくはおかあさんはやさしかったのですが
また ぶたれました
でもわたしがいけないそうなので しかたがありません
そういえば あのおにいさんは だれだったのでしょう?