出産
それは、鈴と僕の間の照れがさすがに薄まったころの、平和すぎる午後。時間が空いた僕は鈴と雑談をしていると、杷木がノックをして入ってきた。その表情はものすごく緊迫していたため、僕が場を外そうとしていると、彼が止めた。彼は膝まづき、鈴に、申し上げます、と叫んだ。
「………俺の子供が産まれました」
小さいがしっかりした声、僕は思わず笑った。何事かと思えば、そんなおめでたいことか。まさか杷木が妊娠しないだろうから、杷木の奥さんだろう。ていうか結婚してたのか言えよ―、男の子、女の子どっちー?なんて、にこにこにやにや聞ける雰囲気ではとてもなかった。
杷木の向かいには、そのことを喜ぶ少女など存在していなかった。出会ったばかり、いやそれ以上、絶対零度に怒りまくっている鈴がそこにいた。
「母親と子供をここに連れてこい!貴様の目の前で八つ裂きにしてくれる!!」
お前はどこの悪い魔女か、そうだった、鈴は杷木兄が大好きなのだ。その妻と子供となれば嫉妬もしよう、あらぶる鈴を杷木が押さえつける。鍛え上げた彼の肉体が吹っ飛びそうなほど、鈴の怒りは滾っている。すごい魔力、国が飛びそうだ。
「千!」
「はい!」
「お前に一生の頼みがある!妻と子供を頼む!」
「えー!?」
とんでもない依頼もあったもんだ、驚く僕の向かいで、あらぶる鈴をおさえつける杷木は色んな意味で泣きそうであった。
「頼む!!」
「…はい!!」
僕は走り出した。杷木兄の奥さんと子供を、鈴に殺させるわけにはいかない。僕の頭にに、さんぱつ壺が飛んできたが痛くなかった。うそ、ちょっと泣きそうになった。
僕は全速力で走った。杷木の愛の巣は、そもそも奥さんは誰なのか、僕は知っていた。聞いていないのに、知っていた。分かっていた。それはもう聞いたことのように確信していた。
『彼女』に聞いた、国内で絶対に近づいてはいけない場所、人斬りじじいの屋敷よりも近づいてはいけない場所、僕はノックもせずに扉を開け放った。慣れた剣さばきが飛びこんでくる。が、『彼女』は僕を見ると、剣を落とした。
「…っ、千殿…」
「麗衣さん!」
やっぱり、彼女か。彼女でよかった。僕の顔を見てほっと泣き笑う彼女は、最後に見たときより少し疲れていたが、とんでもなく優しい顔になっていた。鎧を着ていないからちょっと目のやり場に困る、ふと、奥から泣き声が聞こえた。赤ん坊だ。僕は顔を覗きこんだ。
「…っ、ふああああああああああああ」
最高に気持ち悪い声出した自覚がある。僕は自分でも驚いていた。可愛い。なんだこれ。赤ん坊ってこんなに可愛かったっけ。可愛すぎてなんか泣きそう。大好きな2人の子供だからかな。
「か、可愛い!可愛い!!麗衣さんそっくり、女の子だよね?」
「ふふ、ありがとうございます…そうです、女の子です。抱いてあげてください」
「い、いや、ちょっと怖いなあ」
ずががががががが!!!
和やかなムードが、すごい地響きで終わりを告げる。麗衣が赤子を抱き、僕が2人をかばうようにして立つ。杷木が、それとも城総出で頑張ってるのか分からなかったが、鈴はまだ遠くにいる。だが、すぐにやってくるだろう。
「せ、千殿、申し訳ございません。私が、隊長をお慕いしたばっかりに」
「麗衣さんに迫られて結婚しない男はいないよ…大丈夫。僕が守る」
我ながら噛まずに言えた。恩師とその子供だ、命にかけて、いや、かけない。麗衣にそんなこと教わらない。鈴だって、本気で殺そうとしてるわけじゃ―
ばあん!!
「………千?」
ない、と思う、多分。
後ろで赤子が盛大に泣く。無理もない、僕だって今にも泣きそうだ。扉を蹴破ってきたその人は、とても鈴とは思えなかった。気のせいか、後ろに魑魅魍魎が見える。杷木が生きてますように。城が吹っ飛んでませんように。
「赤子を渡せ」
「駄目です、鈴様。お祝いして下さい。大好きな杷木兄の子供です」
「祝えるか、そんな忌々しいものを!子供なんて汚らわしい!杷木は!杷木は!そんなこと、するやつじゃ」
うわ、ガチだ、ほんとに杷木大好きだこの子。そして何で傷ついてんの僕。しっかりして。お願いだからしっかりして。母子を守るんだろ。
泣きそうなのをどうにか耐えて立っていると、後ろの麗衣と目が合うと、鈴の怒りは更に増した。
「よりによって貴様か!!」
「も、申し訳ございませ」
「麗衣さん!謝らなくていい!鈴様、認めて下さい!ほら!こんなに可愛いんですよ!」
正直。こんな状態の鈴に勝てる気はしなかった。だから僕は最低な最悪な手段を取った。赤子の顔を、鈴に無理やり見せた。ずっとその顔を見ようとしない鈴に気付いたからだ。
「…馬鹿者…っ…こんな…こんな…可愛いわけ…可愛いわけ…」
彼女は知っていたのだ。顔を見れば、絶対に愛しさが増すこと。大好きな杷木の、愛娘。彼女はそれを憎むほど悪い子ではない。大泣きしてへたりこんだ鈴と、もらいなきしてる麗衣とその子供を、よろよろやってきた杷木がまとめて抱きしめた。思い出したように、僕も。狭かったけど、幸せだった。泣きそうなくらい。
泣きやんだ鈴は、(無事だった)城に籠ってしまった。さすがに心配していたが、行商人に子供服やら食べ物やら必要以上に発注していたので安心した。早くもお姉ちゃん気分のようだ。
そして僕もまた。最高に気持ち悪いお兄ちゃん気分だった。
「べろべろべろ!ばあああ」
僕がこれでもかとあやすが、産まれたばかりの赤子はわけもわからず、それでも僕をじーっと見てくれている。僕はそれだけで満足だった。可愛すぎる。
「千殿、お茶が」
「あ、ありがとう」
くすくす笑う麗衣の向かいで、僕はさすがに恥ずかしくなった。
「そんなに笑わなくても」
「すいません私…嬉しいんです。祝福してもらえるなんて思ってなかったから」
うん、まあ、恋敵が国のトップだもんな。美味しいお茶をいただきながら、僕はそわそわ家の中を見渡した。可愛らしくふわふわしたおうち、うん、イエス新婚家庭。
「それにしてもびっくりしたよ、麗衣さんが杷木兄と結婚してたなんて」
「…そ、そうですよね」
「おまけに妊娠してたなんて。ごめんね、知ってれば、僕も、あんなに特訓なんて」
「………っ」
いきなり麗衣がわっと泣き出し、僕は慌てた。ティッシュを取ってきたり、お母さんの泣き声に驚いてつられて泣いた赤子をあやしたりしてる間に、麗衣が口を開いてくれた。
それから、麗衣はぽつりぽつりと話してくれた。
城にやってきたとき、麗衣はまだ14。僕と同じだ。右も左も分からない彼女に、一から教えてくれたのが杷木。剣と魔法だけの人生を歩んできた彼女にとって、杷木は王子様のようだったという。うん無理もない。今も格好いいが、若いときはそりゃあ王子様だったんだろう。
16になったとき、杷木に勢い余って告白してみたが、お前は妹のようなものだし俺はまだ半人前だから、とテンプレートのような断り方をされた。杷木はもてた。自分以外にも杷木へ求愛する者はいたが、答えは一緒だった。麗衣は焦っていた。杷木はどう見ても身を固めるタイプではないし、何より、国の王女様が彼を特別視しているのを悟ったからだ。
それでも、杷木の敬愛するものを、麗衣も敬愛した。体も鍛えた。男と負けないくらいの魔剣士に育った。杷木もいい年になり、自分も嫁の話が舞い込んできたあたりから、麗衣は再び杷木に求愛した。しかし、また同じ答えで断られた。これでは何年経っても変わらないだろう。
国の一大事が起こってからは、ますます杷木との時間がなくなってしまった。彼は王女にかかりきりで、それがやっと解決してからも、それこそ自分の命以上に鈴を大事にしていた。更に輪をかけて僕の登場だ、自分にはちっとも構ってくれないため、怒りと嫉妬と最高潮になったという。こういうところを包み隠さないところが、僕は好きだ。
もういよいよ辛抱たまらなくなった麗衣は、杷木に夜這いを試みた。このあたりは割愛する、というか僕が止めた。杷木も最初は驚き止めなさいと怒っていたが、後は、まあ、うん、彼も男だし。相手は麗衣だし。
なんだかんだで妊娠した。このあたりは麗衣の計算だったという。女は怖い、そして強い。
麗衣はこれをネタに、彼に結婚を迫ろうとした。しかし、彼は、妊娠を知る前に、彼女に結婚を申し出た。手を出した責任を取らせてほしいと。
彼女は涙ぐんで喜び、妊娠を告げると、杷木は踊るように喜んでくれた。もう麗衣は杷木にメロメロ、彼のためなら雨中のぼろ雑巾になってもいいという。このあたりの気持ちはちょっと分からなかった。
以上が、彼女のちょっとえっちで怖いサクセスストーリーだ。
「千殿も女には気をつけて下さいね」
「いや、だって無理だよ。麗衣さんみたいなのに迫られたらさあ」
「今回のことで、王女が要らぬ知恵をつけてしまったかもしれませんよ」
「気をつけます!!」
とりあえず、寝室の鍵は閉めよう。一人部屋で寝ないようにしよう。僕が焦ってしっかり返事すると、赤子が笑ってくれた気がした。ああ可愛い。
「可愛いなあ、可愛いなあ。そうだ、名前、何ていうの?」
「ああ、そのことなら…隊長と話しあって決めたんですが、名前は千殿につけていただこうかと」
「………え!?」
僕がさすがに驚くと、麗衣はまたとんでもなく綺麗に笑っていた。本当に子供一人産んだんだろうか、杷木ももちろん守るだろうが、僕も守らないとだ。
「私たちの恩人ですから」
「いや、そんな、僕は大したことしてないし」
「お願いします。正直言うと、私たちでは決められないでいるんです」
「ええ…」
そういうことなら、僕は彼女を覗きこんだ。杷木と麗衣の漢字を取ろうと思ったが、いまいちピンとこない。だからといって、僕の名前から取るのも恥ずかしすぎる。少し考えて、あることが浮かんできた。僕の母は、子供がもう一人欲しかったらしい。今更だが、僕の兄弟の名前にはみんな数字がついている。もし子供がもう一人いたら、女の子だったら―
「…十香」
「…とうか?」
「十の香りと書いて。気に入らないんだったら」
「………いえ。いい名前です。ありがとうございます、ありがとうございます」
十香、と嬉しそうに名前を呼びながら彼女が赤子を抱きしめる。僕はまた泣きそうだった。恥ずかしい話だが、実の母に会いたくなってしまった。
「千殿、いい加減抱いてあげてください」
「い、いいって。怖いから」
「大丈夫です。私が下からお支えしてます」
「うーん、うーん、それなら」
怖い、腕がめっちゃ震える。超軽い、うわあ空気か。僕がおそるおそる抱いてみる。もちろん座ってだ。腕の中にあると、じんわり、また泣きそうになってくる。これが愛しいということだろうか。やばい、お兄ちゃん気分どころか父親気分だ。
「ほら、大丈夫でした」
「うう、麗衣さん、離さないでね………っ、わあ、ほんとちっちゃいなあ、可愛いなあ…とうかちゃーん。せんげつお兄ちゃんですよー。大きくなったら、一緒におうまさん乗りましょうねー」
などと僕がやっていると、十香が返事のように手を上げてくれて、その瞬間だった。彼女の手から、業火が放たれ、僕の髪は爆発コントの直後みたいになった。
「…っ、きゃああああああ!!千殿!!!」
魔法医が帰っていき、挨拶もそこそこの麗衣が戻ってきてくれる。僕は髪をちょっと焼かれたくらいで怪我はなかった。いいというのに、麗衣が綺麗に切ってくれたし。
「本当に申し訳ございません」
「いいってば。お医者さん、なんだって?」
「それが………こんなに大きな魔力の子は見たことないって。まだ自我もないから、制御も出来ずに、また炎を勝手に作ってしまうかも…」
「…そっか」
どうしよう、どうしよう、麗衣は明らかに焦っていた。勤勉な彼女のことだ、十香を誰かに預けて自分は早く職場復帰するつもりだったのだろう。だが、十香がこんな魔力持ちでは誰も雇えない。それどころか、まともな子育ても難しいかもしれない。
「…よし。麗衣さん。僕、毎日、十香の世話をして、魔力を吸い取るよ」
「………え?」
「僕の力があれば、十香の魔力貰えるよ。そうしたら麗衣も働けるだろう?城のみんなも歓迎する。こんなに可愛いんだし」
「け、けど、それは、さすがに、ご迷惑では」
「鈴様は僕が説得するし…・それに。僕が十香に毎日会いたいだけだったりして」
照れたようにそう言うと、麗衣は泣きながら僕を抱きしめてくれた。僕は止めもせず、彼女に甘えさせてもらった。怖かったからだ。体の震えが止まらない。麗衣の妊娠、そして出産、僕自身の彼女たちへの愛情の増長、髪の伸び。もしかして時間は、僕を置き去りにかなり経過してるんじゃないかって。
そうこうしていると、元気に帰ってきた杷木に嫉妬パンチを食らった。大人げない。