『だけ』勇者
『鈴がおんもに出ました』事件は瞬く間に城内に広がり、その夜は盛大にパーティーが行われた。杷木なんて泣いていた。その姿を見て麗衣は笑いをこらえていた。いや、貴重なものを見た。
無礼講も無礼講、飲めや歌えや大騒ぎで、僕も(かなり強引に)勧められちょっとだけ飲んでしまった。苦い。大人になれば美味しくなるのだろうか。
ふらふらしたまま空気を吸いに庭に出る。外に出ても、もう、鈴は叱らない。なぜなら、僕の手を引いて庭へ出ているのは鈴だからだ。彼女は僕以上に酔っていて、にこにこ笑い、鼻歌を歌い、くるくる回りながら僕の手を引いて歩く。この世界で未成年の飲酒禁止とかはないのだろうか。彼女は王だからかな。まあ、今は、そんなことどうでもいいか。
「千」
「はい」
「もう、外へ出てもいい。ただし、また妾とときどき喧嘩してくれ。また壺を投げてしまうかもしれんし、妾は剣が下手じゃし、魔法はでかすぎて加減が出来んのじゃが…努力はするから」
「は、はい」
どうしたのだろうか、何だかしおらしい。嬉しいけど、なんだろう、女の子に使うのはちょっと申し訳ない表現だが正直ちょっと気持ち悪い。デレが急すぎて、頭がついていけない。
「じゃから」
う。
止めろ。鈴子の顔して潤んだ目で僕を見るな!
「これからも…城に住んではくれぬか」
「え…」
「ど、どうしても嫌じゃと言うなら…」
やばい、また泣きそうだ。僕は慌てた。正直、最初は鈴もこの城もうんざりだったが、今は杷木も麗衣もいて、たくさんの頼りのなる兵がいて、鈴ももちろんいて、大事な『家』になりつつある。
「鈴様、何を勘違いされたかは分かりませんが、僕はここが好きです。おまけに、他に行くところもありません。僕の方がお願いしてここにいたいくらいです」
「では…妾のことは」
「………お、慕い、してます」
ごめん、へたれで。今、絶対、耳まで赤くなってるけど。つうか僕もそこまで馬鹿じゃないよ。こんなわがまま女王様が僕に惚れてくれてるなんて思うわけないでしょ。気にいってくれてるだけだよ。
「…ふふっ」
鈴は僕の返事に満足したのか、笑顔のまま目を回して庭に大の字になって後ろから倒れた。びっくりしたが、鈴は女の子とは思えない大き口を開けたまま眠ってしまっていた。誰か呼ぼうかと思ったが止めた。僕はよっこらしょと彼女をおぶって城へと戻った。ものすごく、ものすごく馬鹿な話だが、天地がひっくりかえって鈴が僕に告白してくれたとして、僕はどうするんだろうか。断るんだろうか。断れるんだろうか。
そして、ついに、というかとうとうというか、鈴との対決がやってきた。
この日はいつもとはわけが違う。鈴が城内でおもむろに壺を投げてきて始まるわけではなく、朝ごはんを食べてすぐ、城を出て街を離れ、周りに何もない野原にまで足を伸ばしたからだ。
馬車を遠慮した僕に馬を勧められたが、当然馬に乗れるわけがない。情けなく杷木の後ろで二人乗り、そんな僕らの目の前を鈴が暴れ○坊将軍のように颯爽と駆けていった。格好いい。
野原についた鈴は、明らかにわくわくしていた。僕は魔法弾を使おうと覚悟していたし、鈴にもそれは伝わっていたのだろう。鼻息荒く興奮する鈴に、杷木がそっと近づく。
「姫様、どうか、あまり本気にならぬよう。千は壊れても直りません」
「分かっておる」
かなり恐ろしい会話は丸聞こえだったが、逃げ出すわけにもいかない。これは僕にとって家賃のようなものだ、鈴の城にいるための。だから全力で―全力で―
「はあ!!」
鈴が両手で空を仰いだ瞬間、彼女の両手いっぱいにげん○だまのような魔法が出来上がる。いつもばしばし当てられたやつよりでかい。小さくてもあれは相当痛いのに。本当にやれるのか、本当に…
いや、出来る。出来る!!
僕は利き手をかざし、集中する。しかし何も出ない、当然だ。鈴は不思議そうに、だが、遠慮なく、僕に向かって魔法をぶん投げてくる。僕は手をかざし続けた。祈るように。そしてしばらくそうしていると、あれだけ大きかった鈴の魔法が、泡のように消えていった。
鈴は驚きのあまり喉の奥で叫んでいるが、まだ驚かれるのは速い。僕が再び集中すると、僕の手から先ほど鈴が出した魔法が生まれる。少し、いやかなり大きくなって。僕はそれを叩きつけるように鈴へぶち込んだ。
「せえ、の!!」
ものすごい爆発音のあと、あ、やっちまったと思った。鈴に思い切り当ててしまった。僕が慌てて駆け寄ると、煙の中から魔法結界を咄嗟に張った彼女が見えた。良かった防いでくれた。謝ろうとした僕を、結界を解いた鈴が興奮気味に抱きしめた。
「すごい!すごいぞ千!今のは何じゃ!?何じゃ!?」
「いや…僕にも良く…」
「姫様、これですよ、これ」
そう言って杷木が得意げに出してきたのは、ある勇者の絵本だった。
この世界にも戦争の歴史はある。その中でも一番大きかったもの、その名も暗黒戦争。まだ王が一人しかいなかった時代、その王はとんでもない王で、何か気に入らないことがあれば女子供容赦なく殺した。そんな国王を殺してしまうべく国民が総出で立ちあがったが、王は権力もあったが魔力もかなりあり、城に辿りつく前に国民は王の息がかかった兵との戦争でかなり命を落とした。そんな中、一人の男が現れる。彼自身は魔法が使えなかったが、彼は魔法を吸引し、吐き出すことが出来た。国民のほとんどを犠牲にして王まで辿りついた彼は、王の絶大な魔力をその手に吸い取り、それを返すことで王を討伐した。めでたし、めでたし。という内容が、子供向けにかなり控えめに書いてある。この世界の子供ならみんな知ってる話だという。絵本にもこの魔法の名前は載ってなかった。その勇者以降、その能力者が現れなかったことから、勇者の名前がついていたらしいが、その名前が長すぎて次第に忘れられていたという。気の毒だが、過去の偉人というのはそういうものかもしれない。
「なら、千の名前をつけよう」
「おお、いいですな」
鈴と杷木が嬉しそうに盛り上がってるが、僕はいやいやいやと止めた。それはさすがに恥ずかしい。などとやっていると、ふと、杷木が真剣な顔になった。鈴も続く。
「千。お前に頼みがある」
「ん?」
「お前には、編音国の勇者になってほしい」
『な、なんだってー!?』とずっこけたかったが、空気がそれを許さなかった。杷木の表情は、どこまでも真剣だったからだ。僕は黙って聞き続ける。
「誤解をしないでほしい。戦争に参加したりしてほしいわけではない。もっと言えば、わが国は戦争をする気はない。だが、いつ何が起こるか分からない。生きてれば、何でも出来るが、その分、どんなことでも起こりうるんだ。だから、万が一、我らが姫を守れなかったとき、姫を守る勇者でいてほしい。最悪のときだけでいい」
つまり、竜を倒したり、魔王を倒したりするわけではなく、ただ、鈴のために、鈴の最大のピンチのためだけに。
「僕が出来るなら」
僕は丁重に受け取った。鈴の前だけの勇者の称号を。言われなくても鈴にもしものことがあってそのとき僕が傍にいたならもちろん守っただろうが、それを自分で考えるのと、杷木に頼まれるのとでは重みが違う。僕は自然と背筋が伸びた。
こうして僕は、最悪なときだけ勇者になった。
それから、何がどう変わったわけではない。僕はいつも通りの生活だった。『だけ』勇者の話は、鈴と杷木しか知らされてないという。これは僕の力を気持ち悪がれない配慮だと僕は勝手に自惚れていたが、僕の力が他国に万が一にでも漏れないようにしているようだ。大きな力は恐怖を生み、戦闘意欲をかきたてる。あくまでこの国は戦争をしないのだ。本当に来たのがこの国で良かったとしみじみ思う。
空いた時間、僕が剣の素ぶりしていると、後ろから低い声で笑われた。
「下手じゃのお、才能がない」
「ほ、ほっといて下さい」
兵の誰かだろうとふり返ってみたが、誰もいない、あれ、と僕が見渡すが、やっぱり誰もいない。空耳にしては、はっきり聞こえ過ぎた。
「ここじゃ、ここここ」
だからどこだ―首を回した僕は、そのまま首の骨が固まるかと思った。木に顔がある。ネズミ―の国の住人のように、木に顔がある。生きて、話しかけている。
「ぽ、ぽぷらが喋ってる!!」
「ぽぷら?わしの名前か?」
「い、いや、違います、多分。すいません、でかい木っていえばそれしか知らなくて」
400年生きてる噂の大樹、本当にいた。話してみれば恐怖も驚きもなくなったが、木の皮が寄り添うように表情のようになり、口のようになるところは、いつまで見ていても飽きなかった。
「ぽぷらか、いい名前じゃな。勇者が付けてくれたなら、そう名乗ろうかの」
「え、ほんとに…?いや、てか、僕、勇者っていっても」
あれ、知ってるのって鈴と杷木だけのはずじゃ―この爺さんには話したのかな―俺が考えこんでいると、ぽぷら爺が大声で笑った。
「わしに隠し事は無駄じゃよ。過去、頭の中、体内の怪我、今日の下着の色まで見えたり見えなかったり…最近は年かの、昔ほど力が発揮出来んが」
「ほんとですか?あ、あの…じゃあ…っ…僕以外に、異世界の人間が来たかどうかとかって分かりますか?」
「ああ、分かるよ。お前さんと一緒に、お前さん含めて命の数が6」
「じゃ、じゃあみんな…どこに!?」
「無理じゃ」
見つけられるとか、見つけられないとかじゃなく、ただ、無理だとつきつけられた。僕は、なぜだかちょっと笑ってしまっていた。
「む、無理って何で…こ…殺されてる、とか?すごく遠くにいるとか?」
「移動魔法は強大じゃ。時空を超え、世界を超えるとなったらとんでもない力じゃ。その力が一度に六つも同時に発生したんじゃ。何があったか分からん。何が起こるか分からん。実際、今ここで、生きとるおまえさんと話しとるのが不思議なくらいじゃ」
つまり。つまりあれか、生死さえも、保障出来ないってことか。僕は、嘘だ、とも叫べなかった。この大樹のいうことは、染みいるように心に入ってきた。信じる以外の選択肢が出来ない。僕が少しだけ泣いてしまうと、大樹が少し考え込んで、口を開けた。
「じゃが、世界移動ほどの魔力を感じたのはそれきりじゃ」
「…え?」
「つまり、少なくても誰も帰ってはおらん」
「…じゃあ」
生きてても、死んでいても、少なくてもこっちの世界にみんないるってことか。会えるかもしれない。探せるかもしれない。
「人を探す魔法みたいなのって…ないんですよね」
「そんな便利なものはない…ただ。血のめぐりは惹かれあう。家族は再会するように出来ておる。他人よりも出会う可能性は高いじゃろう」
「そうですか」
客観的に聞けば気休め程度の言葉かもしれないが、僕にとっては救いの言葉だった。家族には会えるかもしれない。その理屈でいくと鈴子と会うのは難しいかもしれないが、僕は既に、血より負けない鈴子との強い愛を恥ずかしくも確信していた。
まさかありったけの魔力をかき集め、家族を探しに世界中を旅したいなんて無謀なことは言わない。今のままでは現実感がなさすぎる。だがいつかそうしなければ、と僕は義務のように思っていた。平和な国に五体満足でやってきた僕の使命のような気さえしてきた。こんな立派な魔法まで使えるんだし。しかし鈴に泣かれたばっかりだしな―などと僕が考えていると、杷木がすごい顔して立っていた。
「ど、どうしたんだよ」
「ひ、姫様が一人で外に遊びに行かれたんだ…!」
「………おめでとう」
「ありがとう!!」
音楽隊でも呼びそうなテンションだ、子煩悩すぎて駄目すぎるお父さん状態になっている。更に駄目なお父さんはこんな駄目なこと言ってきた。
「しかし心配だな…千、よかったら、お前、そっと探してきてくれ。見つけたら、そのまま尾行してくれ」
「いやいやいや」
「こういうときのための勇者だろう」
それを言われては僕も弱い、こうして初勇者のお仕事は、お外に遊びに行かれた王女様のストーキングだった。