タイムアウトと姫の涙
鈴のお気に入りのシャンデリアを粉砕してしまい、僕と麗衣さんは壺投げを覚悟したが、それはなかった。が、変わりに廊下に立たされた。宿題を忘れた子みたいに。これは完全に僕の落ち度だった。僕の世界の様子を教えた中に、この『悪いことをした生徒は廊下に立たせる教師』の話があった。確かにあった。
この世界にはそういう習慣はない。だからなぜこういう目に合っているのか分かる者は誰もいない。王室の前でじっと立っている僕らを、兵士たちがもの珍しそうに見る。恥ずかしい。大人ばかり通るから余計恥ずかしい。僕が視線を泳がすと、麗衣も同じように視線を泳がせていた。目が合う。僕が笑った。麗衣も笑った。
翌日から麗衣には会えなくなってしまった。まさかシャンデリアのせいで解雇になったかと僕は心配したが、病欠らしい。お見舞いに行きたいが、僕は庭に出ることも許されてなかった。
手から出た魔法弾(笑)の正体も分からんままだ、だからといって何もしないわけではない。とりあえず手を振ってみたり剣を振ったりしていると、杷木が喜んで稽古をつけてくれた。仕事もあるだろうに、彼は休憩時間を潰すと炭酸飲料の宣伝のような笑顔で笑った。面倒見が良すぎて泣けてくる。
が、更に僕の才能のなさに泣けてくる。杷木はものすごく手を抜いてくれているようだが、僕は開始三秒くらいで剣を落とし続けていた。目も体も慣れないが、とにかく僕はがむしゃらに振り続けた。が、剣の稽古を続けていると当然体力も奪われ、鈴の壺投げだけで負けてしまうときが続いた。
これはいかん、はりきる杷木には申し訳ないが、剣のお稽古の時間は半分に減らしてもらい、僕はその間、体を休めながら、暇な人を呼びとめては、魔力のことを聞いた。
内容は杷木に聞いたものと大差なかった。この世界に住む人の魔力の大小は生まれつき、全く出ない者もいる。僕のような存在も大して珍しくない。しかし、シャンデリア粉砕事件のことを詳細に話すと、みなが首を傾げた。やはりみな、その現象は分からないらしい。
麗衣なら何か知ってそうだが、彼女は休んだまま。鈴なら魔法弾(仮)のことを知ってるかもしれないが、敵に情報を聞きだすのは何となく身が引けた。僕はこういうところが駄目なんだろうな。また麗衣に甘いと叱られる。
「よう、千!頑張ってるか」
「杷木兄」
ところで最近、杷木の機嫌がすごく良い。いつも優しいが、いつもより更に優しい。彼女と上手くいってるのか―ていうか、そもそも彼女いるのかな。杷木はそういうことを話さないし、僕も何となく聞けないでいる。
「全然駄目、結局魔法でやられる」
「そうか、千は魔力がないからな………ない、のか?」
ふと、おもむろに杷木が僕の手首を持ち上げて、首をかしげる。
「そういえば、麗衣さんが、僕に魔力があるかもって言ってたけど」
「…え…お前、麗衣に会ったのか?」
「?うん」
「そ、そうか」
ん、何だ歯切れが悪いな。仲悪いのかな―まあ、いいか。
「麗衣さんがさ、指を鳴らすだけで小さい火出してくれたんだけど、僕は何度やっても駄目だったから、僕には本当に魔力ないんだと思うんだけど…麗衣さんが、もっとでかい火出してくれて、僕がその上に手をかざすんだ。そしたら麗衣さんが火の玉消してくれてさ。で、僕が投げる真似したら、なんでかシャンデリアが爆発したように壊れたんだ」
そういえばこの話は杷木にしたことがなかった。しかし我ながら頭悪い説明だなーしかし、これで分かろうとしてくれるのが杷木のいいところだ。塾考していた杷木が、ふ、と、顔を上げ、そして、いきなり手の中から風を生んだ。風の固まり、小さな小さな台風のようだ。
「手を」
僕が言われるまま、手をかざす。痛みはない、小さな風が心地いい。僕がしばらくそうやっていると、杷木が風を消してくれたのだろう、跡形もなくなった。すると、いきなり杷木が僕の両肩を掴んできた。怒ってるような、興奮してるような、驚いているような、不思議な表情をしていた。
「ひょ…ひょっとしてお前…」
「…え?」
それから杷木の中二病全開の講義が始まり、僕はただそれを右から左へ流す作業をしていた。職場復帰した麗衣にその話をすると、彼女も負けじと同意した。泣きたい。まあ、それはさておいて。とにかくこれでまた、彼女との剣の授業が始まった。もう魔力うんぬんは考えないことにした。
「はい、ここまでは分かりましたか?」
「う、は、はい、分かる、かな」
頭がパンクしそうだ、悩む僕を麗衣が微笑む。夜、ランプの下で笑うからどきりとした。いけない、授業中だ。
麗衣は寝る前に、僕に勉強を教えてくれた。この世界の文字だ。文字が読めないことを何気なく話すと、それは生活に困るだろうと快く教え初めてくれた。まさか異世界まで来て勉強するとは思わなかった。英語の成績も常に赤点ぎりぎり、国語がまあ何とかレベルの僕にとって異世界の文字は難易度が高すぎた。が、麗衣は根気よく根気よく教えてくれるので、僕はどうにかどうにかついていけた。といってもまだ、日本語で言えば平仮名がどうにか読める程度だ。
簡単な文字が読めるようになると、麗衣がたくさん本を持ってきてくれた。大きな絵と簡単な文章が少し、つまり絵本だ。さすがに恥ずかしかったが、僕にはいい教科書だった。
「…鈴がお姫様の話なんですね」
「ベストセラーですよ」
あれ、この本、ずいぶん新しいな―もしかして―
「麗衣さん、これわざわざ買ってくれたんですか?」
「い、いえ…いずれ私も使うので」
「?そうですか」
ベビーシッターのアルバイトでもあるのかな、僕は気にもとめず、鈴が大活躍するという恐ろしい内容の絵本を麗衣と懸命に読んだ。
絵本を読んでいくと、この世界のことも少し分かった。この世界の歴史は『よく分からない』だった。これは僕の頭が悪いせいだけの問題ではない。この世界がいつどうやって出来たか、どういう歴史を辿ったのか、全く記録がないという。記録を残す、という考えそのものがなかったのだ。食べるものを美味しくしようとしなかったり、記録を残そうとしなかったり、この世界の国民性は全体的に抜けているのではないだろうかと僕が思わず口にすると、麗衣は苦笑いしていた。
魔法のことや歴史を書きだしたのはごく最近らしく、最古の歴史で300年前だ。つまり、この世界に残る記録よりも、城にある大樹の方がもの知りだということだ。最近物忘れがひどいらしいが。
魔法があれば、力がつく。力があれば、人は一番になりたがる。戦争は何度か歴史の中で続いているが、今は国ごとに王を祀ることで、少し落ち着いているらしい。いまだに戦争をしている地域もあるらしいが。僕はそこに家族や鈴子がいるのではないか気が気でなかったが、それを言い出してもどうしようもないことはよく分かっていた。
犯罪はもちろんある。罰則ももちろんある。僕の知る世界と少し違うのは、金品を盗むよりも魔力を閉じ込めた魔石を盗む方が重罪らしい。体の弱い者やお年寄りにとって魔石を奪われることは死活問題らしい。なるほど、よく分かる。
警察のような組織は兵の仕事、移動手段は主に馬車と船。魔法で移動出来ることは出来るらしいが、移動魔法は特に魔力を削り、よほどのことではないと使わないという。空に人が飛んでない理由は分かった。
僕がいう竜や怪物のようなたぐいは少なくても麗衣は知らないらしい。当然本にもない。しかし知らないだけで、貿易相手ではない国、もっと遠くの国にはいるかもしれない、もしくはどういう国か全く分からないといった具合だ。本当に情報少ないな、この世界。覚えることが少なくて助かるけど。
て、ことは初期に見た世界地図は想像かと聞くとその通りだと言われた。どうしよう、海の向こうが何もなくて落下したら。とにかく外に出ないと何も分からない、結局は鈴との対決に勝たないとどうしようもないのだ。
・・・・・
鈴との賭けが始まって一カ月以上経った。経ってしまった。相変わらず鈴にはぼろぼろに負け続け、最初の壺投げで負ける日も未だにあった。焦り過ぎてるのが原因だ。全く勝てないことももちろんだが、嫌な予感が僕を占めて離れなかった。そして嫌な予感だけは、いつもいつも当たる。
今日も鈴から壺を投げられるだろうと覚悟していた僕だったが、なかなか壺が投げられない。僕も最近では絵本を読んだり剣を習ったり調理場を覗いたり一日が忙しいため、夜中までその大変なことに気付かなかった。
何事もないまま朝を迎えた。これは鈴との賭けが始まって初めてのことだ。鈴が体調でも壊したかもしれないというわずかな希望があったが、廊下で見つけた彼女は元気に走りこみをしていた。
「す、鈴様っ」
「ああ、千か。どうした」
「その…昨日は何もなかったので、どうしたのかなーと…壺も投げられなかったし」
「…ああ、あれか。飽きた」
「飽きた!?じゃ、じゃあ、約束は」
「時間切れじゃ」
「えええええええええ!?」
一か月強、ひたすら鈴にフルボッコにされた日々は無駄に終わった。が、ある程度予想していた為、僕はさほど落ち込まなかった。本当だ。ちょっと泣いたのは増え続けた傷が痛いせいだ。
鈴が飽きるのも当然だ。いくらドSでも、全くやり返してくる様子もなくちょっと頑張ったところで全く歯が立つ様子がない相手をいたぶり続けて面白いわけがない。むしろ一カ月強もよくもった方だ。
鈴がどういう心境の変化であの賭けを持ち出してきてくれたか分からないが、違う条件で再び賭けをしてくれる確立は低いし、それを待っていたらいつになるか分かったものではない。『もしかして、こいつ戦ったら面白いんじゃね』と思ってくれない限りは。
剣技に関して言えば、鈴の気を引くほど強くなる可能性は少ない。そうなるともう、あの魔法弾しか思いつかない。もしあれが本当に僕の力だったら鈴は喜んで戦ってくれそうだが―
しかし、あれに関して言えば、ちょっとやってみようと思って出来るものではない。魔法を出してくれる者、そして近くに何もない、出来るだけ大きな部屋に行かないとさすがに怖い。いちいち何かを壊していては心臓に悪い。外に出るのが一番いいのだが、こんな理由で外に出られるわけはない。
などと僕が考えていると、ふと訓練から帰ってきた兵たちが見えた。
「あの、すいません」
「ん…ああ千か。どうかしたか」
「ちょっと相談があるんですが」
さすがに外に出るわけもいかず、かといって城内の施設ではまた部屋の内装、もしくは部屋そのものを壊してしまう恐れがある。兵に相談すると、いい場所を教えてくれた。城を出てすぐ裏にある、元礼拝堂。馬車に乗って移動しなければならないくらい遠いが、一応城の敷地内だ。これなら鈴の命令を破ったことにはならないだろう。
人生初体験の馬車は正直楽しみだったが、結果は散々だった。あんなに揺れるものとは思わなかった。事前に何か食べ物を食べていては、確実に吐いていた。連れてきてくれた兵からは、そのうち慣れると笑われたが。
「さて」
わざわざ呼び出した麗衣が構える。僕も構える。なんとなくだが、魔法弾のことはあまり口外しない方がいいような気がしたのだ。
「では。参ります」
「はい!!」
結果は、成功だった。いや、成功だったというべきか。僕は自分の手首が自分のものでないようで、麗衣がずっと興奮気味に何か言っていたが、僕の耳にはほとんど届かなかった。魔法が使えるのだ、普通の世界からやってきたはずのこの僕に。といってもかなり珍しい、今まで一人しか記録にない魔法の種類らしいのだが。
ふと、外が騒がしいことに気付いた。僕が何事かと扉を開けると、まあ、驚いた。
「鈴様」
そこにいたのは紛れもなく鈴だった。杷木の話では、外どころか庭にも出ない彼女が、目の前にいる。すごく急いだ様子で、走ってきたのだろう、せっかくの綺麗なドレスが泥と葉だらけだ。
「どうされ」
「馬鹿者!馬鹿者!馬鹿者馬鹿者!!」
僕の言葉が終らないうちに、鈴は僕の頬をたくさん叩いた。麗衣が止めに入ってくれたが、僕は全て受け止めた。鈴が、泣いていたからだ。
「家出をするなら、せめて城から出ぬか!家出になっておらぬではないか!」
「い、いえ、家出では。ちょっと稽古をしたくて」
「馬車と女を連れて行ったと噂に聞いたから、家出かと思ったではないか!貴様も、貴様も、妾を見限ったかと…思っ………」
それから、鈴はわんわん泣きながら僕に泣きついて離れなかった。胸をずっと小さく殴られ続けながら。今まで、どんな壺を投げられたときよりも、何だか痛かった。