巨乳さんとシャンデリア
異世界に来て、ひと月が経とうとしていた。さすがに城内の兵の顔を全員覚えてきて、彼らも僕に挨拶してくれるようになってきた。主に同情の視線で。
鈴との喧嘩の日々は最悪だった。鈴の喧嘩のやり方はめちゃくちゃだ。まずお得意の壺投げから始まり、次に剣を振り回され、最終的に攻撃魔法をガンガン喰らう。開始はいきなり、時間制限はなし、更に一日何度も何度も。鈴が飽きるまでだ。その間無傷で逃げるのは不可能に近かった。酷いときは四時間以上続いた。
壺投げは、ある程度気をつければ大丈夫だ。投げる度構えたり振りかぶったりするから、その間に素早く良ければ何ということはない。ただし、ふいをつかれたらどうしようもないのでこれだけで負けたこともあった。
次に剣だ。剣の技術は僕には分からないが、鈴は剣使いが下手らしい。根本的に向いてないのだと、杷木から教えられた。ぶんぶん力任せに振り回すだけのため、これも避ければどうにかなった。ただし、剣ごと投げるという暴挙に出ることもあったので、これも負けたことがあった。
最後に魔法だ。前二つをクリアできてもこれだけが本当にどうしようもなかった。上手い例えが見当たらないが、要はすごい早い高速ボールがばんばん投げられ続けられる感じだ。これに避け続けられるほど僕の運動能力は長けてなかった。
杷木に聞いたところ、この世界で魔法が使えるものは基本的に魔法容量が限られているらしい。ゲームでいうところのMPだ。しかし、彼女にはそれがほぼないといっていいらしい。要は、果てがないのだ。永遠に攻撃魔法が撃ち続けられる。最強だ、攻略の方法が全く浮かんでこない。
室内だしこちらは剣も魔法も使えない素人ということで多少は手を抜いてくれているようだが、痛いもんは痛い。ここ数日で急激にたくましくなった気がする。主に生傷で。
『異世界から来た人は、編音国へお知らせ下さい』と最高にハイな通知を杷木が貿易国相手全てにばらまいてくれたが、今のところまだ何も連絡はないし、鈴に勝てる見込みも全くない。城から逃げ出せないことはもう嫌というほど分かってるし、さてどうしたものか―城の中を歩いていた僕が、ある部屋に気付いた。書庫だ。
書庫―…ゲームで定番、困ったときに何かヒントが載っていたり、鍵が出てきたりする。鈴はちょうどお昼寝中だし、何かあるかもと書庫に入って2分で諦めた。文字が読めねえ。
鈴の翻訳キッスは、しゃべる・聞くしか効果がなかったようだ。文字が読めるようになるように鈴の魔法ならどうにかなるかもしれないが、またキスを強請ってるみたいだから何か嫌だ。
かといってこのままでは、体力を削り傷が増えるだけだ。杷木に相談しようかと思ったが、彼はものすごく忙しい。兵の訓練、鈴の話し相手、城の見回り、国の見回り、貿易の管理、時間を空けては自分の様子を見に来てくれるため、杷木は何人もいるのではないかと思ってしまう。
杷木が暇になるまで、調理場にまで行くか―僕がふらふら行くと、昨日僕が作っておいた野菜炒めを訓練から兵士たちが犬のように食べていた。こんなに食べてくれるとさすがに照れる。そしてその中でも、一番喜んで食べているのは、女剣士だった。向日葵みたいな綺麗な髪の色だな、僕が思わずじっと見ていると、彼女と目が合った。
「…でか!!」
僕は思わずそう叫んでしまった。身長も悲しいくらい負けているが、僕の目は彼女の胸元にくぎ付けだった。甲冑から溢れだす立派すぎるお胸、何カップあるんだ。僕が思わず凝視していると、横にいた兵士に肩を叩かれた。
「はは、料理長殿もお年頃か?」
「は、ち、ちがっ、違いまっ」
いや、違わないか、女性の胸を厭らしくじろじろ見てしまった―僕が赤い顔ですいません、と謝ると、彼女が小さく笑った。胸も立派だが、顔も美人だ。
「料理長は最近、女王に構われっぱなしでお疲れだ。触らせてやれよ」
「はあ!?」
セクハラエロオヤジ供め、僕が威嚇していると兵士たちは笑いながら部屋を去っていった。彼女と僕だけになってしまい、妙に気まずい。僕がそろそろと部屋を出ようとすると、彼女が前にきた。
「触りますか?」
「きゃっこうです!!」
もしかして人生の中で唯一のチャンスだったかもしれないのに断ってしまった上に噛んだ。恥ずかしくて顔が上げられない僕を、彼女は大部屋に連れていってくれた。いつも兵士たちが訓練に使っている部屋だ。今は休憩中で、誰もいない。彼女は麗衣と名乗った。
二人きりになるとますます気まずい。というか主に、目のやり場に困る。
「その…えと。女性用甲冑の、サイズって、あまりないんですか?」
「いえ、そんなことはありませんよ。最近は女剣士も増えましたから」
「なら…麗衣さん、て、サイズ、合ってるんですか?その………大事なところがあまり守られてないような…心臓周りとか」
自分の大きな胸を見降ろし、麗衣はああ、と呟いた。
「これはわざとです」
「わざと!?」
「はい。昔は恥ずかしかったり剣士として邪魔だと思ったこともありましたが、あるとき気付いたのです。対戦相手はほとんどは男でしたから、皆面白いようにここを見てくれるので。腕に自信がないわけではありませんが、少しでも有利になれるのなら、女王の為になるのなら、利用しない手はありません」
かっこいい、素直に思った。胸をじろじろ見てた自分が急に恥ずかしくなった。また謝ろうかとしている僕を、麗衣がじっと見てきた。
「千殿は、なぜ毎日女王と戦っているのですか」
「ええ、ちょっと…約束をしまして。あることをやりたくて、彼女から無傷で逃げ続ければ、って条件で」
「それは、どうでもいい約束なんですか?」
「い、いえ…まさか!とても大事なことです」
「そうですか…なら…千殿は、少し、ぬるすぎます」
「ぬるっ」
情けなくて頭を打ってしまいそうになった。異性なのに、筋肉量もどう見ても負けている。現代もやしっこの自分の体が、彼女と並ぶとものすごく貧相だ。
「そりゃ…貴女に比べたら、ガリガリでしょうけど」
「体のことではございません。女王との喧嘩を何度か見たことがありますが、貴方は決してやり返さない」
「それは…僕は、剣も魔法も使えませんし、それに、条件は僕が逃げ続けるということで」
「逆を言えば、千殿からの攻撃を禁止されてるわけではないですよね。反撃すれば、無傷で逃げ続けられる可能性も大きくなります。更に貴方の料理は、毒見係なしで女王に運ばれる…というか、彼女が素早く食べ始めるのですが。食事に眠り薬を入れるころも出来ましょう。女王の寝込みを襲うことも出来ましょう。でも貴方は、どれも全くする様子がない。相手より劣っているのなら、卑怯な手を使わないとどうしようもないでしょう。勝たねば、どうしようもないのです」
一気にしゃべられ、僕は全く返す言葉もなかった。僕は優しいわけでも、正義感溢れているわけではない、ただ、そんなことすらも出来ない臆病者なだけだ。
返す言葉もなく僕が項垂れていると、麗衣が軽く頭を下げてきた。
「…申し訳がありません。過ぎた口を」
「い、いえ。返す言葉もないです」
「最近、私の懇意にしてる方と貴方がとても仲がいいので…嫉妬している自覚があります。本当に申し訳がありませんでした」
僕はすぐに鈴が思い浮かんだ。ほんとにみんな彼女が大好きだな、どこがいいのかさっぱり分からんが。まあ僕も嫌いじゃないけど―いやいや、僕は鈴子一筋。
「お礼に何でも言うことを聞きますよ」
「え、ほ、本当ですか!?」
「…触りますか?」
「だから触りません!!」
人生二度目のチャンスをまた棒に振ってしまった。だが、僕にはちゃんと思惑があった。それは、彼女から剣の稽古をつけてもらうことだった。まあ、結果は散々だったけど。
「………すいません、私の教え方が」
「いえ、大丈夫です!」
気を使わせてしまった、僕は元気に立ちあがって無事をアピールした。こういうのは小さい頃からやってないと体に馴染まないのはよく分かっているし、何より僕は運動神経も反射神経も劣っている。
卑怯な手は使えないへたれだが、反逆くらいならしようと頑張ろうとしたが、剣は駄目そうだ。まあそれでも毎日やってれば、鈴の剣を受けるくらいならなれるかな。継続は力だ。
暇なときでいいから自分の剣を教えてくれないか麗衣に頼もうとすると、何やらじっと考えていた彼女が、何か思いついたように顔を上げた。
「では、魔法をお教えしましょうか」
「え、麗衣さん魔法も使えるんですか!?」
「はい、一応魔剣士です」
「すげえ!」
素直に尊敬した。鬼に金棒どころか、鬼にマシンガンだ。しかしその理屈でいくと、兵士長である杷木はそんな彼女より強いことになる。痺れる、憧れる。
さて、僕だ。中二らしく魔法が使えるようになるならそりゃ使いたいが、僕は悲しいかなこの世界の人間ではない。
「その…でも僕は、そもそも、魔法が使えないかと」
「そうなんですか?」
麗衣からじっと見られ、僕は緊張する。目を覗きこまれると、魂まで持ってかれそうだ。
「魔力はお持ちのようですが」
「………え!?」
「ちょっと使ってみましょうか」
え、僕に魔力、どういうこと、戸惑う僕をおいてけぼりで、麗衣はいきなり指を軽くこすらせた。指パッチンだ。それだけで、ライターほどの小さな火が生まれた。僕は思わず拍手した。
「さあ、やってみて下さい」
「は、はい」
僕が指パッチンを繰り返すが、指の皮が固くなるだけ、当然火など生まれない。僕は大して落胆しなかった。出来た方がびっくりしてたと思う。僕よりも彼女の方が不思議そうにしてることにも驚く。
「あ、あの…コツとかあります?」
「とは言われましても…これはごくごく初級で、特に…ちょっと手を貸してみてください」
「うわっ」
麗衣がいきなり僕を後ろから抱きしめるように両手を持った。お胸が!立派なお胸が当たってる、首に!何この弾力、低反発枕ですか。
「おかしい…出来ませんね」
「だ、だから、僕には無理ですって。魔力なんてあるわけ」
「でも確かに感じて」
耳元で感じてるとか言うなと僕が怒鳴ろうとしていると、ふと、僕の両手と彼女の両手が勢いよく燃えた。
「うわ…あちゃちゃちゃちゃ!!」
慌てる僕に彼女が慌てて手をかざすと、大量の水が生まれた。おかげで少しも火傷しなかった。炎の次は水か、何でも出来るな、僕の麗衣株はどんどん上がる。
「やっぱすごいっすね麗衣さんは」
「いえ…今のは、私の力では…」
麗衣がまた何か考え出した。僕がした、とでも言いたいのだろうが、まさかそんなわけもない。彼女を悩ませてしまった。僕に魔力がないだけで彼女の教え方が悪いわけではないのだが、どう慰めていいものか悩んでいると、彼女はふとまた何か思いついたように、僕から離れ、手を地面へかざした。すると、火の球が生まれ、ふよふよ浮いていた。人魂みたいだ。
「ちょっと触ってみて下さい」
「え、い、嫌ですよ!熱いじゃないですか!」
「早く」
彼女の迫力に負け、僕は恐る恐る手をかざしてみた。すると、火の球が僕の手に吸い込まれるように引き寄せられ、そして、消えてなくなった。
「え」
一瞬何が起こったか分からなかったが、僕は彼女が消してくれたんだろうとすぐに思った。そうでなければおかしいからだ。しかし彼女の表情は、やれやれ仕方ないですね水の魔法も出せないのですか、というよりも、何かもっと別の顔をしていた。怒っているような。
「そのまま、手を放って下さい」
「え、え!?」
「早く」
「こ、こうですか?」
僕は言われるまま、さきほど火の球に触れそうになった手を、野球のボールを投げるかのように思い切り振りかぶってみた。まあ手には何もないのだが。そう、何もない。
ばかあああああん!!!!
ものすごい爆発音がした。何が起こったか全く分からない。天井がものすごい勢いで破損している。色々聞きたいことはあるがとりあえず、僕の思ったことは。
「…あの粉々になったシャンデリア、鈴様のお気に入りでしたよね」
「そうですね」
ああ僕ら壺を投げられるな、ていうかそれで済めばいいな、僕らは仲良く項垂れた。