ペット襲名
痛い。全身痛い。意識を手放す前より痛い気がする。まばたきを繰り返し、どうにか起きあがることに成功した。状況を整理する前に目の前の顔に全神経を持ってかれた。
「鈴ちゃん!!」
僕は転がるように目の前の彼女にすがりついた。鈴子、鈴子だ、間違いない。僕が泣きながら喜んでいるが、彼女は無表情のように表情を動かさない。それでも僕の喜びは止まらなかった。
「鈴ちゃん、良かった!無事だったんだ!良かった、本当に良かった!」
「…」
「鈴ちゃん…怪我してない?ごめん、見つけられなくて」
「…」
「鈴ちゃん…?」
おかしい、と、思った。さすがに上がりきったテンションがさすがに落ち着いてきた。目の前の鈴子は、自分が好きな鈴子と違っていた。髪型こそほぼ毎日見つめていた三つ編みだが髪の色は燃えるように真っ赤で、服も舞踏会みたいな派手なドレスを着て、漫画でしか見たことのない王座に座っていた。そして、何より決定的なのが目だった。鈴子はこんなに冷たい目で自分を見ない。いつも、きらきらした目で僕を見ていてくれていた。これは鈴子の顔した別人だ。
「誰…?」
ぽつり、と僕が聞くと、鈴子に似た少女(長いから以下少女)が右手を高く挙げた。すると、後ろから甲冑を着た兵士が二人走ってきた。
「は!?」
いきなり後ろから羽交い絞めされた。暴れてみるが全くびくとも動かない。冷たい金属の上からでも分かる立派な筋肉、そして身長。悲しいくらい負け過ぎている。漫画で見るような兵士二人に動きを封じられ、恐怖よりも前に疑問が止まらなかった。
(兵士?なんで、兵士?)
小学生みたいな疑問だったが、分からなかったからなかなか考えが消えなかった。ここはどこだ、そして目の前の少女は本当に誰なんだ鈴子ではないのか、父さんたちはどうなったのか―…
疑問疑問疑問また疑問。いきなり兵士たちに当て身を食らわせられ、僕はまた意識を手放した。
一週間が経った。
どうやらここは少なくても日本ではないらしい、そのことを頭に納得させるしかなかった。閉じ込められた牢屋の小さな窓から見える景色はとても国内とは思えない草原で、出てくる料理は不味すぎて何料理かも分からなかったが、兵士たちは平気な顔して同じものを食べていた。自分だけ毒でも入っているのかと思ったが、この一週間無事だし少なくても腹は壊してない。味覚が根本的に違うのだろう。
そして、ここはどうやら『城』らしい。らしいというのは牢屋に閉じ込められっぱなしなので、建物の全容は分からないが、よく思い出してみたら最初に少女が座っていたのは王座だったし、下は赤じゅうたんだったし、あと何か兵士がいっぱいいたし。
日本国内に兵士持ちで城持ちがいるとはどうしても思えなかった。その兵士たちも揃いも揃って醤油顔だから、どうにも自信がなくなってしまうのだが。
あとは言葉だ。時折兵士たちがやってきては何か言っているが、申し訳ないくらい何を言っているのかさっぱり分からない。ものすごくゆっくりしゃべってくれる兵士がいたが、どれだけ集中しても単語一つも拾えない。少なくても英語ではないだろう。だからといって何語かも分からないが。
食事は出るし何も言ってるか分からなくても兵士が、人間が会いに来るから絶望的、といっていい状態ではない。太陽もちゃんと上るし沈むし月は出る、暖房器具は見当たらないが暖かいし、いきなり処刑されたり戦争地帯や猛獣だらけのジャングルに放り込まれなかっただけ良しとするべきなんだろうが。
ただひたすら暇だった。寝れるだけ寝て、あとは答えのないことを考え続け、今何日目かフォークで正の字を書いてまた就寝する。それだけ。ここがどこなのか、どうしてここに来たのか、妄想するのももう疲れた。
家族と鈴子も同じようなところで掴まっているのではないかと思うとぞっとした。が、心配することしか出来なかった。唯一の窓は背伸びすれば覗けるが、食事以外は手足が縛られているため、窓から逃げられない。もちろん常に見張りがいる。まさか鉄格子をぶち破ろうなんて思わないが、そんなつもりもないのに触れたところ、漫画みたいに電撃が流れた。まあ、要は、心配したところで脱走も出来そうになかった。兵士に何か聞こうにも何言ってるかさっぱり分からないし。
頼むから展開動け、ぐったりながらも僕はまた寝た。
更に一週間が経った。
もう僕の忍耐力は限界だった。
言葉が通じなくても必死であれば伝わるんじゃないのか、処刑されないだけマシだと思っていたが、家族と鈴子が心配する気持ちと牢屋に閉じ込められて特に何も出来ないことへの不満感がどちらも容量オーバーだった。
もうこうなったら泣き叫んで土下座でもしたら気持ちは伝わるんじゃないか―兵士を今か今かと待っていると、いつものように兵の一人がやってきた。すると彼は牢屋の中に入り、なんと手かせと足かせを外してくれた。
「えっ」
さっき朝食を食べたばかりなのに -僕が動揺していると、兵士は外へとあごで促した。これは出てもいいということだろうか、僕がそう目で聞くと、通じたのか兵士は頷いた。しかし閉じ込められっぱなしで腐敗しきった精神は、「あ、これ殺されるな」としか思えなかった。
シャバの空気は美味かった。建物内だけど。死刑台に続くかもしれないと思うとますます美味かった。
が、死刑台に連れていかれる気配もないし、見張りもついてこない。僕はうろうろできた。僕がそろそろと一階の外へ出る扉を見つけそこへ向かうと、さすがに兵士が二人いた。ですよねー、とりあえず外に出ようとするのは後回しだ。僕は、城内を見て回ることにした。
建物はよくゲームで見たことのあるねずみ色の城壁、二階建て、自分が捕えられていた牢がある地下室も含めば三階建ての城。二階の最深部はどうも王室らしく、また兵士が二人立っていて、近寄れなかった。
兵士は似たような体系と同じ甲冑を着ている為人数は確認出来なかったが、恐らく十数人。ときおり女兵士とすれ違い、思わずどきっとしては、鈴子に謝った。
牢屋とは全然違う大きな窓もあった為、外を見渡せた。草原、畑、家があるにはあるがぽつぽつ数える程度。ゲームとかで見る城下町とはくらべものにならない。当然コンビニもないし車一台も走ってない。この風景を見て、僕は今まで考えたくなかった仮説を叩き出したが、僕は即否定した。それだけは、考えたくなかった。
そのままうろうろしていると、いきなり何かにすっ転んだ。顔からこけて、少し痛かった。何に引っかかったかと思えば、剣だった。そら兵士もいれば剣もあるだろうが―
僕がおずおずと拾う。真剣だ。模造刀ではない。そろそろと服の端を切ってみると簡単に切れた。しばらくそうして剣を見ていると、ふと、気配が消えた。何だろうと扉を見ていると、扉に立っていたはずの兵士がいなくなっていた。今なら逃げられる―しかし、僕の可愛くない脳は、すぐに罠だと告げた。つうか隠れてる兵士見えるし。
まあ乗ってやろう、僕が剣を持って誰もいない扉に近づくと、兵が奇声を上げながら剣を振りかざして止めてきた。
「うわ、わ、わあっ」
向こうが殺すつもりはないのは気配や表情で分かったが、剣を握ったこともなければ体育の選択で剣道ではなく柔道を選択した僕の剣はあっという間にはじかれた。僕が尻もちをつくと、後ろの兵が手をかざすと光の玉らしきものが手に宿った。
それは大きなランプのように光を放ち、熱いか冷たいか分からないが、痛そうだった。僕が両手で全身をかばうように覆った。地獄の業火で焼かれちゃうのか、僕がガタガタ震えながら痛みを待っていると、いつまでも痛みはない。僕がそろそろと両手の間から兵士を覗くと、彼は光の玉を引っ込めた。そして、僕の手を引いて起きあがらせた。さすがに気恥ずかしかったが、彼の立派な体系のせいかそこまで恥ではなかった。
彼が僕の手を引いたままずんずんと歩き続ける。驚く兵士たちをかきわけ、彼が向かったのは王室だった。この国にはノックとか、失礼します、とかいう文化はないのかと驚いていると、部屋に入るなり兵士は何か叫びながら頭を下げて、僕も慌てて頭を下げた。緊急のため挨拶もせず入りました、とでも言っているように聞こえた。礼儀はあるらしい。
王座に座る少女を見て、僕の胸はかきたてられた。会いたくて会いたくて仕方ないせいか、彼女が鈴子に見えて仕方がない。男が少女の元へ走り、何かずっとしゃべっている。一通り聞いた後、少女はいきなり笑いだした。笑顔になるとますます似ていた。
しかし、鈴子が絶対着ないだろう華美なドレス、彼女が履いたら間違いなく転びそうなハイヒールをかつかつ鳴らしながら少女はこちらに近づいた。そして僕の顎を引きあげると、いきなり口づけた。
「んぶ!?」
夢にまで見た口づけは、無理やり舌入れられた為、血の味がした。ていうかそもそも、彼女、鈴子じゃないし―
奪われちゃった、僕がうなだれている、が、顔はすぐに挙げた。
「おい、妾の言っていることが分かるか」
「…分かっ………はい、分かります…」
日本語だ、日本語が聞こえる。僕は泣きそうだったが、すぐに自分の口の違和感に気付いた。日本語をしゃべってるようで日本語をしゃべってないような感覚、上手く言えないがただ口が気持ち悪かった。恐らく今の口づけで、この国の言葉が分かるようになり、しゃべれるようになったのだろう。認めたくないことを認めざるえなかった。魔法じゃん、これ。
異世界だ、ここは。漫画みたいに異世界に来てしまったんだ。鈴子を、家族を置いて。もう目の前の少女が鈴子であるという可能性は完璧に消えた。鈴子は頭打ったってわらわなんて言わないし、こうしてしゃべることが分かってくると、声が全然違うことが分かった。
「名は何と申す」
「千月です」
「せんげつ…?」
少女が首をかしげる。どうも発音しづらいようだ、小学校のときにさんざんからかわれたから仕方がない。僕が思わず千でいいですよ、と言うと、彼女は得意げに、千、と叫んだ。なんだろう、湯屋で働く少女の成長物語でも始まりそうだ。
「千だな。私のことは…鈴でいい」
「は!?」
僕が思わず叫び返すと、少女は得意げに笑った。
「お主が、最初に妾に呼びかけていた名前だ。気にいった。妾は親がつけた名前があまり好きではなくてな」
「あ…あれは、人違いで。その名前は特別なもので、出来れば」
ふと男の殺気を感じ、僕は縮こまった。調子に乗り過ぎたらしい。
「失礼しました…、王様」
「鈴」
「王様」
「鈴!」
「鈴様!」
やけくそになってそう呼ぶと、彼女はまんざらでもないように笑った。頼んでいる。鈴子の顔をしてなかったら、泣かしてやりたかった。
「ふむ…剣も魔法も使えぬが、どうやら、例の力はほんもののようじゃな」
「はい、それは間違いなく」
ん、何の話だ、と気になったが場の雰囲気で僕は聞けなかった。
「よし、決めた。千を妾のペットにしよう」
「ぺっ」
何を言い出すこのアマ―しかし、男の殺気が怖くて怒れない。
「芸でも教えてやろうかのお」
よしよし、三回回ってわんか、どこまでも楽しそうな鈴の笑顔に嫌みでも返してやろうかと思ったが、僕は、ん、と思い直した。ペットということは、散歩を強請れる。外の様子も見れるし、家族や鈴子たちを探しに行ける。
「では、散歩に行きたいです」
がっ!!
「あいたっ!!」
何か地雷を踏んでしまったのか、鈴は僕の頭を蹴りつけると、そのまま奥に引っ込んでしまう。まだ部屋はあるらしい。痛い頭をさすっていると、男が同情気味に肩を叩いてきた。
「大丈夫か?歩けるか」
「………はい」
心配してくれる顔は、少し、ほんの少しだが優しかったときの兄貴に似ていた。
しかしほっこりしたのもつかの間、僕はまた激しく落ち込んだ。王室の部屋の天井にある地図、恐らく世界地図は自分の知ってる世界地図ではなかったし、日本なんてどこにもなかった。