命令違反
がち。がちがちがちがち。
情けないほどに僕の震えは止まらなかった。先ほどまでもう僕は兄馬鹿全開でドラゴンをも倒せそうだったが、今はどうだ、蟻にも負けてしまいそうだ。
来海はついてくると言って聞かなかったが、さすがに、じゃあお願いしますとは言えなかった。それくらいのプライドはある。後ろの方で見守ってくれてるであろう来海の気配を感じて、それに随分救われていようとも。
「き、君成王。お話が」
「ん?」
心の準備する暇もなく、君成とはあっさり会えた。もう少し時間が欲しかったがキリがないし、こういうのはさっさと終わってしまった方がいい。
「どうした千。寒いのか」
「いえ、お気づかいなく。ええと、来海のことなんですが―」
「ああ、夜伽の話か。案ずるな、あいつには手を出さん」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、千の恋人で妹だからな」
流れるように、何でもないように言われ、僕はほっとしすぎて倒れそうだった。そうだ今の妹発言聞こえなかったかな、僕が慌てて来海を見ると、まだ心配そうな顔をしている。よかった、聞こえなかったみたいだ。僕がブイサインをすると、彼女はほっと笑って何度もお辞儀し、そのまま去っていった。
「君成王、来海が僕の家族だって気付いていたんですね」
「ああ。血が同じだからな、魔法使いに調べさせればすぐに分かる。もしかして千は気付いていなかったのか?よく一緒にいたが」
「妹を恋人になんてしませんよ」
「そうか?珍しい話ではないが」
そんな当たり前なのに―やっぱ色々すげえな無帝国。ふと、君成が少しそわそわしていることに気付いた。彼の視線の先には、いつもの僕らの勉強部屋があった。
「入りますか」
「ああ」
いくらか君成と雑談しているうち、僕は、ふと鈴のことを思い出した。彼に相談していいか少し迷ったが、もう彼には、鈴が消えてしまったことはばれているのだ。
僕は、君成と出会う前の話しをおおまけに話していると、ずっと黙って聞いてくれていた君成が顔を挙げた。
「お前たちが巻き込まれたのは魔空間だろうな」
「やはり、そうですか」
「魔空間の中には、巨大な魔法が散らばっている。空間を一瞬で移動できるくらいだからな。お前たち家族と恋人は、魔空間の中で何年もさまよっていたかもしれないな」
「それなら、僕が知っているより年上だったことは説明がつきますが…記憶は?」
「魔空間の中で迷った男の話しがあるんだが、その男は、魔空間で何年も迷っていた。だが、男の記憶にあるのはほんの数日だ。魔空間には、記憶を消す効果もあるかもしれん」
「なるほど…じゃあ、何で、僕は年もとってないし、記憶もあるんだろう」
「お前、自分の力を忘れたのか。お前には、魔法を取りこむ力があるだろう」
「…なるほど」
つじつまがあうな。確信はないが、かといって、他に考えられる理由もない。
「空間を渡る魔法を解除される鍵が記憶だとしたら、鈴王が消えたことも説明がつくな。鈴王は元いた世界に帰ったかもしれんな。もしくは、偶然、魔空間に触れたか」
「頭痛くなってきました」
「俺もだ。こういうことは数多にでも聞いた方が喜びそうだな。ともかく、お前の妹にはお前の妹だと自覚させない方がいいな。どうなるか分からん」
「はい」
「腹が減ったな。おい、誰か―」
僕は忘れていた。忘れてはいけなかったのに。どこかで、忘れてしまっていた。ここは、この国は、こんな風に、あっという間に人が死んでしまうんだ。
「うわあああああああああ!!!」
「見るな!!」
君成がかばうように僕を自分の胸元に押し込んでくれなければ、僕は倒れるところだった。廊下で兵が惨殺されていた。何人も、何人も。一瞬でよく見えなかったが、メイドたちも倒れていたように見える。
「お、王、もう、大丈夫です」
全然大丈夫じゃないのに、僕は、必死で、こらえながら、吐き気と戦いながら、君成から離れ、ふらつきながら部屋を出た。酷い、何人殺されたんだ。まさか皆―そんな―
「来海!来海!!」
返事がない、僕は足をもたつかせながら、来海が走り去っていった方を目指した。
「待て、千!一人で行くな!」
「きみなっ」
ふり返った僕は、君成の後ろから、剣を振り下ろしている影を見つけた。
「君成王!!」
嫌だ死なないでくれ、僕が泣き叫ぶより早く、僕の目の前で、また一人、人が死んだ。それは君成でもなく、剣を振り下ろしてきた男でもなかった。
「数多…?」
掠れる声で呼ぶ君成の前で、血まみれの数多が倒れこむ。血を吐きながら、笑う数多は、君成の膝元で倒れたまま、彼の頬に手を触れていた。
「王。背中をとられないようにと、いつも、いつも―」
ことり、と、数多さんの腕が倒れた。僕の目から涙が吹き出した。数多の手を握る、君成は笑っていた。
「おい、数多。何をやっている。死んでいいなんて誰が許した。おい、おい、目を開けろ。何をやっているんだ。おい」
何度も、何度も、そう言っている君成を見て、僕はたまらず叫んだ。
「王、しっかりして下さい!人は死ぬんです!あなたの命令でなくても!あなたが殺さなくても!」
「…っ…数多…」
君成がうなだれるように、数多の腕を取ったまま動かない。泣かない彼の代わりに、僕が泣いた。そして、そんな僕たちを、嘲笑うように男が見降ろした。
「久しぶりですね、君成王…私を覚えておいでですか」
「貴様…天地か」
「光栄です、覚えていて頂いて」
天地…どこかで聞いたこと…そうだ、確か、君成と王を決める戦いで争っていた男だ。まさか王になれなかった腹いせに―今更?
「お前、よくも数多さんを」
睨み上げる僕の喉が、情けなく奥で悲鳴を上げる。男の額には、目があった。三つ目があるというよりは、まるで装飾のように埋め込まれている。下の両目とは色が違う。僕はその強い目の色に見覚えがあった。今更、君成が眼帯をつけていたことを再確認する。
「その目、まさか―」
「ああ、俺のものだ」
君成は僕の肩を掴み、剣を構え、僕の前に立った。
「千、逃げろ。お前をかばいながら勝てるほど、この男は強くない」
「けどっ」
「きゃああああああああああ!!!」
来海の悲鳴だ、まさかまだ仲間がいたのか。震えながらどうにか立ち上がった僕の背中を、君成が促すように軽く蹴った。僕は少し迷いながらも、とにかく走った。来海の叫び声が聞こえた方へ。
「はあ、はあ」
走っていく中、僕の目の前にはたくさんの死体が倒れていた。あの兵は確か、僕の料理を美味しそうに食べてくれていなかった。あのメイドさんは確か、来海を怒りながらも可愛がってくれてなかったか。
「う、う、うっ…」
泣きながら、咳き込みながら、どうにか走った。やがて僕は、部屋の奥で小さく震えている来海に気付いた。
「来海!!」
「…っ、お兄ちゃあん!!」
突っ込むように抱きついてきた体温に、僕は心底安心して息を吐いた。暖かい、生きている、生きていて、くれている。そして彼女は、真っ赤な顔で僕を見た。
「す、すいません。どうしてお兄ちゃんなんて」
「いや、いいって。それより、怪我はない?」
「はい、お掃除から戻ったらこんな…何が何だか…千月様…」
「大丈夫、来海が無事なら百人力だ」
「…ふふ…っ、そうだ。王。王様は?」
「行こう」
来海が無事なら次は君成だ、僕は来海の手を引いて、君成の元へと戻った。倒れる死体はあまり見ないようにして、僕は、すぐに見えるだろう君成に集中していた。
そして、ようやく辿りついたが、僕は目を疑った。
「はあ、はあ、はあっ…」
「くくく…王、どうしました。ねえ、王。王。王の血は美味しいですね」
負けている、あの君成が圧されている。天地は、わざとらしく王を連発しながら、流れる血を指先にとって舐めていた。君成はもう立てそうにもない、まさか君成が負けるとは思っていなかった。
「千、そこにいるのか。逃げろと言ったのに、言うことが聞けない奴だな」
「君成王!」
「お前も…数多も…全く言うことを聞かない…俺の言うことを聞かない奴だけか、髑髏に見えないのは…そうだ千、数多の顔が、ようやく人の顔に見えたぞ。いい顔をしていたんだな。女を紹介してやれなくて残念だった」
「君成王、止めて下さい、そんな死ぬ前みたいに!」
「せ、千月様!」
来海の叫び声が背中から聞こえ、ふり返ると、そのまま、時間が止まったような錯覚があった。大きな剣を抱えた男たちが、何人も立っていた。その剣からは、血がしたたり落ちている。何人忍び込んだんだ。
「千!逃げろ!」
「千月様!」
僕をかばってくれる声が前から後ろから聞こえ、僕は、気がつけば腕をかかげていた。このままでは皆殺されてしまう、僕は腕の中に取り込んだ魔空間を思い出した。
「せえ、のっ!!」
僕は腕に残っていた魔法を全て、叩きつけ、君成と来海を抱きしめて離さなかった。
・
・
・
「おい、聞いたかよ。無帝国城、滅んだらしぞ」
「まじ?まあ、最近、王様、緩くなったって言ってたもんな。恨みもかいまりだったし、内から滅びるだろ。王は?殺されたの?」
「さあ。今はまた何とかって剣士がふんぞり返ってるらしいけど、そいつもどんだけもつかね。王が死んだんじゃね?死体は行方不明とか書いてたけど」
「マジか?どっかで生きてたらサインくらい貰っちゃおー」
「ぎゃっはー!」
無帝国から少し離れた某小国で、酔っ払いたちが、酒を飲みながら、つまみを食べながら、肩を抱き合い、歩いていく。やがてその影は、一人の老兵によって斬られ、倒れた。
「く…はっはっはっは!ざまあみろ君成!ははははは!ははははは…っ、ざまあみろ…」
笑いながら、そして少しだけ泣いている男は、いつか、君成を殺そうとして国外通報にあった老兵だった。




