無帝国という国
君成との剣の稽古は散々だった。言うまでもなく、僕は相手にもならなかった。これでは万が一君成と戦うことになっても、彼とは勝負にもならないだろう。
僕の鼻から軽く血が出た瞬間、君成が我に返って剣を納めた。
「すまん。加減が下手でな」
「いえ、すいません。僕が下手くそで」
「確かに、下手だな」
君成が笑いながら僕を見る。まっすぐすぎて、逆に傷つかない。
「だが、思い切りはいいし、負けん気は立派だ。いい師匠がいたんだろうな」
「はい。自慢の師です」
杷木のことを褒められると嬉しい、その向かいでそうかそうかと君成も笑顔だ。供に汗を流すと、距離が縮まるのが早い気がする。君成と水を飲んでいると、失礼したします、と線が細い男が入ってきた。三十代半ばだろうか。彼ももてそうだ。
「紹介しよう。俺の家庭教師の、数多だ。数多、友の千月だ。失礼のないように」
「これはこれは。数多と申します。王、良かったですね、お友達が出来て」
「からかうな」
微笑ましいやり取りに僕が笑いそうになっていると、握手を求められ、僕が応える。君成の師、ということは、この男は君成よりは強いことになる。
「王と仲良くしてあげて下さい」
「もちろん」
頷きながら、僕の営業笑顔は張りついたように離れなかった。
何だろう、僕にしては珍しく、なかなか警戒心が解けない。編音国では超がつくほど平和だったし、このお城に入って以来、特に妙な目には合ってないのに。
外の空気でも吸いにいこう、ずっと建物の中だから妙な気分になるに違いない。俺が外に出てみたいと申し出ると、今から会議らしい君成は肩をすくめた。
「なるほど。よく分かった。けど、前にも言ったが、この国は警戒心が強いからね。余所者には厳しいところもある。俺と一緒なら問題ないだろう、今日は忙しいけど、明日ならちょっと空きがある。明日まで我慢してくれ」
「ありがとうございます」
僕のお礼が言い終わらないうちに君成が急ぎ出て行ってしまった。忙しいときに悪いことをした。しかし―僕、こんなに外に出たい子だったっけ。元の世界では一日家でゲームしてたのに、なんだろう、城の中の人たちもみんなにこにこしていい人たちばかりなのに―
ふと、先ほどまで君成が座っていたテーブルに書類を発見する。何やら大事そうな印鑑が押されている、これは会議に要るんじゃないだろうか。僕が急ぎ届けようと扉を開けると、もう外に繋がっていた。考えたらここに来るまでの馬車はカーテンが閉まっていたし、城の構造はよく分かってない。鈴の城と比べて広すぎるのだ。
余所者は警戒されるという君成の言葉が気になるが、まさかいきなり殺されることはないだろう。ちょっとだけ、すぐ帰ってくればいいだろう。僕は外へと飛び出していった。
改めて外から見ると本当に大きな城だ。ものすごく写真に撮りたい、完全におのぼりさん気分だ。城を見ているだけで時間が潰せそうだが、それではもったいない。僕は少しだけ城下町に出てみることにした。あいかわらず城の周りを固める兵の数はすさまじく、僕が緊張しながら通り過ぎた。彼らは僕をちらりと見るだけで、特に何も言わなかった。少なくても、彼らにとって僕が出て行くのは問題なさそうだ。
いくらか歩いていくと、大きな市場に出た。すごい活気だ、僕は目を輝かせて行ったがすぐに項垂れた。ちらっと見た値段がものすごく高い、というかそもそも一文無しなのだが。それでも見ているだけでもまた楽しくなってきた僕がああでもないこうでもない、あれ美味しそう、あれ十香に買ってあげたいな、とかうろうろしていると、ふと、足を止めた。気のせいだと思って足を動かして、顔が青くなるまでが早かった。
迷った!!
嘘でしょ嘘でしょ、僕は自分の馬鹿に効く薬が売ってれば今すぐ土下座してでも欲しいくらいだった。やばい帰り道が全然分からん。夢中であれこれ見てたから一時間は経過してるかもしれない。君成の用事がどれくらいで済むか分からないが、僕の留守で彼を心配させては申し訳ない。
早く帰ろう―こっちかな。僕は急ぎ、足を動かした。
お約束だが、更に迷ってしまった。城からどんどん離れてる気がする。市場は市場なんだが―ていうか、市場、どんだけ広いんだよ。まだまだ店が続いている。
ふと僕は、あることに気付いた。露店が道脇左右に並んでいるのは変わらないが、呼び込む声が必死すぎる。立っている商売人は、僕より年下だろう子までいた。兵士たちが歩いて行く両脇から、必死で売りこみをかけているが、彼らは見向きもしない。やがて足を止めて、何か買うのかと思ったら、店員に唾をかけただけだった。僕は驚きすぎて声も出なかった。それでもその子はまだ売りこみを続け、そして僕を発見すると、必死になって売りこみをされた。
何かに似てることにようやく思い当たった。物乞いだ。テレビとかでしか見たことなかったけど。どうして、こんなに必死に―この人たち、ただのお店の人だよな?
恐怖さえ感じた僕は、情けなく、ごめんなさいと叫ぶとそのまま奥へ奥へ逃げて行った。恐らく僕が最後の道行く人だったのだろう、幼子の泣き声が聞こえる。僕はたまらなかったが、申し訳ない、僕にはお金なんてなかった。
そしてまた、僕はまた反対方向に来てしまったらしく、どんどん悪い空気になっていった。あいかわらず露店が並んでいるが、いわゆるいけないお店ばかりだった。下着同然の姿をしたお姉さんたちが僕を両脇から誘惑している。ある者は牢屋に入り、ある者は手錠にかけられていた。僕は照れる以上に怖かった。情けない、震えが止まらない。早く、早く帰りたい―編音に帰りたい―鈴と喧嘩したい、杷木と稽古したい、麗衣と勉強したい、十香を抱っこしたい―
どんっ!!
ホームシックが一気に吹き飛んだ。すごい音に僕はふり返った。ふり返ってしまった。首を切られても、そちらを見るべきではなかった。
「 」
「 」
中見が見えてしまうほどの廃屋の中で、女の人たちが何人も、犯され、嬲られている。罵り乱暴する男たちは何を喚き散らしているのか分からない。分かりたくもない。僕がたまらず嘔吐してしまう、胃の中を全て出すと少し落ち着いた。僕がふらふらしながらどうにか起きあがると、ふと、信じられないものを見た。今まさに衣服を切られそうになっているのは来海だった。震える僕は、気がつけば、彼女の手を取り、男たちの前に踊り出ていた。
「あ…あなた様は…っ」
「何だこのクソガキ!何しに来やがった!!」
「そんなの…僕だって…僕だって分からない!!」
本当に一体何しに来たのか、僕は震えながら、どうにか来海の腕を引いて逃げ出した。しかしすぐに男たちに追いつかれ、僕の頭に銃口が突き付けられる。来海が叫ぶより早く、僕は集中して、手をかざした。
「ぐあ!!」
思ったより効いてくれた、思ったより魔力が残っていた。けどもう空だ。数人の男たちの目を眩ませられたが、こういうのはどんどん増えていくのがお決まりだ。一つしかないだろう出口の前で、銃を構え、男たちがにやついている。
「おいこいつ、魔法が使えるみたいだぜ」
「おまけにかなり珍しいタイプだな…こりゃあ売れるぞ…」
「千月様、お逃げ下さい!私が囮に」
「嫌だ!ここで君を見捨てたら」
「おらあ!」
「千月様!!」
決め台詞も言わせてくれない、後ろから男に蹴られ、僕は漫画のように吹っ飛んでしまった。這うように来海を捕まえ、どうにかかばうように抱きしめる。どうしてこんなに必死になって彼女を守っているのか、分からないけど。体が動く。
「千月様!逃げて!!」
「仲良くあの世に行け!」
銃口を向けられた。やられる。僕が反射的に目を閉じると、からんからんと乾いた音がした。何だろうと僕が目を開くと、僕らに向けられていた銃は真っ二つに割れていて、そして、またばきをした後は、今度は男たちが血を流して流れてしまった。
え 何 何
「きゃあああああ!!」
悲鳴を上げて僕にとびついてきた来海を抱き返しながら、僕は、ただ、目の前の光景を映画のように見ていた。人が死んだ。目の前で、おまけに2人も。血の匂いに僕がようやく状況に頭がついていき、震えながら顔を上げると、ようやく目の前の人物が誰か認知できた。
「…っ…おおおお王様!!」
僕が呼ぶよりも早く、王と分かった男たちが流れるように土下座していく。君成が短く、行け、と命令すると、男たちは悲鳴を上げながら逃げ出して行った。僕から離れた来海も土下座すると、次に君成が彼女に向かって剣を向けた。来海が抵抗しないことも、その処置も驚かないことも、どれだけ驚いていいか分からなかった。
「君成王!なぜ彼女まで」
「なぜ?わが友を誘惑し、このような下町まで連れてきて、殺そうとしたからだ」
「そんなっ…違います!彼女は、あの男たちに乱暴させられようとしていたので、僕が勝手に助けようとしただけです!おまけに、ここに来たのだって、僕が自分で城から出て、ここまで迷っただけで」
「なぜ?君は、俺と約束したよな。明日、供に出かけると。どうして言うことが聞けなかったんだ」
「それは…っ、すいません。たまたま外に出たら、我慢できなくて」
「我慢が出来ない?どうしてだ、俺の言うことなのにか。全ての人間は、俺の言うとおりに動かないのか」
この男は一体何を言っているんだ、君成の顔をなんとなく見上げると、そのまま見入ってしまった。ずっともやもやしていた答えが出てきた。君成の顔は、一度も、楽しそうに笑っていない。目が笑っていないのだ。もちろん君成だけではない。兵も、国の人も、皆だ。
僕が阿呆みたいにぽかんとしていると、君成は急に気が変わったように、剣を納め、待たせていた馬車に乗り込み、僕も続くように促す。乗り込もうとしていると、来海が深く深くお辞儀していた。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
「もう、いいから。気をつけて帰って」
「はい。ありがとうございます、千月様」
何気なく彼女の背中を見送ると、ふと、来海の足取りがおかしいことに気付く。歩いては止まり、歩いては止まり、繰り返し、返っているようには見えない。僕の嫌な予感は確信に近かった。もしかして、僕が余計なことしたせいで、帰るところがなくなったのではないだろうか。また帰るところがあったとしても、また酷い目に―
考えるより早く、僕は馬車を降り、走って来海の腕を取った。
「せ、千月様?」
「君成王。彼女を連れて帰っては駄目でしょうか」
「何?」
馬車から顔を覗かせた君成は驚いており、来海も驚いていたが、王の手前、口はきけないようだ。
「その女は奴隷になり下がった。女が欲しいなら、もっと高値のものを」
「ぼ、僕、この子に一目ぼれしまして!!」
かなり苦しい言い訳だったが、思い切りそう叫ぶと、来海は驚いて顔を赤くするし、僕もつられるし、君成は笑って馬車の扉を大きく開いた。
「それは歓迎せねばな。さあ、入りなさい」
「あ、ありがとうございます!ありがとうございます!!」
僕と来海がへこへこお辞儀しながら馬車に乗り込んでいく。僕が君成に見えないように彼女に向かってブイサインすると、小さく笑ってくれていた。
馬車は少し揺れ、閉められたカーテンから少し景色が見えた。走る馬車の両脇で、人々がひれ伏せ続けている。ふと馬車に気づかなかった誰かが、兵士に切られていた。僕はもう景色を見ることもなかった。来海が眠って僕の肩にもたれかかってなければ、震えながら大騒ぎしていたかもしれない。
噂通り、噂以上の国だった。何もかもが理解できない。これからもずっと理解することはないだろう。こんなところに家族がいるのか、一体どんな―
僕はぎゅっと拳を握りしめ、無理やり眠った。今はもう、何も考えたくなかった。
ただぼうっと部屋の中で空を見ていると、夜になった。使いの人が夕食を呼びに来てくれたが、とても食欲がなかった。君成にも呼ばれたが、僕は寝たふりをしていた。頭ががんがんする。ひたすら横になっていると、また使いの人がやってきた。何か渡してすぐに去っていく。何かと思えば便せん一式だ。編音へ手紙を出したいと言ったことを覚えてくれていたらしい。僕は、何が何でも鈴を嫁がせないように、無帝国はとんでもない国だよ、などと書きなぐりたい気持ちでいっぱいだったが、どうにか耐えた。城の使いの人が、僕が書き終わるまでずっと待ってる。手紙が無事に届かなかったら困る。きっと、ものすごく心配してくれているだろうから。僕は考えて、あることを思いついた。杷木は駄目でも、麗衣は気付くかもしれない。
それは、簡単な暗号文章。文章の頭文字を横につなげると、別の文章が出てくるものだ。僕は縦に、無事なことと、無帝国王がとてもいい人だということが分かるようにして、そして横から読むと、ここがすごく危険なことと、鈴に何があっても嫁がせないようにしていることを書いた。おかげで、縦文章の方が、ものすごくくだらないことまで書いてしまった。これじゃ分からないかな、でも、生きてると伝えられればとりあえずいいか、出来あがった手紙を使いの人に渡すと、僕はそのまま、溶けるように眠った。