第1話 全てのハジマリ
今は、国語。現代文の授業。先生が説明をする声。そして黒板に板書されていく。
私はボーっとしながら翔太と里菜を見た。翔太は机の上でぐっすりと睡眠体制。先生は諦めた顔で授業を進めている。一方、里菜は真剣に取り組んでいた。将来は国際関係に進むとかで英語と国語、社会は常に上位争いをしているほどの実力の持ち主だ。だが不必要なものは切り捨てるタイプのようで、他の授業では翔太と同じような状態で受けていた。
私はというと、さきほどの草原のことが頭から離れないでいた。広い草原、澄み渡る青の空。誰もいないその場所は綺麗な場所であるはずなのになぜか悲しい風が吹きつけていた。
あれ? ……私はここを知らないはず。なのに懐かしい感じがするのは何で?
そう思った瞬間、意識が途切れた。
広い広い草原。
何もないその草原の彼方から馬の駆けてくる音がする。
私はそれの前に立って叫んでいた。
「 」
誰も聞こうとはしてくれなかった。それでも私は叫び続けた。
「 」
私の叫び声をうるさく思った男は馬から降り、私の前まで歩いてきて腰の剣を抜く。
体が縮まるのを感じながら、逃げることをせずにいた。
グサッ
私は思わぬところの体の異変に気付く。
矢が私の腹部に突き刺さったらしい。手をそこまで持っていくと生温かいものが感じられる。刺さった矢を抜き取り、空に投げた。そして後ろを振り向く。
そこには翔太と同じ顔の少年がいた。
その少年は目に涙を浮かべ、手に持っていた弓矢を手放しわなわなと震えている。
私は腹部を手で押さえ、その少年の元へ向かって歩いて行こうとする。しかしその足取りは当然重く、歩くたびに傷口がズキズキと痛む。
一歩一歩、歩いていく私に向かってたくさんの矢が降り注ぐ。後ろを向かず、男たちに目を向けないことをいいことに馬にまたがった男たちが放ったのだ。
少年のもとに辿り着いた私は、少年のことをしっかりと抱きしめる。少年の顔に映る、恐怖におびえていたものが消えた。その代わり彼の口から謝罪の言葉が出てくる。私はその言葉をかき消すかのように軽く口づけをした。思ってもみなかった私の行動に少年は驚き、目を丸くする。
ちょうどその時、私の心臓をめがけて放たれたであろう矢が命中した。
「おまえは一人だよ」
矢を放った男が嘲笑うように言う。
「お……まえたちに……は、……らい…………ない……」
私も最後の力を振り絞り、かすれた声で睨み返しながら言う。うまく言葉になっただろうか。
「……か。……やか。…………綾花!」
私は目を覚ました。
「どうでもいい授業だから寝るのは分かるけど。今日、どうしたの? 体育でも転ぶしさ」
名前を呼ばれたので目を開けると、そこには里菜の顔があった。
「うわぁ!! びっくりした……」
「酷いなぁ。人を珍獣を見るような目で見てくるなんて」
「ごめん。悪気はなかったよ」
「そりゃ、あったら困るわよ。で? どうして今日はボーっとしていることが多いのかな。中谷綾花さん?」
里菜は人を問い詰めるとき、フルネームで呼ぶ癖がある。
「……」
私は答えられなかった。ただの夢だと思っていたのだ。そんなことを話したところで誰も信じてはもらえないと思ったから……。
「……ふ~ん。言えないほど、ヤバイものなのね」
「ち、違うよ!!」
しまった。つい大声を出してしまった。クラスメイトの何人かがこちらを振り返る。その中に翔太もいた。授業が終わっても熟睡状態をキープしていたようで、伸びをしながら私の方へ向かってきた。
「……うるせぇな。俺の安眠を妨害しやがって。何が違うんだよ」
一番話を聞かれたくない人が来てしまった。さっきの夢のような世界に出てきた人物が翔太と同じ顔をしていたことを思い出した。しかも『その人』に射られ、なぜか自分は口づけを交わしていた。そのシーンが頭のスクリーンに映る。自分でも顔が真っ赤になっていくのが分かった。
「なに人の顔見て赤くなってんだよ。気味悪いなぁ」
「本当にそうね。あっ、もしかして翔太に惚れちゃったとか? 綾花も隅に置けないね~」
ニヤニヤしながら里菜が言う。相変わらず、翔太は私のことを不審な目で見ている。
「何言ってんの!!? そんなわけないじゃない!!」
「焦って否定している様子を見ると、もっと怪しく思えてくるな~」
「だ、だから違うってば!」
里菜は信じてくれそうにない。翔太もきっとそうだ。『あのこと』を話さないと駄目かもしれない。
仕方ない。話そう。このまま疑われっぱなしもなんだか嫌だし。
「じゃあ話すね。さっき―――――」
話し出そうとしたら、段々と意識が遠退いていった。
「……やか!! ……や……?」
「……おい!! ……の……か?」
2人が何か言っている。でも聞き取れない。
私は再び、あの広い広い草原へと戻ってきた。
そして血の海の真ん中で蹲っていた。体中に矢が刺さっていて、そこからは血がドバドバと流れだし血の海を作っていた。
助けを呼ぼうと思い、叫ぼうとした。
「ごほっ!! げほっ!!」
声の代わりに、血が口から大量に出てくる。とても喋ることが出来る状態ではなかった。このまま死ぬと思った。
というよりも、もう死んだと思っていたのだ。つくづく、しぶといなと思う。
このまま死ぬのも悪くないと考える反面、まだ死にたくないと思う自分がいる。
その時、向かい側から誰かがやってきた。
ゆっくりと私の方に近付いてきたのは、さっきの翔太に似た少年だった。もう1人、別の見知らぬ顔の少年も一緒である。少年は黙ったまま私の肩に手を置いた。すると一瞬で辺りがぱっと明るくなったではないか。
そして気が付くと私はまた、今までと同じように広い草原の上に立っていた。しかし先ほどとは何か様子が違う。先ほどには何もなかったはずの草原には緑の葉をたくさんつけた木々が立ち並び、見たことのないような花が点々と咲いているのが見えた。また大きな湖があり、遠くの方には人の家のようなものまで見える。
一体何がどうなったのだろう。血の海は? 瀕死状態の私は?
少し歩いてみようとすると、どういうわけか足に力が入らない。なんだかとても軽くなった気がする。私は死んで、あの少年たちに天上の世界に連れてこられたのだろうか。だとすると、今ここにこうして立っている私は……幻!?
「……か。……やか。あやか? どうしたの。話すって言ったきり黙り込んじゃって。しかも私たちが何回呼んでも反応しないし」
「えっ? あっ、ごめん。で、何の話だっけ?」
「おいおい、しっかりしてくれよ。お前本当に大丈夫か?」
「……」
何も言えなかった。
「まぁいいや。そろそろ次の授業始まるよ」
「……、次って何だっけ?」
「―――――。次は日本史でしょ。旧国名のテストがあるんじゃない。綾花、ボーっとするのもいいけど、ほどほどにした方がいいよ」
「そうそう。ずっとそんなだと友達いなくなるぞ」
翔太、お前にだけは言われたくないわ! と突っ込みを入れる。
里菜と翔太は席に戻っていった。私は窓の外を見ながら先ほどのことは夢だったのか、それとも本当にこれから起こることなのか。旧国名のテストはそっちのけで真剣に考えていた。
その時、次の授業のチャイムがなった。日本史は教室を移動しなければならない。隣の教室ではあるが遠く感じる。
すると、また広い草原に日本史の教科書を持ちながら立っていた。
そこには例によって翔太に似た少年がいた。彼は私に向かってにっこりとほほ笑む。そしてどんどんと遠くへ歩いていく。途中で立ち止まり、私の方を振り返り手招きをする。ついてこいということなのだろうか。私が歩き出すと彼はまた笑って歩き出した。
青い空、心地よい風。若葉がまるで絨毯のように広がっていた。
ふと気が付くと、少年は遠くで足を止めていた。私は彼に向かって叫ぶ。貴方は誰なのかと。
少年は振り返って私に向かって返事をする。
「 」
え、嘘。まさか、そんな……。だって彼は1年前の事故で死んで……。え、じゃあここは本当に天国?
「……たに、……かたに、中谷!」
「はいっ! 今のは夢ですか? 現実ですか?」
名前を呼ばれ、とっさに立ち上がってしまった。クラスに笑い声が響き渡る。うわっ、まずい。授業中だった。
救いの手を差し伸べるように終業のチャイムがなった。
「それでは今日はここまで」
「もー、綾花ったら。本当、どうしちゃったの? 今日、なんだか変だよ」
「うん、そうみたい。あっちへ行ったかと思えばこっちに戻ってきたり。こっちで普通に過ごしてるのにあっちへ行ったり」
「何を訳の分からないこと言ってるの? っていうか、さっき話するって言ってたじゃない」
「え? あぁ、そうだったね」
草原の話をする約束をしていたのをすっかり忘れていた。
里菜が翔太を呼ぼうとしている。その時、私の目の前にあの少年がいた。
またか、と思ったのだが今回は状況が違う。
ここは教室だ。里菜も翔太もほかのクラスメイトもちゃんといる。
なのに……、なぜ? なぜなのだ。
「なんで、優太がいるの?」
それは草原の中にいた少年であり、1年前の事故で死んだ人であり、私の大切な人だった。