12.へべれけ大暴走(8章後)
※10-(14.5)までのネタバレ、キス描写あり。お気をつけください。
世界厄介なものランキングを集計するとしたら、酔っ払いという生き物は相当の上位に入るだろう。
ジーンの酒場は底抜けに騒がしい。がやがやという客の声にまぎれながら、看板娘三人の元気が良い接客が飛び、杯を打ち合わせる音が響いている。
賑やかなその中の一角、奥まった場所、二つほどテーブルをつなげた席に、コロナエ・ヴィテは陣取っていた。
コロナエ・ヴィテの酒宴が始まってからしばらくが経つ。いつもならこの頃には必ず、男性陣の誰かが酔いどれているものだ。本日も例に漏れず、通常時からは及びもつかないほど締まりのない顔をした男が一人二人。
「イェーイヤマト飲んでるー?」
呂律の回りきらない口調で大声を上げたのはソーリスだ。頭上の虎耳と立派な虎尻尾がでれんと垂れていて、顔が紅潮しきっている。木の杯になみなみと注がれた酒を派手に零しながら、声を掛けた人物へと近づいた。
声を掛けられたヤマトもまたひどく酔っているようだった。繊細なラインを描く頬は赤く染まり、とろんと閉じかけた瞳の長い睫毛により影が落とされている。それが例えようもなく美しく、コロナエ・ヴィテ以外の普段彼を見慣れていない客などは、ヤマトが視界に入るたびに生唾を呑み込んでいた。
通常時ならば周囲の客に威嚇するのに忙しいソーリスだが、酔いが進むとそんな余裕もなくなり、ヤマトにひっつくことに全力を掛けるようになる。今も、声を掛けると共に思い切りヤマトに覆いかぶさっていた。
「ソルぅ顔真っ赤だよぉふふふ」
顔を寄せて頬擦りをするソーリスを嫌がりもせず、ヤマトが嬉しそうに笑った。ヤマトは酒に酔うとあらゆることに寛容になるタイプだ。
「飲みすぎちゃったーえへへへ」
「俺もぉってうわっ」
ぐりぐりとお互い擦り寄りながらでろでろ笑うと、ヤマトは何かに引っ張られるのを感じた。
「……ヤマト、あっち行こうよ」
ヴィーフニルだ。子どもゆえ酒を飲まない素面の青い少年がヤマトの服を引っ張っていた。
「え~どうしたのぉニルおしっこ?」
ほわほわした思考のヤマトはヴィーフニルが嫌う子ども扱いも平気でする。
しかしヴィーフニルは怒らない。酔っ払いには何を言っても無駄だ。それにヤマトのこれは悪意があってのことではない。ヴィーフニルは溜息をつきながら、裾を引っ張り続ける。
「違うし……ソーリスキモいから別のとこいこ」
「あんだよガキィ、お前も飲め飲め」
突然貶されたソーリスは目を座らせ、ヴィーフニルに杯をぐいぐい押しつけた。木の杯に頬を潰されたヴィーフニルが悲鳴を上げる。
「ぎゃっ、止めろよ馬鹿ッ! 死ねっ」
ヴィーフニルは捨て台詞を残し、エデルなどがいる安全地帯へ逃げていった。それを見送り、ヤマトがほうと溜息を吐く。
「いっちゃったぁ……」
「うははー参ったかガキめー俺とヤマトの仲を裂こうとしやがってー」
その言葉を聞いたヤマトは、きょとん、と目を丸くしてソーリスと目を合わせる。
「なにそれぇ俺とソルラブラブなの?」
「そりゃもぉラブラブでしょぉへへへ」
ソーリスは音がしそうな勢いでヤマトを抱き締め、べったりと密着する。
くるしーっと、ヤマトが楽しそうに騒いだ。そのままソーリスの背中へと手を回し、抱き合う体勢になる。ここで通常通りの正しい判断力があれば周囲の目線に耐えられなくなるはずだが、酒というものは恐ろしく、今は驚きと好奇に満ち溢れたそれに全く気付くことができない。
と、ヤマトがふと気付いたように、あ、と声を上げた。
「……ラブラブかぁ……じゃあちゅーしなきゃじゃん」
そしてさも当然のように言う。
「ええ~していいのぉ?」
「いいよぉラブラブなんでしょぉ」
へにゃへにゃと笑いながらソーリスが尋ねた。それに同じような笑いと共に了承を返すヤマト。
「へへへじゃぁしちゃおぉ吠え面かくなよぉ~?」
「悪い奴みたいな台詞言って……んむぅ?」
がぶりと、食らいつくような勢いだった。突如口を塞がれ、自分で許可を与えたにもかかわらずヤマトが驚いた顔をする。
ぐっ、とソーリスが顔を押し付け、重なりが深くなった。
「んん~っ」
ヤマトが苦しげな声を上げる。だがソーリスは構わずヤマトを拘束し、たっぷり数十秒は唇を味わった。
「……ふぁ、ほんとにしたぁ」
解放されて、酒と酸欠とそれ以外の何かで、ヤマトが頬を真っ赤に染める。
半ば呆然と熱い吐息を零せば、間近の獣が反応した。
「ヤマト」
「え、へぁっ!?」
切羽詰まったような表情。酒に酔って力の抜けた声は既に微塵も存在せず、ソーリスは真剣そのものの声音で短くヤマトの名を呼んでまたも襲いかかる。
唇を重ね、軽く吸う。それを繰り返していると、ヤマトの口が薄く開いた。ソーリスがその機を逃すわけがなく、口内の粘膜を触れ合わさせるべく奥へと進む。
「……ん、ちゅ……むぅ……」
湿った水音が、吐息に紛れた。
「なん、か、はふ、いきなり、ん、真面目に、んぁ、なってるぅ~……んむ」
合間合間に茶化すような言葉を入れようとするヤマトだが、猛攻のせいでそれはまともな言葉にならない。変な声が漏れる、変なの、と酒に酔った頭で考えながら、ひたすらソーリスに支配される。
「ヤマト、は……ぁ、好きだ。ん……ヤマト、ヤマト」
「ふふふ、ソル必死……あ、ん、こら、っふ、し、舌いれんなぁ。ん、ん……あ、ざらざらぁ……」
ついには舌までが侵入し、種族柄か自分よりも大きく感触すらもが違うそれに、ヤマトが感想を漏らした。
二人の温度差が激しい唇の交接はまだまだ続くようだった。
目の前で乳繰り合いだした二人を見て、コロナエ・ヴィテの面々は思い思いの雑感を抱いていた。
「あらまあ」
「うーわー」
「!!?!?」
「アホどもめ」
「……マジでぇ?」
「ちょっ、キルケなんで目隠すの」
「お子様にはちょっと見セられないかなァって……」
上から順にエデル、ジェーニア、ジェネラル、パーシヴァル、エナ、ヴィーフニル、キルケだ。ちなみにレイはぐっすりである。ジェネラルは雑感を抱くというか、目玉が落ちてどこかに行ってしまったような顔をしていたが。
パーシヴァルがしらーっとした顔でキルケに尋ねる。
「あれ翌日覚えてんのか」
「覚えてないでショ。記憶飛ばし得意ジャンあいつら」
「まあそうだよな」
実のところ、あの二人は酒に酔い過ぎると記憶を無くす筆頭株だ。
どうせ翌日まったく覚えていないのだから、今こっちが動揺するだけばかばかしい。
「ぱ、パース」
呼ばれて、パーシヴァルは振り返った。そこには顔面蒼白のジェネラルがいる。
「なんだよ兄貴」
「あ、あれは……最近の若者にはじゃれ合いの範疇なのか」
ジェネラルが、酸欠で朦朧としているヤマトをいまだ貪るソーリスを指差して問う。本当にそう思うなら兄貴の頭は重症だと思いながらも、パーシヴァルは面倒くさくて投げた。
「俺が知るか。最近の若者だってんならエナにでも聞け」
「え、エナ」
素直に従うジェネラル。よほど動揺しているようだ。だがしかしエナは両目を自らの手で隠し、現実から逃避していた。
「エナ何にも見てないです。幼馴染みが別世界に足を踏み入れたところとか見てないです」
思い切り撥ね退けられたジェネラルが心細そうに周囲を見渡す。一番最初にキルケと目が合った。
「き、キルケ」
「いやァ……俺あいつらよりちょっと年代上でスからわかンないでスね」
しかし明確な答えは得られない。うふふ、と背後から笑い声。そうだ、エデルがいた。
「え、エデル……」
「私はもっといってますからねぇ」
駄目だった。もうどうすればいいのかわからなくなったジェネラルは、ひとり呟く。
「俺はどうすれば……」
「見守ってあげるのがいいんじゃないですかねぇ!」
「ジェーニア」
助け舟かと思われた。しかし。
「仲良きことは美しき哉ですよぉ! あ、ソルがヤマトの服の中に手を突っ込み始めた」
のっぴきならない状況が訪れる。
「……ッ!!!! 止めてくる」
「いってらっしゃ~い」
これは、駄目だ。場所的にもモラル的にも、自分の精神的にも。
何かが限界を越えたジェネラルは、背後に暢気な声を聞きながら、複雑な表情で二人の元へと駆け寄った。
「団長も大変ねぇ」
「エナは何にも見てないです」
「うわスげェ団長が行っても全然離れない。でもサ、ソルがヤマトのこと好きなのわかってて隣に置いとくからいけないンだと思うよね、俺」
「まーこういう酒の席で普段抑圧されてるのが出るのはしょうがねぇな」
「な、ん、な、ん、だ、しぃー! 見せろって」
「おチビちゃンは速くでっかくなって守ってやらないとヤマトが傷物にサれちゃうゾォ」
「はぁぁ!!!?」
「はは、二人きりにしといたら今夜中にでも貫通されそうな勢いだな。あ、兄貴実力行使にでやがった」
「うわほンとだスげー的確に落とシた……」
「うわ眩しっ。手、離すなら言ってよ。……あ、ソーリス死んでる」
「お持ち帰りー……っと。おかえり。ヤマト半分寝てるじゃねえか」
「んんぅー……?」
「ソルあのままでいいンでス?」
「多分朝まで目が覚めないだろうから、キルケ、運んでやってくれ」
「はいはーい……ソろソろお開きでスね」
「今日は何事もなく平和に終わった良い飲み会だったなぁ、エナ満足」
がやがやがやがや。事態は解決された。
周囲の客へと適当な誤魔化しをまき散らした後、ジーンの酒場からの帰り道、パーシヴァルがジェネラルに尋ねる。
「……ソルがヤマトのことを好いてるのは静観してるくせにそういうところは手を出すのか」
「場所が場所だろう……」
「ギルドハウスならいいのか?」
「……大人の階段を上るのは、まだ早いだろう。まだ駄目だ、まだ」
「あほか」
親心というのも、これまた厄介な代物なのだと、パーシヴァルはこの日理解した。