第六章 那岐山龍守
龍守に先導され織瀬が向かったのは、最初に指定した会見場所である倉庫から、ほんの一里ばかり離れた官舎の一室だった。
「こちらへどうぞ、翠蓮皇女。我が配下がすでに人払いを済ませておりますから、どんな密談でも外に漏れることはごさいません」
窓は全て巧妙に塞がれ、一条の光すら漏れていない。確かに外部に中の様子が知られることは無さそうだが、それは同時にここに立ち入ったが最後、何が起こっても助けを求めることはできないということを意味していた。
(いいえ。そもそも私はここに居るはずのない人間なのだから、会見場所がどこであろうと、那岐山侯爵に何をされようと、初めから誰かに助けてもらうことなどできなかった。今更臆することなど何もないわ)
龍守に誘われ、織瀬は意を決して部屋の中へ足を踏み入れる。その後ろに龍守が続き、静かに扉を閉めた。前世では扉が閉まる音が死の宣告のように聞こえたこともあったが、今はむしろこれが始まりなのだと──そうしなければならないと、織瀬は決意を込めて顔を上げた。
部屋のなかには、宴の場で顔を合わせた那岐山家の三人の家臣たちが揃っていた。
「随分と遅かったな、龍守。どこで道草食ってやがったんだよ。待ちくたびれたぜ」
大欠伸をしながら、鳶色の瞳の青年が長椅子の上で身体を伸ばす。
(この人は……確か隼人殿といったかしら。やはり彼も、前世とは随分印象が違う……)
思わずまじまじと見つめてしまう織瀬に対し、家臣たちのなかでは最も年嵩と思われる男が深く頭を下げる。
「皇女殿下。お見苦しいところをお見せいたしまして申し訳ございません。彼は龍守様の護衛を務めております隼人という者です。龍守様とは従兄弟同士でおりますゆえ時折あのような言動をいたしますが、彼以外の那岐山家の家臣は皆まともですから、どうぞ龍守様の監督能力に疑問を持たれることなきようお願い申し上げます。……申し遅れましたが、私は龍守様の相談役を務めております、鷹比古と申します」
「は……はい。よろしくお願いいたします、鷹比古殿」
謝罪からの隼人への当て擦り、そして主君への擁護──流れるような言動に、織瀬は苦笑する。おそらくこのような場面は日常的なものなのだろう。
(豊雲家もそうだったけれど、皆家臣と仲が良いのね。でもそれにしては、前世での那岐山侯爵と隼人殿は、何かよそよそしい感じだったけれど……)
小さな違和感に、織瀬は我知らず眉根を寄せる。
そこへ宴の場で倶知比古と呼ばれていた年若い青年が進み出て、織瀬に向かって拱手した。
「翠蓮皇女殿下、私はこちらの鷹比古先生の下で学びながら、龍守様にお仕えしております倶知比古と申します。隼人殿がご不快な思いをさせてしまい申し訳ございません。……ほら、隼人殿。貴方もこちらに来て皇女殿下に謝罪なさい」
「はあ? 何でお前が俺に命令すんだよ。……つーか師弟揃ってまた俺をディスりやがって──」
「いいからさっさと頭を下げてください。全く相変わらず朴念仁で困りますね」
「はあ!? テメェ今なんつった!?」
「朴念仁と言いました」
隼人は長椅子から立ち上がり、自分よりも目線の低い同僚を剣呑な目つきで睨みつける。しかしそんな視線を向けられても、当の倶知比古は涼しい顔だ。
「ほら、早く土下座なさい」
「あ、あのっ……私は気にしておりませんから、どうか喧嘩はなさらないでください……! 那岐山侯爵……!」
徐々に熱を帯びていく二人の会話に、織瀬は助けを求めるように龍守を振り返る。しかし当の龍守はと言えば、
「……っ、く……ははっ……」
口元に拳を当てて、ひたすらに笑いを押し殺していた。
「……那岐山侯爵……?」
きょとんとして、織瀬は龍守を見つめる。
「……っ、いや……失礼。翠蓮皇女の反応があまりに素直なもので、つい……」
「はい……?」
状況が理解できずに、織瀬は小首を傾げる。
「鷹比古に倶知比古、ご苦労だった。隼人を揶揄うのはその辺で良いぞ」
「は」
「これで少し皇女殿下の緊張がほぐれると良いのですが」
そう言って倶知比古が微笑んだ。
織瀬は口元を押さえて龍守を見やる。
「今のはわざと……演技、ということですか……?」
「ええ、勿論。翠蓮皇女には及びませんが、我が配下の演技力もなかなかのものでしょう? ……さて、肩の力も抜けたようですし、早速本題に──」
「ちょっと待て! 何だよ演技って! 聞いてねえぞ!」
龍守の言葉を遮って、隼人が叫んだ。
「五月蝿いぞ隼人。時がないのだ、少し黙っていろ」
小虫を払うように手を振る龍守に、
「テメェ、また俺に何も言わずにいいように使いやがって」
「仕方なかろう。事前に言って、お前に演技ができるか? いや無理だろう」
「それは確かにそうだが……って、そうじゃねえ! あいつらが俺を揶揄うのもいつものこと……って、そうじゃねえ。……あれ?」
龍守に食い下がりながらも、次第に勢いを失っていく隼人に、龍守は愉快そうに肩を揺らす。
「隼人。言いたいことが頭の中で整理できたら、その時聴こうか。……さて、翠蓮皇女。立ったままというのも何です。こちらへどうぞ」
「……ありがとうございます」
龍守が引いた椅子に、織瀬は静かに腰を下ろす。
隼人には申し訳ないが、先程の那岐山家の家臣たちのやり取りは、確かに織瀬の緊張を和らげる効果があったようだ。そうでなければ、密室に自分と四人の男たちしかいないこの状況に、平静でいられるはずがない。
円卓がひとつ置けるくらいの距離をとって、倶知比古が織瀬の前に椅子を置いた。龍守は羽織ったままだった外套を倶知比古へと手渡し、おもむろにそこに腰掛ける。
三人の家臣たちが龍守の傍らではなく、それぞれ少し離れた場所に立って織瀬と龍守を見つめているのは、織瀬に威圧感を与えまいとする彼らなりの配慮なのだろうか。
「那岐山侯爵。私の文に応じてくださったこと、まずは感謝いたします」
「とんでもない。皇族からの呼びかけを拒める者など、この橘花国にいるはずがありません。……それで、皇女殿下は私にあえて虎穴に入れとの仰せですかな?」
にやりと皮肉っぽく唇を歪める龍守に、織瀬は静かにかぶりを振る。
「いいえ。そうではありません」
「ほう? てっきりあの好色な従兄殿を排除しろとのご命令かと思いましたが……違うのですか」
織瀬の父である高徳帝と、葛城乙彦、皇太后螺鈿の継母である水葉上皇は姉弟である。つまり系図上、織瀬と乙彦は従兄妹ということになる。
「彼の振舞いが臣下としての分を超えていることは確かです。いずれは今の立場から退いてもらう方法を考えねばなりません。……しかし今私が依頼したいのは、近いうちに起こるであろう葛城家に対する反乱を阻止することです」
その瞬間、室内の空気が一気に冷えるのが分かった。失敗したか、と織瀬の背に冷や汗が流れる。
「葛城家に対する反乱……ですと?」
紅い瞳が細められ、探るように織瀬を見つめる。その視線から龍守の心中を推し量るような芸当は、織瀬にはできなかった。
「……はい。そうです」
絞り出すような声で答える織瀬に、
「ほう……」
龍守は顎に手を当てて、自分から見て右手側に立つ鷹比古を見やる。
「今の橘花国に、葛城公爵に危害を加えようとする不届き者がいるとは思えませんがね。……鷹比古、お前はどう考える」
「私も龍守様と同意見です。葛城公爵の威は、最早この橘花国の全てを覆い尽くしていると言っても過言ではありません。もちろん内心では不満を持つ者もあろうかとは思いますが、実際葛城家の兵力を考えれば反乱を起こしても成功する確率は低いでしょう」
「……だそうです、翠蓮皇女。せっかく危険を犯して私に会いに来てくださったところ恐縮ですが、貴女のご懸念は杞憂かと思われます。さあ、どうぞ翠蓮宮にお戻りを──」
「七月朔日の未明、安比公爵家の私兵と西苑軍の一部の兵が、皇宮と葛城公爵邸を焼き討ちします」
織瀬の言葉に、龍守は眉根を寄せる。
「……翠蓮皇女。貴女の想像力には感服いたしますが、不確かな情報で動くほど私も暇ではありません」
「多くの官人たちが害されるでしょう。……貴方も分かっているはずです。こんなことをしても、葛城家の権威は揺るがない」
「申し訳ございませんが、何の話だか……」
「お願いですから、知らぬふりは止めてください。貴方にも、安比将軍から──初臣殿から誘いがあったのでしょう? でも、貴方はそれを断った。無辜の者たちが命を落とすことになると、分かっていたから……」
我知らず、胸の奥から熱いものが込み上げる。努めて冷静に龍守を説得しようとしていたのに、唇から溢れるのは感情的な言葉ばかりだ。しかし織瀬は、口を閉じることはできなかった。
「多くの命が失われることが分かっていながら、何もできない……。皇族とは名ばかりで、私には何の力もないのです。ですから、恥を忍んでお願いいたします。どうか安比家の企てを止めてください。私にできることなら何でもいたしますから……!」
膝のあたりの着物を両手でぎゅっと握りしめながら、織瀬は両眼からあふれ出しそうになる感情を押し込めた。深く、龍守に向かって頭を垂れる。
しばし、室内を静寂が支配した。
「……一国の皇女が、安易に頭を下げるものではありませんよ」
龍守が立ち上がり、ゆっくりと織瀬の元へと歩み寄る。
「翠蓮皇女、顔を上げてください」
「……」
そう促されても、織瀬は俯いたままだ。酷い顔をしていることが分かっているから、それを見られたくなかった。
(私は……なぜこんなにも感情的に……)
自分で自分の心が理解できなかった。
(私はただ、同じ未来を繰り返したくない……。皇女として、橘花国を守らなければと思っていただけなのに……)
頑なに下を向いたまま動かない織瀬と視線を合わせるように、龍守が膝を付く。
「皇族としての矜持よりも、臣下の命を優先なさるのですね」
「……え?」
龍守の言葉に、織瀬は虚を突かれたように顔を上げた。
「このまま放っておけば……どう転んでも、貴女に不利益はないでしょう。むしろ万に一つも成功すれば、貴女にとっては益になるというのに」
「那岐山侯爵、私は……」
「しかし、なぜ私が初臣からの誘いを断ったと──いえ、申し訳ございません。翠蓮皇女にはきっと独自の情報網がお有りなのでしょう。あえて明かしてくださらなくても結構です。……時に、先程仰った日時は確かなのですか」
「え?」
「決行が七月朔日の未明という話です。それは確実ですか」
「は、はい……。おそらく……」
「ちっ……初臣にしては行動が速いな」
舌打ちとともに、龍守は立ち上がる。
「隼人。兵は何人集められる」
「明後日だろ、だいぶ厳しいな……。確実なのは五十ってとこか」
「鷹比古。安比家の兵力は」
「安比家単独で動かせるのはおよそ二百。あとは他家で応じる者がいかほどか、現時点では判断しかねます」
「……分家の者たちの兵力を合わせれば、もう百ほどは増えるか。あとは──」
再び椅子に腰を下ろし、長い指の先で唇を叩きながら思案する龍守に、
「龍守様、これはあくまで私の推測なのですが……豊雲公爵家と冬院伯爵家も加わる可能性があります」
躊躇いがちに、倶知比古が会話に割って入った。
「……なんだと?」
龍守を始めとする部屋中の視線が、一斉に倶知比古へと注がれる。倶知比古はそれに一瞬怯んだように一歩後ずさったが、すぐに気を取り直して龍守へと向き直る。
「先程の宴……安比本家の方たちは欠席しておりましたが、分家筋や安比家と懇意にしている家の者たちの姿は見られました。そのなかで、分家の安比北家の言動が少し気になって……」
「北家の者は何と言っていたのだ?」
徐々に小さくなっていく倶知比古の言葉を促すように、龍守が声をかける。
「その、全てはっきり聞き取れたわけではありませんが……火の星が沈み新月が美しく見える、と……幾人かに、まるで挨拶でもするように言っていて……首を傾げる人もいましたが、豊雲公爵と冬院伯爵はその意味を理解しているように頷いていて……」
「成程。でかしたぞ、倶知比古。大した観察眼だ」
「……っ、ありがとうございます!」
龍守の評価に、倶知比古はまるで子どものように顔を輝かせた。
それとは対照的に、鷹比古はきつく眉根を寄せる。
「しかし豊雲家はともかく、冬院伯爵家ですか。あそこは武門の家としても名が通っています。兵の質も他家とは一線を画しておりますゆえ、厄介ですな」
「そうだな。俺と隼人がいるとはいえ、五十の兵では厳しいだろう。葛城家の兵も精鋭揃いとは聞いているが、不意を打たれればどう転ぶか分からん」
椅子の背に身体を預け、龍守は天を仰ぐ。
「さて、どうしたものか……」
「なあ。なんで火の星とか新月とかで、豊雲家と冬院家が安比とつるんでるって分かるんだよ?」
「……冬院家は五十といったところか。相手は三百五十余り……まだ正式に杖を賜ったわけではない俺に、近衛軍は動かせない。となると葛城家の私兵頼りとなるが、どうする鷹比古」
「そうですな……」
「おい龍守! 無視すんなお前ら!」
大声を上げる隼人に一瞥もくれず、龍守と鷹比古は軍議を始めてしまう。倶知比古はと言えば、未だ龍守の賛辞に酔っているのか、こちらも隼人のことを気にかける様子はない。
さすがに哀れに思って、織瀬はおずおずと声をかける。
「あの……おそらくですが、決行日をそれとなく伝えているのではないかと……」
「ん? 決行日?」
「はい。古の詩に七月流火といって、七月になると火星が西空に傾いて沈む……というものがあるのです。そして暦の朔日は新月ですから、安比北家の者は七月朔日に決行するということを伝えていたのだと……」
「へえ、そうなのか」
隼人は感心したように頷く。
「さすが皇女様。学があるんだなあ」
「いえ、それほどでも……ありがとうございます」
屈託なく笑う隼人に釣られて、織瀬も思わず微笑んだ。
「それに素直だし。いくら学があっても、龍守みたいに捻くれてちゃな……」
「黙れ隼人。翠蓮皇女、我が配下の相手をしてくださってありがとうございます。……しかしこれで、皇女の仰った日時の裏づけもとれた。後は我らにお任せください」
「……え?」
織瀬は翡翠色の瞳を見張り、龍守を見つめる。そんな織瀬の様子に、龍守はふっと唇を緩める。
「何を不思議そうな顔をなさっているのです? 私に反乱を止めてほしいと頼みに来たのでしょう?」
「え、ええ……そうなのですが、先程今の兵力では難しいと……」
「できないとは言っておりません。何とかいたします。……いざとなれば、私とこの隼人がそれぞれ百人分の働きをいたしますから」
背後に立つ隼人を親指で示しながら、龍守は笑う。
「本当に……お願いしてよろしいのですか」
「ええ、お引き受けいたします」
「ありがとうございます……!」
織瀬はほっと胸を撫で下ろす。兵力は心許ないが、前世でも『白蓮国記』でも、那岐山龍守は機知権謀に富むと評されていた。今は冗談めいた言い方をしているが、きっと何か策があるに違いない。
「那岐山侯爵、私にできることはありますか。皇宮内の造りなど、もし必要な情報があれば──」
「お気持ちだけ受け取っておきましょう。皇族である貴女が、非常時とはいえ外部に皇宮の秘事を漏らしたとあっては外聞が悪いのではありませんか」
「それは確かにそうですが……」
織瀬は困ったように目線を落とした。一人の力ではどうにもならないと龍守を頼ったものの、全て任せて何もしないというのは良心が痛む。
すると龍守は急に何かを思いついたように、
「ではこういたしましょう。首尾よく反乱を止めることができたら、私に褒美をいただけますか」
「え? 褒美……ですか」
織瀬は意外そうに眼を瞬かせる。
「それはもちろん、依頼を聞き届けていただければ、何らかのお礼はするつもりでいました。ただ貴方もご存知かと思いますが、私は皇族とは名ばかりで何の権力も持ってはいません。もし貴方が望むものが官職であれば──」
「官職なら自力でどうとでもなりますのでご心配なく。それと金銭の類いも不要です」
「では……貴方は私に何を望むのですか?」
「貴女にしか与えられぬものを」
龍守は椅子から腰を上げると、織瀬の正面に歩み寄る。そして恭しく一礼すると、
「翠蓮皇女。貴女の願いを叶えた暁には、貴女に私の妻となっていただきます」
「…………え?」
「貴女の国を思う真摯な心、そして自身よりも臣下の命を案ずる優しさに惹かれました。ぜひ私の妻となっていただきたい」
「……本気で言っているのですか?」
「無論です。それに、何の力も持たぬ皇女殿下が与えられるものとして、その身以外の何があると言うのです?」
「それは──」
返答に窮したその時だった。不意に背後から激しい突風のようなものが吹き込み、織瀬の視界を見慣れた後ろ姿が塞ぐ。二つに束ねられた髪が靡くのを認めた瞬間、金属同士がぶつかり合う鋭い音が、室内に響き渡った。
「……お姫様の侍女にしちゃあ、えらいじゃじゃ馬だな。どっから入った?」
主君を狙おうとした苦無の切先を長剣で阻みながら、隼人はぎろりと侵入者を睨みつける。龍守の背後にいたはずの隼人がいつそこに回り込んだのか、織瀬の目では捉えることができなかった。
「姫様を褒美だって? ふざけないで! どいつもこいつも姫様を何だと思ってるのよ!」
「菊理、落ち着いて! 宮で待っているよう言ったのに、なぜここに……」
歯を食いしばって再び隼人に切りつけようとする菊理を、織瀬は慌てて止める。普段の侍女服ではない、黒衣を纏った菊理は苦無を握る手に力を込めたまま、
「心配だからに決まってるでしょ! 言わんこっちゃない、こんなクソ野郎に丸め込まれて……!」
そう叫ぶと、隼人の背後で薄い笑いを浮かべる龍守に、敵意に満ちた眼差しを突き刺す。
「随分な言われようだな。翠蓮皇女もなかなか個性的な臣下をお持ちのようで。……隼人、剣を下ろして良いぞ」
「はあ!? 正気かお前!? こんな殺気しか感じないような女を前にして……!」
「良いから下ろせ」
「……分かったよ」
渋々ながら隼人が武器を納めた瞬間、菊理が素早く床を蹴って龍守に飛びかかった。
「菊理……っ!」
織瀬が叫ぶのとほぼ同時に、菊理の刃が龍守に襲いかかる。しかしその攻撃は、龍守に届くことはなかった。
疾風のような攻撃をひらりと交わして、
「成程。武人ではなく草……忍びの者か。なかなかに良い腕をしている。鷹比古の配下の中に放り込めば、上の中くらいの実力になるのではないか?」
その力量を測る余裕すら見せる龍守に対し、菊理は額に青筋を浮かべる。
「この野郎……ッ!」
「おっと、危ないな」
再び苦無の先が金の髪を掠めるも、龍守は露ほども動じることなく楽しそうに笑っている。
一向に届くことのない攻撃を何度か繰り返して、さすがの菊理も肩で息をし始めた。
「なんだ、もうお終いか? 皇女の護衛がこの程度とは些か期待外れだな。前言撤回して中の上くらいにしておくか」
「……っ、あからさまにあたしのことナメてるわねっ……! こいつムカつく……っ!」
「あー……わかりみがすぎるわ。ムカつくよなー龍守って」
「おい。お前は誰の味方だ隼人」
「俺はお前がムカつくって意見に共感してるだけだぜ。……それで、どうするこの女?」
隼人の瞳の色が変わった。ついさっきまで軽口を叩いていたとは思えないほど鋭い目つきで、隼人は菊理を見やる。その視線の冷たさに、織瀬は全身の血が凍りつくような感覚に陥った。
「皇女の侍女だか護衛だか知らねえが……龍守に刃向けて、ただで帰れると思うなよ」
隼人が長剣を構える。
「……っ! 待ってください、隼人殿!」
「ちょっと姫様!」
思わず菊理を庇うように前に走り出た織瀬に、剣先が突きつけられる。
織瀬は喉元まで出かかった恐怖を飲み込んで、
「彼女の無礼はお詫びいたします。ですからどうか剣を納めてください」
「姫様! なんで姫様が謝るんですか! 先に無礼なこと言ったのはそこの金髪野郎でしょ!」
「お願いだから菊理、ここは堪えて頂戴」
「姫様……!」
「……この辺にしておきましょう。どちらがより無礼かという観点から言えば、こちらが圧倒的に不利ですしな」
はあ、とひとつ深く溜め息を吐いて、鷹比古が剣を握る隼人の手を押し留めた。
「隼人殿、剣を納めてください。皇女殿下に侍女殿、怖がらせてしまい申し訳ございません。……龍守様も人を揶揄うのも大概にしてください。隼人殿が暴走したら、私の配下を総動員しても止められませんぞ」
「ああ、すまんな鷹比古。……隼人、剣を納めろ」
「……分かったよ」
隼人が長剣を鞘に納めるのを見届けて、織瀬はほっと胸を撫で下ろす。その後ろで、
「あたしは別に怖がってないけど」
菊理が不満そうに唇を尖らせた。
「龍守様。先程の皇女殿下への要求は撤回して謝罪なさってください。いくら龍守様でも臣下としての分を超えていらっしゃる。これでは葛城公爵と変わりませんぞ」
「お前にしては的外れな批判だな、鷹比古。こちらは身を危険に晒して皇女の依頼に応えるのだぞ? これくらい望まねば割に合わん」
「割に合う合わないの話ではございません。橘花国の民であるならば、皇族の依頼に応えるのは当然のこと。……見返りを求めるのであれば、皇女殿下の依頼は聞かなかったことになされよ」
「お前の言うことは最もだがな。しかしその正論が通じるのは泰平の時だけだぞ」
龍守は嗤う。
「橘花国が建国されてから、およそ二百年……。この大陸において、ここまで長く続いた王朝は他にない。ならば今が終わりの始まりでないと何故言える?」
紅い瞳が、鷹比古から織瀬へと向けられる。
「歴史を辿れば、いくつかの王朝の終焉において、今の橘花国と酷似した状況を見出すことができる。暗愚な王とそれを利用する奸臣、保身に走るばかりの官吏たち──」
「龍守様、皇女殿下の御前です。それ以上はお止めください」
ちらりと織瀬を見やった鷹比古が諫めるも、龍守は言葉を続ける。
「そして民の苦境に目を向けず、目先の享楽に耽るばかりの貴族たち……」
「龍守様!」
「このままでは橘花国は今上陛下が最後の皇帝となる。そしてその空いた玉座に座るのは、葛城乙彦であろうな」
皮肉げに細められた紅い瞳と、織瀬の翡翠色の瞳がかち合う。
「俺としては、玉座に着く者が誰であろうと一向に構わん。今からでも安比家の企てに賛同し、葛城乙彦を追い落とすも良し。または翠蓮皇女の依頼とは関係なく、とりあえず安比家の反乱を阻止し、その後上手く葛城乙彦に取り入り次期王朝での権勢を狙うというのも良し。……おあつらえ向きのネタも、自ら飛び込んで来てくれたことだしな」
「……」
織瀬は努めて冷静に、龍守の言動の意図を探るように見つめる。
「始めに貴女は葛城公爵について、『いずれは今の立場から退いてもらう方法を考えねば』と仰った。翠蓮皇女、貴女は葛城家以外の者に被害が出ることを案じているだけで、葛城家に対する反乱それ自体を否定しているわけではないのでしょう? もし葛城家以外の者に累が及ばず、葛城家のみを排除する方法があれば、今のように必死になって反乱を止めようとなどなさらないのではありませんか」
「もし、だなんて……そのように仮定の話をすることに意味があるとは思えませんが」
「意味はありますよ。例えば、翠蓮皇女が葛城公爵に害意を抱いているとお伝えするのはどうでしょう」
「私の不用意な一言だけを根拠にですか? それによって私を除こうとするほど、葛城公爵は臆病な人物とは思えませんが。それに私は葛城家に対する反乱を阻止しようと動いているのです。それだけでも私が葛城公爵に害意など持っていないという根拠になります」
「いいえ、なりません。……そもそも安比家の反乱計画を明るみに出る前に潰してしまえば、それは根拠としての意味を失います。それに私は、葛城公爵に伝えるなどとは一言も申し上げておりませんよ」
「……では、誰に伝えると言うのです」
「皇太后陛下に」
その一言で、織瀬は自らの間違いに気づいた。一方菊理は、眦を吊り上げて龍守に食ってかかる。
「ちょっとあんた! 姫様を皇太后に売るつもり!?」
「さて……それは姫君のご返答次第だな」
龍守はふっと微笑した。このような状況でなければ、思わず見惚れてしまいそうな眼差しが、織瀬へと向けられる。
「……那岐山侯爵。貴方は一体何が望みなのですか」
「たった今申し上げたはずです。私は貴女が欲しい」
「それは何故ですか」
「おや、理由も一緒に申し上げましたが? 貴女の人柄に惹かれたと」
織瀬は額を押さえて溜め息を吐いた。
「……私に惹かれた? たった今、初めて言葉を交わしたのにですか?」
「勿論、貴女のその美しさも理由の一つではありますがね。要するに一目惚れという訳です」
「……たった今、貴方が嘘つきだということは分かりました」
翡翠色の瞳に、僅かに軽蔑の色を滲ませた織瀬を見やり、龍守は肩を竦める。
「意外と辛辣な物言いをなさるのですね。これでも私は本気なのですが」
「……貴方は、一時の感情で物事を決めるような方なのですか?」
織瀬の言葉に、龍守の笑いが一瞬消えた。
「正直に言っていただけないのなら、私から言います。……貴方が欲しているのは、私ではなく皇族の権威ですね?」
「……」
「那岐山家は新興貴族です。初めに爵位を得たのは、水葉上皇の宮に仕えていた貴方のお祖父様。その時は伯爵であったようですが、その後私の父である先帝の時、貴方のお父様が大尉の位とともに侯爵位を得た。……貴方自身の栄達もあり、貴族たちの中では三大公爵家に次ぐ力があるなどと言う者もありますが、実際は違うのでしょう?」
「……良くご存知でいらっしゃる。その通りですね。祖父は元々水葉上皇の前──第十代皇帝の後宮に仕えていた宦官です。上皇に気に入られて爵位まで賜ったのはひとえにその才知ゆえですが、なまじ容姿が優れていたために上皇をたらし込んだなどという陰口を未だに叩かれている。父に関しては──これは余り言い訳できませんね。出自に関しては何処の馬の骨とも知れぬ、祖父が何処かから拾ってきた捨て子のようです。政治的な才覚は皆無ですが金策には鼻が利いて、とうとう侯爵位などという畏れ多いものを買ってしまいました。まあそのお陰で私は色々と恩恵を受けているので、表立って批判は出来ませんが」
皮肉げに嗤う龍守を、織瀬は真摯な眼差しで見つめる。
「貴方に対する、聞くに堪えない言葉を耳にしました。それから、貴方の昇格についての的外れな噂も……」
正確には前世で聞いたのだが、きっと今世でも同じように謂れなき中傷に晒されているのだろう。
「穢らわしい贅閹の息子とか、官位を金で買ったとかいうものですか? 翠蓮皇女の清らかな耳朶を汚してしまったとは、大変申し訳ない」
「……龍守様」
主君の会話を遮ることを憚ったのか、長らく沈黙を守っていた倶知比古が、気遣わしげに龍守の名を呟く。そんな倶知比古に微かに笑いかけると、龍守は再び織瀬に向き直る。
「翠蓮皇女。私は貴女の聡明さを計り違えておりました。回りくどいことはせず、初めからこう申し上げるべきでした」
そして龍守は、織瀬の前に恭しく膝を付く。
「翠蓮皇女。我が那岐山家は権力と財力は足りておりますが、ただ一つ、貴族としての正統性に欠けております。もし貴女が私の妻となり、子を成していただければ──私の次代を皇族の血を引く者が継ぐならば、那岐山家の大きな憂いが消えることになるでしょう」
「……それが、貴方が私に近づいた本当の理由ですね」
「その通りです」
「……」
頭を垂れた龍守がどんな表情をしているのか、今の織瀬には窺い知ることはできない。しかし少なくとも織瀬に惹かれたなどという曖昧な理由よりも、今龍守が述べた打算的なそれのほうが、織瀬の知る『那岐山龍守』という男に相応しいように思えた。
「分かりました。貴方の願いを聞き入れましょう」
「……おいおい、マジかよ」
「ちょっと、何言ってるんですか姫様!」
龍守以外の全ての視線が、揃って驚愕の色を湛えて織瀬を見つめた。
「ただし、皇族の婚姻は国事です。私が受け入れたところで、それが朝議で認められるとは限りません」
「無論、承知しております。そしておそらく、葛城家は反対するでしょうね。我が家に権威まで加われば、葛城家にとって脅威となる」
「はい。ですから差し当たって安比家の反乱を阻止し、表面上は葛城家に付いたふりをしていただき……機を見て葛城公爵を除いていただきたいのです」
「成程、やはりそちらが本当のご依頼ですか。どうあっても虎穴に入らなければならない……私のことを嘘つきと仰いましたが、貴女もなかなかの食わせ者だ」
「そうしなければ、虎子を得ることができないのです。……どうか、橘花国を救うために力を貸してください。貴方にとっても益になることのはずです」
「翠蓮皇女を得られると思えば、割りに合わぬなどとは言えませんね。……しかし、本当に私が橘花国を救ってしまってよろしいのですか。葛城乙彦を追い落として、そこに私が座ってしまうかもしれませんよ」
「……私は、貴方に託した私自身を信じています」
「ほう。今までの言動とは違って、随分と危なっかしい根拠ですね。……しかしまあ、そのようなところも可愛らしい」
多くの人々の心を騒めかせたであろう甘い声と表情で、龍守は告げる。
「かしこまりました。橘花国は、この那岐山龍守がお救いいたします」
*
翠蓮皇女と龍守との会見は、およそ半刻ほどで終わりを告げた。龍守としては随分と長く言葉を交わした感覚がしたが、室内を赤々と照らす火時計の灯りは嘘をつかない。
「後宮へ戻られるなら、お供いたしましょう」
そう龍守は申し出たが、
「帰りは菊理がおりますから、ご心配には及びません」
微笑みとともに丁重に断られてしまった。
深々と頭を垂れる翠蓮皇女と、まるで親の仇でも見るような目つきで睨みつけてくる侍女を見送りながら、それにしても皇女はどうやって後宮を抜け出して来たのだろうとの疑問が頭を過ぎる。鷹比古の配下を使って後を尾けさせるかとも思ったが、結局面倒になって、何の指示も出さずに龍守は椅子に深々と腰を下ろした。
「さて、どうしたものかな……」
腕を組み、天を仰ぐ。翠蓮皇女の前でも呟いた一言が、再び口をついた。
「龍守にしては珍しいな。完全にお姫様に乗せられただろ」
そんな龍守を上から覗き込みながら、隼人がにやにやと笑っている。
「ああ、油断した。てっきり箱入りの深窓の姫君だと思っていたが、違うらしい。あれは本気で国を救う気でいるぞ」
「だけど、国を救うったってなあ……。なんでまた、あのお姫様は龍守を頼ったんだか。どう考えてもお前、救国の英雄ってガラじゃねえだろ。どっちかっつーと悪役だもんなあ……」
「……」
龍守は無言のまま、紅い瞳を閉ざす。
「私は翠蓮皇女殿下は見る目がお有りだと思います。龍守様はいずれ、この国の頂点に立つお方ですから」
期待に満ちた口調で言う倶知比古に、
「……いや、頂点に立っちゃマズいんだよ。それじゃ破滅エンドだ……」
隼人の呟きは、龍守以外の者の耳には届かなかった。龍守もあえて聞こえなかった振りをして、
「ここはやはり先程翠蓮皇女が言ったように、安比家の反乱を阻止しつつ、上手く葛城乙彦に取り入って、折を見て奴を蹴落とすしかないな」
「言葉で言うのは易いですが、その方法を考えるのが厄介ですな」
鷹比古も腕を組んでため息混じりに言う。難しい顔をしたまま黙り込む主君と師の顔色を伺いながら、倶知比古がおずおずと口を開いた。
「あの……龍守様も皇女殿下に仰っていましたが、葛城公爵を除くのが目的ならば、無理に安比家の反乱を阻止しなくてもよろしいのではありませんか。首尾よく事が運べば、そこで葛城公爵を除くことができますし、もし失敗したとしても葛城家も無傷では済みませんので、勢力の弱体化を狙えるかと」
「駄目だ。安比家の……奴らの作戦では葛城家以外の者への被害が大き過ぎる。数に任せて皇宮や公爵邸を襲撃して、一体どれだけの官人が死ぬことになる?」
「それは……ですが、国を救うためには必要な犠牲では……」
時折視線を落としながらもそう主張する倶知比古に、龍守は紅い瞳を開けて真っ直ぐに向き直る。
「倶知比古。国を動かすのに必要なのは、なにも権力だけではない。無数の官人たちの一見取るに足らぬ働きがあるからこそ、このような状況でも橘花国は命脈を保っていられるのだ。……もし葛城乙彦という頭を切り捨てて、その上官人たちという手足まで捥いでしまえば、いよいよ橘花国は滅亡へとひた走ることになるぞ」
「ですが、今の宮廷は葛城公爵に諂う者ばかりというではありませんか。そのような者たちが残れば、例え葛城公爵がいなくなっても橘花国の危機が去ったとは言えぬのではありませんか」
だんだんと熱を帯びる倶知比古の主張に、それまで黙って会話を聞いていた隼人が肩を竦める。
「倶知比古。お前の言うことは正論だけどよ、世の中みんなが正論で生きられるわけじゃねぇんだよ」
「どういうことですか、隼人殿」
「だからさ、お前は龍守の下でしか働いたことねぇから分かんねぇだろうけど……。世の中にはこの上司ろくでもねぇなって思いながらも、『はいかしこまりました』って言わなきゃなんねぇ事が山ほどあんだよ」
「なぜそのようなことを……。官人としての矜持はないのですか」
「そうしねぇと給料貰えねぇもんな。矜持のために自分だけならともかく、家族まで飢えさせるわけにいかねぇだろ」
「…………」
隼人の言葉に反論こそしないものの、倶知比古はまだ納得しがたいと言うように眉根を寄せる。そんな倶知比古の様子に龍守はふっと笑みをこぼす。
「倶知比古。橘花国の建国当時、大きな戦乱の後にも関わらず、安定した国家運営がなされたのはなぜだと思う」
「……それは、初代の武照皇帝陛下が類稀なる指導力を発揮したからで……」
「それもある。しかし最も大きな要因は、武照帝が前王朝の多くの官人たちをそのまま用いたことだ。史書に記された事を信じれば、武照帝は前王朝の皇女を皇后とし、生き残った皇族たちにも爵位を与えている。……勿論、不穏な動きを見せた者は粛正の対象となったようだがな。とにかく、そのようにして生き延びた者たちのなかから、後に功臣と呼ばれる者も多く出た。まさに前王朝の膿だけを出し切り、手足を生かす……上手いやり方だ」
「ま、極論を言えば下っ端は自分の生活が保証されれば、頭が誰でもそんなに気にしねぇもんな。葛城乙彦がいなくなっても、殆どの官人たちは普通に自分の仕事してんじゃねぇの?」
「そういうことだ。故に国の手足まで切り落としかねん暴挙は阻止せねばな」
「……かしこまりました。私はまだまだ浅はかでございますね」
下を向く倶知比古の肩を、隼人が勢いよく叩く。
「まぁそう落ち込むなよ。俺も新人の頃はお前みたいにイキってたなー」
「私は貴方にではなく、龍守様に申し上げたのです。それに少しは力加減を考えてください」
ぷいと横を向いてしまう倶知比古を見て、龍守と隼人が笑った。
「さて。ではとりあえず俺が葛城乙彦に取り入って、隙を見て暗殺でもするか」
「……お前、さらっと物騒なこと言ってんじゃねぇよ。つーかお前に暗殺なんてできんのか?」
「任せておけ。これでも人を誑かすのは得意だ」
「そっちじゃねぇし、お前のそれはほぼ女限定だろ。……あのな、暗殺ってのはこっそりやるもんだ。お前みたいに存在そのものが派手な奴には向いてねぇんだよ。そういうのは鷹比古の配下にでもやらせれば──」
「……非常に申し上げにくいが、無理ですな」
鷹比古が苦渋の表情を浮かべる。
「都に戻ってからこのひと月……勿論暗殺目的ではなく、あくまで葛城公爵の動向を探るために幾人か草を放ちましたが、首尾は良いとは言えません。葛城公爵は決して臆病ではありませんが、非常に用心深い。常に周囲を側近で固めている上、自身の武術もなかなかの腕のようです」
鷹比古の言葉を聞き、龍守はもっともらしく頷く。
「ならばやはり、俺がその側近になるしかないな」
「ですが、龍守様自ら火中に飛び込むと言うのは……」
「心配だよなぁ。絶対何かやらかすに決まってる……」
方向性の違う心配をする倶知比古と隼人を一瞥し、龍守は立ち上がる。
「さて。そろそろ有明の月も昇ることだ、このあたりで撤収するぞ。安比家のことは、屋敷に戻って仮眠を摂った後に改めて考えようではないか」
「そうだな。……ああ、言われたら何か眠くなってきたわ。ほぼ徹夜だったもんなぁ」
欠伸をしながら身体を伸ばす隼人に、わざとらしく倶知比古が腕をぶつける。
「痛ってぇな、何すんだよお前!」
「さっき肩を叩いたお返しです。……ほら、ぼうっとしてないで、さっさと出ますよ。龍守様の話だと見廻りも増えているようですし、早く元々あてがわれている部屋に戻らないと怪しまれます」
「へいへい、分かったよ」
肘打ちを喰らった脇腹を押さえながら、隼人は主君と同僚たちが扉をくぐるのを見届けた後に、部屋を出て行った。




