第十章 戦火のあと
「ふう……ようやく外に出られたな。大丈夫か、姫さん」
肩に担いでいた皇帝をやや乱暴に穴の外に放り出すと、隼人は織瀬に手を差し伸べた。
「ありがとうございます、隼人殿。ですがその……皇帝陛下はもう少し丁寧に扱っていただけると……」
「あ、そっか。あんな泣き虫でも姫さんの弟だもんな。悪りぃ悪りぃ」
「……」
先程龍守は、冬院家の兵について皇族に対する敬意があるか疑問だと評していたが、それはこの隼人にしても同じではないだろうか。
しかし隼人の屈託のない笑顔には決して悪意は感じられなくて、織瀬は苦笑する。
「陛下、お怪我はありませんか」
「うん。……ありがとう、姉上」
「礼ならばこちらの隼人殿と、後ほど那岐山侯爵に仰ってください、陛下」
「……ありがとう。朕を助けてくれて」
「おう、気にすんな。……姫さん、ここから太極殿までその弟と一緒に行けるか? 俺は龍守の馬鹿のところに行かねぇと……」
「大丈夫です。ここまでありがとうございました、隼人殿」
「そんなに何度も頭下げなくてもいいんだぜ。じゃ、俺は行くから──」
そう言って、隼人が再度地下に潜ろうとしたその時、
「隼人殿! こんなところに居たのですか! 探しましたよ!」
織瀬と同じくらい戦場に似合わない線の細い青年が、肩で息をしながら駆け寄って来た。
「貴方は確か、倶知比古殿……」
「何してんだよ倶知比古、こんなとこで。……つーか、よく入って来れたな」
「何してんだよじゃありませんよ! ひとりで勝手な行動を取って……! それに龍守様はどちらにいらっしゃるんです!?」
「龍守だったらあの中だぜ」
親指で事も無げに日華殿を示す隼人に対し、倶知比古は蒼ざめる。
「あの中って……火の手が上がってますよ!? それにこの匂いは……一体何を考えているんです!?」
「だよなぁ。俺も内心馬鹿だって思ってたんだけど、龍守の奴が──」
「馬鹿は貴方です! なぜ貴方がここに居て龍守様が中に居るんです!?」
「いや、だから今助けに行こうと……」
「あのっ……落ち着いてください倶知比古殿……っ! 隼人殿は、那岐山侯爵とともに私たちを助けてくださって……!」
己よりも背の高い隼人の胸倉を掴む倶知比古を、織瀬は慌てて止めようとするが、倶知比古の眼に織瀬の姿は映っていないようだ。皇帝佐穂彦は突如現れた見知らぬ人物に怯え、眦に涙を溜めている。
「お願いですから喧嘩はお止めください……!」
「倶知比古、皇女殿下がお困りだぞ。龍守様が心配なのは分かるが、少しは周りを見たらどうだ」
冷ややかな声を背後から浴びせられ、倶知比古は我に返ったのか隼人から手を放した。
「先生……」
「翠蓮皇女殿下。我が弟子がお見苦しいところをお見せしました。申し訳ございません」
丁重な仕草で織瀬に向かって頭を下げた後、鷹比古は佐穂彦の前で跪拝する。
「皇帝陛下におかれましても、御心を騒がせてしまい申し訳ございません」
流れるような所作は、何度か見た龍守のそれを思わせる。もしかしたら、龍守に礼儀作法を教えたのはこの鷹比古という男なのかもしれない、と織瀬はふと思う。
「皇帝陛下、翠蓮皇女殿下……申し訳ございません。お二方の御前で大変な無礼を……」
しどろもどろになりながらも謝罪の言葉を紡ぐ倶知比古に、織瀬は微笑みかける。
「どうかお気になさらずに。主の身を案ずるのは当然のことですから」
「寛大なお言葉、感謝いたします……」
倶知比古は深々と頭を下げる。そんな弟子の姿にひとつ肩を竦めると、鷹比古が隼人に向かって口を開いた。
「隼人殿。龍守様を追うのはしばしお待ちを」
「はあ? 何でだよ、この火の中じゃいくらあいつでも──」
「すでに近衛兵たちが消火に当たっています。あの声が聞こえませんか?」
鷹比古に言われて、織瀬も耳を澄ます。日華殿の正門のほうから、幾つもの軍靴の音と水を求める声が響いてくる。
「今の状況で助けに入っても、近衛軍の手間を増やすだけです」
「んなこと分かってるよ! だけどここでじっとしてられねぇだろ!」
踵を返す隼人の腕を、鷹比古が掴む。
「お待ちをと言っているのが分からぬのですか」
「放せよ。くそッ、こうしてるうちにも龍守の奴が……!」
「龍守様は時折無茶をなさいますが、決して無謀ではありません。それは貴殿も重々承知しているでしょう。……何かお考えあっての行動ならば、貴殿が行くことは却って龍守様の邪魔になります」
「……」
隼人は無言のまま、鷹比古の手を乱暴に振り払った。鷹比古は何事も無かったかのような静かな瞳で、焼け落ちつつある日華殿から織瀬へと視線を巡らせる。
「さて……しかし龍守様はなぜお一人で日華殿に入られたのです? それになぜ翠蓮皇女殿下がこちらに? 後宮のご自身の宮にいらしたほうが安全でしょうに」
「それは──」
織瀬はこれまでの経緯をかいつまんで説明する。
「成程、では龍守様は紅蘭皇女殿下を助けに……」
「はい。私が那岐山侯爵に紅蘭を助けて欲しいと頼んだのです。貴方がたの主君を危険な目に遭わせてしまい、申し訳ありません」
「おい、そこは姫さんのせいじゃねぇだろ。あいつが勝手に飛び出して行ったんだから。……鷹比古、あんま怖い顔で姫さんを睨むんじゃねぇよ」
「……この顔は地です。申し訳ございません、皇女殿下。決して貴女様を責めている訳ではございません。龍守様はこの度正式に近衛将軍と為られておりますし、皇族をお助けすることは橘花国の臣として当然の責務です。貴女様がお気に病まれることではございません」
「それに龍守様はこのような時、座して待っていることが出来ぬかたなので……皇女殿下が何を仰ったとしても、このような結果になっていたでしょう」
鷹比古の言葉にそう続けると、倶知比古は隼人に向かって頭を下げた。そして聞こえるかどうかという小さな声で、
「……貴方に当たってしまい、申し訳ございませんでした。隼人殿」
と口にする。隼人は鼻の頭を掻きながら一言、
「おう」
とだけ呟いた。
煤の匂いが漂うなか、鷹比古が織瀬に声をかける。
「翠蓮皇女殿下。今のところ日華殿の外への延焼はなさそうですが、火薬まで使われたとなればここに留まるのは危険です。皇帝陛下と共に避難なさってください。……倶知比古、お前がお供しろ。その先に日向を待機させている。彼女と合流した後、太極殿へ」
「かしこまりました、先生。……皇帝陛下、翠蓮皇女殿下。どうぞこちらへ」
「はい。よろしくお願いいたします、倶知比古殿」
皇帝の手を引き、織瀬が倶知比古の背を追おうとしたその時、突如空に亀裂が入ったかのように稲妻が走り、一拍置いて低い雷鳴が生温い空気を震わせた。
「姉上……っ!」
思わず身を強張らせる織瀬に、佐穂彦が抱きつく。
「陛下……大丈夫ですよ、ただの雷です。この時期ならよくあることですから……」
膝を付き、目線を合わせながら佐穂彦を宥める織瀬の背後で、鷹比古が呟く。
「遠雷……まさか龍守様はこれを見越して……」
「いや、マジで馬鹿だわあいつ。上手い事来なかったらどうするつもりだったんだよ」
空を見上げて隼人はやれやれと息を吐くが、そうしているうちにも天から滴り落ちる雫が、じわじわと地面を湿らせていく。
すると俄かに、日華殿の正門のほうからどよめきが聞こえて来た。
「何だ……!?」
何かを察したのか、隼人が勢いよく大地を蹴って駆け出した。
「先生……!」
「私もあちらへ行く。倶知比古、陛下と皇女殿下を日向に託した後、お前も合流しろ」
「はい! 参りましょう、お二人とも」
やや早足で日華殿から遠ざかる倶知比古の背を、織瀬は佐穂彦の手を引きながら追う。やがて闇のなかから、外廷の女官の装束を纏った人影が現れた。
「日向殿、鷹比古先生からのご指示です。こちらのお二人を太極殿へお連れしてください」
「かしこまりました」
織瀬と同じくらいの背丈の女官が、倶知比古の言葉に頷く。
「皇女殿下、こちらの日向は信のおける者です。どうぞ陛下と共に──」
「私も日華殿へ参ります、倶知比古殿」
「……え?」
「日向殿、どうぞ陛下をよろしくお願いいたします」
驚きに目を見張る倶知比古に構わず、織瀬はもと来た道を駆け出した。
*
「……那岐山侯爵! 那岐山侯爵が出ていらしたぞ!」
「第二皇女殿下もご一緒だ!」
近衛兵の驚きと称賛の声に包まれながら、龍守は白煙の中から姿を現した。愛らしい姫君を横抱きにして颯爽と歩む様は、そのまま芝居の一場面のようだったが、うっとりと白皙の美貌を見上げる紅蘭と比較して、当の龍守自身はどことなく疲れたような表情をしていた。
龍守は無言のまま、紅蘭の両足を地面に下ろす。紅蘭はやや名残り惜しげに龍守の首に回していた腕を解くと、その耳元に囁いた。
「ありがとうございます、那岐山侯爵。……まるで物語の主人公になったような気分ですわ。とても素敵でした」
「……お褒めに預かり光栄です。皇女殿下」
それでも何とか普段通りの微笑みを貼り付けて、龍守は紅蘭の足元に跪いた。
「私はこのまま日華殿の消火に当たります。……おい、そこの──南苑軍の小依と広足。紅蘭皇女殿下を安全な場所へお連れしろ」
「はっ、かしこまりました!」
たまたま目に入った近衛兵二人に厄介事を押し付けて、龍守はとにかく紅蘭の姿を視界から追いやる。
「そんな……那岐山侯爵が連れて行ってはくださらないのですか?」
甘えるような声が背後から聞こえるが、あえて聞こえない振りをして龍守は空を見上げる。ぽつりぽつりと落ちる雫に、ほっと胸を撫で下ろす。
予想よりも降り出しが遅れたが、立ち込める雲の様子を見るに、すぐに雫は恵みの雨となるだろう。
「那岐山侯爵、中にまだ皇帝陛下がいらっしゃるのでは……」
駆け寄って来たのは、初めに龍守に声をかけた由比という近衛兵だった。龍守は二日酔いのような頭の痛みに耐えながら、その問いに答える。
「心配ない。陛下はすでに脱出されている」
「そうでしたか……。就任されたばかりにも関わらず、素晴らしいご活躍ですね。那岐山侯爵」
「そう見えるか? 今にも日華殿が灰燼に帰そうとしているというに」
「それは……」
言葉に詰まる由比に、龍守は自嘲的な笑みを向ける。
「すまん、今のはただの八つ当たりだ。……ところで、後宮に南陽皇子が残っているはずだが、そちらは大事ないか」
「はい。今のところ後宮への被害はございませんので、南陽皇子もご無事でいらっしゃると思われます」
「そうか、ならば良い。……お前たち、皇族がたは全員避難している。日華殿の内部は危険ゆえ、無理に消火を試みるな。外部への延焼にだけ注意せよ」
「はっ!」
近衛軍に指示を飛ばし、龍守はひとつ息をついた。段々と勢いを増していく雨が、頬を濡らす。すると雨音をかき消すような大声が、
「龍守!」
と背後から浴びせかけられた。
「お前、また無茶しやがって! 死んだらどうするつもりだったんだよ!」
泥濘んだ土が着物の裾を汚したが、そんなことには構わずに、隼人は大股で龍守のもとへと突進する。
龍守はこめかみを押さえながら、
「死ななかっただろう」
と大儀そうに言った。
「お前なあ……!」
「隼人殿、近衛軍のかたがたもおります。ここはお控えください」
今にも掴みかかりそうな隼人を遮り、鷹比古が龍守の前に立った。
「ああ鷹比古、お前も来たのか。……その顔、お前も何か言いたそうだな」
「言いたいことは山ほどありますが……。とりあえずこの場の指揮は別の者に任せて、龍守様はお下がりください。まるで幽鬼のような顔色をしておりますぞ」
「そこまで酷いか? まあこの天気に加えて、火薬風味の煙もかなり摂取したからな……おまけに皇太后の薬という珍味まで……」
「皇太后の薬? なんだよそりゃ」
「思い出したくもないので詳細は省くがな、一言で言うと皇太后に媚薬を盛られた」
「……うわ、またか」
「……何度目ですかな、女人に媚薬を盛られるのは」
ついさっきまで龍守を責め立てる気でいた二人は、揃って哀れみの視線を主君に向けた。
「お前、盛られ過ぎてその手の薬は効かなくなってるって言ってなかったっけ」
「本来の効能のほうは殆ど効いていないが、とにかく頭痛と吐き気でおかしくなりそうだ。かなり強力なものを仕込まれたらしい。……それに、万が一間違いがあったら面倒だしな。ゆえに翠蓮皇女をお前に託したのだ」
「あー成程……」
「賢明なご判断かと」
ひとつ頷くと、鷹比古は袖を庇のようにして鈍色の夜空を窺う。
「雨足も強くなって参りましたし、この場は近衛兵たちに任せましょう。そろそろ倶知比古も合流するでしょうし、その後龍守様もお身体を休められる場所へ……」
「あら、でしたら私が看病いたしますわ」
鈴の転がるような声に、三人の男たちは動きを止める。
「……紅蘭皇女。なぜまだこちらにいらっしゃるのです」
龍守の紅い瞳は紅蘭を通り過ぎて、その背後に従う二人の兵士へと向かう。つい先程龍守から、紅蘭皇女を安全な場所に避難させるという名誉ある大役を授かったはずの南苑軍の小依と広足は、今では紅蘭の背後から傘を差し掛け、まるで小姓の真似事をしているかのようだ。龍守の咎めるような視線を受け止めて、気まずそうに眼を泳がせる。
当の紅蘭はにっこりと無邪気そうな笑みを浮かべながら、
「侯爵の言うとおり、避難したほうが良いのは分かっているのですが……侯爵の顔色が悪いことに気づいて戻って参りましたの。さ、この傘の下に入ってくださいませ。ゆっくりと休める部屋に案内いたしますわ」
無遠慮に龍守の腕に触れる。
「大変ありがたいお申し出ではございますが、私にはまだ職務が残っております。尊き貴女様をお守りするためにも、この場を離れる訳にはいかぬのですよ。どうか安全なところから、私の身を案じていてください」
艶めいた微笑みを浮かべながら、龍守はさりげなく紅蘭の手から逃れる。そのまま日華殿の門のほうへと歩き出す龍守の背を見つめながら、
「そ、そうですか……侯爵がそう言うのでしたら……」
やんわりと拒絶されたことに気づいているのかいないのか、紅蘭はほうとひとつ熱い吐息を吐いた。
「……やはり、丸め込むのがお上手だ。特に女人相手の時は……」
「半分はあの顔の効果だけどな」
がしがしと鳶色の髪を掻き回す隼人から、水滴が飛び散る。
「でもあんな風に言ったら、しばらくここに居ないと示しがつかねえぞ。第二皇女の申し出を断ったのに、休むなんて言い出せねえし……」
「厄介な事になりましたな。龍守様の顔色を見るに、そろそろ限界かと」
白皙を通り越して蒼白くすら見える龍守の顔を窺いながら、鷹比古は気遣わしげに眉根を寄せる。
「つーか、さっさとどっか行ってくれねぇかな。あの第二皇女」
「……隼人殿、言葉を慎んでください。聞こえたら面倒ですぞ」
「聞こえねぇだろ。龍守を眺めるのに忙しそうだぜ」
そう隼人が皮肉っぽく吐き捨てた時、
「皇女殿下! ……翠蓮皇女殿下、お待ちください!」
そう叫ぶ声と、水たまりの水が激しく飛び散るような音が聞こえてきた。
「何だぁ?」
「あの声は、倶知比古ですかな」
二人が振り返ると、白雨の中から息を弾ませた翠蓮皇女が駆け込んで来た。翡翠の簪で結い上げられた髪は乱れ、後れ毛がわずかにこぼれている。その後ろからやや遅れて、倶知比古も姿を見せる。倶知比古は皇女以上に息を切らせ、両膝に手を付き今にもしゃがみ込みそうであった。
*
「姫さん? 何であんたまで来るんだよ」
「倶知比古、どういうことだ」
「申し訳ありません……」
隼人と鷹比古に揃って咎めるような視線を向けられて、まるで示し合わせたように織瀬と倶知比古は同じ言葉を口にする。
「紅蘭と、那岐山侯爵は……」
「あいつらならそこにいるぜ」
隼人が親指で示したほうに眼を向けると、織瀬は安心したように表情を緩ませた。
「良かった……。那岐山侯爵が助けてくださったのですね」
「ああ。……おーい龍守、姫さんが来たぞー!」
「……っ、隼人殿……!」
「ん? 何だよ鷹比古」
「……もう遅いので何でもありません」
鷹比古は織瀬と紅蘭の関係性を慮って、これ以上の面倒は避けたいとの思いから二人の皇女を接触させたくなかったのだが、隼人はそのような人間関係の機微は気にしないたちである。額に手を当てて、深く溜め息を吐く鷹比古を不思議そうに眺めてから、
「ま、いいや。ほら、せっかく来たんだからあんたも来いよ」
「え? きゃ……っ」
不意に隼人に手首を掴まれて、半ば強引に織瀬は龍守のいる門のほうへと引きずられて行く。
「あの、隼人殿……申し訳ないのですが……少し痛いです……」
「あ? そっか悪りぃ、こんな細腕じゃ痛いよな。地面が泥濘ってるから、転ばないようにと思ったんだけど……ここまで走って来れたくらいだから大丈夫か」
そう言って、隼人はあっさりと織瀬の腕を放した。
隼人の大声によって注意を引かれた多くの視線が、織瀬のもとへと注がれる。
「姫だって……? あの翠色の瞳……まさか翠蓮皇女か?」
「初めてお目にかかった……。なんとお美しい……」
「古の嫦娥や咲耶姫もかくやという噂も、誇張ではなかったのだな……」
近衛兵たちの囁きは、雨音にかき消されて織瀬の耳には届かない。
「……翠蓮皇女?」
「お姉様……なぜここに?」
龍守の訝しげな紅い瞳と、紅蘭の険のある眼差しが同時に織瀬へと向けられる。
「あの……」
「龍守と妹のことが心配で来たんだってよ」
織瀬が口を開く前に、隼人がそう龍守に伝える。
「隼人殿……!」
「ん? そうじゃないのか?」
「いえ、それはそうなのですが……」
織瀬としては、自分の目で龍守と紅蘭の無事を確かめられればよかったのだが、思いがけず周囲の注目を集めているようで居心地が悪い。
しかし、考えてみればそれは当然のことである。普段は後宮から出ることなど殆どない皇女が、外廷を出歩いているのだから。
織瀬は僅かに躊躇った後、紅蘭に声をかける。
「紅蘭、怪我はない?」
「……ええ。大事ありませんわ、お姉様」
一瞬見せた敵意はすでに消え去り、紅蘭はあどけなさすら感じるような微笑みを織瀬に向けた。
「こちらの那岐山侯爵が助けてくださいましたから。炎が迫るなかで、私を抱き抱えて……とても勇敢で素敵でしたわ」
「そうだったのね。……那岐山侯爵、妹をお救いいただき、ありがとうございます」
「礼には及びません。私は職責を果たしたのみですから。……それはそうと、両殿下は早く安全な場所へお移りください。雨も強くなって参りましたし、お身体に障ります」
「そうですね。……行きましょう、紅蘭」
「でも、お姉様……」
「私たちがここに居ても、近衛軍のかたたちの邪魔になるだけよ。……那岐山侯爵、こちらの近衛兵お二人に供をお願いしてもよろしいでしょうか」
「勿論、ぜひお連れください。……小依、広足。今度こそ皇女を安全なところにお連れしろ。分かったな?」
「は、はいっ! かしこまりました!」
「命に代えても職務を全ういたします!」
「ふふっ……そんなに畏まらなくても良いのですよ。貴方がたがついてきてくださるだけで心強いのですから」
紅蘭を追い払うのに失敗した一連のやり取りを知らぬ織瀬は、緊張した面持ちの近衛兵たちに笑みをこぼした。
そして再び龍守へと翡翠色の眼差しを向け、
「そうだわ。那岐山侯爵、お忙しいところ申し訳ありませんが、ひとつお尋ねしてもよろしいでしょうか」
何かを思い出したように、何気ない口調で付け加える。
「翠蓮皇女のお尋ねでしたら、何なりと」
「ありがとうございます。……後宮にはこの反乱による被害はないのでしょうか」
「後宮も、そちらにいらっしゃる南陽皇子もご無事であるとの報告を受けております」
「そうですか。それを聞いて安心いたしました。……さあ、紅蘭。私と一緒に行きましょう」
「お姉様だけで行けば良いでしょう。私は那岐山侯爵が心配なのでここに残りますわ」
「……私は太極殿へ行って、陛下のご様子を確認したのち、怪我をした兵たちの手当てを手伝うわ。医局の者たちだけでは手が足りないでしょうから。……紅蘭、貴女にも手を貸してもらえると助かるのだけれど」
「そんな、なぜ私が血の穢れに触れた者たちの手当てなど──」
「兵たちへのご厚情、感謝いたします。翠蓮皇女殿下、紅蘭皇女殿下」
紅蘭の抗議の声を受け流し、龍守は織瀬たちへ向かって恭しく頭を垂れる。
「さすが、この橘花国で最も貴き女人がた……。その慈悲の心にこの那岐山龍守、深く胸を打たれました」
「命懸けで国のために働いてくれた者たちに対して、当然の礼を尽くそうとしているまでです。……そうよね、紅蘭?」
「えっ……ええ。その通りですわ、お姉様」
とてもこれ以上ここに残ると駄々を捏ねることができぬ状況に追い込まれて、紅蘭は渋々織瀬の言葉に同調する。
龍守は優雅な微笑みを浮かべながら、皇女たちの背後で呆けたように立ち竦む近衛兵たちに命ずる。
「お前たち、翠蓮皇女にも傘を」
「はっ、はい。かしこまりました!」
今まで紅蘭にだけ差し掛けられていた傘を、二人同時に織瀬の上に差し出したため、二つの傘がぶつかり雨粒が飛び散る。
「ちょっと、濡れるじゃない……!」
紅蘭が眦を吊り上げる。
「一つだけで大丈夫ですよ。小依殿、お願いできますか」
「は、はい……」
ぎこちなく傘を差し出す近衛兵に、
「ありがとうございます」
と微笑みかけると、織瀬は龍守たちに一礼し、紅蘭を引き連れて雨のなかを去って行った。
*
「筆頭医官の華彰と申します。翠蓮皇女殿下のご指示で、那岐山侯爵の診察に参りました」
翠蓮皇女が義妹とともに立ち去ってからしばらくして、白髪を一部の隙もなく結い上げた壮年の男が、龍守の前で慇懃に挨拶をした。
その背後には、大きな薬箱を抱えた見習いらしい若い宦官が付き従っている。
「……翠蓮皇女殿下の仰る通り、酷い顔をされていますな。どこかお怪我でもなさっているのですか」
「そうではない。……せっかくの皇女のご厚意だが、俺よりも治療が必要な者たちがいるだろう。華彰殿はそちらへ──」
「那岐山侯爵。私は貴方に怪我をしているのかとお尋ねしているのです。貴方の診察が終わったら兵たちの治療に戻りますから、質問にはきちんとお答えください。時間が惜しいのは貴方だけではございません」
ぴしゃりと言い返され、龍守は軽く眼を見張る。傍らで隼人がかすかに吹き出すような声が聞こえた。
「那岐山侯爵、どうなのですか」
「……怪我はしておらぬ。ただ妙な薬のせいで頭痛と吐き気がおさまらぬだけだ」
「妙な薬とは」
「媚薬を盛られた」
「……」
華彰は哀れむような、何とも複雑な表情で龍守を見つめた。そして見習いの持つ薬箱をごそごそと漁ると、小さな薬包をひとつ龍守に差し出した。
「こちらを服用なさってください。盛られたという媚薬の成分がわからぬので根本的な治療にはなりませんが、少なくとも痛みには効くはずです」
「……感謝する」
「おっと、ちょっと待った」
龍守が受け取った薬包を、すかさず隼人が横から攫う。
「姫さんが寄越した医者を疑うわけじゃねぇけど、一応な」
そして無造作に包みを開け、白い粉薬を指先でぺろりと舐める。
「うわ苦……。良薬何とやらってやつか……」
渋い顔をしながら、薬を龍守の手に戻す。そしてたどたどしく消火を手伝う倶知比古を振り返ると、
「おーい倶知比古、水持ってるかー? 飲んでも平気なやつー」
と叫んだ。
「……っ、全く貴方は、いつも私を便利屋扱いして……持ってますけど……っ!」
「おっ、さすができる男は違うねぇ。……ほら龍守、その薬飲んでその辺で休んでろ。初っ端でさんざん暴れたんだから、もう満足しただろ?」
倶知比古の腰に下げられていた竹水筒を、隼人が龍守のほうへと投げ渡す。龍守はそれを片手で受け取ると、華彰の薬を喉に流し込んだ。
「……確かに苦いな」
「その分、良く効きます。……しかし、どなたに盛られたかは敢えてお訊ねしませんが、難儀なことですな。貴方のお祖父様も、よく好色な宦官たちに狙われておりましたが……」
「俺の祖父を知っているのか」
「ええ。今でこそ医官を務めておりますが、私は元は後宮に仕える宦官でした。もう何十年も前の話になりますが、貴方のお祖父様には大変お世話になりました」
「……そうか」
「ええ。薬学に興味のある私を、見習いとして医局に出入りできるよう計らってくださり……貴方のお祖父様がいらっしゃらなければ、今の私はございません。血縁関係はなくとも、貴方はお祖父様とよく似ておられる」
華彰は龍守の顔を見つめてから、戯けたように付け加えた。
「己の容姿も含め、持てるものすべてを武器に使う強かさ……そして一見無謀に見えるが、計算された大胆さを持ったところがよく似ている」
「それは、褒め言葉として受け取って良いのか?」
「勿論です。今の橘花国を建て直せるとしたら、きっと貴方のようなかたでしょう」
「……華彰殿。貴方は翠蓮皇女の──」
「誤解なきよう申し上げますが、翠蓮皇女殿下は私には何も仰っておりません。私が勝手に、あのかたに期待を寄せているだけです。……今の橘花国で、己の欲によらず真に国のために心を砕いているのは、翠蓮皇女殿下と南陽皇子殿下のみなのですから」
そう言って、華彰は初めと同じように龍守に向かって一礼した。
「長々と年寄りの戯言を聞いていただきありがとうございました。それでは私は太極殿へ戻ります」
見習い医官を従えた華彰は、背筋をぴんと伸ばし、とても年寄りとは呼べぬ後ろ姿で龍守の元から去って行った。
*
怒涛の一夜が明け、東の空は黎明の白に染まり始めた。
龍守は半刻ほど休息を摂ったのみだが、華彰の薬が効いたのか、頭はいつになく冴え冴えとしていた。空が明るむにつれて、徐々に皇宮の被害状況も明らかになってくる。皇帝の昼の居所である日華殿が焼失したことは痛手であったが、幸いなことに皇帝を始め皇族はみな無事である。近衛軍には多くの負傷者が出たが、その大半が軽傷であり、華彰たち医官の尽力もあり死者の数は両手の指を超えることは無かった。朝日に照らされた死体の殆どが、反逆者たちのものである──。
「……那岐山侯爵。捕縛した者や遺された死体も隈なく調べましたが、安比公爵や安比将軍の姿は何処にもありません」
東苑軍将軍である加々美朱鷺也の報告を聴き、龍守は首を捻る。
「妙だな。路保のほうはともかくとして、初臣は率先して指揮を取りたがる男だが」
「私も同意見です。ただ皇宮と同時に公爵邸も襲撃されていたという話が事実なら、安比将軍はそちらにいる可能性も……」
「だが狙いが葛城公爵だとするならば、公爵邸に行くのは却って不自然だ。葛城公爵は自邸に帰ることのほうが稀なのだろう?」
「ええ。しかし葛城公爵は皇宮内に姿が見えぬようですし、昨晩はたまたま自邸に帰られていたのでは? そのことを知ったために、安比将軍はそちらに向かったということでは」
「どちらにしろ公爵邸からの報告待ちだが、反逆を企てた日に限って、『たまたま』葛城公爵が皇宮に居らず、陛下のいらっしゃった日華殿の被害のみが甚大だと? ……初臣、あの馬鹿が。奸臣に良いように使われたな」
「は? それはどういう……」
龍守の呟きに対し、朱鷺也が疑問を投げかけた。龍守は、
「これはあくまで推測に過ぎないが」
と断った上で、翠蓮皇女が語ったこの反乱の本当の狙いを話して聞かせた。もちろん翠蓮皇女の名は出さず、龍守の配下のひとりの意見ということで誤魔化しておく。
「……つまり安比家は、葛城公爵を排除し皇族を手中に収め──いわば葛城家にとって代わろうと目論んでいた。しかしその計画は事前に葛城公爵の知るところとなり、葛城公爵は安比家の反乱を隠れ蓑にして、皇族がたを害し奉ろうとした──という訳ですか」
「ああ。……弟と違って理解が早くて助かるな」
「恐れ入ります。しかし我が弟が那岐山侯爵の──龍守君のそばに居らぬなど珍しいね。もしや僕が居るから逃げたのか……」
急に砕けた口調になり、唇を尖らせる朱鷺也の表情を見て、龍守は思わず肩を振るわせる。
「ははっ、まあその可能性も無くはないが……あいつは俺が太極殿のほうに向かわせたのだ。戦もひとまず落ち着いたし、あいつは事後処理やら情報収集やらは向いておらんからな。ならば太極殿で怪我人の手当てでも手伝ってこいと行かせたのだ」
「ああ、そういう事。……しかし、あれに手当てされる兵は災難じゃないかい?」
「いや、それがそうでもないぞ。確かに何かと雑な男だが、意外と手際が良くてな。……俺が桂州に赴任したばかりの頃、州都が賊の襲撃を受け、多くの負傷者が出た話は知っているか?」
「ああ、勿論。龍守君がそれは見事な手腕で、賊を悉く捕縛したと聞いているよ」
「まあ、俺の話はともかくとして……その時我が軍にもそれなりの被害が出たのだがな、あいつのおかげで死者が少なくて済んだのだ」
「へえ……?」
「一見小さな傷口であっても、そこから穢れが身体に入りこみ、人の命を蝕むことは良く知られているが……。傷口を塞ぐのに鶏卵の薄皮が良いだの、穢れを祓うための酒はこれが良いだのと、どこで聞きかじったのか良く知っていてな。更には桂州はとにかく汚すぎる、このような状態では疫病が蔓延する──と騒ぎたててな。俺も桂州の衛生状態には思うところがあったゆえ、あいつの意見を取り入れて州都の整備をしたところ──」
「……したところ?」
「寒風が吹くたびに流行っていた病が、嘘のように鎮まった」
「まさか、本当かい。官試も筆記は一桁の順位だった子なのに……下から数えて」
「俺も驚いた。赤子の頃からの付き合いだが、あんな知識があったとはな。……あいつの話だと、数年前に天啓を得たそうだが」
「昔から訳の分からないことを言う弟だったけど……とうとう気が狂ったのかな……」
そう朱鷺也が腕を組んで天を仰いだ時、
「おーい龍守。怪我人の手当てはとりあえず終わった……って」
まさに龍守と朱鷺也の話題の渦中にいた人物が、そう大声で呼ばわった後、あからさまに唇の端を引き攣らせた。
「げ……何でここにいるんだよアンタ」
「アンタとは何だい隼人、兄に向かって。それに僕は東苑軍の将軍なのだから、居て当然だろう」
不快感を露わにする隼人に、朱鷺也はわざとらしく眉を下げる。
「東苑軍の将軍って……知らねぇよ、そんなの! 俺は勘当されてて、アンタとはもう関係ねぇんだから!」
そう喚く隼人を見て、龍守は愉快そうに笑う。
「隼人。日華殿に向かう折に、俺が加々美将軍に指揮を任せると言ったのを聞いていなかったのか?」
「あの状況でいちいちそんなの聞いてられっか! つーか龍守、コイツが将軍だなんて聞いてねぇぞ! お前知ってて黙ってただろ!」
「何と。兄を邪険にし、あまつさえ主君の言葉を蔑ろにするとは……。那岐山侯爵、我が弟がご無礼を働き申し訳ございません。この上は我が家に連れ帰り──」
「だ〜か〜ら! もう俺はアンタの弟じゃねぇし、アンタも俺の兄貴じゃねぇっての!」
「ははっ、相変わらず兄弟仲が良くてうらやましいことだ」
「恐縮です、那岐山侯爵」
「仲良くねぇよ! その紅目は節穴か龍守!」
久しぶりの邂逅を果たした加々美兄弟のやりとりに、龍守は笑う。
「さて、ところで隼人。太極殿での皇族がたの様子はどうだった?」
「あー……それが……」
隼人が言いづらそうに鼻をかく。
「ちょっと一悶着あってな。第二皇女が……」
「紅蘭皇女がどうした」
「いや……なんかさ、怪我した兵士たちと同じ場所に行かされたのが気に食わなかったみたいで、汚いだの穢らわしいだのと騒ぎ始めて……」
「なんと。皇族がたをお守りするために戦った者たちに対して、その言動は……少ないとはいえ、死者も出ているというのに」
「浅はかだな。常識的な分別があれば、思っていても口に出さぬものだぞ。……それで?」
「それでっていうか……あんまり第二皇女が騒ぐもんだから、姫さんが『紅蘭は気が動転しているのね。陛下のお側で休んでいるといいわ』って言って……そんで姫さんは医官たちと一緒に兵を手当てし始めたんだけど、そしたら兵たちがやれ女神のようだの、なんとお優しいんだって褒めはじめて、中には感動して泣き出す奴もいて……」
「ああ……その後の展開は想像がつくな。おおかた紅蘭皇女が翠蓮皇女に嫉妬して、因縁でもつけたのだろう?」
苦笑する龍守に対し、隼人が頷く。
「ああ。しかもその場に皇太后もいたもんだから……毒姫なんかに手当てされたら、せっかく生き残った兵たちが死ぬかもしれない、お前は皇家の財産である兵を殺す気かって詰り始めて……姫さんはスルーして手当てしてたんだけど、あんまり度が過ぎるもんだから、俺……」
「……何をした。隼人」
「余計なこと言ってないだろうね?」
「いや、あの……手当ても手伝わず姫さんいびってるんなら、邪魔だから黙ってろって……」
「……この、阿呆が」
「君は馬鹿なのかい?」
「いやだってしょうがねぇだろ! あんまりムカつくもんだから……! 姫さんも周りの奴らも、あのじゃじゃ馬侍女すら何も言わねぇし……!」
龍守は眉間を押さえて深い溜め息をついた。
「お前、それで太極殿を追い出されてきたのか」
「良く首が繋がったまま出てこられたね……」
「それは、姫さんが色々取りなしてくれて……。怪我人の手当てに人手が必要だから、大目に見て欲しいって……」
「それじゃあ、その後翠蓮皇女殿下が何らかの咎めを受けることになるんじゃないか? ……というか、君は翠蓮皇女殿下を姫さん呼びしてるのかい? それも不敬だぞ」
「悪い、龍守……」
珍しく神妙な顔で頭を下げる隼人に対し、龍守は複雑な表情を向ける。
「謝罪なら俺ではなく、翠蓮皇女に対してすべきだろう。……それにしても、この場に倶知比古がいなくて良かったな。思いつく限りの、ありとあらゆる罵詈雑言が飛んだぞ」
「そういえば、倶知比古君と鷹比古殿の姿が見えないね」
「あいつらは葛城公爵邸の様子を見に行かせている」
「ああ、そうなんだ」
そう朱鷺也が頷いた時、
「那岐山侯爵、加々美侯爵!」
ひとりの兵士が、息を切らせて駆け寄って来た。
「お話し中、申し訳ございません。安比公爵邸を調べに向かった兵からの報告なのですが……公爵邸には安比公爵と安比将軍の姿は見えず、女子供と使用人が数名残されていたのみだったと……」
「そう、ご苦労様。他には?」
「冬院家と豊雲家も似たようなもので……豊雲家には元々使用人すらろくにいなかったようなので、ほぼもぬけの殻だということです」
「ありがとう。君は持ち場に戻って良いよ」
兵を戻らせると、朱鷺也は腕を組んで龍守を振り返った。
「さて、初臣君たちには逃げられちゃったみたいだね」
「ああ。……それにしても早過ぎる」
「安比公爵のことはよく知らないけれど、初臣君は意外と慎重で、却って優柔不断なくらいだからねぇ……。まるで初めから反乱が失敗するって分かってたみたいだ」
「……単純に、汚れ仕事を部下にやらせて蜥蜴の尻尾切りしたんじゃねぇの? 路保ならやりかねねぇぜ」
「ま、その可能性も充分にあるけどね。……それにしても、龍守君。君、さっきの口ぶりからすると、安比公爵家が何か企ててるって事前に知ってたでしょう?」
朱鷺也は不意に射るような目つきで、龍守を見やる。その目は、弟である隼人が戦場で敵兵に向けるそれと良く似ていた。
「……」
「おい兄貴。あんた何言い出すんだよ」
「あれ、やっとお兄ちゃんって呼んでくれたね。……ねぇ龍守君。だったら何で、さっさと初臣君を捕まえて尋問しないの。君は近衛将軍でしょう?」
「……俺が仗を賜ったのは昨日の午後だ。そんな時間は──」
「あったでしょう。何なら叙任式の時にみんなの前で言えば良かったじゃない」
「……証拠がなかった。疑いだけでは──」
「そんなもの、捕まえた後で何とかすればいいんだよ。……って言うか、僕が知ってる君ならそうしたはずだと思うんだけどね。昨日の宴に安比家は出席してないっていう状況証拠もあるし、安比公爵邸を家探しすれば、何か出て来たでしょ」
「朱鷺也殿、貴方は──」
「あのねぇ龍守君、君は甘いよ。おおかた初臣君と戦いたくなくて、何とか思い留まらせようとしてたんだろうけど……。君がもたもたしているうちにこんなことになっちゃったし、少ないとはいえ兵も死んでるんだからね?」
「……おい、いい加減にしろよ兄貴。そもそも反乱は明日の夜明け前に起こるはずだったんだ。龍守は色々と根回ししてる最中で──」
「ふーん。隼人が知ってるってことは、やっぱり分かってて手をこまねいてたんじゃない、龍守君。……というかそこまで詳細知ってるってことは、まさか誘われてた?」
「……さすが、加々美侯爵。大した洞察力だ」
龍守は前髪を掻き上げながら苦笑する。
「全てが正解という訳ではないが……声をかけられていたのは事実だ」
「そう。だと思ったよ。……それにしても、心配だねぇ龍守君。そんなので帝都でやっていけるかい? 君、色々と敵を作りやすいからねぇ……油断してると後ろからこう──」
朱鷺也は腰の剣に手をかけて、そのまま龍守を突くような仕草をする。
「──ドスっとやられかねないよ。鷹比古殿とかからも言われてると思うけど」
「忠告痛み入る。肝に銘じよう」
「ふふっ、捻くれてるくせにこういう時は素直だよね、龍守君。……さて、僕も後始末に戻ろうかな。隼人、せっかく帝都に戻ってきたんだから、少しは家に顔を出しなよ。父上も義母上も、きっと会いたがってるに違いないんだから」
「……気が向いたらな」
ぼそりと呟く隼人に苦笑すると、朱鷺也は龍守に一礼しその場を辞して行った。




