第6話
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1941年(昭和十六年)12月9日0時30分。『アダムス』に、シンガポールに残っていたアーサー・パリサーから無線連絡が入った。
連絡によれば、マレー北部のイギリス側飛行場はすべて日本軍に占領されたか破壊されたようで、結果、マレー北部の制空権が失われてしまった。また、このことを受けて、空軍はシンガポールとマレー南部の制空権を確保するために戦力を集中させることを決定したこと、日本軍には空母2隻がサイゴン沖で待機していること、などが伝えられた。
「・・・撤退して正解でしたな」
航海長のヘンリー・グリフォンが艦長のハリントンにそう言うと、ハリントンは「そうだな」と不機嫌そうに言った。
「せっかく敵に16インチ砲をお見舞いできると思ったのに・・・」
「・・・艦長の闘争心は頼もしいが、こちらは数が少ない。何、敵と戦う機会はまだある。その闘争心はその時に発揮すればよい」
フィリップスからそう言われたハリントンは「はっ」と言って返した。そんな中、羅針盤艦橋に通信士が飛び込んできた。
「艦長!シンガポールから電文です!」
そう言うと、通信士が手に持っているメモを読み上げる。
「『クアンタン沖ニ日本軍現ル。日本軍上陸中』です!」
通信士の言葉に、羅針盤艦橋の中が色めき立った。参謀達が期待を込めた眼差しをフィリップスに向ける。
「長官・・・っ」
参謀の1人が声をかけると、フィリップスが力強く頷く。
「・・・よし、行こう。今度こそ日本軍の船団を攻撃する。ここからクアンタンまでなら、未明に到着できるだろう。そうなれば、奇襲が可能となる。それに、クアンタンならシンガポールの空軍の支援を受けられるぞ」
「では・・・っ」
「全艦に通達。『ワレ、クアンタンニ向カウ』だ」
フィリップスが決意を込めた口調でそう言うと、羅針盤艦橋にいた全員が「イエッサー」と応えた。
皆が新たな命令に従って動いている中、ハリントンがフィリップスに話しかける。
「長官。朝になりましたら、偵察機を発進させたいのですが」
「偵察機を?」
「はい。『アダムス』にはウォーラス(スーパーマリン社が開発した水陸両用小型飛行艇のこと)が3機載せられています。これをクアンタンへ送り込みたいのです」
「しかし・・・。着弾観測に出すには早いのでは?」
フィリップスがそう疑問を呈すると、ハリントンが「いいえ」と返した。
「偵察です。日本軍が夜間に上陸中、というのが引っかかりまして」
「・・・誤報だと思うのか?」
「それを確かめたいのです」
ハリントンにそう言われたフィリップスは、少し考えると「分かった」と言った。
「そこの判断は艦長に任せる」
フィリップスからそう言われたハリントンは、「ありがとうございます」と言って敬礼した。
それからしばらくして、Z部隊は進路を西に取り、艦隊速度23ノットで夜の海を突き進んだ。
朝になるまでの間、艦長室で仮眠を取ることを勧められたハリントンは、航海長のグリフォンに任せると羅針盤艦橋を出た。艦長室へ歩いて向かう途中、同じく仮眠を取るべく司令官室へ戻ろうとするフィリップスに声をかけられる。
「艦長。歩きながら少し話さないか?」
フィリップスからそう言われたハリントンが「分かりました」と言ってフィリップスと歩調を合わせる。
「・・・それで、お話とは?」
「君は私の指揮に不満なのではないか?」
急にそんなことを言われたハリントンは、思わず口を閉ざした。フィリップスが話を続ける。
「君だけではない。参謀達も私の指揮に不満を持っていることは分かっている。まあ、参謀達の不満は指揮だけではないのだがな」
フィリップスはそう言って自嘲気味に言った。
実は、フィリップスは中佐時代に地中海艦隊の作戦参謀になった際、上官にあたるダドリー・パウンド参謀長の知己を得ている。その後、パウンドが出世するとフィリップスも要職につくようになり、パウンドがイギリス海軍の武官最高位である第一海軍卿になると、参謀副長(のちの海軍参謀次長)に就任。さらに東洋艦隊司令長官に任命された。
このことから、海軍内では「コネで出世した」と陰口を叩かれており、フィリップスもそのことは自覚していた。
「・・・それに、私はだいぶ海から離れていたからな。私の指揮能力に疑問を持たれても仕方あるまい」
自嘲気味に言うフィリップスに対し、黙って聞いていたハリントンが口を開く。
「失礼ながら長官。それを私に話されて、どうしろとおっしゃるのですか?」
ハリントンがそう言うと、フィリップスは立ち止まった。ハリントンも立ち止まると、フィリップスがハリントンの目を見つめる。
「・・・私はこの艦・・・『アダムス』に命を預けた。皆はこの船が日本製だからといって侮るが、私はそうは思わない。経緯はどうであれ、これは国王陛下の軍艦だ。それに、艦長をはじめ乗組員が皆この船を大事にしている。そんな船と共に戦えることに私は誇りに思っている。・・・だから、君も私に命を預けてほしい」
その言葉を聞いたハリントンは、思わず息を呑んだ。背の小さいフィリップスだが、何故か大きな存在感を感じたからだった。
―――陸上勤務が長かったせいか、潮気がないな、と思っていたが・・・。やはりこの方は王立海軍の提督だ―――
そう思ったハリントンは、フィリップスに敬礼をする。
「・・・分かりました。共に戦い、勝利しましょう。何、この『アダムス』は王立海軍、いえ、ヨーロッパで最強の戦艦です。今は苦しいときですが、必ず乗り越えられる、と信じています」
ハリントンがそう言うと、フィリップスは微笑みながら敬礼を返した。
クアンタンに向かう途中、Z部隊は日本の潜水艦『伊五八』に見つかり、魚雷攻撃を受けた。しかし、当たる艦はなかった。
また、『伊五八』が敵艦隊発見の電文を発していた。しかし、『アダムス』の無線機には傍受されたが、第二艦隊や南遣艦隊にはなぜか伝わらなかった。
一方、日本軍は夜明け前から索敵機をマレー半島の東側に放った。小沢治三郎は第十二航空戦隊の特設水上機母艦から水上偵察機を索敵に出すよう命じた。
また、第二十二航空戦隊司令官である松永貞市海軍少将は、9日夜の状況を鑑みて、敵艦隊がまだマレー半島東部の何処かを航行中である可能性が高い、と判断し、索敵攻撃をすることに決めた。
「まず索敵機を出す。次に元山空(元山海軍航空隊のこと)、美幌空(美幌海軍航空隊のこと)、鹿屋空(鹿屋海軍航空隊)から各中隊ごとに捜索航路をあらかじめ割り振って発進させる。索敵して敵を発見した場合は、索敵中の他の中隊を呼び寄せて攻撃に当たらせる。
また、出撃できずに基地に残っていた中隊については、敵発見次第、攻撃隊として一斉に出撃させる」
松永はそう決めると、五月雨式に陸攻を出撃させた。
朝になり、『アダムス』からウォーラス飛行艇が発艦した。
ウォーラスは進路を西に取り、クアンタン沖に向かって飛び続けた。クアンタン沖で索敵し、さらにクアンタン上空にもやってきて索敵した。しかし、日本軍の姿はなかった。
そのことはすぐに『アダムス』に電文で伝えられた。
「敵影は見えず、か・・・」
通信室からもたらされた電文のメモを見たフィリップスがそう言うと、溜息をついた。
そして顔を上げて羅針盤艦橋にいる者達に命令する。
「『エクスプレス』に先行させてクアンタン沖を偵察させよう。その間、進路はそのまま」
フィリップスの命令でそのまま進むことになった『アダムス』。その羅針盤艦橋の空気は重かった。
それから1時間後、先行した『エクスプレス』から無電が入った。「異常ナシ」だった。
その電文が『アダムス』の羅針盤艦橋に伝えられると、羅針盤艦橋の空気がますます重くなった。
―――まずいな。士気が下がっている―――
ハリントンはそう思うと、重い空気を吹き飛ばそうと大声を上げる。
「なんだなんだ!皆してやる気のない顔をしやがって!生きて帰れることが最高の勝利だというのが分からんのか!
大西洋ではドイツのUボートにいつ襲われるか分からない状態で結局何もなかったことなんて何度もあっただろうが!日本軍がいなかったからといって、そんな顔をするな!」
ハリントンが大きい声でそう言うと、『アダムス』の乗組員の顔に元気が戻ってきた。
グリフォンがさらに言う。
「北大西洋の寒さに比べたら、この海は暖かくて有難いじゃないか。寒い甲板で鼻水垂らしながら船体についた氷を叩き落とさなくて済むんだぞ。それに海に落ちても凍え死なない海なんだ。落ちても生きて帰れるぞ」
そう言うと、操舵手が声を上げる。
「あの氷を叩き落とす仕事は辛かったっすよね!」
「お前は操舵手としてずっと羅針盤艦橋に篭ってたじゃないか!お前が氷叩き落とすところ見たことないぞ!」
グリフォンがそう返すと、羅針盤艦橋で笑いが起きた。そんな中でも参謀達の顔は浮かないものであった。そんな様子を見ていたハリントンが、あることに気がつく。
「そういえば、我々は朝食がまだでしたな。戦闘中なので乾パンとコーヒーだけですが、用意させます」
ハリントンがそう言うと、フィリップスが驚いた顔をする。
「コーヒーだと?紅茶じゃないのか?」
「『アンジー』では朝食にはコーヒーですよ。紅茶は午後からです。昔からそうなんですから、長官といえど従ってもらいますよ」
そう言うとハリントンは艦長付の水兵に朝食の用意を命じた。
それからしばらくした後、厨房付の水兵達が乾パンの入った袋とコーヒーの入ったポットを持ってきた。水兵達がハリントンやフィリップスに数枚の乾パンとコーヒーの入った金属のマグカップを渡していった。
乾パンは水分がなくレンガのように硬かったし、コーヒーは泥水のほうがまだマシなほど不味いものだった。しかし、朝食を済ませた者達の顔からは、不安感が無くなっていた。
『アダムス』の艦橋と主要部署の者達が遅くて不味い朝食を食べ終えた頃、Z部隊は航路を東に取っていた。南に行かなかったのは、マレー半島とその東に浮かぶアナンバス諸島の間にあると思われる潜水艦の警戒線と、日本軍が設置した機雷原を迂回するためであった。
途中、前日の夜に分離した『テネドス』が日本軍の爆撃にあったことが報された。ただし、『テネドス』は沈むことなくシンガポールに戻っていったが。
そんなことがあった後、『アダムス』の対空レーダーが反応した。
「レーダー室よりブリッジ。航空機1機発見」
そう言うと続けて距離と方位を知らせた。その航空機は、まっすぐこちらに向かってきていて、数分で視界に入る、とも知らせてきた。
「・・・見張りを厳となせ!対空戦闘用意!」
ハリントンがそう命じると、見張員達から「イエッサー」という声が帰ってきた。
「艦長。たかが航空機1機だけで大げさでは?」
フィリップスの言葉に、ハリントンは首を振る。
「いえ、大西洋では航空機による偵察がなされた後、潜水艦が攻撃を仕掛けてきた、という事がありました。ドイツ軍は空軍と海軍が分かれていながらも連携していたのです。海軍と空軍が分かれていない日本軍が、同盟国のドイツから学んでいない、とは限りません。
それに、日本軍が航空機にレーダーを搭載している、という情報はありません。恐らく目視による索敵と思われます。発見の無電を敵機に打たれる前に落とせるならば、それに越したことはありません」
「なるほどな。では、艦隊命令として、全艦にもその命令を送ろう」
フィリップスはそう言うと、ハリントンが伝声管を通じて通信室に命令を伝えた。
それからしばらくした後、Z部隊に1機の双発機が現れた。
「オープンファイア!」
電話の受話器に向かってハリントンの口から命令が発せられると、『アダムス』の高射砲が一斉に火を吹いた。
Z機の上空に現れたのは、第二十二航空戦隊元山海軍航空隊所属の九六式陸上攻撃機であった。この機体の機長は、本来の索敵コースを離れた場所を索敵していたが、それが功を奏してZ部隊を発見することができた。
九六式陸上攻撃機は、Z部隊の迎撃を受けつつも敵情を無電で伝えた。その電文は各方面に受信された後、日本本土に残っていた連合艦隊司令部施設にも転送された。
「・・・やっと『陸奥』を見つけたか」
連合艦隊旗艦である戦艦『長門』の作戦室で、報告を聞いた山本五十六はそう呟いた。
「敵も随分と我等を翻弄してくれたものですな」
先任参謀の黒島亀人がそう言うと、作戦参謀の三和義勇が口を挟む。
「むしろ、味方の不甲斐なさを責めるべきかと。現地部隊から伝えられた昨日からの戦況からは、味方の混乱ぶりが目立ちました」
三輪がそう言うと、黒島が何か言おうとして口を開きかけた。しかし、参謀長の宇垣纒が声を上げる。
「そんな事は戦いが終わってから検証すればよい。それに、敵艦隊は見つかったのだ。後は近藤閣下(近藤信竹のこと。第二艦隊司令長官)と小沢閣下(小沢治三郎のこと。南遣艦隊司令長官)に任せておけば良い」
宇垣の言葉に、黒島と三輪は黙って頭を下げた。そんな様子を見ていた山本が口を開く。
「・・・どうだ?賭けを一つしないか?現地からの報告では、二十二航戦(第二十二航空戦隊のこと)が航空攻撃を仕掛ける予定だ。航空攻撃でどれだけ戦果を挙げることができるか、賭けてみないか?」
山本の発言に、参謀達が顔を見合わせた。そんな中、山本が自らメモ帳を1枚ずつ破って各人に渡す。
「これに氏名と予想を書いてくれ。そして私に渡してくれ。当てた者には僕からビールを10ダースあげよう」
そう言われた参謀達は、渡されたメモ用紙に万年筆で自分の予想を書いた。そして見えないように書いた面を谷折りにして畳んで山本に渡していった。
山本はメモ用紙を1枚1枚開いて中を確認した。そして最後のメモ用紙を開いた山本は、笑いながら皆に言う。
「なんだ、皆して『レパルス』は撃沈で『アダムス』は大破か。これでは賭けにならないではないか!」
そう言った山本に、宇垣が抗議するように言う。
「そうは言っても長官。『アダムス』は『陸奥』だった戦艦。心情的に撃沈とは言い辛いです」
「そうか。では、僕は『アダムス』も撃沈できると賭けよう。これに勝ったら、皆からビールを1本貰おうかな」
山本が笑いながらそう言うと、黒島が首を傾げる。
「1本で良いのですか?せめて1人1ダースにしないと、賭けのレートが成り立たないのでは?」
「構わないよ。1人ずつ1ダースもらっても僕では飲み切れないしね。それに・・・」
山本はそこまで言うと、笑顔を止めて真面目な顔つきになる。
「僕は今まで『これからは航空機の時代だ。戦艦なんて造るだけ無駄だよ』と公言してきた。すでに真珠湾ではそれを証明できたが、それでもあれは停泊中の戦艦を沈めたに過ぎない。航行中の戦艦を沈めることで、初めて僕の言ったことが証明されるんだ。
・・・長年言ってきたことが証明できるなら、例え相手が『陸奥』であっても、僕は自分の言ってきたことを貫くべきなんだ。それが、男として、海軍軍人としての僕の矜持なんだ」
山本の言葉に対し、参謀達は何も言えなかった。山本が力強く言う。
「だから僕は言う。『陸奥』は航空機で撃沈できる。僕はそれに懸ける」
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