第5話
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1941年(昭和十六年)12月8日18時55分。『アダムス』を旗艦としたZ部隊がシンガポールから出撃した。『アダムス』を始め、『レパルス』『エレクトラ』『エクスプレス』『テネドス』『ヴァンパイア』から成るZ部隊は、艦隊速度20ノットを維持しながらマレー半島東岸沖を直進して北上せず、シンガポールの北東200キロメートル先にあるアナンバス諸島の東側を迂回するルートを取った。これは、マレー半島東岸沖には日本軍の潜水艦や機雷が潜んでいる可能性が高く、それを避けるためであった。
しかし、Z部隊は翌12月9日15時15分頃に日本の潜水艦『伊六十五』に発見された。『伊六十五』から発信された敵艦隊発見の報は、遅れに遅れて17時10分頃に南遣艦隊旗艦の『鳥海』に伝えられた。
その報せを受けた小沢治三郎は驚いた。
「・・・敵の戦艦はシンガポールにいたのではなかったのか?」
実はこの日の午前中、第二十二航空戦隊からの報告では、陸攻(陸上攻撃機のこと)によるシンガポールへの航空偵察の際、セレター港には2隻の大型艦が停泊していたのが見つかった。第二十二航空戦隊司令部は、これを『アダムス』と『レパルス』と見ており、その旨、南遣艦隊司令部に報せていたのであった。
驚きつつも冷静な声でそう言った小沢に、参謀長の沢田が青い顔をしながら答える。
「それが、二十二航戦(第二十二航空戦隊のこと)の精査によれば、大型貨物船だったようです。撮影された写真から判明したそうです」
沢田がそう言うと、小沢は「仕方ないな」と溜息をつく。
「戦場において正確な情報を得ることは難しい。ならば、新たに情報を得るしかない」
「長官、それでは・・・?」
「南遣艦隊に属する艦艇のうち、水偵(水上偵察機のこと)を持つ艦はすべて敵艦隊の索敵に出すように重ねて伝えよ。第四潜水戦隊と第五潜水戦隊にもだ。あそこはそれぞれ『鬼怒』と『由良』を有しているが、2隻は水偵を持っていたはずだ。そして『伊六十五』が発見した海域を中心に索敵するのだ」
「承知しました。二十二航戦へは如何致しますか?」
沢田の提案に、小沢が少し考え込む。
「・・・確か、二十二航戦はシンガポール内の大型船に爆撃を仕掛ける、と報せてきていたな?」
「はい。そろそろ出撃する頃かと」
「すぐに中止させろ。そして、攻撃目標を英艦隊にするように命じろ」
小沢の命令に、沢田の両目が大きく開かれる。
「お待ちください!航空攻撃を仕掛けるにしても、索敵して敵を見つけてからではないと攻撃できません!今から索敵し、敵戦艦を見つけてから攻撃隊を送り込むならば、攻撃は夜間攻撃となる虞があります!」
沢田がそう声を上げると、小沢が落ち着いた声で答える。
「こちらは水上機も索敵に出しているのだ。すぐに見つかれば、日没までにはまだ間に合うだろう。それならば、夜間攻撃にはなるまい」
「しかし長官。報せではすべてが爆装だと聞いております。港内では雷撃が難しいから、と。航行中の戦艦に爆撃を仕掛けても、撃沈は難しいと思いますが」
「俺もそう思う。しかしながら、足止め程度はできるだろうし、爆撃ならば夜間でもできるだろう。そうすれば、二艦隊(第二艦隊のこと)と共同で夜戦を仕掛けられる」
小沢の言葉に、沢田が唖然とする。
「・・・航空攻撃での撃沈をお望みだったのでは?」
「今の望みは敵艦隊を撃滅し、輸送船団の安全を確保することだ。そのためには手段を選ばないよ」
小沢の言葉を聞いた沢田は、まじまじと小沢の顔を見つめた。“鬼瓦”と評されるその顔からは、航空攻撃ができない悔しさとか夜戦による水雷戦闘ができることへの喜びとかの感情を読み取ることはできなかった。
そんな沢田の耳に、戦闘艦橋に誰かが飛び込んでくる音が聞こえた。その方向へ顔を向けると、そこには『鳥海』の通信士が息を切らせながら立っていた。
「『愛宕』(第二艦隊旗艦の重巡洋艦)より電文!『ワレ南下中』!以上です!」
通信士の報告を聞いた沢田の耳に、小沢の声が入ってくる。
「どうやら、近藤さん(近藤信竹のこと。第二艦隊司令長官)もやる気のようだね。こちらも、そのお膳立てをしておかないとな」
「・・・そうですな」
沢田がそう言って自分の仕事をするべく小沢から離れようとした。が、すぐにその足を止めた。沢田の耳に小沢の歌が聞こえたのである。
―――また変な歌を歌っているのか?―――
そう思った沢田だったが、すぐに取り消した。その歌は、沢田でも聞いたことのある歌であった。
「・・・『抜刀隊』、ですか?長官」
振り向いて思わず尋ねた沢田に、小沢が感情を表さずに答える。
「まあな。・・・参謀長、敵の戦艦『アダムス』が古今無双の英雄、とは言えないかね?」
小沢の問いかけに、沢田は「はぁ・・・」と返した。しかし、沢田は小沢の想いを感じる。
―――『抜刀隊』は西南戦争の時、西郷隆盛の薩軍との斬合に対抗するために警視庁が組織したもの。あの歌に歌われる敵将は西郷隆盛のことだ。長官は『アダムス』を西郷隆盛に例えているのか?
・・・そうか。西郷隆盛は明治維新の英傑でありながら、維新政府に反旗を翻した。日本で生まれ、日本を守るはずだった『陸奥』・・・いや『アダムス』。『ビスマルク』を沈めるほどの戦艦である『アダムス』を西郷隆盛に例えるのもおかしくはないか―――
そう思いながら、沢田は改めて小沢から離れようとするのであった。
この日の午後はスコールで視界が悪かった。そのため、南遣艦隊から放たれた索敵機は英艦隊を見つけることができなかった。しかし、18時30分頃にスコールが止み、雲がどこかに消えてしまった。その結果、軽巡洋艦『由良』と『鬼怒』、そして重巡洋艦『熊野』の搭載機によって発見された。
一方、『アダムス』はこの3機の水上機を対空レーダーで補足し、更に見張員も発見していた。しかし、高角砲の射程外にいたため、撃墜することも追い払うこともできなかった。
「通信、敵機の無線を傍受できるか?」
羅針盤艦橋にいたハリントンが伝声管を通じて通信室にいる通信長に尋ねた。通信長が返す。
「ええ。はっきりと捉えております。が、暗号文ですから、中身は分かりません」
だろうな、とハリントンは思った。しかし、敵機が位置情報を発信していることは分かっていた。
「・・・長官」
進路を変更し、欺瞞を行いますか?とフィリップスに言おうとした時だった。羅針盤艦橋で見張りについていた兵が大声を上げる。
「『テネドス』より発光信号!『ワレ、燃料不足』です!」
見張りの言葉に、ハリントンが舌打ちをする。
「何をやってるんだ、『テネドス』は・・・っ」
「補給する時間がなかったんですから、仕方ないでしょう。元々、『レパルス』と共にオーストラリアに向かう予定だったんですから」
副長のジョン・キーンがダメージコントロール指揮のために艦橋の下層にある司令塔に移っていたので、代わりに羅針盤艦橋に詰めている航海長のヘンリー・グリフォンがそう言った。
彼の言うとおり、『レパルス』は『テネドス』と『ヴァンパイア』と共に12月5日にオーストラリアに向けて出港した。しかし、12月6日に大規模な日本の船団が発見されたので、急遽呼び戻されていた。その後、『テネドス』への燃料補給がなされないまま再出撃を余儀なくされていた。
「それに、シンガポールから出撃して以降、20ノットで走り続けてきましたからね。『アダムス』や『レパルス』ならともかく、いくら足の早い駆逐艦でも、燃料の消費は激しくなります」
グリフォンがハリントンにそう言っているのを見ながら、フィリップスが落ち着いた様子で口を開く。
「・・・『テネドス』に、シンガポールに引き返すように伝えよ。その際、翌朝8時にシンガポールに向けてZ部隊の予定コースを伝えるように命じよ」
フィリップスの急な命令に、グリフォンは首を傾げたが、ハリントンがグリフォンに説明する。
「空軍の援護を受けるためだ。それに、我々は無線封鎖を行っている。『テネドス』が我々から離れた場所で無線を使っても、我々は見つからない、ということだ」
ハリントンの説明に納得したグリフォンは、外にいる信号灯を担当する兵に命令を伝えた。
駆逐艦『テネドス』がシンガポールに戻り、駆逐艦が3隻になっても、Z部隊は20ノットで北上を続けた。しばらくして、前方を見張っていた見張員が、巨大な双眼鏡を覗きながら大声を上げる。
「前方上空に光源あり!」
見張員の声に反応したハリントンやフィリップスが手持ちの双眼鏡で前方を見た。すると、前方の空にゆらゆらと揺れる光が見えた。
「・・・星弾(照明弾のこと)だな」
ハリントンはそう呟くと、レーダー室に繋がる伝声管に話しかける。
「レーダー室、レーダーに反応は?」
「対空レーダーに反応。航空機がいます。方位4度、距離およそ25マイル(40キロメートル)」
「数は?」
「2から3」
レーダー室の返答に、ハリントンが首を傾げる。
「変だな・・・。敵の航空機は何をやってるんだ?」
「何かを見つけて、確認のために星弾を投下したのでは?日本人は近眼が多いと聞きます。夜目が利かないのでは?」
「近眼と夜目は関係ないだろうが」
グリフォンの推理にハリントンが顔を顰めながらそう返した。その時、再び前方見張員が大声を上げる。
「星弾、消えましたが再び撃ち出された模様!」
前方見張員の大声を聞いたハリントンは、再び伝声管に声をかける。
「レーダー室。水上艦の反応はあるか?」
「いえ、ありません。そもそも、『アンジー』の対水上レーダーの探知距離は最大15マイル(約24キロメートル)です。25マイルは探知外です」
レーダー室からの報告に、ハリントンは溜息をつく。
「・・・そうだった。『アンジー』のレーダーが“当たり”だとはいえ、対水上レーダーは対空レーダーより探知距離は短いんだった」
ハリントンがそう言うと、それまで黙っていたフィリップスが声を上げる。
「・・・作戦を中止する。進路を180度に取れ」
フィリップスの言葉に、ハリントンはもちろん、グリフォンや参謀達が驚きの表情を顔に浮かべた。フィリップスが続けて言う。
「正体不明の星弾が続けて発射されているのだ。恐らく敵の何かしらの作戦行動と思われる。すでに敵の索敵機の接触を受けているのだ。ここで我が方の存在を敵に知られては、敵に攻撃される。ここは作戦を中止し、少しでも早くここから退かなければ」
「しかし長官、せっかくここまで来たのに、敵に背を向けては・・・」
参謀の1人がそう言って抗議しようとしたが、フィリップスが右手を挙げて話を止める。
「・・・事前の情報では、敵には重巡洋艦と駆逐艦が多数いたはず。当然、搭載されている魚雷数も多い。一方、こちらは駆逐艦3隻のみ。雷撃戦では到底勝てない。無念だが、ここは引き上げる。・・・作戦は中止とする」
フィリップスの命令を聞いたハリントンが大声を上げる。
「操舵手!進路を180度にとれ!それと全艦に発光信号だ!急げ!」
ハリントンの言葉に、羅針盤艦橋は慌ただしく動いた。
それからしばらくして、Z部隊は回頭し、もと来た海路を引き返した。
それからしばらくした後、フィリップスがハリントンに尋ねる。
「・・・艦長。先程、『アンジー』のレーダーは“当たり”と言っていたな。あれはどういう意味だ?」
「ああ、あれですか。『アンジー』が持つレーダーや無線機は他の艦の同じものよりも性能が良いんです。というのも、元々はキング・ジョージ5世級戦艦に配備される予定のレーダーの試作品でして。試作品というのは採用を得るためにコストを度外視して性能に妥協しないんですな。まあ、量産型がコストとの妥協で性能を落としている、と言うべきですか。なので、“当たり”と言ったのです」
ハリントンの説明に、フィリップスは「なるほどな」と感心したように頷いた。
さて、ハリントン達が見た星弾は、実は第二十二航空戦隊所属の美幌海軍航空隊所属の九六式陸上攻撃機が落とした星弾であった。この飛行機はZ部隊の索敵のために夜間飛行を行っていたのだが、暗闇の中を苦労して索敵した結果、Z部隊と思われる船影を発見。位置確認とすでに離陸している二十二航戦の陸攻隊を呼び寄せるために、星弾を投下したのであった。
しかし、索敵機が見つけた艦影は、実は南遣艦隊旗艦の『鳥海』であった。つまり、索敵機は味方をZ部隊と勘違いしたのだった。
星弾を落とされた『鳥海』の戦闘艦橋は、さすがに落ち着いていられなかった。
「すぐに上空の味方機に発光信号を送れ!」
『鳥海』艦長の渡辺清七海軍大佐がそう命じると、信号灯担当の信号員が上空に向けて発光信号を放った。しかし、頭上の航空機には見えていないのか、再び星弾を落とした。
「・・・まいったな。この『鳥海』は英国に売られていないはずだが?」
小沢がそう言うと、沢田が「長官、冗談を言っている場合ではありません」と窘めた。
「すでに仏印南部からは陸攻隊が出撃しているのです。このままでは、味方から空襲を受ける羽目になります」
「分かっている。・・・通信参謀、二十二航戦に連絡。『作戦を中止し、全機帰還させろ』と伝えよ。そして、この旨を艦隊全艦と二艦隊にも伝えよ」
小沢の命令に、通信参謀だけでなく沢田やその場にいた者達が驚きの表情をする。
「長官。攻撃を止めるおつもりですか?」
「このような状況で作戦を続行したら、同士討ちになる。陛下より預かった艦艇や兵達を同士討ちで失いたくない」
決意の籠もった声で小沢がそう言うと、皆がしばらく黙り込んだ。そして、沢田が口を開く。
「・・・承知しました」
そう言うと沢田は通信参謀に頷いてみせた。通信参謀が通信室に向かうのを見た小沢は、麾下の艦艇に転進を命じるのであった。
結局、12月9日の夜に日英の艦隊戦は行われなかった。しかし、実はこの時Z部隊と南遣艦隊は40キロメートルまで近づいていた。もし、フィリップスが前進を続ける判断をしていたら、両艦隊は夜間の遭遇戦を行っていただろう。
そうなった場合、レーダーを有する『アダムス』が、16インチ砲弾を南遣艦隊に叩き込んでいたかもしれなかった。
この時『鳥海』をはじめ、南遣艦隊でZ部隊が近づいていることに気がついた艦はなかった。そのため、『アダムス』の砲撃は完全に奇襲となって南遣艦隊を襲っただろう。最悪、旗艦『鳥海』撃沈、小沢治三郎司令長官戦死、という結果になっていたかもしれなかった。
もっとも、この時は『鳥海』だけではなく、第七戦隊の最上型重巡洋艦4隻(『最上』『三隈』『鈴谷』『熊野』)、第11駆逐隊の特型駆逐艦(『吹雪』『白雪』『初雪』『狭霧』)、そして少し離れた場所に軽巡洋艦『鬼怒』がいたため、雷撃による反撃でZ部隊にも多大な損害があったかもしれなかったが。
次の投稿は2月18日21時頃となります。




