第3話
引き続きお読みいただきありがとうございます。お楽しみいただけましたら幸いです。
第2話にて、若干の修正を行いました。
「・・・英国に売却された『陸奥』は、1922年(大正十一年)4月に兵装を搭載しないまま英国海軍と日本海軍の回航員によって日本から英国のロサイス・・・スコットランドの東部、フォース湾に面する港町に回航された。
そこの造船所で翌年の6月まで『陸奥』の兵装取り付け及び艦内を英国海軍仕様にするための改装が行われたんだ。
その後、正式にイギリス海軍に編入されることになったのだが、その時に艦名を『陸奥』から『HMS Adams』と改められた。確か、300年ほど前に初めて日本の地を踏んだイギリス人航海士、ウィリアム・アダムスから取られた、と聞いた。
・・・まあ、『陸奥』が『アダムス』になった経緯はそんなところだ。後は政務参謀が資料を作ってくれたから、それを読んでくれ」
山本がそう言うと、参謀長の宇垣纒が目の前に置かれている資料を手に取った。そしてページをめくりながら資料に目を通す。
「・・・主砲は45口径16インチ砲(40.6センチメートル)連装砲を4基、副砲は6インチ(15.2センチメートル)単装砲をケースメート式で20門、3インチ(76ミリメートル)高角砲を4門、他にヴィッカース重機関銃を6丁ほど搭載、か・・・。メートルとインチの違いはあるが、ほぼ新造時の『長門』と同じだな」
「はい。我が軍はメートル法を使っておりますが、英国はインチ法を使っておりますので、それに合わせた兵器を載せたのでしょう。ただし、16インチ砲は英国ではまだ製造されていなかったため、我が国の三年式四十センチ連装砲をインチやフィートに引き直した設計図を英国に渡し、それを基に製造された砲を使っていたようです」
「とすると、英国の40センチ連装砲は本当の16インチ砲であり、『長門』の41センチ砲ではないのだな?」
宇垣が確認するかのようにそう尋ねると、藤井は「はい」と答えた。
「・・・まあ、メートル法そのままの設計図を渡せば、我が国の条約違反がバレますからなぁ。インチに設計し直すのは当然かと」
黒島亀人がそう言うと、宇垣は「確かにな」と言った。藤井が続けて話す。
「その後、昭和十一年(1936年)から2年ほどかけて近代化改修を行っております。その際の搭載兵装も書いております」
藤井の言う通り、データの後半には近代化改修を受けた後の『アダムス』の搭載兵器が書かれていた。
「・・・16インチ連装砲4基は変わらないが、新型砲塔を採用し、最大仰角を引き上げたのか。そして4門の魚雷発射管は全廃、副砲は12門に減らされたか・・・。
さらに、高角砲は4インチ(10.2センチメートル)連装高角砲を4基、4連装2ポンド砲(いわゆるポンポン砲)を10基搭載し、機関部とタービンの交換で煙突を1本にまとめ、艦橋を変えた、か・・・」
宇垣がそう呟きながら資料を見ていると、藤井が口を開く。
「その改装した姿を撮影した写真が、すでに海軍省より届けられております。それがこれです」
そう言うと、藤井は1枚の写真をテーブルの上に置いた。それを見た黒島が口を開く。
「ほう・・・。昭和九年(1934年)から2年かけて改装した『長門』と同じ見た目になりましたな」
黒島がそう言うと、脇から見ていた戦務参謀の渡辺安次海軍中佐が「そうでしょうか?」と首を傾げる。
「艦橋が『長門』と違います。前に写真で見た、新型戦艦の『キング・ジョージ5世』に似ています」
渡辺の言葉に対し、宇垣が自分の考えを言う。
「恐らくそれが英国戦艦の新しい艦橋の形なのだろう。・・・他に、改装された部分はあるのか?」
宇垣がそう尋ねると、藤井が答える。
「資料にも書いてありますが、水中防御力を高めるため、バルジをつけているようです」
「ということは、水中防御力も『長門』と同じかもしれないな・・・。機関部とタービンを変えたと言っていたな?もしかしたら、速度は改装前と変わらないのかもしれない」
宇垣がそう言って両腕を組んだ。すると、山本が「面白いな」と呟いた。
「『長門』も『陸奥』も、共に改装を受けた。改装した国は違えど、似たような改装になるとはな」
山本の言葉に、宇垣はどう返してよいのか分からなかった。なので、再び資料に目を通す。
「・・・続きは、『アダムス』の戦歴か?」
「はい。英国駐在武官からの報告をまとめてみました。残念ながら、新聞などの報道をまとめたものだけになってしまいましたが、中には艦長のハリントン大佐のインタビューも含まれております」
藤井の話を聞きながら、宇垣は資料の続きを読んだ。そこには、『アダムス』の戦歴が書き込まれていた。
『アダムス』の大規模な近代化改修は1938年(昭和十三年)に終了した。そのため、改修期間中だった1937年(昭和十二年)に行われたジョージ6世戴冠記念観艦式には参加できなかった。
近代化改修を終えた『アダムス』に対するイギリス海軍の期待は高かった。近代化された唯一の16インチ砲搭載戦艦は、当時拡大を目指すドイツとイタリアの海軍力、特にビスマルク級戦艦やヴィットリオ・ヴェネト級戦艦に対する抑止になる、と考えられていたからであった。
そして1939年(昭和十四年)九月1日。ドイツがイギリスの同盟国であるポーランドに侵攻し、イギリスがドイツに宣戦布告した。のちに第二次世界大戦と呼ばれる戦争の始まりであった。
当初は陸での直接戦闘がなかったため、「まやかしの戦争」と呼ばれることがあったが、海ではイギリスのシーレーンを脅かすべく、ドイツ海軍が潜水艦だけでなく、大型水上艦をも送り出していた。そんな大西洋の戦いに、戦艦『アダムス』も参加していくことになる。
1940年(昭和十五年)4月にはノルウェーに対するドイツ侵攻に対応するために、他の僚艦と共にノルウェーに派遣された。しかし、展開中にドイツ空軍の爆撃を受けてしまった。幸いにも不発弾だったものの損傷を受けたため、修理のためにロサイスまで撤退した。
1940年(昭和十五年)6月にイタリアがフランスに宣戦布告した。イギリスはイタリアを抑えるべく地中海方面にも戦艦を送り込んだ。
だが、『アダムス』はロサイスでの修理が完了した後、地中海に派遣されず、本国艦隊に留まり、北海警備や船団護衛に参加した。
加速や減速に優れ、旋回で速度が落ちることもなく、舵の利きも良くて直進安定性も優れている『アダムス』は、荒れた北大西洋でもその運動性能を遺憾無く発揮した。そのため、北大西洋で運用させた方が良い、とイギリス海軍首脳部が考えたためであった。
そんな『アダムス』が初めて16インチ砲の砲門を開いたのは、1941年(昭和十六年)3月16日であった。
この日、北大西洋にて警戒を行っていた『アダムス』と護衛のE級駆逐艦2隻(『エコー』『エクリプス』)は、補給船『ウッカーマルク』と共にいた『グナイゼナウ』を発見。同じく『アダムス』を発見した『グナイゼナウ』は『ウッカーマルク』を引き連れて逃げようとしたが、足の遅い『ウッカーマルク』に速度を合わせていたため、すぐに『アダムス』に追いつかれた。
新聞によれば、『グナイゼナウ』は詐術によってこの危機を乗り越えようとしたらしい。すなわち、『アダムス』からの誰何に対し、
「我、D66(イギリス海軍軽巡洋艦『エメラルド』のこと)」
と答えたらしい。
しかし、新聞に載っていたハリントンのインタビュー記事によれば、『アダムス』艦長のウィリアム・ハリントンは、軽巡洋艦『エメラルド』の艦長を務めたことのある男であった。
彼はすぐに詐術を見破ると、『グナイゼナウ』に向けて主砲を発射した。アダムスの発砲に驚いた『グナイゼナウ』は、『ウッカーマルク』を見捨て最大速度で逃げ出した。こうして『グナイゼナウ』と『アダムス』の追いかけっこが始まった。
ハリントンは『ウッカーマルク』を護衛の駆逐艦2隻に任せると、『アダムス』単艦での追撃を命じた。16インチ砲弾を想定した防御力を持つ『アダムス』なら、28.3センチメートル砲しか持たない『グナイゼナウ』に勝てる、と考えていた。
一方、『グナイゼナウ』も『アダムス』に向かって発砲したが、当然勝てるとは思っていなかった。あくまで31ノットの速力で振り切ろうとしたのであった。しかし、『アダムス』は26ノットの速度と、安定した走りで『グナイゼナウ』を追跡した。『グナイゼナウ』は『アダムス』をなかなか引き離せなかった。
その間にも『アダムス』は『グナイゼナウ』に主砲を撃ち続けた。そして、『アダムス』の16インチ砲弾が『グナイゼナウ』の船体を取り囲むように落下し始めた時、『アダムス』のレーダーにもう1隻の大型船の影が現れた。それは、『シャルンホルスト』であった。レーダーに映った大型艦の影が、『アダムス』の後方に回る動きを見せたため、ハリントンは『グナイゼナウ』の追撃を中止させた。
シャルンホルスト級戦艦2隻の現在位置を本国に報せた『アダムス』は、26ノットの速度を落とさずにUターンし、置いてきた護衛の駆逐艦2隻と拿捕した『ウッカーマルク』と合流した。
そして、『ウッカーマルク』の乗組員と、『グナイゼナウ』が沈めた輸送艦の乗組員を駆逐艦に移すと、駆逐艦に『ウッカーマルク』を雷撃処分させた。
その後、シャルンホルスト級戦艦の2隻は、作戦を中止してフランスのブレストに入港した。この時の2隻は『アダムス』との追いかけっこで弾薬と燃料を使い果たしていた。
また、『グナイゼナウ』は16インチ砲弾の至近距離での爆発で、喫水線下の船体に損傷を負っていた。そのために長期のドック入りが決定した。結果、ブレストで修理や整備を行う予定であった潜水艦や駆逐艦の工程がすべて遅れる羽目になった。
しかも、ブレストはイギリスの爆撃機の航続範囲内であったため、頻繁に空襲を受けることになった。結局、シャルンホルスト級戦艦の2隻は、長期間ブレストに拘束されることになった。
『アダムス』は『グナイゼナウ』を沈めることはできなかった。しかし、ドイツのノルウェー侵攻のきっかけとなった『ウッカーマルク』(前の『アルトマルク』)を拿捕し、沈めたことについてはイギリス政府や海軍は評価した。結果、『アダムス』と『エコー』と『エクリプス』には戦闘名誉賞が与えられ、ハリントンをはじめとする『アダムス』の乗組員と護衛の駆逐艦2隻の乗組員にも勲章が与えられた。
また、『アダムス』が記録として撮影した『グナイゼナウ』への砲撃映像は、そのままニュース映画として流され、イギリス国民の士気を大いにあげることとなった。
次に『アダムス』の砲門が開いたのは、1941年(昭和十六年)5月27日であった。
この3日前、戦艦『ビスマルク』と重巡洋艦『プリンツ・オイゲン』がデンマーク海峡を突破した。
通報を受けて、巡洋戦艦『フッド』と戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』が護衛の駆逐艦を引き連れてスカパ・フロー泊地を出撃。荒海の中、『ビスマルク』と『プリンツ・オイゲン』を見つけると、2隻に砲撃戦を仕掛けた。反撃のために『ビスマルク』の38センチ砲が火を吹いた6分後、『ビスマルク』が放った38センチ砲弾が『フッド』に命中。弾薬庫に飛び込んだ砲弾が爆発したことで、大爆発を起こした『フッド』が轟沈した。
その後、『ビスマルク』と『プリンツ・オイゲン』が『プリンス・オブ・ウェールズ』を攻撃。司令塔に38センチ砲弾が命中し、艦長を含む中枢要員が戦死した。また、『ビスマルク』の砲弾は『プリンス・オブ・ウェールズ』の喫水線以下の船体にも命中し、艦内に大量の海水が流れ込んだ。
結果、『プリンス・オブ・ウェールズ』は戦線を離脱し、這々の体で逃げ出した。
王立海軍の象徴である『フッド』を沈められ、最新鋭の戦艦である『プリンス・オブ・ウェールズ』を傷物にされた王立海軍の首脳部は激怒した。必ず、かの憎たらしい『ビスマルク』を沈めなければならぬと決意した。
海軍軍令部より発せられた『ビスマルク』撃沈命令を伝える無線通信は、カナダへ向かう客船『ブリタニック』を護衛していた『アダムス』でも受信できた。通信士から電文を受け取ったハリントンは、『ブリタニック』の護衛として駆逐艦『エスキモー』を残すと、護衛の駆逐艦3隻(『ソマリ』『ターター』『マショーナ』)を引き連れてフランスの方へ舵を切った。これは、ハリントンが『ビスマルク』は『グナイゼナウ』と同じ様にフランスのブレストに向かう、と考えたからであった。
途中、本国艦隊旗艦である『キング・ジョージ5世』に乗っているトーヴィー提督から合流するように命じられた『アダムス』は、『キング・ジョージ5世』に合流するべく舵を切った。
5月26日。『キング・ジョージ5世』と重巡洋艦『ノーフォーク』『ドーセットシャー』、そして護衛の駆逐艦部隊と合流した『アダムス』と護衛の駆逐艦3隻は、トーヴィーの指揮の下で『ビスマルク』に対する追撃戦を開始した。
それから半日後、同じく『ビスマルク』を追撃していた航空母艦『アーク・ロイヤル』から通信が入った。それは、『ビスマルク』への航空攻撃が成功し、『ビスマルク』の足止めに成功したことを伝える通信であった。
そして5月27日の朝。ついにトーヴィー率いる艦隊は『ビスマルク』を補足、午前8時47分、彼我の距離22キロメートルになったところでトーヴィーは砲撃を開始した。
午前9時には早くも『アダムス』の16インチ砲弾が『ビスマルク』に命中。これにより『ビスマルク』の前部砲塔がすべて沈黙してしまった。負けじと『キング・ジョージ5世』も14インチ砲弾を『ビスマルク』の後部3番砲塔に命中させ、3番砲塔を沈黙させた。
しかし、『キング・ジョージ5世』はその直後に砲塔が故障してしまった。4連装砲という複雑な砲塔は、戦場での過酷な環境に耐えることができなかった。一応、他の砲は発砲できたため、撃てる砲で弾を撃ち出していたが、効果的な砲撃はできなかった。
一方、『アダムス』は安定した砲撃で『ビスマルク』の船体を瓦礫に変えていった。しかし、『ビスマルク』の副砲弾が船体に当たったため、必要以上に近寄らなかった。そのため、命中率は決して良くはなかった。
新聞によれば、命中率が上がらない『アダムス』の様子を見たトーヴィーは、ハリントンに対して、
「もっと近寄って水平射撃をしろ!」
と命じたらしい。しかし、ハリントンはその命令を無視した。新聞に書かれていたハリントンへのインタビュー記事によれば、ハリントンが命令を無視したのは、水平射撃では喫水線下の船体に攻撃できないからであった。
インタビュー記事によると、ハリントンは『アダムス』の砲術長だった頃、演習で標的艦にされた旧式戦艦に演習弾を撃ったところ、外した砲弾が水中を進んで喫水線下の船体に当てたことがあった。そこで、ハリントンは喫水線下の船体に砲弾が当たるような撃ち方を研究していたらしい。
喫水線下の船体に砲弾が当たったかどうかは分からないが、『ビスマルク』は『アダムス』の砲弾を受けて完全に行き足が止まった。
そして午前10時20分。『ビスマルク』の乗員が退艦したのを見届けたトーヴィーは、『ドーセットシャー』に雷撃を命じた。そして、雷撃でとどめを刺された『ビスマルク』は大西洋に沈んだのだった。
次の投稿は2月16日21時を予定しております。




