第2話
引き続きお読みいただき、ありがとうございます。
早いペースでの投稿なので、感想やいいね!を頂けているか分かりませんが、もし頂いておりましたら、心より御礼申し上げます。
引き続きお楽しみください。
1941年(昭和十六年)12月2日。『アダムス』はイギリス東洋艦隊の旗艦として、トーマス・フィリップス海軍大将の将旗を掲げた。
「ほら見ろ、東洋艦隊の旗艦は『アンジー』だったじゃないか。ほれ、10ポンドを硬貨で支払いな」
賭けに勝ったジョン・キーンがそう言うと、負けたヘンリー・グリフォンが渋い顔をした。
余談はさておき、『アダムス』を旗艦にしたトーマス・フィリップスは、すぐに『アダムス』を見て回った。
ウィリアム・ハリントンが案内する中、フィリップスは積極的に質問をした。質問だけでなく、キーンやグリフォン、砲術長のジョージ・サーモン海軍中佐といった『アダムス』の士官や下士官、兵にいたるまで積極的に話しかけていた。
それが終わると、フィリップスと参謀長のアーサー・パリサー海軍少将やその他の参謀達はハリントンと共に司令官室へと入っていった。
「・・・日本製の戦艦だと聞いていたが、中はほとんどイギリスの戦艦と変わらないのだな」
司令長官の椅子に座りながらフィリップスはそう言うと、ハリントンが応える。
「この船は1923年(大正十二年)と1936年(昭和十一年)の二度にわたる改装で日本的なものはすべて外しております。今では日本のものはこちらのティーカップとソーサーだけです」
ハリントンがそう言ってフィリップスの目の前に置かれたティーカップを手で指した。それは、フィリップスが司令官室に入った直後に従卒から差し出された、紅茶の入った鮮やかな藍色のティーカップであった。
フィリップスがティーカップを持ち上げながら口を開く。
「・・・良いティーカップだ。これは噂に聞くイマリ焼かな?」
「いえ、アリタ焼だと聞いています。日本から売却された『アンジー』・・・『アダムス』が、日本から我が国に引き渡された後、日本側から頂いた記念品のティーセットの1つです」
「なるほどな。では、このティーカップもありがたく使わせてもらおう。戦艦も使っているのだ。ティーセットも使っても文句は言われんだろう」
そう言うとフィリップスはティーカップを口につけた。紅茶を口に入れ、少し含ませた後に飲み込む。
「・・・美味いな」
「トリンコマリーで仕入れたものです。お口に合ったようで何よりです」
ハリントンがそう言うと、フィリップスは満足そうに頷いた。そしてティーカップをソーサーの上に置くと、視線をハリントンに向ける。
「この船を見させてもらったが、隅々にまで掃除が行き届いている。乗組員の意識も士気も高い。艦長の指導の賜物だな。艦隊旗艦の戦艦としてふさわしい」
「ありがとうございます。『アダムス』が編入されて以来、旗艦になる機会に恵まれませんでしたが、王立海軍の戦艦として恥じることがないよう、歴代の艦長は乗組員を指導してきました」
「トーヴィー提督(ジョン・クローニン・トーヴィー海軍大将のこと。本国艦隊司令長官)も『あの船から旗艦を移すのは惜しい』と残念がっていたよ」
フィリップスの言葉に、ハリントンの両目が大きく開く。
「・・・トーヴィー提督は『アダムス』が気に入らないから旗艦を『キング・ジョージ5世』に移したのではないのですか?」
「そんなわけがない。トーヴィー提督が旗艦を移したのは、まあ、政治的な思惑、というやつだ」
「政治的な思惑・・・。首相閣下のご意思ですか?あの方、『アダムス』を嫌っているという噂がありますが」
「『アダムス』が嫌いなんじゃない。イギリスの戦艦が大好きなのだ。チャーチル首相は」
そう言って笑うフィリップスであったが、すぐに表情を引き締める。
「それはともかく、この船は我が国唯一の16インチ砲搭載戦艦で、かの『ビスマルク』を撃沈した戦艦だ。名実共に王立海軍最強の戦艦に将旗を掲げるのは当然だ。
私は士気も意識も高い乗組員と共に戦えることを光栄に思うよ」
フィリップスの言葉に、ハリントンが頭を下げる。
「長官のお言葉、身に余る光栄です。私をはじめ、『アダムス』の乗組員すべてが祖国のために義務を果たすことを誓います」
ハリントンの言葉に、フィリップスが安堵したような笑みを顔に浮かべた。が、すぐに真面目な表情をすると、ハリントンに尋ねる。
「・・・ところで艦長。なぜこの船は『アンジー』と言われているのだ?乗組員のほとんどがそう呼んでるではないか」
フィリップスの質問に、ハリントンが答える。
「昔、この船が日本から回航された後、ロサイスで艤装を施してイギリス海軍に編入された際、式典に参加した日本人から当時の艦長が聞いたのです。『この船の名前の元となったウィリアム・アダムスは日本のショーグンに仕えた際に三浦按針という名をもらった』と。それを聞いた艦長が、『アダムス』の愛称を『アンジン』としたのです。それがのちに『アンジー』となったのです」
シンガポールに英国本土から援軍として『アダムス』や『レパルス』がやってきたことは、大々的に報道された。オーストラリアやニュージーランドを始めとした英連邦の構成国から来た報道陣が連日『アダムス』や『レパルス』、そして駆逐艦を取材した。
特に、大西洋の戦いにてドイツが誇る戦艦『ビスマルク』を沈めた『アダムス』には、連日、報道陣による取材が行われていた。
そして、ウィリアム・ハリントンをはじめ、『アダムス』の乗組員もまた、取材が多く行われていた。
その結果、その存在は東南アジアだけでなくオーストラリア、ニュージーランド、ビルマやインドといった英連邦構成国、オランダ領東インド、果ては中国にまで報道された。
また、シンガポールの映画館では、連日『アダムス』の戦闘記録映画が放映された。これは、『アダムス』の艦内から撮影されたもので、『グナイゼナウ』への砲撃や『ビスマルク』との戦闘、船団護衛中に撮影された護衛の様子などが放映された。当然、戦闘シーンがスクリーンに映し出されると、観客は歓声を上げて拍手をし、放映が終わると観客が総立ちになって『ルール・ブリタニア』を歌い出すほどであった。
そして、大々的に行われた報道内容は、当然、日本にも伝わった。
歴史によくある伝説によれば、ラジオ報道を偶然傍受した南方部隊を指揮する第二艦隊の旗艦『愛宕』が、柱島に停泊中の連合艦隊旗艦『長門』に伝えた、と言われている。
しかし、実際のところはシンガポールに残っていた日本の出先機関や、シンガポールやマレー半島に潜んでいたスパイによって迅速に伝えられていた。
そんな情報を軍令部を介して取得した連合艦隊司令長官の山本五十六海軍大将は、すぐに政務参謀の藤井茂海軍中佐にそれまで得た情報を資料としてまとめさせた。そして、資料ができると、連合艦隊旗艦である戦艦『長門』の作戦室に連合艦隊司令部のスタッフを集めた。
「シンガポールからの報せだ。新たに戦艦が2隻配備された。『レパルス』と・・・『陸奥』だ」
開口一番、山本がそう言うと、参謀長の宇垣纒海軍中将以外の者達の顔が、一斉に苦虫を噛み潰したような表情になった。皆が皆、「賭けを外した」と言いたそうにしていた。
そんな中、宇垣が“黄金仮面”のごとく無表情のまま口を開く。
「まあ、そうなるな。この『長門』に対抗できるイギリスの戦艦は、『陸奥』しかないからな」
「それに・・・、『陸奥』はただの戦艦じゃない。盟邦ドイツが誇る戦艦『ビスマルク』を沈めた武勲艦です。イギリス海軍・・・いや、チャーチル首相の並々ならぬ決意を感じますな」
宇垣に続いて、先任参謀の黒島亀人海軍大佐が後頭部を右手で掻きながらそう言うと、何人かが同意するように頷いた。
そんな中、作戦参謀の三和義勇海軍大佐が山本に言う。
「長官。やはり、今からでも近藤閣下(近藤信竹のこと。第二艦隊兼南方部隊司令長官)に『長門』を預けては如何でしょうか?南方部隊が有する戦艦は『金剛』と『榛名』の2隻です。『陸奥』と『レパルス』相手にはきついと思われますが・・・」
三和の発言に、黒島が反対する。
「今更『長門』を送り込んだところでもう遅いだろう。それに、長官の旗艦である『長門』が柱島から動けば、南雲閣下(南雲忠一のこと。第一航空艦隊司令長官)の機動部隊を指揮できない。もうハワイに向けて航行しているのだから」
「何も連合艦隊の司令部ごと南方に向かうとは申しておりません。長官の将旗を『伊勢』か『日向』にお移しし、そこから指揮を執ればよろしいのでは?」
「すでに大本営から開戦は12月8日との決定が出されている。司令部を移したり、『長門』を南方に送る時間はもう無いぞ」
そう言った黒島に、三和が更に言い募ろうとした。しかし、それを遮るように山本が声を上げる。
「『長門』は南方には送らない。その代わり、航空隊を仏印に送り込む」
山本の言葉に、皆が一斉に山本の方を見た。山本が三和に声をかける。
「三和君。確か鹿屋空(鹿屋海軍航空隊のこと)は出撃準備を終えていたはずだな」
「はい。明日には台中に向かう予定ですが・・・」
「ではすぐに通信を送り、全機仏印に向かうように伝えろ。小沢君(小沢治三郎のこと。南遣艦隊司令長官)と松永君(松永貞市のこと。第二十二航空戦隊司令官)にもこの旨、伝えるように」
そう命じた山本に、宇垣が話しかける。
「長官。まさか、『陸奥』を航空機で沈められると本気でお思いですか?」
宇垣の言葉に、山本は口をへの字に結んだ。航空主兵論者の山本にしてみれば、航空機が戦艦を沈める事ができる、と信じていた。一方で、相手が元日本の戦艦であり、今乗っている『長門』の姉妹艦である『陸奥』が航空機で沈められることに抵抗もあった。
そのため、山本は話をそらそうとする。
「・・・もはや日本は米英との戦争に向けて走り出している。すでに作戦は完成しており、これを変えることはできない。我等は手持ちの駒で戦わなければならないのだ。鹿屋空は我等に残された数少ない手駒の一つ。それを使っただけだ」
山本がそう言うと、宇垣は何も言わずに頭を下げた。それを見ていた黒島が溜息をつく。
「・・・こんなことになるならば、あの時『陸奥』を英国に売らずに廃艦にするべきでしたな」
そうぼやいた黒島に山本が言う。
「過去のことを嘆いても詮無きこと。それに、あの時・・・ワシントン軍縮会議の時は『陸奥』を売ることで英国を日本側に引き寄せられる、と判断したのだ。英国も40センチ砲搭載戦艦を手に入れるのに必死だったからな」
山本がそう言うと、宇垣が頭に疑問符を浮かべながら尋ねる。
「・・・長官は、ワシントン軍縮会議に参加なされておられましたか?」
「いや、僕が参加したのはロンドン軍縮会議の方だ。しかし、ロンドン軍縮会議に参加する際に、ワシントン軍縮会議の議事録や交渉メモは見せてもらっていたからね。『陸奥』の交渉についても知らないわけではない」
山本がそう言うと、黒島が興味深そうに尋ねてくる。
「長官、その話、聞かせてもらえますか?自分は『陸奥』が如何に英国の手に渡ったのかを知らないものでして」
黒島の言葉に、宇垣が無表情ながらも視線を送る。
---それは今話さなければならない事か?---
そんなことを宇垣が思っていることも知らない山本が口を開く。
「そうだな。ではせっかくなので、諸君にも話しておこう。何故、長門型戦艦2番艦『陸奥』が英国に渡ったのかを」
大日本帝国の軍艦であり、長門型戦艦2番艦の『陸奥』が、日本からイギリスに売却されることになったのは、1922年(大正十一年)の1月であった。
前年の1921年(大正十年)11月に始まったワシントン軍縮会議。その中で、列強5カ国(日本、イギリス、アメリカ、フランス、イタリア)の保有する主力艦(戦艦と巡洋戦艦)の制限が話し合われた。
話し合いでは、日米英の主力艦保有比率を10:10:6とすることと、10年間の主力艦新造の禁止、艦齢20年以上の主力艦を退役させる場合に建造される代替の戦艦については16インチ未満の主砲を載せた排水量35000トン以下の戦艦の建造を認めることには比較的早期に合意がなされたが、問題はすでに建造されていた16インチ砲搭載の主力艦の扱いであった。
当初はすでに完成していた日本の戦艦『長門』と、アメリカの戦艦『メリーランド』のみを残し、それ以外の16インチ砲搭載主力艦を建造中止、もしくは廃艦にする事になった。しかし、これにイギリスが反発する。
「我が国は16インチ砲戦艦を有していないのに、日米のみが16インチ砲戦艦を有するのは不公平だ!」
そう言ってイギリスはアメリカと日本との間で外交的な駆け引きを行った。
結果、アメリカが大西洋と太平洋に1隻ずつ16インチ砲搭載主力艦を持つことを認めることを条件に、イギリスにも1隻だけ16インチ砲搭載の主力艦を保有することが認められた。
結果、主力艦の制限の例外として、16インチ砲搭載主力艦については、日英米の比率を1:1:2とすることが、ワシントン軍縮会議で定められるようになった。
さて、16インチ砲搭載主力艦を1隻だけ有することになったイギリスであったが、ここで問題が起き上がった。
「16インチ砲搭載主力艦を建造する財源も時間もない!」
当時のイギリスは第一次世界大戦で使った莫大な戦費に苦しめられていた。それまで世界最大の債権国であったイギリスは、世界でも有数な債務国に転落していた。
また、新たな戦艦の設計図は一応できていたが、完成にかかる時間の節約をイギリス海軍は望んでいた。
「アメリカや日本がすでに持っている16インチ砲搭載戦艦が欲しい!今すぐ欲しい!」
イギリス海軍首脳部はそう言うと、早急に新たな戦艦を手に入れる方法を模索した。結果、目をつけたのが日本の長門型戦艦2番艦『陸奥』であった。
長門型戦艦2番艦『陸奥』は、1918年(大正七年)6月1日に起工されたものの、造船途中で大規模な火災事故にあい、造船スケジュールが大幅に遅れてしまった。結果、進水が1921年(大正十年)3月となってしまった。
ワシントン軍縮会議が開催されている時には、機関の搭載や艦橋などの構造物はできていたものの、搭載兵装を全く載せていない状態であった。当然、これでは日本側も「『陸奥』は完成艦です!」とは言えず、泣く泣く廃艦とすることになった。
海軍の一部では、「航空母艦にしては?」という声も上がったものの、
「『陸奥』より大きくて速力に優れた天城型巡洋戦艦を航空母艦にすればいいだろう」
という声で取りやめとなり、『陸奥』は標的艦として沈む運命となった。そんな『陸奥』を買い取りたい、と言ってきたのがイギリスであった。
「搭載兵装はイギリスで造るから、『陸奥』及び16インチ主砲の設計図を売ってくれないか」
イギリスからそう持ちかけられた日本は、国内で大議論を巻き起こした。
すったもんだの挙句、『陸奥』をイギリスに売却することになり、アメリカもこれを了承した。
こうして、1922年(大正十一年)2月6日まで続いたワシントン軍縮会議は成功裏に終わった。それは、海軍休日の幕開けであり、戦艦『陸奥』の数奇な運命の始まりであった。
次の投稿は2月15日21時です。




