第12話
お読みいただきありがとうございます。これで最終話となります。引き続きお楽しみいただければ幸いです。
1941年(昭和十六年)12月18日。鹿屋海軍航空隊はアナンバス諸島にあるイギリス軍の電信所を爆撃した。その帰路、『レパルス』と『アダムス』が沈んだ海域を通過した際、1機の一式陸攻から2束の花束が投下された。
それは、この海域で戦死した日英の将兵に捧げられた花束であった。
花束は波間にしばらくは浮かんでいたが、そのうち沈んでしまった。その時には、すでに一式陸攻の編隊は北の空へと飛び去っていたのだった。
のちにマレー沖海戦と呼ばれるこの戦いは、航行中の戦艦が航空機による攻撃だけで撃沈された、という海戦史上初の出来事だったことから、世界中の人々に衝撃を与えた。
特に、『フッド』の仇であった『ビスマルク』を撃沈し、ヨーロッパ最強の戦艦として君臨していた『アダムス』が沈んだことで、イギリス本国だけでなく英連邦構成国には大きな衝撃を与えていた。シンガポールでは『アダムス』撃沈のニュースが流れただけでパニックが発生し、イギリス軍の士気が落ちるほどであった。
さらに、東洋艦隊司令長官のフィリップス海軍大将と『アダムス』艦長のハリントン海軍大佐が『アダムス』と運命を共にしたことが知られると、イギリス国民は2人を英雄として見るようになった。また、新聞やラジオで『アダムス』が元日本の戦艦『陸奥』だった経歴が改めて紹介されると、数奇な運命を辿った彼女への同情の声が上がった。
「『アダムス』は我が国で作られた戦艦ではなかった。しかし、彼女は与えられた旗の下で最後まで義務を果たした」
これはロンドンの新聞に投稿された読者のコメントであるが、似たような投稿が他の新聞やラジオにも投稿されていた。
『アダムス』撃沈は海軍上層部や政府内にも暗い影を落とした。それは、大英帝国の凋落の始まりを象徴する出来事だと受け止められていたからであった。
ここで、当時の戦争指導者であったイギリス首相、サー・ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチルが第二次世界大戦後に書いた回顧録の一文を見てみよう。
「この海戦によって、我々は単なる一隻の戦艦を失ったのではない。海軍国家としての我々の魂と、その不沈の信念を失ったのだ。
かつて日本の匠の技によって建造され、数奇な運命の糸に手繰られて我が艦隊の盾となったあの巨艦が、航空機という新時代の暴力の前に無力に沈む様は、まさに大英帝国の版図に日が沈みゆく光景そのものであった。
私は電話口で『アダムス』喪失の報に接した際、かつてない戦慄を覚えた。それは、歴史の歯車は冷酷に回転を速め、世界はもはや二度と元には戻らぬ場所へと変貌を遂げていることを私に知らしめたからである」
『アダムス』を沈め、勝利した日本では、意外にもこの事実はあまり公表されなかった。国民の中には、かつて『陸奥』と名付けられた戦艦が、海を渡ってイギリスの戦艦『アダムス』となり、『長門』やアメリカの『メリーランド』『コロラド』と並んで「世界のビッグ・フォー」と呼ばれていたことを覚えている者が多くいたことが、報道規制に繋がったと言われている。
ただし、全く報道されなかったわけではなく、
「12月10日。馬来沖にて英戦艦『ウォースパイト』及び『レパルス』を撃沈せり」
という新聞記事が小さく載っていたことが確認されている。
海軍内では敵戦艦を沈めたことに喜ぶ者もいたが、大部分の者は『アダムス』が元『陸奥』だったことから、素直に喜べない状態であった。
そして一部の者達は、長年最強の戦艦として日本海軍に君臨していた『長門』の同型艦が、航空機によって沈められたことにショックを受けていた。
また、『アダムス』の艦長と東洋艦隊司令長官が『アダムス』と運命を共にしたことが知られると、「さすがは7つの海を支配した大英帝国の海軍軍人だ。武人としての誇りをちゃんと持ち合わせている」という称賛の声が上がった。
南遣艦隊司令長官の小沢治三郎海軍中将もまた、フィリップスの最後を知った時、
「俺もいつかはフィリップスと同じ運命をたどらなければならない」
と部下に話した、と伝えられている。
なお、連合艦隊参謀長の宇垣纒をはじめ、一部の海軍軍人からは「『陸奥』をサルベージし、日本の戦艦として編入させよう」という声が上がったものの、軍令部や海軍省に正式に却下されている。
マレー沖海戦の後、日英米は戦艦ではなく航空兵力の増強に舵を切った。アメリカはアイオワ級戦艦を当初6隻作る予定だったのを4隻に減らし、その資材と予算をエセックス級航空母艦に注ぎ込んだ。
イギリスも戦艦の新造計画を見直した。すでに失われた戦艦『ロイヤル・オーク』と『バーラム』に代わる戦艦や、巡洋戦艦『フッド』に代わる高速戦艦の建造を中止し、その分の資材と予算をコロッサス級航空母艦に注ぎ込んだ。
また、ドイツ海軍への抑えに戦艦を使うことにしたそれまでの作戦を変え、空母と艦載機、そして空軍機を主体とした作戦に切り替えた。
例えば、ノルウェーに潜んでいたドイツの戦艦『ティルピッツ』に対しては、航空攻撃による撃沈を目指した。そのために専用の爆弾を開発したが、その中には『アダムス』の16インチ砲弾を改造した2000ポンド徹甲爆弾も含まれていた。
そして、『アダムス』の砲弾を改造した2000ポンド徹甲爆弾は、1944年(昭和十九年)4月に行われたタングステン作戦で、アベンジャー攻撃機による水平爆撃によって『ティルピッツ』を撃沈している。
このことは、戦艦『アダムス』の武勇伝の1エピソードとして現代でも語り継がれている。
日本も航空主兵へと舵を切った。横須賀海軍工廠で建造中であった大和型戦艦3番艦を空母にするべく、資材と予算を注ぎ込んだ。その結果、大和型戦艦3番艦は飛行甲板が装甲化された航空母艦『信濃』として、1944年(昭和十九年)4月に竣工した。
『信濃』はマリアナ沖海戦時には習熟訓練の最中だったこともあり、初陣はレイテ沖海戦となった。『信濃』はアメリカの機動艦隊を釣り上げる囮艦隊(第一機動部隊。司令長官小沢治三郎海軍中将)の旗艦として参加。大和型の強靭な船体と十分に訓練された乗組員達の奮闘で、アメリカの艦載機による攻撃を長時間耐えきった。しかしながら、味方艦載機の数と練度の不足はいかんともしがたく、アメリカの圧倒的な艦載機数に押し切られて『信濃』はエンガノ岬沖で撃沈されてしまった。
その後、レイテ沖海戦で生き残った戦艦『大和』と『武蔵』は、沖縄への海上特攻隊として1945年(昭和二十年)4月に出撃。徳之島の犬田布岬沖にてアメリカ海軍の艦載機と、増援として急遽参加したイギリス海軍の艦載機による波状攻撃で撃沈された。
犬田布岬沖海戦で日本海軍最強の戦艦だった『大和』と『武蔵』が、航空攻撃のみで沈められたことをもって、戦艦の時代は完全に終了したのだった。
1945年(昭和二十年)8月29日。ポツダム宣言を受諾した日本の東京湾に、10隻の戦艦と、多数の護衛のための艦が入ってきた。
戦艦のうち8隻がアメリカの戦艦であったが、残りの2隻はイギリスの戦艦―――『デューク・オブ・ヨーク』と『プリンス・オブ・ウェールズ』であった。
前部に14インチの4連装砲と連装砲を背負い式に載せ、後部にも14インチ4連装砲を載せた2隻の戦艦は、低く無骨な塔型艦橋と相まって、重厚な雰囲気を醸し出していた。
『デューク・オブ・ヨーク』には、イギリス太平洋艦隊の旗艦として、司令長官ブルース・オースティン・フレーザー海軍大将が座乗していた。彼はイギリス代表として9月2日に行われる日本との降伏文書調印式に参加する予定であった。
『デューク・オブ・ヨーク』の後ろを航行する『プリンス・オブ・ウェールズ』は、初陣に当たるデンマーク沖海戦で『ビスマルク』相手に砲撃戦をしたものの敗退。這々の体でイギリスに戻った後は修理を受けて復帰した。その後はチャーチル首相を乗せてカナダに行ったり、大西洋や地中海で戦った。彼女は初陣での失敗を取り消すかのように武勲を積み上げていき、戦争の終盤には東洋艦隊、次いで太平洋艦隊に配属され、太平洋で戦い抜いていた。
そんな歴戦の彼女には、艦長としてジョン・キーン海軍大佐が乗っていた。
彼は『アダムス』から退去した後はシンガポールに帰還。しかしシンガポールに迫りくる日本軍をかわすために東洋艦隊と共にシンガポールを離れ、ジャワを経由してセイロン島のトリンコマリーまで逃れてきた。彼はその後、イギリス本土に戻って色々な役職を務めた。そして太平洋に向かう『プリンス・オブ・ウェールズ』の艦長となった。
双眼鏡越しに横須賀の海軍工廠を見つめていた。
―――あれが、『アンジー』が生まれた場所か―――
重要な軍事施設の割に空襲の被害がさほどない横須賀海軍工廠には、1隻の航空母艦が接岸されていた。飛行甲板は爆発でめくられていたり、偽装のためなのか木造の小屋や立ち木が置かれていたりしているが、船体そのものは損傷がなく、いつでも海原を走れそうな雰囲気であった。そしてよく見てみると、少なくない人間が甲板上を動き回っているのが見えた。
「あれが噂の、ズ、ズイ、『ズイカク』ですか。開戦時から最後まで生き残った幸運の空母と言われているそうですね」
キーンの横で同じく双眼鏡で横須賀海軍工廠を見ていた副長のヘンリー・グリフォン海軍中佐が、キーンにそう話しかけてきた。詰まりながら言ったのは、『ズイカク』という発音が言いづらいからであった。キーンがグリフォンに言う。
「・・・そうらしいな。噂によれば、フィリピンでの戦いの際、アメリカ海軍はそれまで認識されていなかった巨大空母を沈めるのに全力を出しすぎて、他の空母を沈め損なったらしいな。まあ、その後に潜水艦を使って複数の空母を沈めることができたらしいが、最後まであのズ・・・『ズイカク』を沈めることができなかったらしい。結局、戦争が終わるまであの空母は生き残った、ということらしいな」
「なんでも、あの空母は修理された後は東南アジアや中国に残されている日本兵を帰国させるための輸送船となり、その後は我が国に賠償艦として渡されるそうですね。
・・・ということは、今度は日本生まれの空母がやってくるわけだ。名前はやっぱり『アダムス』ですかな?」
グリフォンが笑いながらそう言うと、キーンは鼻を鳴らして言い返す。
「ふんっ、そんな訳あるか。今の政府を率いているのは、”海軍大好きおじさん”のチャーチル首相じゃないんだ。戦後再建に向けて大規模な軍縮を行う労働党内閣なんだぞ。ただでさえ空母の数が多いって言われているのに、日本の空母を受け入れる余裕は王立海軍にはない。彼女が国王陛下の船になることはないさ。
・・・まあ、賠償艦として渡されても、本国に回航せずに日本の近海で海没処分か、日本の造船所で解体となるだろうな」
そう言いながらキーンは双眼鏡を動かした。それは、何かを探しているような動きであった。そして、目的のものを見つけたキーンが、双眼鏡を覗きながら呟く。
「見つけた。あれが『ナガト』か・・・」
キーンの視線の先、横須賀軍港の埠頭には、こちらを向いて接岸している1隻の戦艦が見えた。艦首の上に背負い式の40センチ連装砲を載せ、さらに奥には“パゴダ・マスト”と称される特徴ある艦橋が見えていた。
「・・・艦橋以外は本当に『アンジー』そっくりですね」
「そうだな。まあ、『アンジー』の姉だから、似てて当たり前なんだが」
「彼女はアメリカへ引き渡されるんでしょ?あんだけ戦艦持っているのに、アメリカ野郎はまだ欲しがるんですかね?」
「噂じゃあ、標的艦にするか、公債販売運動の広告としてアメリカ本土に持っていく、と聞いたな。まあ、標的艦はともかく、広告なんて聞こえは良いが要は遠い昔にあった晒し台に載せるようなもんだ」
ぶすりとした表情でそう言ったキーンに、グリフォンが嫌そうな顔つきで言葉を返す。
「標的艦にするのはともかく、広告に使うってのはあまり気持ちの良いものではありませんね。あんだけ痛めつけられて、さらに衆目に晒しますか。といっても、賠償艦の戦艦って、それ以外の使い道ないですもんね」
「そうだな。金持ちのアメリカですらアイオワ級戦艦以外の戦艦を退役させる、という話だし、王立海軍もキング・ジョージ5世級戦艦以外の戦艦は退役させて解体する予定だしな。あの『ウォースパイト』だって、あれだけ武勲を積み重ねたのに、戦争が終わる前に予備役にされたからな」
「まあ、戦艦は弾を撃つだけの存在ですが、航空機は色々使えますからね。戦艦乗りとしてはつまらないですが、これも時代の流れ、ってやつですかね」
さほど嘆いていない様子でそう言ったグリフォンに、キーンは溜息をつきながら「そのとおりだな」と返した。
2人はその後、双眼鏡を下ろしたまま横須賀軍港を見つめていた。軍港には『長門』以外にも船が係留していたが、そのほとんどは浸水し、傾きながら海面に浮かんでいた。中には船体全体が沈んでいる船もあった。
「・・・この国はこれからどうなるんでしょうね。『アンジー』に乗って思ったんですが、日本人ってのはまともな船がちゃんと作れる連中なんだな、と感心したものです。あれ、建造から20年近く経ってましたが、どこもガタが来てなかったでしょ?本当に良い船でしたよ、彼女は。
・・・そんな『アンジー』を作った連中でも、ここまでされたら立ち直れないでしょう」
「まあ、『アンジー』は我が国のエンジニア達がちゃんとメンテナンスしてくれてたから、というのもあるんだろうけどな」
キーンはそう言うと、少し黙った後に再び口を開く。
「・・・願わくば、あのズィ・・・『ズイカク』だけでなく、『ナガト』や他の賠償艦もすべて日本で解体し、その鋼材を日本人に引き渡してもらいたいものだ。戦争で焼かれた国土を、『ズイカク』や『ナガト』の鋼材を使って復興してほしいものだ」
「・・・復興できますかね。聞いた話じゃあ、日本の都市という都市は空襲で壊滅してますよ。特に広島と長崎は原子爆弾1発で壊滅してますし。半世紀は草1本も生えない、って噂してますよ」
そう言い返してきたグリフォンに、キーンは応える。
「できるさ。あの『アンジー』を作った日本人ならばきっと、な。そして今度は戦艦ではなく、平和のために働く優秀な船を作ってもらいたい。そして、平和な海を走り回ってもらいたい。ハリントン艦長もそれを望んでると思う」
そう言って笑うキーンを見たグリフォンは、「そうですね」と言って笑い返した。
そんな2人を乗せた『プリンス・オブ・ウェールズ』は、静かに波を立てながら『長門』のいる横須賀軍港から離れていくのであった。
(終わり)
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後日、あとがきを投稿いたします。




