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戦艦アダムス〜マレー沖海戦異聞〜  作者: ウツワ玉子


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第11話

お読みいただきありがとうございます。引き続きお楽しみいただければ幸いです。


また、いいね!や感想をいただきありがとうございます。

 1941年(昭和十六年)12月10日15時56分。『アダムス』の乗組員に総員退去の命令がなされた。護衛の駆逐艦にはまだ生きている無線機と発光信号でそのことを報せると、駆逐艦『エクスプレス』が近づいて『アダムス』の右舷に接舷した。


「急げ!この艦はすぐに沈むぞ!」


 甲板士官がメガホンを口に当ててそう叫んだ。しかし、その声で混乱が起きることはなかった。負傷者とそれを支える兵士を先頭に、皆が整然と『エクスプレス』へと移っていった。

 一方、反対側の左舷からは、比較的元気な兵や下士官が海に飛び込んでいた。左舷にも魚雷で空いた穴があり、そこでは大量の海水が艦内に流れ込んできた。その水流に巻き込まれないように注意しながら、次々と飛び込んでは艦から離れるべく泳いでいった。

 他にも、爆撃で破壊されなかったカッターや救助筏が海面に落とされ、それに縄梯子を使って乗り込む者もいた。


 そんな状況下の羅針盤艦橋では、ハリントンや東洋艦隊司令部のスタッフと、フィリップスによる押し問答が行われていた。


「長官。どうか退去をお願いします」


「いや、艦長。私は司令長官として責任を取らなければならない。私は艦に残る。君たちが退去したまえ」


「何を仰るのです。昔から、艦を最後に降りるのは艦長だと決まっています。長官が退去なされなければ、私は艦長として降りることはできません」


「艦長の言うとおりです。長官、どうか退去をお願いします。この海戦での戦訓を持ち帰らなければなりません」


「それは参謀の諸君が持ち帰れば良い。さあ、もう良いから。さっさと降りたまえ」


 フィリップスとハリントンと参謀達との間でそんな会話が交わされている間に、退去作業は進んでいった。

 ハリントンの代わりに伝声管やまだ生きている電話でやり取りをしていた航海長のヘンリー・グリフォンが、ハリントンに声をかける。


「艦長。さっき無線室からの報告で、暗号書の処分が終わったそうです。他の部署でも退去が進んでいます」


「そうか。では君たちも退去したまえ」


「艦長を置いていけませんよ・・・」


 グリフォンが顔を顰めながらそう言うと、ハリントンが笑って応える。


「そんな顔をするな。お前らしくもない。それに、艦長はいかなる時でも最後に退去するものだ」


 ハリントンの言葉に、グリフォンがさらに顔を顰めた。そんなグリフォンにハリントンが真剣な顔つきで話しかける。


「分かっている。私だって生命を無駄にする気はない。が、艦長としてこの『アンジー』・・・いや『アダムス』を預かったんだ。艦長としての職務を最後まで全うする。それが私の海軍への義務だ」


 ハリントンがそう言うと、黙って聞いていたグリフォンが敬礼をする。


「・・・分かりました。退去いたします。ですが艦長。艦長も退去してくださいよ。約束ですからね」


 そう言ったグリフォンに、ハリントンは「分かってるよ」と言って返礼した。


 羅針盤艦橋から出たグリフォンや航海科の者達を見送ったハリントンは、フィリップスに近づく。


「長官。お時間です。退去をお願いします」


「No thank you」


 ハリントンの言葉に、フィリップスは断固たる意志でそう答えた。ハリントンが溜息をつきながらフィリップスに言う。


「しかし長官。この艦は日本で作られた艦です。栄えある王立海軍(ロイヤル・ネイビー)の提督が、敵国で作られた戦艦と運命を共にするのは、かえって王立海軍の名誉に傷がつきますよ」


 ハリントンがそう言うと、フィリップスの口角が上がる。


「この艦を『アンジー』と呼んで愛着を持っていた艦長とは思えぬ言葉だな。それに、そんなことを言って良いのか?貴官の言葉は、この『アダムス』と共に生命を賭けて戦った者達、戦死していった者達への侮辱になるぞ。彼等を敵国の戦艦を生かすために働いた売国奴、と貴官は言いたいのか?」


 フィリップスの反論に、ハリントンは再び溜息をついた。制帽を脱ぎ、後頭部を掻きながらフィリップスに言う。


「・・・参りましたね。そう言われるとこっちも困るんですが」


「私を逃がしたいがために仲間と艦を侮辱するのは違うと思うぞ、艦長」


 そう言い合うと二人は笑い合った。その様子を見ていた参謀達が悲しそうな顔をする。


「長官・・・」


 参謀の一人がそう言うと、フィリップスが身体を参謀達に向ける。


「・・・君達のこれまでの働きに感謝する。残念な結果になったが、これは私一人の責任だ。君達が気に病むことはない。堂々と帰還すれば良い。あとは、今回の戦訓をしっかりと報告し、次の勝利へと繋ぎたまえ。君達の健闘を祈る」


 そう言うとフィリップスが敬礼をした。参謀達は、諦めた表情で返礼した。中には目に涙を浮かべている者もいた。

 そんな厳かな雰囲気の中、羅針盤艦橋に爆発音が届いた。と同時に艦橋全体が揺れ、中にいた者全員がバランスを崩した。大体のものは踏ん張って倒れることはなかったが、中には尻餅をつく者もいた。

 直後、羅針盤艦橋の中の電話が鳴り、ハリントンが受話器を取る。


「ハリントンだ。誰だ?どうした?」


「ああ、良かった!この電話は生きてた!艦長!私です!キーンです!」


 その声は、副長のジョン・キーンだった。ハリントンが尋ねる。


「副長か?何やっているんだ?さっさと退去しろ!」


「今は甲板で退去の指揮を執ってます!それより、X砲塔(3番砲塔のこと)が爆発しました!」


「何だと!?・・・あっ」


 この時、ハリントンは何故X砲塔が爆発したのかを理解した。『アダムス』は日本軍の輸送船団を奇襲するために、あらかじめ砲塔内に弾と装薬を入れており、しかも主砲内にも装填していた。前部の主砲は雷撃機に発射していたものの、後部の主砲2基は火災のために発射できなかったのだった。

 そして発射できなかった弾と装薬は、長時間カタパルトや艦載機から延焼した火災によって熱せられ、とうとう装薬から発火。その熱で弾の火薬も誘爆したのだった。


「・・・それで被害は?」


 ハリントンが爆発の原因から頭を切り替えてそう尋ねると、キーンの声が受話器から流れる。


「さっきの爆発の衝撃で何人かが海に吹き飛ばされました!それと、X砲塔が外れてます!まだ完全には外れていませんが、艦のバランスが取れなくなっています!早く退去しないと、バランスを崩して転覆する虞があります!」


「退去を急がせるんだ!」


「分かりました!艦長もさっさと退去してください!『エクスプレス』の副長から、もう限界だと言われてます!」


「分かったから先に行け!」


 そう言うとハリントンは受話器を叩きつけるように置いた。そして羅針盤艦橋に残っている者達に大声で叫ぶ。


「退去だ!急げ!」


 ハリントンの言葉に、羅針盤艦橋に残っていた者達が一斉に飛び出した。そして、ハリントンとフィリップスだけが残った。


「・・・やはり、残られるのですね」


 ハリントンがそう言うと、フィリップスが頷く。


「国王陛下より預かった艦隊を失うのだ。その責任は取らなければなるまい」


「死んでも責任を取ることになりませんけどね」


「しかし、海軍大将が武勲艦『アダムス』と沈んだとなれば、国民はどう思うかね?」


 そう言ってにやりと笑ったフィリップスを見て、ハリントンは気がつく。


「・・・国民の怒りを日本に向けさせる?」


「そう。そしてその怒りを勝利へつなげることができるのが、今の首相閣下だ」


 フィリップスの言葉を聞いたハリントンが唖然とした。そして笑いながら言う。


「はははっ。さすが、海軍大将になるだけの人間は違いますな。常人が考えつかないことを思いつく。死んでも国に勝利をもたらしますか」


「国家に勝利をもたらすのが軍人の義務だ。私はその義務を果たすだけさ」


 そう言ったフィリップスに、ハリントンが真剣な顔つきで敬礼をする。


「長官。長官のお覚悟に感服いたしました。もう何も申し上げません。長官のような立派な海軍軍人の下で戦えたこと、光栄に思います」


 ハリントンの直立不動の敬礼に対し、フィリップスが直立不動で返礼をする。


「艦長。君の操艦や指揮は見事であった。君ならば、祖国に仇なす敵を打ち破ることができるだろう。神のご加護を」





「最後に、誰もいないか確認してから退去します」


 そう言ってフィリップスから離れたハリントンは、羅針盤艦橋にあった懐中電灯を掴んで羅針盤艦橋を降りていった。レーダー室や無線室、ソナー室、司令塔を見回った。誰もいないことを確認したハリントンは、甲板に出ずに艦内を回った。すでに廊下の電灯は消えており、しかも床には海水がたまりつつあった。

 艦内を確認した後、ハリントンは艦長室に向かっていた。懐中電灯の明かりを頼りに、艦長室にたどり着いたハリントンは、中に入ると扉を締める。


「・・・長官、申し訳ありません。私も艦を退去する気はないんですよ」


 そう呟きながら扉に鍵をかけたハリントン。そのまま艦長室にある執務机の椅子に腰を下ろした。


「さすがに長官を置いて退去すれば、『最後に退艦するのは艦長』の義務に反します。それに、『ビスマルク』の艦長が共に沈んだことを思えば、沈めた『アダムス』の艦長たる私が退去するのは軍人としての矜持が許しません。それに・・・」


 そう言うと、ハリントンは机の上にあった写真立てに目をやる。そこには、家族の写真の他に、一枚の集合写真が飾られていた。それは、『陸奥』が日本からイギリスへ向かう途中、シンガポールで取られた日英の回航員達による集合写真であった。


「敵となった日本人に伝えたいんです。『貴方達の手放した戦艦は、イギリスで疎まれずに立派に戦い、沈んでいった』と。提督と艦長が艦と運命を共にすれば、あのロマンチストな日本人は、きっと『アダムス』・・・いや『ムツ』がイギリスに受け入れられていたんだ、と思うでしょう」


 そう呟いたハリントンは、執務机の引き出しを開いた。そこには、スキットルとピストルが入っていた。ハリントンはまずスキットルを取り出すと、蓋を開けて中に入っているウイスキーを飲んだ。そして次にピストルを手にとった。ハリントンはしばらくは暗い艦長室でピストルを見つめていたが、そのピストルを見ながら呟く。


「・・・乗組員が水に飲まれ、火に巻かれ、爆発の衝撃で吹き飛ばされて苦しんで死んだのに、俺だけピストルで楽に死ぬなんて許されないか」


 そう言うと、ハリントンはピストルを引き出しの中に放り込むのであった。





 鹿屋海軍航空隊に属する2機の一式陸攻は、『アダムス』が沈んでいく様子を見ながら旋回していた。

 すでに駆逐艦は『アダムス』から離れており、他の駆逐艦もあらかた救助を終えたのか、少しずつ『アダムス』から距離を離していた。

 一方の『アダムス』は、多少傾いていたものの、船腹を見せることなく艦首から沈み込んでいた。すでに第1砲塔は海面下に没し、第2砲塔も波に洗われる状態であった。しかし、転覆する様子はなく、まるで船腹をさらけ出すという恥ずかしい姿を見せることを拒む意思を見せつけられているようであった。


「機長。そろそろ帰投しないと、燃料がやばいです」


 副操縦士の池田輝義海軍一等飛行兵曹からそう言われた機長の菅原文雄海軍飛行特務少尉は、視線を『アダムス』に向けながら「分かった」と言った。


「井上。写真は取れたか」


 菅原が伝声管を通じて射爆員の井上一夫海軍二等飛行兵曹に話しかけると、伝声管が繋がっている飛行帽の耳当てから声が流れる。


「バッチリです。あそこまで沈んだ写真を見せられたら、もう誰も文句は言いませんよ」


「分かった。最後に『アダムス』・・・いや、『陸奥』の横を通過してから帰投する」


 そう言うと菅原がハンドル式の操縦桿を回した。池田も同じように動かしながら話しかける。


「なんで横を通過するんですか?」


「『陸奥』と、我々と戦った英国軍人に敬礼を送る」


「ああ、なるほど」


 池田が納得して返事をしている間に、機体は『アダムス』に近づいていった。そして沈みゆく『アダムス』に敬礼を送る。


 ―――さらばだ、『陸奥』。敵になったとはいえ、英国のために戦ったお前は我々日本人の誇りだ―――


 そう思いながら、菅原は伝声管で通信員の中西健人三等飛行兵曹に命じる。


「中西、電文だ。『敵戦艦“アダムス”、撃沈確実。1647』」


「了解」


 中西の返答を聞いた菅原の耳に、中西があらかじめ作っていた暗号文を元に電鍵を叩く音が聞こえてきた。





『敵戦艦“アダムス”、撃沈確実。1647』


 この電文が第二十二航空戦隊、南遣艦隊、第二艦隊の各司令部に伝えられた時、司令部内では歓声は上がらなかったと言われている。そしてそれは、日本国内に留まっていた連合艦隊司令部でも同じであった。


 瀬戸内海にある柱島泊地に停泊していた戦艦『長門』の作戦室では、『アダムス』撃沈確実の電文を受け取ったのは、17時を過ぎた頃であった。


「・・・めでたい、と思わなきゃいけないんでしょうが・・・」


 先任参謀の黒島亀人がそう言うと、作戦参謀の三和義勇が溜息をつく。


「どうも、そんな気分にはなれませんね。昨日までは真珠湾への奇襲成功で盛り上がっていたのに・・・」


 そう言った三和は、視線を山本五十六連合艦隊司令長官に向けた。山本もまた、口元をへの字に結んで黙っていた。しばらく作戦室が沈黙に包まれている中、参謀長の宇垣纒が山本に声をかける。


「・・・長官。差出口を挟むようで恐縮なのですが、南方部隊に今回の戦果についての労いの電文を送っては如何でしょうか?」


 宇垣の言葉に、山本の口が開く。


「・・・そうだな。そのとおりだ。参謀長、すまないが、その様に手配してくれ」


 山本からそう言われた宇垣は、通信参謀に頷いてみせた。通信参謀が作戦室から出ると、山本が口を開く。


「・・・祖国に売り払われ、異国で武勲を挙げ、しかる後に祖国によって沈められる、か・・・。『陸奥』には過酷な運命を押し付けてしまったな。

 ・・・しかし、これで航空機の戦艦に対する優位性が確定した。今後、航空機がこの戦争における主役となるだろう」


 山本の言葉に、黒島や三和、航空参謀の佐々木彰海軍中佐が大きく頷いた。一方、宇垣が疑問の声を上げる。


「それはどうでしょうか?確かに『陸奥』は英国最強の戦艦でした。しかし、我が方にはさらに強力な大和型戦艦が控えています」


「しかしな、参謀長。戦艦が進化するように、航空機も進化する。しかも航空機の進化は戦艦よりも早い。いずれ、戦艦を必要としなくなるやもしれない」


 山本の言葉に、“黄金仮面”と称される宇垣の顔が、さらに無表情になった。そんな宇垣の顔を見ながら、戦務参謀の渡辺安次が発言する。


「・・・長官のお考えに異議を挟むものではありませんが・・・。今回の英海軍との海戦では、航空隊にも不手際がありました。特に、海戦の後半では敵の戦闘機によって多数の陸攻が落とされました。こういった不手際を洗い出し、戦訓として各部隊に周知させるべきです」


 渡辺の言葉に、山本が頷く。


「戦務参謀の言うとおりだ。後日、第一航空艦隊や南遣艦隊、第二十二航空戦隊の者達に聞き取り調査を行い、戦闘詳報をまとめるようにしよう。

 そしてより一層、航空機に力を入れるよう、連合艦隊から軍令部や海軍省に働きかけることにしよう」


 山本がそう言うと、参謀達が一斉に「はっ」と返事した。その後、山本は視線を上に向けた。その視線は作戦室の天井ではなく、さらにその先、『長門』の頭上に広がる空を見ているようであった。


 ―――今回の海戦と真珠湾での戦いで、世界の海軍関係者は戦艦ではなく航空機の優位性を知った。今後は米国も英国も航空主兵で我が国との戦争を戦うことになるだろう。そうなれば、我が国よりも工業力がある米国や英国は、我が国以上の航空機を揃えてくるに違いない。それまでに早期講和を行わない限り、『陸奥』の運命と同じ道を日本海軍(我々)が歩むことになるだろう―――


 山本はそう思いながら、天井を見つめるのであった。


次の投稿は2月23日21時を予定しております。

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