後編
買い出しを終えた日の午後。今日は珍しく、二人の客が同時にやって来た。
ライドは先に来た女性客と話し合っている。既に独り立ちしている貴文もまた、目の前の男性に向き合う。38歳、小太りな人物だ。
「では、どんな役職に就きたいなどご希望は御座いますか?」
「勇者だとかは見ての通り出来そうにないからね。国王とかやってみたいと思っているよ」
国王。魔王と一緒で、人気がありそうでない役職の1つだ。実際に国を統治しなければならない責任の重さが人を遠ざける理由となっている。次はいつ希望者が来るか分からない、好機だ。貴文は身を乗り出したくなるのを我慢して、涼しい顔を装う。
「国王ですね。家族構成は如何いたしますか?」
「王妃と、あとは息子が三人、娘が一人でお願いしたい。王族なんだ、出来れば美男美女がいいな。民衆の支持が厚い国王と、優しい王妃に優秀な子ども達。ありがちだが憧れる」
「分かりました。他にご希望はありますか?」
「いや、今ので以上だ。よろしく頼むよ」
「かしこまりました」
その後、細かい説明をしつつ二人で話を詰めていき、準備に丸一日掛かることを告げて解散となった。
貴文がライドの様子を窺うと、向こうはまだ少し長引いているようだ。時刻は既に十八時を回っているので、あちらは明後日に異世界に飛ばすのかもしれない。
今日はもう提携先へ報告しようと、貴文はひっそりと部屋を後にした。
二階の書庫へと入り、今しがた作った書類に目を通しながら受話器を取る。
今日は遅くなりそうだし、ライドと遊ぶのは厳しいかもしれないな。まあ、明日以降幾らでも時間はあるか。
そんなことを貴文が考えていると、コールが止み、聞き慣れた声がする。
「もしもし」
「お疲れ様です、ササガワです」
「何だお前か」
何だとは失礼な。喉まで出掛かった言葉をグッとこらえる。
「さっさと報告せんか」
今日はライドじゃないので強気だ。オーさんの促しに従って、貴文は今日の受注内容を伝えていく。そして、終盤に差し掛かった時だった。
「今日は随分と多いな。これで終わりか」
「いえ、あと一人だけ。38歳、男性です。役職は国王を希望しています」
がしゃん。
何かが割れる音がした。
思わず耳と受話器との距離を空ける。何があったかのかと貴文がもう一度当て直すと、荒い息遣いが繰り返されていた。
「ふ……ふ……」
笑っている?いや違う。
だってこの空気は、貴文が両親に見放された時に良く似た、煮えたぎる様な――
「ふざけるなあ!!」
地鳴りが起こりそうな程の轟音。
一体何が起こったのか、貴文の脳は理解できなかった。
「何の為にお前達に尽くしてきたと思っている! 何の為に下手に出ていたと思っている! お前達の為にどれだけ殺したと思っているんだ!! それだけは絶対に認めんぞ!!!」
「おい、取り押さえろ!」
「放せ貴様ら!私にこんな無礼を働いて、許されると思っているのか!!」
騒がしくなる異世界。阿鼻叫喚という言葉が良く似合う。
受話器の向こうに、突如地獄が現れたようだった。
「……は……?」
どうしたんだ。なぜ彼は突然怒り出した。以前から短気ではあったが、今回はその時の比ではない。
いや、それよりも。
俺達の為に殺したとは何だ――?
貴文の頭がマドラーで掻き回されたようにぐちゃぐちゃになる。少しでも治めたくて、ばりばりと頭を掻きむしった。
貴文は電話を切る事も忘れたまま喧騒を背に走り出していた。
「ライド!!!」
まだ接客中かもしれないなどと、最早どうでも良かった。幸いにも、お客さんは既にいなくて。未だテーブルに掛けていた彼はこちらを振り返る。
「タカフミさん?どうかしましたか、って顔色真っ青じゃないですか! 本当にどうしたんですか!」
まずは横になって休みましょうと貴文を支えるライドの手を引き、そのまま彼の両肩を乱暴に掴んだ。カラカラになった喉から、漸く声を絞り出す。
「国王の依頼がきたって言ったら、向こうが急に騒がしくなったんだ。俺達の為にどれだけ殺したと思ってるんだって。なあ、どういうことだ?どういう意味なのか、俺にはさっぱり分からなくて。お前なら何か知ってるのか?」
否定してくれ。僕も知りませんと、首を傾げてくれ。悪寒が止まらないんだ。嫌な想像が止まらないんだ。頼む、頼むよ。
貴文は支離滅裂な言葉をぶつけて両手を揺さ振る。
乱れた息もそのままに返事を待っていると、ライドは何でもないことの様に告げた。
「ああ、王さん、喋っちゃったんですね」
何故かは分からない。でもそれは貴文にとって、最も聞きたくない肯定だった。
どういう事だと更に問い詰めると、ライドはゆっくりと貴文の手を解き、二、三歩後退する。
「初めから説明しましょうか」
どこまでもいつも通りな少年を眼にして、貴文は出会った時の事を思い出す。
あの時こいつへと感じた畏怖の念は、決して間違いでは無かったのだと。
「タカフミさん、以前に尋ねられましたよね。異世界の魔王について教えて欲しいって。あの時の続きをしましょうか」
「その話は後にしてくれないか」
苛立ちと焦りを隠せず貴文の語気が強くなる。するとライドは、口の両端を薄く引き上げ、自分自身を指さした。
「実はその魔王って、僕のことなんです」
「…………今、何て言ったんだ、お前」
「僕が魔王です」
悪戯成功と言わんばかりにしたり顔をする。其れは買い出し時に想像したのと全く一緒で。更に言葉は重なっていく。
「ああ、魔物の王って意味じゃ無いですよ! 魔法の王って意味です! 言ったでしょう、魔導学者として、異世界の魔法発展の第一人者だったって。僕は自分で言うのも何ですが、天才と呼ばれる部類でして。気が付いたらこんな二つ名に」
違う。魔王が厳密にどういう意味かなんて、どうでもいい。
「数年前に不可思議な力の事を魔法だと認識を広めてから、あらゆる場面で役立ててきました。でもその才能が行き過ぎたんですね。次第に皆、怖がるようになって。国も国民も、僕を遠ざけ始めた。それが何だか悲しくて」
ライドは涙が出てもいないのに目元を拭う仕草をしてみせる。
「だから挑戦してみたんです。世界征服に。そうしたら案外簡単に出来てしまいました。僕が開拓した魔法という能力は、誰よりも僕の味方でした。得意の転送魔法においては、その場にいなくても物や人を移動させたり、異世界で唯一、別次元へ介入できる程で。さながら神の如くですね! ……分かりますか、タカフミさん。貴方がたが憧れる異世界というのは、既に僕の支配下に置かれた世界なんですよ」
頭の中をどうにか整理したくてライドと向き合った筈なのに、出てくるのは非現実的な話ばかりで。それでも荒唐無稽だと笑い飛ばすには、貴文はこの少年に関わりすぎた。何もかもを投げ出して寝てしまいたかった。叶うことなら、何も知らなかった昨日に戻りたい。
でも、この話はまだ終わりじゃない。終わる訳にはいかない。まだ一番肝心な部分が解決していない。
「お前が魔王だって事が話の前提になるのは、分かった。完璧な理解も、心からの納得も出来ていないけど。でも、何でそれがさっきのオーさん……王様とのやり取りに繋がるんだ」
「この事業の根幹に関わるお話ですね。この異世界役職店というのは、そちらの世界のお客さんが異世界に移り住む時、役職を本人が決められるというお店です。でも、役職に相応しい力を持っているかはまた別問題なんですよ」
「どういう事だ?」
「例えば魔法使い。転生して遺伝子が変化した訳でも無いのに、世界をお引っ越ししただけで突然魔法が使えるようになるのは変じゃありませんか?」
貴文の目線が一瞬逸れる。確かにそうだ。勇者になったからといって急に剣の腕が上がるのも、僧侶として突如治癒力に目覚めるというのも、現実的に考えて無理がある。
「もっと言えば、一日で何人もの人生を再スタートさせられる手筈を毎日だなんて、いくら国が提携先とはいえ時間が足りな過ぎます」
そうだ。魔法の概念がある世界だから気にも留めなかったが、今朝がたライドが話していた。魔法は未だ生活の質を上げる為に利用されることは少ないと。
「もっとお手軽な方法があるんです」
出し惜しむように間を空け、ライドは立てた人差し指を更に上へ掲げる。
「既にその役職である民から、奪ってしまえばいいんですよ!!」
奪う。元々の役職を持つ者から。貴文は全身を打ち付けられた気分になった。
「……な……に……?」
「そちらの世界から来た人間は、自身に何の変化も無く、ただ希望した役職に収まっただけなんです」
「い、いや、それだとおかしいだろう。なら魔法や身体能力はどうしているんだ」
「そこはですね、彼等の周囲にいる人間達がその僅かな魔法を集団で使って誤魔化しているんです。さも本人の力であるかのように。嘘だとバレたら僕が殺しに来ると思っているんですよ。本来その役職であった人間は、邪魔なので片付けちゃいます。その沙汰を出し、実行に移すのが王族、ひいては国軍です」
だから、ドッペルゲンガー。
二人目が現れると死が訪れる。
「でも、そんな嘘が長く続く訳がない」
「そうですね。でも彼等の命もまた、永くはないので問題無いんです」
ライドは立てた腕を下ろし、人差し指をくるりくるりと回し始めた。
「例えば森番。静かな場所で暮らしたいと訴えた彼女ですが、誰もいない場所というのは、相応の危険が伴うものですよ。貴族になりたかった女性も。養子にしてくれたという父親から見れば、愛娘が殺され、突然やって来た知らない女が我が物顔で贅沢をしている。そろそろ限界が来る頃でしょうね。皆、何らかの理由で命を落とす事が多いんです。民衆達からすれば、見知らぬ世界からやって来た彼等はこの世界でいう爆弾と一緒です。短い命で破滅をもたらす」
貴文はとんでもない勘違いをしていた。異世界の者達は、皆暖かいなどと。寧ろ逆だったのだ。彼等はこの店の客を、恐怖と憎悪の目で見ていた事だろう。だというのに、いつかお礼をしに行きたいなんて、馬鹿なことまで考えてしまっていたのだ。
「つまり要約するとですね」
ライドが両腕を大きく広げる。俺が此処に来た時と同じように。
「僕の世界というのは、異世界役職店の為の舞台装置なんですよ!」
気が変になりそうだった。吐き気らしきものが込み上げてくる。
貴文は漸く王の取り乱しように納得が出来た。大勢を殺してきて、代わりが現れた者の末路を誰より詳しく知っているのだ。そこに、自分の番がきてしまった。なら恐らく、今頃は。
そこで一度考えるのをやめた。しかしまた別の考えが頭を過ぎってしまう。じゃあ、じゃあこいつは、今までどれだけの犠牲を払ってきたというのだろう。どれだけの不幸を生み出していたと言うのだろう。
そしてその片棒を担いだ自分は。
とうとう我慢出来ずに嘔吐する。慌てて近付いてきたライドが、しゃがみ込んだ貴文の背中を摩った。吐瀉物を綺麗に消し、貴文自身にも何か魔法を掛けたらしい。少し体が楽になった。
そして、もう一度互いに少しの距離を空ける。
「どうして、そんな事をするんだ。一体何の理由があって」
「え、理由ですか」
にこり。貼り付けたような笑顔。
「その方が魔王っぽいかなって!」
ああ、間違いない。
この男は、魔王だ。
「さて、この店と異世界の全容を知ってしまった笹川貴文さん。決断の時ですよ!」
出会った頃と同じ様に芝居がかった口調で、魔王は貴文を指さした。
貴文はただでさえ頭が限界を迎えている。これ以上、どうしろと言うんだ。
「此処までの話を聞いて、貴方はどうしますか。今はまだ試用期間です。このまま何も無かったかのように帰る事ができる。いつもの日常に戻れる。或いは、僕を詰って罵って、力ずくで止めてみるか。怯えて今すぐここから逃げてみるか」
人差し指以外の指が解かれ半回転し、貴文に手を差し出す形となる。
「それとも、このまま僕の傍に居てくれますか」
何を寝言を言っている。お前の元から離れるに決まっているだろう、と貴文は内心吐き捨てる。
こいつの行いは、最低最悪だ。決して許されるべきものじゃなくて。俺も共犯者になってしまって。だからせめて、俺はこいつを止めるか、仕事を辞めて少しでも犠牲者を減らすべきなのだ。今すぐにでも。
なのに。
……なのに。
今貴文の頭に思い浮かぶのは、ライドと過ごした日々のことだった。お互いの事を話して、枕投げで遊んで、雑魚寝して。おやすみとか行ってらっしゃいとか、そんな何でもない挨拶をして。一緒に遊ぶ約束をして。
そう、目の前の怪物は、そんな日々を、心から喜べる少年なのだ。他人からは平気で奪えるというのに。貴文は、そんな上司で弟分と一緒に居るのが、何より心地良くて。
だから貴文は。
「………………」
返事が出来なかった。喉が潰れたみたいに、唇を震わせながらパクパクと開閉する。
ライドが目を見開き、やがて全てを見透かしたように寂しげに笑った。
「迷ってくれるだけで、十分です」
すると、差し伸ばされていた掌が光を帯びる。思わず後ずさると、一気にその光が強まり貴文を包んだ。
意識が遠のく。一体何をしようとしているのだろう。
……何を、考えているのだろう。
それを知るには、余りにも時間は短すぎて。貴文にはこの子の本心さえ見えない。
なあ、ライド。
もう少し長く一緒に居られたら、俺はお前を止めることが出来たんだろうか。
そんな事を考えながら、青年の意識は闇に沈んでいった。
* * *
貴文がドサリと床に倒れる。ライドはゆっくりとしゃがみ込み、彼の頭を1回、2回と撫でた。
買ってくれた玩具、もう遊べないなあ。
そんな事をぼんやり考え、自身も腰を降ろす。
貴文は知らない。かつてライドの家族は、強力な天才である彼を恐れた王族が煽動した民衆達によって、牽制のため嬲り殺しにされた事を。以前にした身の上話。家族が死んだ実感が薄いと言った。あれは正確ではない。会う頻度が少なかった故本人の自覚は薄いが、それでもライドは家族に対してきちんと愛情を抱いていた。ライドが壊れてしまった事を、一連の行動が、余所の世界の人間をも巻き込んだ自国と国民への無自覚の復讐劇である事を。
貴文は知らない。知らなくて良い。
同情できる一線を、ライドはとっくに越えてしまっているのだから。
少年は物思いに耽る。
本当はね、貴文さん。働いてくれるなら、最初は誰でも良かったんですよ。
邪魔をするようであれば、適当な口実で異世界に飛ばすつもりだった。しかし孤独であった二人は相性が良く、何より貴文は、魔王を普通の子どもと同じように扱ってくれた。
嬉しかった。
だから今はまだ、数多の死体を踏み締めながら、あの優しい日々を送ろう。
もう少しだけ、僕と幸せでいて下さい。いつか記憶を取り戻した時、それでも二人で居たいと言ってくれるその日まで。
* * *
右手が何かに捕まっている。ぎゅっと力が強くなったところで、貴文は目が覚めた。寝たつもりはなかったが、いつの間にかベッドの上にいた。
「あ、タカフミさん! 良かった、体調は如何ですか?」
「ライド?いや、体は何ともないけど」
手を握っていたのはライドだったようだ。酷く心配そうな目を向けられる。
「タカフミさん、一昨日の夜から全然起きなくて。今は試用期間最終日の午前中になりますよ」
「は?!」
貴文は思わずがばりと飛び起きる。一昨日からって、何でそんなに寝ているのか。無断欠勤で眠りの最長記録を更新してしまった。スマホの電源を入れる。日付を確認してみると、確かに丸一日分の記憶がないようだ。
「慣れない環境で、疲れが出たんでしょうね。今日はお休みして下さい」
「そんなつもりは無かったんだがな。でもありがとう。お言葉に甘えることにするよ」
「僕が甲斐甲斐しく看病してあげます!」
「寝過ぎて怠いだけで、他は何ともないよ」
張り切るようにおどけたライドを苦笑いで見遣りながら、貴文は今日が最終日だったかと思い起こす。
この二ヶ月は色々あったが、どれ一つとっても、嫌な事など何もなかった。精々オーさんの傲慢な態度と、癖の強い客がいたくらいか。
どうせ心は決まっているんだし、もう言ってしまおう。貴文は一度身体を起こし、林檎をうさぎ型に切っている店主に向き合った。
「ライド。俺はこの仕事を続けたい。本契約で、俺を雇って下さい」
ベッドの上にはなるが、頭を下げる。林檎の入った皿と、包丁を部屋の机に置いて、ライドもまた居住まいを正す。珍しく緊張しているようだ。
「タカフミさん。公私共に、貴方との二ヶ月間はとても充実していました。部下として、友人として、まだまだ一緒に過ごしていきたいです……僕の方こそ、明日から改めてよろしくお願いします」
そして二人で頭を下げた。互いに顔を見合わせて、照れ臭さを誤魔化すように笑い合う。明日から、またこの日々が続くんだ。
いや、それなら今からが良いと貴文は思い立つ。
「俺、やっぱり今日も働くよ」
「あ、駄目ですよ病み上がりなのに!」
「病んでない。寝過ぎだからリハビリだ」
「もう! 上司命令を早速破らないで下さいっ」
丁度良く一階からベルが鳴り、二人で階段をドタバタと駆け降りた。
「というか、動けるなら先ずは風呂が先でしょう! 丸一日入ってない状態でお客さんの前に出るつもりですか!」
「うっ! まあここまで来ちまったし、挨拶だけして後はお前に任せるよ」
「絶対ですからね!」
二人で息を整えて、とびきり笑顔で。
「いらっしゃいませ! 異世界役職店『ドッペルゲンガー』へようこそ!」




