悪役令嬢と蔑まれ、婚約破棄されて家族からも虐げられ続けた私ですが、家を飛び出した先で隣国の皇太子に一目惚れされ、執拗な求愛と徹底的な復讐劇を経て次期王妃の座を掴み取るまでの物語
幼い頃から、私は「無用の娘」と呼ばれていた。
公爵家の次女として生まれながら、両親の愛情は姉――才色兼備のクラリッサにのみ注がれ、私に向けられるのは冷たい視線と無関心。食卓では席を外され、舞踏会では従者扱い。姉から浴びせられる暴言と暴力を訴えても、両親は笑って流すばかりだった。
それでも私は必死に学び、礼儀作法を磨き、婚約者である第一王子エドワードに認めてもらおうと努力を重ねた。彼の婚約者であることが、私がこの家で生きる唯一の拠り所だったからだ。
だが、その拠り所は、ある日無惨に打ち砕かれる。
――王立学園の大講堂にて。
学園中の生徒が見守る中、エドワードは私の前に立ち、甘ったるい声で隣に控える少女を抱き寄せた。
「アリシア・フォン・グレイシア。お前との婚約はここで破棄する! 僕の真実の愛は、このセシリアにあるのだ!」
歓声と囁き声が広がる。セシリアは涙を滲ませ、恥じらいを見せつつも勝ち誇ったように微笑んだ。
私は唇を噛み、血が滲むのも構わず立ち尽くした。
「……陛下の認可もなく、一方的に婚約を破棄なさるのですか」
必死に声を絞り出したが、彼は嘲笑う。
「父上もすでに了承済みだ。お前のような冷たい悪役令嬢よりも、セシリアこそが王妃にふさわしい」
――悪役令嬢。
それは、姉や周囲が私に貼り付けた烙印だった。傲慢で冷酷な女。だが実際は違う。ただ必死に生きてきただけだ。
しかし抗弁の言葉を飲み込み、私はその場から逃げるように去った。涙は流さなかった。ただ、心が凍りついていた。
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その夜、私は決意した。
「もう、戻らない。こんな家にも、こんな国にも」
馬車も持たず、最低限の金と衣服だけを包んで夜の森へ走る。追っ手がかかる前に、国境を越えなければならなかった。
幾日も歩き続け、飢えと疲労で倒れかけたとき――。
「……君、大丈夫か?」
差し伸べられた手が、私の人生を変えた。
黄金の瞳を持つ青年。威厳と気品を纏いながら、優しく微笑むその姿に息を呑む。
彼は隣国ゼルディア帝国の皇太子、レオンハルトだった。
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「君は、この森で何をしている?」
焚火の明かりの下、彼は私に水と食料を与え、名を尋ねた。
「……アリシア。ただの、行き場をなくした娘です」
曖昧に答える私を見て、彼は一瞬だけ眉をひそめ、すぐに柔らかく笑った。
「アリシア。いい名前だ。……君を守りたい」
「……え?」
唐突な言葉に、私は戸惑う。
彼は真剣な眼差しで続けた。
「初めて会った瞬間から決めた。君を妃に迎えたい」
「……っ! ふざけないでください!」
私は反射的に拒絶の声を上げた。
「あなたが何者であろうと、私にはそんな資格はありません。私は捨てられた女です。婚約を破棄され、悪役令嬢と蔑まれ、家族からも――」
声が震え、言葉が途切れる。
彼はそっと私の手を取り、温もりを伝えてきた。
「君がどんな過去を背負っていても関係ない。僕は、今の君を選ぶ」
――眩しすぎる。
その真っ直ぐな想いに、心が揺れた。けれど、すぐに首を振る。
「……やめてください。私を救おうとしても、あなたを不幸にするだけです」
レオンハルトの手を振り払い、背を向ける。
だが、彼は諦めなかった。
「ならば証明しよう。君を苦しめた者たちから、必ず報いを受けさせる。僕が君の代わりに復讐する」
その声は炎のように熱く、冷え切った私の胸を少しずつ溶かしていった。
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レオンハルト皇太子は宣言通り、動き出した。
私を苦しめてきた人間たちに、容赦のない鉄槌を下すために。
彼は帝国の使節団として正式に王国を訪れ、友好の名のもとに交渉の席に着いた。だが、その本心はただひとつ――私を虐げた者たちを断罪することだった。
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最初に標的となったのは、私の実家――グレイシア公爵家だった。
謁見の場でレオンハルトは毅然と告げる。
「公爵家の娘を虐げ、政略婚約を利用して地位を守りながら、その責務を果たさず、むしろ蔑ろにしたと聞いている。これは王国と帝国の信頼を揺るがす背信行為だ」
父と母は蒼白になり、必死に弁明を口にした。
「そ、それは誤解でございます! 娘アリシアは……出来の悪い子で……」
「沈黙せよ」
黄金の瞳が冷たく光り、空気が凍りついた。
「親である者が、娘を“出来の悪い子”と切り捨てるか。貴様らは人としての誇りすら持たぬのか」
レオンハルトの声は、刃より鋭かった。
その場にいた王や貴族たちは言葉を失い、私の両親は顔を伏せた。やがて、王の命により公爵位は剥奪され、財産の大半も没収されることとなった。
――心のどこかで震えていた。
復讐など望んだことはなかった。けれど、誰かが私のために怒ってくれることが、こんなにも救いになるなんて。
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次に狙われたのは、完璧な姉と称えられたクラリッサだった。
「妹を蔑み、殴り、侮辱したと聞く」
レオンハルトの追及に、クラリッサは毅然と笑みを浮かべた。
「当然ですわ。あの子は我が家の恥。私は将来の王妃として完璧でなければならなかったのですもの」
その傲慢な言葉を聞き、レオンハルトは静かに吐き捨てた。
「――醜い」
クラリッサは王国社交界から追放され、国外追放の処罰を受けた。誇り高き姉が引きずられていく姿を見ても、私は涙を流さなかった。ただ、過去の痛みがようやく浄化されていくのを感じた。
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最後に残ったのは、第一王子エドワードと、彼が選んだ少女セシリアだった。
レオンハルトは、彼らの前に立ち、冷ややかな声で宣言した。
「帝国との友好を軽んじ、正式な許可もなく婚約を破棄し、挙げ句に“真実の愛”とやらに溺れた。愚かとしか言いようがない」
エドワードは顔を真っ赤にし、声を荒げた。
「我が愛は正しい! セシリアこそが真の王妃にふさわしい!」
「ならば存分に愛するがよい。ただし――王位継承権を放棄したうえで、だ」
会場が騒然となる。
その後の裁定により、エドワードは王太子の地位を剥奪され、辺境へ追放。セシリアは庶民として生きることを余儀なくされた。
――こうして、私を踏みにじった人々は一人残らず地に堕ちた。
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すべてが終わった夜。
帝国の客間で、レオンハルトは私に向き直った。
「アリシア。これで、君を縛る鎖はすべて断ち切った。……だから、もう一度問わせてほしい」
彼は私の手を取る。
「僕の妃になってくれないか」
心が震えた。
私はずっと、愛される価値などないと思っていた。
けれど、彼は私の過去ごと抱きしめ、すべてを背負ってくれた。
「……私でいいのですか?」
涙が零れ落ちる。
「君だからいいんだ。僕は君を選ぶ」
その言葉に、胸の奥で何かがほどけた。
私は、彼の胸に縋りついた。
「……はい。レオンハルト殿下。喜んで」
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やがて私は帝国に迎え入れられ、正式にレオンハルトの婚約者となった。
人々は囁く――「かつて悪役令嬢と呼ばれた娘が、次期皇妃になった」と。
けれど、もうそんな烙印に怯えることはない。
私の隣には、真実の愛をくれた人がいるのだから。
レオンハルトは私の肩を抱き、耳元で囁いた。
「君はもう一人じゃない。僕と共に歩んでほしい」
「……はい」
私は静かに頷いた。
涙ではなく、笑顔で。
――こうして、虐げられた悪役令嬢は、愛と誇りを胸に次期王妃の座を掴み取った。
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式典のバルコニーから、民衆へ手を振る。
風が髪を揺らし、隣にはレオンハルトの温かな手。
私はかつての自分を思い出す。
家族に愛されず、婚約者に裏切られ、姉に虐げられ、ただ一人孤独に泣いていた少女を。
――でも、もう違う。
「アリシア・フォン・グレイシア」という名を蔑まれた私が、いま「アリシア・フォン・ゼルディア」として胸を張ってここに立っている。
そして隣には、唯一無二の伴侶。
未来は、ようやく光に包まれていた。