3話.灰色の残像
3.白い嘘 :灰色の残像
君のいない夏を、何度迎えただろう。あの青すぎる空を見るたび、俺は息が詰まる。君がこの世界から消えても、蝉はいつも通り鳴き、太陽は容赦なく照りつける。それが、どれほど残酷なことか。
俺は、あの白い嘘と共に生きていた。君に「治るよ」と囁き続けた日々が、今も鮮明に心に焼き付いている。あの優しい嘘が、俺を、そしてもしかしたら君をも縛りつけていたのかもしれない。あの看護師の言葉に、一瞬だけ救われた気もした。君は俺の嘘を知っていて、それでも受け入れてくれていたのだと。だが、それは俺の都合の良い解釈だったのかもしれない。
ある雨の日、俺は君の遺品整理をしていた。手付かずだった段ボール箱の奥から、一冊の小さなノートを見つけた。君が使っていた、シンプルなデザインの大学ノートだ。何気なく開くと、そこに綴られていたのは、震えるような君の筆跡だった。
『2月14日 晴れ。今日、先生から本当のことを聞いた。手の施しようがないって。隣で、彼はいつものように笑ってた。私に、嘘をついてる。でも、彼の優しい嘘が、私をどれだけ支えてくれているか、彼には分からないだろうな。』
その日から、ノートには君の苦悩と、俺への感謝が綴られていた。副作用で吐き気がする日も、痛みに耐えかねる夜も、君は俺の白い嘘を信じようと、必死に努めていた。
『彼の笑顔を見るたびに、胸が痛む。私を励ますために、彼はどれだけ無理をしているんだろう。』
『本当は、怖くてたまらない。でも、彼に心配をかけたくないから、ずっと笑ってる。彼が信じてくれる限り、私も信じたい。』
ページをめくるたび、俺の胸は締め付けられた。君は、俺の嘘を、全て見抜いていたのだ。そして、俺のために、その嘘を信じるふりをしてくれていた。俺の優しさだと信じていたものが、実は君に、どれほどの重荷を負わせていたのか。俺は、自分自身の欺瞞に、吐き気がした。
最後のページには、かすれた文字でこう書かれていた。
『もう、あまり時間がない。彼には、ずっと笑っていてほしいな。私がいない世界で、彼が苦しむことだけは、嫌だ。だから、最期まで、私はこの嘘を、信じ続けるよ。』
ノートを握りしめ、俺はその場に崩れ落ちた。君の最期の願いが、俺の心を深く抉る。君は、俺の嘘を見抜いていた上で、それでも俺のために、最期まで優しい嘘を貫き通してくれたのだ。俺の勝手な優しさが、君をどれだけ孤独にさせていたのか。
窓の外は、激しい雨が降っていた。俺は、君に吐き続けた白い嘘によって、君を追い詰めていたのかもしれない。そして今、その嘘が、俺自身の心を永遠に蝕む。君のいない世界で、俺は、この灰色の残像と共に、生きていかなければならない。あの夏の日差しは、もう二度と、俺を照らすことはないだろう