タケルとゲンと悪魔の約束 (ショートショート)
田舎のあぜ道を、二人の少年が歩いています。一人は中学生のタケルくん。もう一人は従弟の小学生、ゲンちゃんです。
タケルくんはゲンちゃんよりも四歳年上で、秀才の誉れ高い少年でした。一方、ゲンちゃんの方はと言えば、頭のいいタケルくんに憧れるばかりの、少しボンヤリとした男の子です。
以前は二人とも仲が良かったものの、大人になりかかっているタケルくんにとって、ゲンちゃんは、もはやチョット”ウザい”存在になっておりました。そういった思いは言葉や態度の端々にあらわれ、二人の仲は微妙なものとなっています。
今日も、あれやこれやと詰まらない話をするゲンちゃんを、タケルくんは冷たくあしらいます。そんな彼の態度に、今までずっと我慢をしてきたゲンちゃんですが、ついに堪忍袋の緒が切れました。
「タケルくん! どうして、そんな邪険にするのさ?」
ゲンちゃんが、顔を真っ赤にして怒ります。
「はぁ? そりゃお前が、下らない事ばかり、くっちゃべるからだ。
ほんと、お前の頭の中がどうなっているのか、いっぺん見てみたいよ」
タケルくんが、こともなげに言いました。
ゲンちゃんは、いよいよ頭に血が上り、半分べそをかきながら、
「タケルくんのイジワル! もう、知らないや!」
と言って、今来た道を全速力で駆け戻っていきます。
どのくらいの距離を走ったでしょうか。気がつくと、ゲンちゃんは森の奥にある泉の傍まで来ていました。ここは「悪魔が出る」と噂され、誰も近づこうとはしない場所です。
「いけない、帰らなきゃ」
ゲンちゃんが、少しばかりの恐怖を感じたその時です。
「坊や、悩み事があるんじゃないのかい?」
と、ゲンちゃんの後ろから、誰かが呼び止めました。
わっ! ひょとして悪魔!?
ゲンちゃんは、そのまま逃げだそうと思いましたが、つい好奇心に駆られ、後を振り向いてしまいます。果たしてそこには、四十がらみの黒い背広を着た男が立っておりました。
「誰? 悪魔なの?」
ゲンちゃんの問いかけに、
「そう呼ぶ人もいるね。だけど、決して君に害をなす者ではないよ」
と、男は優しい笑顔で応えます。
「ねぇ、君。君はもしかして、何か悩みを抱えてないかい?」
悪魔は、もう一度同じ事を尋ねました。
「え? 何でわかるの?」
タケルくんとの関係に、悶々としていたゲンちゃんはビックリします。でもね、不思議でも何でもないんです。悪魔はそういう心の弱った人の前に、決まって現れるものなのですからね。
すっかり悪魔に魅了されてしまったゲンちゃんは、せきを切ったように事の次第を悪魔に話しました。
「で、君は、どうしたいの?」
さぁ、悪魔の誘惑が始まります。子供相手に契約を迫るのは倫理違反とされていますが、悪魔界も不景気で、そんな綺麗ごとを言っていられる状況ではありませんでした(元々、悪魔ですし)。
その上、お偉いさんが現場も知らず「働き方改革」なんて言い出すものですから、多くの悪魔は魂集めに四苦八苦してたんですね。
「そうだなぁ。まず、タケルくんが”お前の頭の中を見てみたい”と言ったから、本当に見せてやりたい。きっと、驚くぞ。
あと、僕もタケル君のように、頭が良くなりたいな」
と、ゲンちゃんは無邪気に話します。
「う~ん。願い事、二つは叶えられないんだよなぁ……」
悪魔が、わざと顔をしかめました。
「え~、ダメなの?」
残念がるゲンちゃんを、チラリと見やった悪魔は、
「いや、絶対ダメってわけじゃない。こういう風にすれば、OKだよ。でもね……」
と、男は正に、悪魔のささやきをいたしました。
さて、こちらは少し言い過ぎたかなと、反省しているタケルくん。ゲンちゃんが戻って来るかと思い、しばらく木陰に腰を下ろしていましたが、いつまでたってもゲンちゃんは現れません。
「ま、いっか」
そう思って、再びあぜ道を歩き出したその時です。後ろから「タケルくーん」という、聞き覚えのある声が響いてきました。振り返ってみると、予想通り、そこには、息せき切って走って来るゲンちゃんの姿が。
「よぉ……」
後ろめたさが残るタケルくんは、少し気まずそうに返事をします。
「ふふふっ、タケルくん。びっくりしちゃあ、いけないよ。大丈夫?」
ようやっと、タケルくんに追いついたゲンちゃんは、いきなり意味深長な言葉を発しました。
「おい、なんだい。やぶからぼうに」
タケルくんは少し、反省した事を反省し始めます。
やっぱり、コイツはバカだ……。
そんな思いがタケルくんの心に満ちてきますが、ゲンちゃんは全く気がつくふうでもなく畳みかけてきます。
「ねぇ。さっき、僕の頭の中を見てみたいって言ったでしょ? 見せてあげるよ。驚く準備は、いい?」
と、ゲンちゃんが、無邪気な笑顔をタケルくんに投げかけました。
「頭の中を見せる?どうやって?」
タケルくんは、すっかり先ほどと同じように、ゲンちゃんを小バカにするような目つきで問い返します。
「こうやって!」
そう言ったかと思うと、ゲンちゃんはいきなり自分の頭の両側に手を当てて、まるで”帽子”でも取るかのように、自分の頭をパカっと外しました。
タケルくんの驚いた事!
まぁ、そりゃそうですよね。いきなり見知った子が、”頭”を外したんですから。
そんな彼の表情を見て、ゲンちゃんは「どう? どう?」と有頂天になってはしゃぎます。いつも自分を馬鹿にしている相手が、泡を吹いたような顔をしてるのですから、もう愉快愉快。
しかし人間とは不思議なものでして、目の前で信じがたい光景が繰り広げられると、その状況に無理やりにでも理由をつけようとするものです。そうやって、心の均衡を保とうとするのですね。
あぁ。これは、幻を見ているに違いない。最近、受験勉強で大変だったから、きっとそれが原因だ。父さんも母さんも見栄っ張りで、一流高校でなけりゃ許さないとか言うんだもんなぁ……。
タケルくんは、そう思う事にしました。
でも、急に冷静な態度に戻ってしまった彼を見て、ゲンちゃんの方は面白くありません。
「ほうら、よく見てよ。ねっ、よく見てよ」
と、半分になった頭をひっくり返して、タケルくんの方へと突き出します。
「ふっ、ふっふっふっ」
タケルくんが、またしても相手を小ばかにしたような笑いを漏らしました。幻と分かれば、何も怖がる必要はありません。タケルくんは、幻につき合おうと決めました。丁度いいストレス発散になると、考えたのですね。
「な、何がおかしいのさ」
「何がおかしいって、まぁ、俺の思った通り、お前の頭の中は”カラッポ”だったって事さ」
そうなのです。ゲンちゃんが両手に持っている頭の中は、ほんと、何もない空っぽの器のようでした。こういう風に見えるようにしたのも、もちろん悪魔の仕業です。
そこで、意外な事が起こりました。カンカンになると思われたゲンちゃんが、突然、高笑いをし出したのです。
「な、なんだよ。何がおかしいんだよ」
思いもよらない展開に、タケルくんが困惑します。
「悪魔のおじさん、これで僕の勝ちだよね。約束は、守ってもらうよ」
と、ゲンちゃんが虚空を見上げて言いました。すると、黒い煙がどこからか現れ、それはあっという間に例の悪魔の姿になったのです。
「ちぇっ、仕方がないなぁ。まぁ、約束は約束だ」
と、悪魔が悔しそうに言いました。でもね。本当は、全然悔しくないんです。それが何故かは、お話の最後の方で……。
「おい、あんたは誰だ。っていうか、ゲンは悪魔って言ったけど、本当に悪魔なのか?」
これも、きっと幻だ。そう思いながら、タケルくんは、黒ずくめの中年男に尋ねます。
「えぇ、仰る通りです。……ねぇ、君は今起こっている事が、全て幻だと思っているでしょう? でも、違うんだ」
悪魔が、シレッと言いました。
「幻じゃない? じゃぁ、現実だって言うのかよ。そんな馬鹿な話、信じないぞ」
と、タケルくんは、食ってかかります。
「まぁ、二人ともこの事は全部忘れちまうから、幻と言えば幻かも知れませんがね」
悪魔は、侮蔑するような目つきで、タケルくんを見据えました。
「ちょっと、悪魔のおじさん。約束、本当に守ってよ!」
自分抜きで話が進む展開に、ゲンちゃんが割って入ります。
「あぁ、わかってるよ。私だって、一端の悪魔だからね。約束は守る」
と、悪魔が、しかたないなぁと言わんばかりに応えました。
「おい、さっきから約束、約束って何なんだ」
今度は、タケルくんが割って入ります。
「いやね。私はさっき、ゲンちゃんと、こんな約束をしたんですよ」
悪魔は嬉しそうに、でも、どこか気の毒そうに話し始めました。
「ゲンちゃんが、君に頭の中を見せてやりたいって言うので、死んだ後の魂と引きかえに、そう出来るようしてあげたんです」
悪魔の答えに、何てくだらない願いをするんだろうと、タケルくんは呆れます。
「でもね、ゲンちゃんは欲張りなんで、他の願いもしたんですよ」
その言葉に、タケルくんは何故だか嫌な予感に襲われました。
「それは君みたいな、頭のいい子にしてほしいって願いです。彼としては、君と対等に話したかったんでしょうね。
でも一つの魂で、二つの願いを聞くわけにはいかない。そこで、ゲンちゃんと賭けをしたんです」
「賭け?」
タケルくんが、悪魔の言葉を繰り返します。
「えぇ。もしも”ある条件”を満たせば、二つ目の願いも聞く。でも満たせなければ、死後ではなく、今すぐ魂を貰うって賭けですよ」
悪魔が、ニヤリと笑いました。
「ある条件?」
タケルくんの額に、脂汗がにじみ始めます。
「それはね。君がゲンちゃんの頭を”カラッポ”って、バカにする事だったんです」
タケルくんの背中に、悪寒が走りました。
してやられたって事か? この俺が、ゲンごときに……!
幻とはいえ、いつも馬鹿にしていたゲンちゃんに、まんまと罠にはめられたと知ったタケルくんは、頭にカーッと血が上ります。
「だけど、そりゃ駄目じゃないか? 普通、悪魔との契約は一つだけだろ? 二つなんて、おかしいよ!」
ゲンちゃんの思い通りにさせてなるものかと、タケルくんは必死に食い下がりました。
「まぁね。それは、君の言う通り。だから、少し変則的な技を使わせてもらいました」
「変則的な技?」
タケルくんの悪い予感は、最高潮に達します。
「えぇ。普通は、無から有を生み出すのが悪魔の技です。例えば金持ちになりたいっていう願いの場合、どこからか盗んでくるわけじゃなくて、今まで世の中に存在していなかった金銀財宝を出すわけですよ。
だから、今回も本来なら”無条件”で、ゲンちゃんの頭を良くする必要があるんですけど、二つ目の願いだったから、それは無理」
「えっ? 僕、頭が良くなれないの?」
と、ゲンちゃんが、心配そうな声で尋ねました。
「いや、なれるよ。ただし、それは君の頭とタケルくんの頭を、取り替えるってやり方になるけどね。そういう方式なら、問題ない」
事もなげに、悪魔が言います。
「おい、何が問題はないだ。そんな勝手な真似、俺は、いや神様が許さないぞ」
必死に抵抗するタケルくん。今まで馬鹿にしてきたゲンちゃんと、立場が逆転してはたまりません。たとえ幻と分かっていても、それだけは許せませんでした。
「ふん。ずいぶんと調子がいいね。散々、年下の子供をバカにして楽しんでさ。そんな奴を、神様は救わないと思うよ、多分」
タケルくんに対する悪魔の言葉遣いが変わり、生意気な子供を蔑むるようにクククと彼が笑います。
「さぁ、これで契約は完了だ。君たちは、私と出会った事、話した事、全て忘れてしまう。
では、ごきげんよう。また近いうちに」
と、言ったかと思うと、悪魔は再び黒い煙となって、夕闇迫る空へと消えて行きました。
カーッ、カーッ。
カラスが、二つ鳴きました。
それを合図に、残された二人は、白昼夢から目覚めたように、ハッと我を取り戻します。
「今、僕たち何してたっけ?」
と、ゲンちゃんが、タケルくんに問いました。
「何って……、何だっけ?」
ボンヤリとした目をして答えるタケルくん。
ゲンちゃんは少しイラつきながら、
「もう、たよりないなぁ。受験勉強、しっかりしなきゃいけない時期なんでしょ? そんな事じゃ、合格なんて夢のまた夢じゃない?」
と、急に大人びた話し方で語ります。
「う……うん。じゅ、受験勉強……。そうだったな。でも、受験勉強って何だっけか……」
トロンとした顔つきのタケルくんが、ポカンと口を開けながら言いました。
「じゃぁ、僕は帰るよ。どうしてか、すごく勉強したいんだよ……」
なんか、タケルくん。ウザいよな。
ゲンちゃんはそう思いながら、ぼさっと突っ立っているタケルくんを尻目に、さっさと自宅の方角へと向かいます。
「あ、あぁ、それじゃぁ……」
歩き方すら、どこか間の抜けた風になってしまったタケルくんも、ノロノロと家路につきました。
それを木の影に隠れていた悪魔が見て、舌なめずりをします。
「ふふっ。タケルくん、また本当に近いうちにね」
悪魔が、正に悪魔の笑みをこぼしました。
本当はね。悪魔は、全部お見通しだったんです。ゲンちゃんが何を願うか、そしてタケルくんがどう応えるか。だから、あんな無茶な願いを聞いたのですね。
えっ? でも結局、ゲンちゃんが死んだ後に、魂を一つ貰えるだけだろうって?
いえ、いえ。そんな事はありません。
呆けてしまったタケルくんは、きっと受験勉強なんて手につかなくなるでしょう。そうしたら、きっと願うに違いありません。
悪魔でも何でもいいから、どうにかしてくれ!
ってね。
そしてタケルくんの堕落ぶりを見た、彼の両親もきっと同じように願うでしょう。相当、世間体を気にするご両親のようですから。
つまり今回の一件で、悪魔は将来的に四つの魂を手に入れられるのです。悪魔も詐欺師と同じで、一度くらいついたら、周りも含めて骨までしゃぶる存在なんですよ。
悪魔とは、心のさもしい人間が、敵う相手ではありません。どうか、あなたもお気をつけになって下さいましね。
【終】