6.藤 1
山裾に藤の花が咲く頃――――藤の宮、蘇芳様が尼僧庵を尋ねてきた。
それ自体は珍しいことではない。蘇芳様はふらりとここに来る。
最初のうちこそ、叔母様目当てなのか? と警戒したけれど、どうやら全くの杞憂だったようだ。
蘇芳様はいわゆる男色家、らしい。
山の中腹を流れる川で魚を捕っていた私を男の子と間違えたのだ。動きやすさ重視で水干姿だったのも、間違えの元だった。
「こんな山奥に可愛らしい男の子がいるなんて……! と思ったら、可愛くて当然だよね。女の子なのだから」
そう笑いながらいわれたのは二年ほど前だ。
とはいえ蘇芳様も龍の血を引く一人。現東宮が生まれなければ、次の東宮は蘇芳様がなっていたと言われている。それぐらい血が濃いのだろう。
龍の血の濃さは瞳の色に表れる。蘇芳様は通常は藤の宮と呼ばれ、藤色の瞳だ。
そして現東宮の瞳の色はそれよりも淡い紫。どうやら淡い色が龍の血を引く者の中では最上位となるようだ。
だからこそ、といえるだろう。私に付けられた印に反応した。
自分よりも上位の龍が付けた、花姫の香りに。
「どうかしたんですか? ここに来るなんて」
「燕の顔を見にね」
ニコニコと笑いながら、手土産を手渡してくる。
ちなみに手渡してくる以外にも、受け取っているのだが……ここは尼僧庵。仏様に感謝してありがたくいただく。
「あ、そうそう。花姫たちはお渡りがなくて、なかなかに後宮内がピリピリしてるらしいよ」
怖いよねぇ……と呟いているが、その顔はちょっと楽しそうだ。きっと私の反応を見ているのだろう。
「まあ、そのうち行くんじゃないですか?」
「そう思う?」
「跡継ぎ作るのも東宮様のお役目でしょう?」
「それはそうだけどね。まあでも、初日に睡蓮宮には行ったらしい」
「睡蓮宮?」
「花姫たちのはいる宮にはそれぞれ花の名前がついてるんだよ。場所は東西南北にわかれている」
「ああ、南にある宮の名前が睡蓮なんですね」
「そのとおり!」
蘇芳様は一体なにをいいたいのだろう? いや、私にいわせたいのか。私に会いに南雲の一の姫のいる宮に行ったとでも?
でも迎えには来なかった。迎えに来ると行ったのに。
花は咲かなくても、匂いはするらしい。それなら居場所だってわかるのでは……? いや、本気で探そうと思ったら、そんなことしなくてもわかる。
旭は次期東宮で、東郷の家では彼の発言が重視されていた。
私が今いる場所は東郷が支援する、尼僧庵。叔母様も東郷の人間だ。
どのみち自分が東宮になれば、南雲家は一の姫である私をだす。そう考えたのだろう。
もちろん私が正しく、南雲家で一の姫として扱われていたら……その可能性はあった。でもそんな未来は来ない。
私は帝の元へ嫁がされ、東宮である旭の元に嫁ぐのは千夏。
花姫の印を持っていようとも関係ない。旭は迎えに来ないし、私は旭の手を取ることはないのだ。
「……蘇芳様」
「うん」
「私はもう南雲の人間ではないのですよ。それは蘇芳様ですら調べられることなんです」
「それはまあ、そうだね」
「私の居場所も、調べればすぐにわかります」
「その手間を惜しむ者に、会う気はない?」
「そうですね。立場を考えれば、自ら赴くことは難しいとは思います。でも人をやることはできるでしょう?」
「それはそう。その辺を怠ると、今みたいになるだろうね。不信感が募る」
うんうんと頷きながら、蘇芳様はちょっとだけ遠い目をした。
「結局、その程度ってことです」
「そうかな……どうだろうね。僕は、花姫をもったことがないからわからないけれど」
「こんなの持つべきじゃないですよ。お家のためにならない」
「それはまあ……ね。ただ平等に手をだすのも、色々と騒動の元なんだけどねぇ」
今の帝は好色家、というわけじゃないけど等しく手を出して子だくさんだ。
それはそれで龍の慈愛というやつなのだと蘇芳様はいう。
「龍の慈愛というのは、はた迷惑なものですね」
「そうかもね」
龍の血を引く本人にいうべきことでもないが、印を付けられた身としては文句の一つもいいたくなる。
「まあまあ、燕。いつまでも立ち話なんて……」
「叔母様」
「いや、良いんですよ。桃花鳥様」
「ごめんなさいね。燕は蘇芳様が訪ねてこられるのが嬉しいみたいで」
「それは嬉しいなあ」
内心で社交辞令……社交辞令だよ……!! と思いつつ、下手に口出しできない。叔母様はおっとりしてるが、怒ると怖いのだ。
私は叔母様に対応を頼み、お茶をとりに厨に向かう。
厨では揚羽がお茶の用意をしてくれていた。
「ありがとう揚羽」
「いいえ。これぐらいは。それにしても……蘇芳様は相も変わらず底の見えないお方ですねぇ」
「そうかな?」
「ええ。心音が一定で、変わらないのですもの」
「……心音?」
「人の心音は、嘘を吐くと速度が速くなりますからね」
「つまり本音で話してるってことじゃないの?」
「そう見えますか?」
「……見えない」
そういうことです。と、揚羽は私にお茶の用意を手渡す。本来なら揚羽たちの仕事ではあるが、揚羽も三葉も蘇芳様に会うのを嫌がるのだ。
元が狐だからか、龍の気配がイヤだという。
でも狐の姿であれば平気らしい。なにがどう違うのか、私にはわからないけれど……でも狐の姿でお茶は運べないし、うっかり人形から狐に戻っても困る。
私は揚羽と別れて応接室に向かう。
部屋の中では上座に蘇芳様を座らせ、右下に叔母様が座っていた。
「お待たせしました」
「ごめんね。手間をかけさせて」
「いえ。これぐらいは別に……」
蘇芳様にそういうと、私は蘇芳様と叔母様にお茶を入れる。そしてお盆を手に、部屋を下がろうとしたら叔母様に呼び止められた。
「燕、貴女にも聞いてほしい話があるの」
「私にも?」
「そう。というか、君の目で見てもらいたい」
「私の目で、ですか……?」
私の目は、あの死にかけた日から―――― ほんの少し先の未来を見通すことがある。
自分のことをハッキリと見たのは、あの一度きりだけど……
それ以外のことは、物に触れると見えるのだ。
ただ、見通すことがある。というように、絶対的に見えるわけじゃない。
「一応、見れるかなーって物も持ってきてる」
「そう、ですか……でも毎回いってますけど」
「うん。絶対に見えるわけじゃない。だろ?」
「はい。そんな都合良く見えるものではないので……」
「承知の上だよ。なんというか、方向性が見えれば良いなあって感じかな」
「なるほど。それならば承知しました」
よくわからないけど、蘇芳様がここまでいうならそれなりの理由があるのだろう。
私はその場に座り直す。すると蘇芳様が懐から、白木拵えの短刀を取りだした。
「……短刀、ですか?」
「どーしても手放してくれなくて、中身だけ入れ替えて預かった」
「中身を?」
「そう。本当は黒漆の拵えでね。とても良い物なのは間違いないんだけど、ちょっとね」
「はあ」
私は白木拵えの短刀を預かり、鞘から刀身を引き抜く。
冷え冷えとする、乱れ刃。触れただけで切れそうだ。しかもこの刀、私を拒絶している。
「どうかな?」
「これは、どこぞの姫君の持ち物ですか?」
「うん。どうやらその姫君に通う男がいるらしくてね。その男が置いていったらしい」
「らしい、とは?」
「家人も気がついたらあったといっていてね。いつからあるのかもわからない。その姫君は貰ったとだけいって、それ以上は語らない」
「なるほど」
好いた相手から貰ったから、手放さないのか? いや、でもこの刀の拒絶感は……
ぐるりと視界が回る。
大きな、獣。
側には一人の女性。
喉元に短刀を当てている。
獣は合図でもするかのように、その尾を振るい地面を叩いた。




