29.鉄線 4
代々の斎宮は表紙の裏側に結界の張り方を載せるのだとか。
叶月の君は「事前にいっておけば良かったですね」と苦笑いを浮かべていたけれど。
しかし結界の張り方がわかったのは一歩前進だ。
母ほどではなくとも、似た結界が張れれば猩猩もでることはないだろう。
今一番問題なのは猩猩が闊歩していることだし。
「結界の張り方は、やはり代々の斎宮で違うのですか?」
「ええ。私の張っていたものよりも細かく、術式が描かれていますね。……本当にこの力が失われたのは惜しいですね」
「私にも、張れるでしょうか?」
「全く同じものを張るのは今の時点では難しいでしょう。それにこれは、青羽の君と帝様だからこそ張れたともいえます」
「つまり私と帝様だとまた別になると?」
「ええ。基本の術式を展開し、その上で帝様と共に練り上げるのです。ですが、この術式を知っているのと知らないのとではまた違います」
だから歴代の結界と、母の結界は違うのか。
それなら母は、この結界をどこで知ったのだろう? 叶月の君から基本を教わり、そこから作り上げたとしても叶月の君の結界とここまで差が出るとは考えづらい。
元となる結界があるはずでは……?
「しかし、主様……青羽の君様は何を見つけたのやら」
「揚羽たちは聞いていないの?」
「妾たちと青羽の君様が契約をしたのは、この地を離れてからですので」
「そっかあ……」
それでは都で何があったかなんてわかりようがない。そもそも母の荷物は、荷物。
「そうだ荷物!」
「どうなされたのです……?」
「荷物。荷物ですよ。叶月の君。母の荷物が、尼寺にあるのです」
「尼寺……桃花鳥様が庵主を務める?」
「そうです。叔母様の元へ行くときに、母の荷物も一緒に持っていきました。家に置いておくと、処分されてしまうから……それでも持ち出せたのは日頃使っていた物だけですけど」
春裳の前は着物とか高価な小物を持ち出すことを良しとしなかった。
それ以外の春裳の前に取っての価値のなさそうな物。硯や筆、日記、本、そういった物は持ち出すことができたのだ。
まあ着物類はどのみち山の中にあるお寺で生活するし、そこまで必要とは思わなかったけど。
本や日記は持ってきていて良かった。
小さい頃は難しくて読むことができず、叔母様に管理をお願いしたのだ。
もしかしたらその中に――――
「それなら、一度取りに戻りましょう。妾たちなら半日もせずに戻ってこられますゆえ」
「そうだね。叔母様が場所を知っているから、お願いしても良いかな」
「承知いたしました」
揚羽は小さく頷くと、スッとその姿を消す。
きっと元の姿に戻って山まで駆けていったのだろう。戻ってくるのは明日。それまでは母のこの手記を叶月の君と読み込まなければ……
そんなことを考えていると、御簾の外から声がかかる。
「雛菊様、暁様が目を覚まされました」
「は、はい!」
「今日はこのぐらいにしておきましょう。暁様も心配ですし……」
「そうですね」
うっかり忘れていたが、暁の具合は大丈夫だろうか。
あの変な黒い塊は、あの北雲の人が切り捨てたけど……そもそもアレは儀来府の術者が仕掛けたモノでよかったのだろうか?
儀来府の術者が仕掛けた術を北雲紫紺と一緒に消してしまった。
アレ、やっぱり大丈夫じゃなくないか??
暁の元へ行く間、私はぐるぐると頭の中で考え込んでしまった。
***
暁は帳台の中でバツが悪そうに顔を覆って項垂れている。
その横ではいつのまに戻られたのか、帝様と蘇芳様が座っていた。
「あの、暁……目が覚めたって……」
「すまん……」
「私は全然大丈夫だったし、暁こそ大丈夫? まだ具合悪い??」
「具合は、平気」
「そっか。よかった」
帝様と蘇芳様が座っているのとは逆側に腰を落ち着ける。帝様は何が起こったのか報告するようにと、私たちに促した。
「水晶府の資料庫に術がかけられていたんです。それに暁が捕らわれてしまって……」
「資料庫に……隠したい何かがある、と考えて良いんですかね?」
「揚羽たちは釣りをしようとしたのではと」
「釣り、ねぇ……しかしそれなら向こうは必要なモノを手に入れていないということだ」
「そう、なりますかね?」
そもそも必要な物が何かすらわからないけれど。
あの部屋にあるのはたくさんの資料。時間をかければ読み進めることはできる。
そもそも水晶府の官吏よりも、儀来府の官吏の方が多いのだ。人海戦術だって使える。
それをしない理由は何だろう?
謎が多すぎてよくわからない。
「あ、そうだ。北雲の……紫紺様に手を貸していただきました。ありがとうございます」
「ああ、役に立ったのなら何よりだ。僕の兄妹の子でね」
「そうなんですね。だから少し、帝様に似ていたんですね」
「おやそうかい?」
ぱらりと帝様は扇を広げる。なんだかちょっと楽しそうだ。
「でも大丈夫でしょうか? 資料庫に術を仕掛けられるのならば、それは儀来府の術者ではないのでしょうか?」
「その可能性は高いな。だがまあ、紫紺はまだ儀来府に入りたてでね」
「つまり、入りたてで迷った。という言い分けが通用するんだよ」
蘇芳様まで扇を広げて笑う。こういうところは親子なのだなと実感してしまった。
見た目は全く似ていないのだけど……性格はよく似ている。
「でも一度起動させてしまったら、もう侵入できないのでは?」
「僕の許可は、儀来府のお偉いさんに会ったときに効果を発揮するが……術自体には発揮しないからなぁ。また同じ術をかけられるとやっかいではある」
「破られてしまったなら、もう仕掛けないのでは?」
「どうかな。そもそもその術がいつからあるのかもわからん」
誰がどんな思惑で仕掛けたのか、それは未だに続いているのか。続いているのなら理由があるはずだ。
それを誰も示すことができない。
「ダメだな。青羽の君を追放するように迫られたあのとき、何としても止めるべきだった」
「……帝様は、どうして止められなかったのですか?」
「まだ帝位に就いたばかりでね。それに僕の代はもう一人、帝の候補がいた」
「もう一人……?」
「僕を産んだのは北雲の花姫だが、もう一人の候補を産んだのは東郷の花姫だった。そして、青羽の君は花姫の候補でもあったんだ」
「えっと……??」
「つまり僕が帝にならずもう一人が帝になっていたら、花姫として入内していたんだよ」
「母は、帝様の花姫にはならなかったのですか?」
「二人は幼馴染みでね。だからかな……僕の花姫になる気はなかったようだ」
どちらも同じ、淡紫の瞳を持っていた。なればどちらが帝になるべきか。
朝廷内は揉めたらしい。
北雲か東郷か。
そも二人の皇子は文武においても差異がなかった。
ただ一つ、二人に差があるとすれば……北雲の皇子は、妃たちを平等に扱い。東郷の皇子はただ一人の妃候補だけを求めた。
「……帝様はその頃には東宮として御所に住まれていたのですよね? それなのに東郷の皇子も妃を?」
「僕の母が皇妃として選ばれていた。そして東郷の皇子は第一側妃。だから順番的には僕が優先された結果だな」
「だから母は候補、だったのですね」
「そうなるな。しかし、東郷の皇子は……順番的には僕の兄だった」
「や、ややこしい……」
暁がぽつりと呟く。
能力に差がなければ、生まれた順番や母親の地位が関係してくるのだそうだ。そもそも、龍の血を引く子供は多い方が良い。
それが後宮が作られた理由なのだから。
「それじゃあ、帝様が子だくさんだから帝様に選ばれたのですか?」
「それもあるが……兄は亡くなったんだ。だから僕に決まった。だから青羽の君は花姫にならずに斎宮の道を選んだんだと思う」
「そうだったんですね……」
母は――――何を思って父の元に嫁いだのだろう。
ふと、そんな疑問が浮かんだ。




