19.椿 4
椿という花は、花ごとポトリと落ちる。
可愛らしい花ではあるが、潔いともとれるので好みが分かれる花だ。
私の視界の先には、赤い花を咲かせた椿の木がある。
あそこにも、椿は植わっていたな。事切れる瞬間、花が落ちたのを覚えている。
ここは正殿――――
その奥にある帝とその子供たちが住む八葉宮。そこにある一室に私は案内されていた。
昔に見た先で何度か訪れたことのある場所。
私は初めて来たのに、懐かしくも感じる。
今の私には来なかった先。いつかの私には、訪れた先。
「お前さんは、あまり椿は好かないと思っていたな」
「え……?」
呟かれた言葉に視線をさまよわせると、入り口に帝様と蘇芳様が立っていた。
私は慌てて頭を下げる。
「ああ、いいよ。堅苦しいのはなしだ。人払いもしてるから問題ない」
「そうそう。あまり気をつかわなくていいんだよ」
「お前さんは気をつかってくれて良いんだぞ? 僕だっていい歳なんだからな」
「へーそうなんですか? 僕に気をつかわれたかったとは……なるほどなるほど。お年寄り扱いしてほしいならしましょうか?」
「いや、年寄り扱いしてほしいわけでもないんだが……」
帝様はわざとらしいため息を吐きながら、上座に座った。そしてそのすぐ側に蘇芳様が座る。
こうして並ぶと、やっぱりどことなく似ているような? 背の高さだけは蘇芳様の方が高いけれど。雰囲気はよく似ている。
「さて、今回はうちの息子どもが迷惑をかけたね。特に蘇芳は命を守ってくれてありがとう」
「いえ。藤の宮様にはいつもお世話になっているので……」
「それでも僕だけでなく、車副の二人も無事に屋敷に帰り着くことができた。本当にありがとう」
帝様と蘇芳様が頭を下げた。私は慌てて頭を上げてほしいと二人に伝える。
「お世話になってる蘇芳様とお屋敷の方々を守るのは当然です! どうか気になさらないでください!!」
「そうはいってもなあ。お前さんのおかげで三人の命が守られた。それは礼を尽くすに値することだよ」
「でも……」
「あのね、主上もこういって……「燕っっ!!」
バサッと御簾が勢いよく跳ねる音。そして次に来たのは、誰かに打つかられた衝撃だった。
急なことに驚いて受け身を取り損ねる。そのまま床に倒れ込む寸前で、蘇芳様が支えてくれた。
「燕……燕……会いたかった……!!」
変な体勢で力の限り抱きしめられるのはだいぶ苦しい。それにジワジワと胸元が熱くなってきた。これは胸元の印が、印を付けた相手と認識しているのだろうか?
ああ、イヤだ。花を咲かせたくない。
この不快な熱をどうにかしたい。
「……っ! 失礼します!!」
聞き覚えのある声。そして私から無理矢理、旭を引き離す腕があった。
離れてようやく、視線が合う。嬉しそうなのに、泣きそうな表情を見せている。
私の――――
ほんの一瞬、思っていたことと別のことが思い浮かんだ。
無意識に襟元を掴む。それに気がついた蘇芳様が、ポンポンと私の背中を優しく叩いた。
預けていた体を起こせば、蘇芳様が気遣ってくれる。
「……大丈夫?」
「……はい」
小さく頷くと、私たちのやり取りを見ていた帝様がパチンと音を立てて扇を閉じた。
「まったく……お前さんはどうしてそう、直情的なんだ?」
「主上、燕は! 俺の花姫です!!」
「花は咲いていない」
「それでも! 燕は俺のだ!!」
「東宮よ。燕は物ではない。意思ある人だ。確かにお前が燕を花姫だと公表すれば、燕は後宮に入らざる得ないだろうがな。だがそれをやることの意味をよーく考えなさい」
帝様の言葉に心臓がドキリと跳ねる。花姫と龍の結びつきは強いと聞く。旭の態度を見る限り、それは本当のことなのだろう。
だけど私は、旭の側にいたいと思えない。
いつかの先で、私は失意のうちに死んだ。あのときも花は咲いてなかったが、帝様に南雲家の一の姫が嫁いだということは知っていたはず。
なら今みたいに、会いに来ることはできたのだ。
理由はわからないけど……旭はできるのに、しなかった。それはその程度の存在だったといわれたようなものだ。
信じることは、できない。
「燕、俺は……」
「私は、花姫にはならない。この花は咲かないし、後宮に入るつもりもない」
「燕!」
「私は斎宮になりたいの。母上と同じ、斎宮に」
「なんで……俺は、ずっと燕を――――!」
「一番初めに、南雲の姫に会いに行ったんでしょう?」
「そ、れは……」
「私がいると思った? 本当に? 旭は東郷で育てられたのでしょう? なら、私がどんな状態だったか知ってたんじゃないの?」
調べればわかること。蘇芳様だって、帝様だって知っている。
私が南雲で虐げられていたことを知っているのだ。
母の出身である東郷が、知らないわけがない。
現に暁は私の身を案じる手紙を送ってきていた。旭はそれすらなかったのだ。
「つ、ばめ……」
「ねえ、東宮。僕はね、二年前から燕と知り合いなんだ。燕が六歳から東郷桃花鳥様が庵主を務める尼寺で暮らしている。最初はね、東郷の子なのかな? って思ったよ。でも調べたら違った。調べればね、燕の状態なんて僕でもすぐわかるんだよ」
「俺は……」
「君は生まれた瞬間に、次の東宮――――ひいては帝になることが決まった。君以上の淡紫の瞳は生まれないだろうってね。でも、だからといって傲慢になってはいけないよ?」
旭はまるで捨てられた子供のように、泣きそうな顔を見せる。
心が、ズキリと痛んだ。
幸せになってほしいと思う。でもその幸せを与えるのは私ではない。
どうしたって旭と私とでは幸せにはなれないのだ。
根底にある不信感が拭えない。相手を信じることもできないのに、花が開くわけない。
「旭。私は、花姫にはならない。だから私を解放してほしい」
「そんなのっ! できるわけないだろ!!」
「旭、今の私はただの燕なの」
「それが、どうしたっていうんだ。燕は燕だろ?」
「南雲の名を持たないのよ」
「俺は気にしない」
「そうでしょうね。でもね、名がないということは背負うものもないのよ。貴方が私を無理矢理、花姫として後宮に入れようとするなら――――死にます」
ヒュッと息をのむ音がした。
「そんなに……俺のことが嫌いなのか?」
「嫌いじゃないよ。興味がないの」
「それでも、俺はお前を手放したくない。やっと、やっと会えたのに……」
「あの日に戻れるなら、花姫の意味を知っていたなら、私は受け入れなかった。あのときの私は、ただ側にいてくれる人が欲しかっただけだよ。それは旭じゃなくても構わないんだ」
幼子の、小さな願い。それが歪んだ形で今まで来てしまった。
ずっと一緒に、なんてどうやったって無理な話なのに。
「燕」
帝様に名を呼ばれ振り向く。帝様は、優しい笑みを浮かべていた。
どちらの私も得られなかった、家族の愛情。瞳から、赤が消える。
「燕、今のままではどう足掻いても平行線だ。それはわかるね?」
「……はい」
「東宮、君も聞きなさい」
「はい……」
「ここで僕から二人に提案をしよう。半年後、斎宮の側仕えの試験があり、さらに半年経つと斎宮になる試験がある。だから一年、燕が斎宮になるまでの間に花が咲かなかったら諦めなさい」
「は?」
「おや、花を咲かせる自信がないか?」
「そんな、でもっ!」
「主上、それは僕も参加しても良いですか?」
「はぁ!?」
思いがけない名乗りに、旭は蘇芳様に掴みかかろうとして暁に羽交い締めにされた。
ジタバタと暴れているが、暁が必死の形相で押さえているせいで抜け出せない。できるならそのままずっと押さえていてほしい……
「お前さん……どっちもいける口だったか?」
「ただ単に、オトナのお付き合いというやつが上手くできるのがそうだっただけですよ。僕はどっちかじゃなきゃダメだなんていった覚えはありません」
「なるほどねぇ」
「ねえ、燕。斎宮は任期がある。任期が終わったら、君はどうするつもりだい?」
「え?」
「斎宮だって普通に結婚できるんだよ」
「わた、しは……先のことは何も……」
「そっか。じゃあ僕のことも考えてくれる? うちの使用人たちも燕なら大歓迎だよ」
そういうと蘇芳様は私の手に赤い飴のようなものを手渡す。
「これ……」
「そう。これを飲むと僕の花姫にもなる」
「蘇芳様の……?」
「もちろん一年の間に、花が開かなかったら僕も諦めるよ。でも僕は燕に斎宮になるな、とはいわない。斎宮のお務めが終わったら一緒になれば良いだけだからね」
赤くて、まあるいソレ。吸い込まれそうな赤に、意識が持っていかれる。
ほんの一瞬、先が見えた。
私は、――――手に持っていた蘇芳様の花姫の証を飲み込んだ。




