13.蓮 3
まずい。非常に不味い。
数年ぶりにあった幼馴染み。
身長はだいぶ伸びているけれど、その顔は昔とそう変わらない。
で、あるならば――――私の顔も大して変わらないだろう。
知り合いに会うことなんて想定していなかった。
そもそも父がいる場所には近づかないようにしているし。南雲の家の者は私の顔を覚えてなんかいないはず。
私が南雲で過ごしたのは六年ほど。
そのほとんどを母の側で過ごしていた。母の側にいたのは東郷から付いてきた侍女たち。母が亡くなったときに解雇され、東郷へと戻っている。
「……燕、お前ここにいる意味分かってるのか?」
「……とりあえず、私は今藤の宮様の縁者としてここで働いている。余計なことはしないで」
「は? どういうことだよ!?」
「あとで説明する。暁よりも今は仕事が優先なの」
そういって手に持っていた書類を軽く手で叩く。
それを見た暁は苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべたが、掴んでいた手を離した。
「本当に説明する気あるんだな?」
「つきまとわれたくないからね」
「……仕事の上がりは?」
「たぶん……夕方以降かな……」
「夕方以降って……どこで働いてるんだ、お前」
「蔵人所。そこで殿上童してる。じゃあ、行くね」
私はそれだけいうと、届け先の部署へと急いだ。
しかし不味いな。暁がいるなら、旭に伝わってしまうかもしれない。私が花姫にならないと知っているけど、それとこれとは別。と、思われたらやっかいだ。
グルグルと考え続けるが、何も浮かばない。
ひとまず正直にここにいる理由を伝えれば……多少は?
「本当にどうするかな……」
蘇芳様に相談するには、蘇芳様が蔵人所にきてくれないと困る。まさか帝の側で仕事をしている蘇芳様に会いに行くわけにはいかない。
いや、本当にどうする?
アレコレ考えていると、届け先の部署に着いた。
中にいる人に声をかけると、顔見知りの一人が「ごくろうさま」といって私の頭を撫でる。
「持っていくものはありますか? 持って行きますが」
「いや、大丈夫。ありがとね」
「いえ。それじゃ、私はこれで」
「あ、ちょっと待って……!」
部屋を出ようとしたら、別の人に声をかけられた。軽く首をかしげると、最近の蘇芳様について聞かれる。
「そのさ、藤の宮様ってお嫁さん貰うのかな?」
「え、なぜです??」
「いや~最近さ、出入りの業者が若い娘用の着物を持って行ったってチラッとね?」
「若い娘用の着物、ですか」
「そう。だって藤の宮様ってアレの噂があるでしょ?」
「ありますねぇ」
「なのに若い娘の着物が必要って……おかしいじゃん?」
「……たぶん、それは……私の妹用だと思います」
あらかじめ用意されていた言葉を伝えた。いくら口止めしたところで、出入りの商人が集めている物から推測する者はいる。それならそれを逆手に取ろうと決めていたのだ。
誰かが好奇心に負けて尋ねてきたら、妹がいると答えれば良いと。
「妹さんかーえっと歳は……?」
「私より二つ下ですね」
「そっかあ……さすがにないか」
「そうですね。兄妹揃って藤の宮様にはお世話になっているので、あまり下世話な噂はご遠慮願います」
「ん、すまん。いや、でもさ……気になるじゃん?」
「そんなに気になりますか?」
「そりゃ~今、都で一番の婿候補だからね。お役目さえ果たしてくれれば構わないって家はいくらでもあるよ。あの見目だし」
「なる、ほど……?」
まあ見た目は確かに良いものな。あれだけの美丈夫なら男女問わず引く手あまたか。
「東宮様にはもう花姫が入内しているからね。そしたら年頃で独身の親王様はお一人だけだから」
「そういえば、そうですね」
「兄君方はすでに妻を娶られているし、弟君方はまだまだ小さい」
「それで、誰が妻になるか? と噂しているんですね」
「そういうこと。ほら、娯楽に飢えてるからさ」
勝手に娯楽にしないでほしい。ものすごーく蔵人所は忙しいのに。むしろ相手を探している暇なんてあるのだろうか?
あんなに忙しくてよくうちの尼寺まで来ていたなと不思議でしょうがない。
「まあ、なんだ……もしそういう話があったらチラーッと教えてくれると嬉しいなって」
「それは……私の信用問題になるので」
「それはそうなんだけど……」
「それに藤の宮様は、忙しすぎてお相手を探している暇なんてないと思います」
にこりと笑って告げると、私は「それじゃあ失礼します!」と大きな声でいって立ち去った。これ以上この部署にいると、根掘り葉掘り聞かれそうだし。
頭弁様にチラッと話しておいたら良いかな?
ここで足止めされるの時間の無駄だもの。
はあ、と小さくため息を吐く。
誰それに嫁ぐとか、婿入りするとか、そんな話が宮中ではすぐ噂になる。もちろん花姫の噂だって漏れ聞こえてきたりね。
旭が不用意に南雲の姫が入内した宮へ行き、その後どの宮にも訪れていないという話ももちろん聞いていた。
もっとも、これは意図的に流されている可能性もあるが。
どこの家も、自分の家の娘が男御子をお産みあそばされることを祈っている。その瞳の色が淡い紫ならいうことはない。
権力欲とは恐ろしいモノだ。
そんなことを考えていると、グイッとまた腕を引かれる。
「暁……?」
さっき別れたばかりなのに、まだ留まっていたのか!? 後ろを振り向こうとすると、大きな手が私の口元を覆った。
暁ではない。背が伸びたとはいえ、暁とはまだ目線が合う。私の背中には、相手の胸が当たっていた。つまり暁よりも背が高い。
下手に騒ぐと蘇芳様に迷惑がかかる。
しかしこの状況をどう切り抜けるべきか?
背中にいる相手は、私を物陰へと連れ込んだ。アレかな。蘇芳様の縁者だから、愛人と思われてたりとか? アレで蘇芳様も恨まれてたりするのだ。仕事のできる人だから。
当てつけに私を襲おうとしてるとか……??
何かあったら、急所を蹴り上げなさい。そう教えてくれたのは葛城様だ。
振り返った瞬間を逃さず、今は大人しく――――
「頼むから、急所を蹴り上げたりしないでおくれよ?」
「え?」
「お前さんが来ないから、一体何処にいるのかと思っていたら蘇芳のところだったんだね」
その声に、聞き覚えがある。
「声を上げないと、約束できるかい?」
私は小さく頷いた。そして、口元を覆っていた大きな手が離れる。
少し体を離し、相手を見上げた。
「……みかど、さま……?」
「そうだよ。可愛い僕の娘」
「ど、う……して?」
「アレはいつかの世界でお前さんに実際に起こった出来事だ」
「え?」
「まあ、僕も詳しくはないのだけどね。ただお前さんが夢見ていたあいだ、僕も同じように見ていたのさ」
「そんなことが……?」
「花姫の印を持っていながら、僕に嫁いだせいかな。縁ができたのだろうね」
そういって帝は私の胸元をとんと指で突く。
「縁?」
「そう。縁だ」
「私は、帝様にご迷惑をかけただけなのに」
帝が何をいいたいのか、私にはよくわからない。わからないが、あの先を知っている。それだけで涙が溢れてきた。
「ああ……泣かせるつもりはなかったのだがね」
「すみません。なんでか溢れてきて……」
「きっと、お前さんも同じように僕に嫁がされてくるんじゃないかと思っていた。だが南雲から来た妃が亡くなった後もそんな話はでなくてね」
「……そのときには、私は叔母の尼寺にいたので」
「なるほど。夢を見て、家を飛び出したか」
「はい。死にたくは、なかったので」
「そうだな。あの僕よりは、今の僕の方がもっとマシな行動がとれるだろうけど……後宮の争いに巻き込まれるのだけは避けられんからな」
「皆等しく手を付けられるからですよ」
「それが最良と若い頃は思っていたのさ」
帝はそういって苦笑いを浮かべた。
その表情を懐かしく思う。
もしも本当に帝のいうとおりに、寒い冬の日に死んだ私がいるのだとしたら――――
私が一人寂しく逝かずにすんだのは、帝様のおかげなのだ。




