11.蓮 1
ぽん、ぽん、と何かが弾ける音がする。
それは水の中から、こちらに呼びかけるように音がする。
まだ日が白み始めたころ。
庭にある池から、ぽん、ぽんと音がしていることに気がついた。
ふっと意識が浮上し、見知らぬ天井に心臓が跳ねる。
「……やっぱり慣れないな」
今私がいるのは、山の中腹にある尼寺ではない。
都の中心部にほどちかい、大きなお屋敷にいるのだ。そう。蘇芳様のお屋敷に。
蘇芳様のお屋敷は何度か訪れているが、住むとなると話は別。
気の良い侍女たちは私を着せ替え人形扱いするのだから。
まあ男色家の噂が流れている主人が、子供とはいえ女子を連れてくれば盛り上がりもするのかもしれない……
とはいえ、普段は水干姿でうろつくことは変わりないけど。
何せ今の私は、蘇芳様――――西郷家縁の者として宮中で働いているのだ。
理由は、都に猩猩が出たから。
猩猩とは猿のような姿の妖。人の言葉を操り、人を惑わすモノ。
その猩猩が例のお屋敷に現れた。
葛城様の助言通り、陰陽領から術者を派遣して貰い警護も増やしていたおかげで難を逃れたらしいけど。
だけど問題だったのはその後。どこからか、妖に魅入られたお姫様と噂が流れた。
上位貴族の、それも年頃の娘にそんな噂が立てば入内どころではない。
新しく警備に雇った者か、それとも元々噂好きな者が中にいたのか……
彼女は母親の実家に静養という形で、中央から離れることになった。
ひとつだけ、喜ぶことがあるとすれば猩猩が祓われてから彼女が短刀に興味をなくしたこと。急に、本当に急に見向きもしなくなったそうだ。
封じが効いているのか、それとも猩猩が祓われたからか。
あるいはその両方か。
見た先のように、首を落として死ぬことは避けられたと思う。
なにせ首を落とす短刀は陰陽領が預かっているのだから。
「命には代えられないからね」
「そうですね。それに入内するのが幸せとも限りませんし」
「あのね、一応……年頃の娘さんたちは高位貴族ほど入内を目指してるんだよ?」
「それはそれは……大変ですねぇ」
「まあそうなんだけど」
興味ない、とわざとらしくため息を吐いた。
蘇芳様は苦笑いを浮かべ、あんまり毛嫌いしないでほしいという。
「毛嫌いというか、価値観の見解と相違です」
「好きな相手がいれば、確かに入内は親のエゴだものね」
「入内したところで必ず幸せになれるわけじゃないですからね。下手に寵愛を受ければ、上の人たちの機嫌を損ねますし」
「平等に手を出してもそれは起こるからねぇ」
「一夫一婦制も難しいでしょうしね」
「そうだね」
もちろん花姫を正しく作れば、一夫一婦制はできる。
だが、その相手は必ずしも高位貴族ではない。もしかしたら下位の貴族かもしれないのだ。
だが国を統べる帝を支える立場の妃が教養のない者では困る。自由恋愛はそれなりに問題も孕んでいるのだ。
それならば、相応の立場の家から娘を後宮に入れた方が良い。
そしてその中から、本来の花姫ができればさらに良い。といったところだろう。
「ところでね、燕にお願いがあるんだ」
「私にお願いですか?」
蘇芳様の言葉に少し身構えてしまう。正直、蘇芳様はやっかい事を持ってきすぎだ。
私は別に特別な才があるわけではない。それなのに蘇芳様は何かと話を持ってくる。
「えーっとそこまで警戒しなくても大丈夫だよ。ほら、アレ! 斎宮に関することだから」
「斎宮の?」
「僕の従姉妹が斎宮の候補に手を上げている、といったろ?」
「そうですね。あれ、でも……花姫も出してましたよね?」
「うん。その子たちはね双子なんだ。双子の妹が入内して、姉が斎宮に手を上げてる」
「そうですか」
「でね、その姉の方が……近々、都に何か起こりそうって」
「何かとは?」
「そこがわかれば苦労しないんだけどね。満月は昔から気まぐれなところがあるから、その影響なのかふわっとしてるんだよね。内容が」
どうやら西郷の斎宮候補は託宣ができるらしい。
ただその託宣はふわっとしていて、抽象的なんだそうだ。ただ何かが起こるというのであれば、何かが起こるのだろう。そう西郷では判断した。
「つまり、この間の猩猩がそれだと?」
「僕は違うと思うんだよね。猩猩だったら獣の臭いがする、ぐらいはいいそうだから」
「鵺も……獣ですよね?」
「そうだね。だからよくわからないんだ」
「そのよくわからないものに、私を巻き込もうと?」
「でもよくわからないけど、何か起こりそう。ってわかってれば燕も何か見るかもだろ?」
「そんな都合よく見えませんよ」
自分で見たいものが見られるわけではない。
断ろうとしたら、蘇芳様が「斎宮に推薦するといっても?」といいだした。
斎宮になるには、ある程度の家格から推薦がいる。今の私は南雲から名前を消されていた。
だから東郷の姓を持つ叔母様にお願いするつもりだが……蘇芳様からの推薦があればさらに強力な後ろ盾になる。
「……それ、ずるくないですか?」
「これは僕の勘なんだけどね、燕にはこっちにいて貰った方が良いと思うんだ」
「蘇芳様の思うような役に立つとは思えませんが」
「それはそれ。猩猩の件が落ち着くまでで良いんだ。聞いてるだろうけど、あの屋敷以外にも猩猩があらわれているからね」
「それは……でも猩猩を倒したりとかできませんよ?」
「それでも結界は張れるだろ?」
「まあ、そのぐらいは。斎宮になるための必須科目ですし」
ぐらぐらと天秤が揺れた。
このまま蘇芳様の元にいけば、確実にやっかい事に巻き込まれる。それにこの感じだと、蘇芳様のお屋敷にお世話になるということ。
さすがに毎日山からここまで往復するわけにはいかないし……
でもそうなると揚羽と三葉と離れることになる。今の私の能力がどの程度なのか、誰かと比べたことはないし……叔母様も特に何もいわない。揚羽たちはいわずもがな。
いるだけで良いとはいうけれど、本当にいるだけで済むはずもない。
「ね、燕。たまにはこっちで暮らすのも悪くないと思うよ? それに斎宮になったときの作法、桃花鳥様だけでなくうちでも見られるし」
他の人からも見て貰った方がいいんじゃない? そう蘇芳様は揺さぶりをかけてくる。
それ以外にも陰陽領に懇意にしてる術者がいるから、勉強を見て貰えるよ? 三食おやつ付きだよ。と……
「あのですね、いくら私も小さな子供じゃないんですからおやつに釣られたりしませんよ」
「でも術者に勉強を見て貰うのは嬉しいでしょう? なんなら鶸くんに刀の使い方を教えて貰うとかね。あ、体術も得意だよ?」
「そ、れは……心引かれますが……!!」
「本当に、猩猩の件が落ち着くまでで良いんだ」
「本当に……猩猩の件が落ち着くまでで良いんですね?」
「いいよ。何なら一筆書くよ。そして桃花鳥様に預けると良い」
「……あと、狐をこちらに連れてきても? 大人しいので」
「狐……? ああ、たまにいるよね。お寺の周りに」
蘇芳様は問題ないよと返事をした。その狐、荼枳尼天様に仕えていたんですけどね。
そう内心で思いつつ、余計なことは口にしない。
「あ、そうだ。一応、燕は南雲の家に名前がないだろ?」
「そうですね」
「だから僕の縁者ってことで、宮中に連れて行くからね」
「は?」
宮中、といわれ私は目を瞬かせた。
なぜそんなところに?
「そりゃあ、この国で一番守らなければいけないお方がいる場所だからね」
「それは、そうでしょうけど……」
「もしも帝に何かあったとして、スパッと結界を張って守れたらかっこよくない?」
「いや、陰陽領の術者たちがいるでしょうよ」
「必ずしも彼らが素早く動けるとは限らないからね。僕の部署のお手伝い、ってことで宮中をうろついてほしいんだ」
「それ……本当に大丈夫です?」
「大丈夫。帝から許可を貰うし」
あっけらかんという蘇芳様に、こっちが心配になる。
しかし蘇芳様の行動力というか……気がつけば、私は蘇芳様の縁者として宮中で殿上童をすることになってしまった。




