同性愛者たちとのウン十年戦争
ホモをどう思いますか?
私は大嫌いです。
ボーイズラブなんて、二次元ファンタジー世界の綺麗ごとです。
現実世界でホモに遭遇した時、アンチホモの私がどう振る舞ってきたか
ホモの本性をここに記することで、綺麗ごとであることを認識して頂きたいと思います。
私が生まれた家庭は決して恵まれた環境ではなかった。
記憶に残っている我が家の状態は
雨が降ると床下浸水になるのが常だった。
一人っ子の私にとって土間が水に浸っている
その状態を極当たり前の事として受け入れていた。
当時我が家には月に一度程...だったろうか
特別な行事が執り行われていた。それは
一家揃って近くの宿屋に一泊するというものだった。
後に母から聞いたのだがそれはバルサンをたいて
ダニや蚤を一掃するためのものだったそうだ。
記憶はそれから数年飛び
私は幼稚園児になっていた。
住まいも新しい場所へと転居していた。
二つか、そう多分二つ幼稚園に通った記憶がある。
初めに通った幼稚園についての記憶は殆ど残ってない。
次に通った幼稚園 いや 保育園だったか
そこの先生がとにかく怖かった。
言う事を聞かない園児に対しては問答無用に体罰を行っていた。
先生のビンタを喰らって吹き飛んだ園児も少なくは無かった。
幸いにも私がビンタを喰らうことは無かったが。
そんな当時、私の住んでいた家は三家屋がくっついている
変形した長屋のようなものでお隣は駄菓子屋を営んでいた。
店主と言うか屋主は女性で彼女には私と同年代の娘が一人居た
そんな一家だった。
その駄菓子屋には当時 私が欲しくて欲しくて仕方がなかった
ラムネが入っているサンダーバードの玩具があった。
私は善悪の見境もないままその玩具に手を出した。
保育園児がやらかす万引きである。当然見つかる。店主の女性はその場では何も言わず
後に我が家にやってきて事の顛末を私の母親に言って聞かせた。
我が子が他人様の物を盗んだ 当時の母にしてみれば
とても受け入れがたい事件だったであろう。
店主と母、その間でどんな話がなされたのか 今となっては知る由もないが
件の店主が別れ際に 「欲しかったの?」 と 私に言った一言が
その何とも言えない憂いに満ちた表情が私への咎めのように感じられた。
いや そうではない 事が大げさにならず収まったことを悟って安堵したのだ。
私は決して善人ではない
自分が持っていないものを他人が持っていると欲しくなる。
私が小学校に入学するタイミングで
両親の仕事の都合の為、母親の実家がある場所に我が家は引っ越してきた。
入学して間もなく、友達が出来た。
ある日友は自宅の自室に私を招いた。
案内されたその一室に机が有った。
極あたりまえの勉強机だったがその隅に置かれた
プラスチック製の小皿に百円玉が2枚置かれていた。
友が話すには、お小遣いを貯めた成果なのだとか
友が自室を離れた時、私はのその二百円に釘付けになり
次の瞬間その二百円を手に握りしめ友の家から逃げ出していた。
そう遠くない家である。自宅から友の家が見えてとれる
そんな距離での話である。
多分消えた二百円と突然姿を消した私の事を
友は両親に話したのだろう。二百円を泥棒した私は
両親から酷く折檻され、以後 友は友ではなくなった。
学校での私は泥棒扱い まぁ 実際泥棒なのだが
その「元」友の一家は、私が小学校二年生の時に引っ越して行った
後に聞いた話だが、「元」友の両親が引っ越しを
決めたのは どうやら私のような者と
同じ学校に我が子を通わせるのは問題だと考えたかららしい。
私が通学していた小学校は田舎に在る事もあってか
学級が一つしかない。小学一年~小学六年まで
ずっと同じメンバー。違うと言ったら担任の先生が違うくらい
そんな日常が六年間続いた。
小学生だった六年間、何かあったかと言えば
それはあるにはあったが粒立てて言う程の事は無かった。
ただ、唯一「元」友から二百円をかっぱらった事を除いて。
両親は商売を営んでいた。婦人用ニット製品の特殊加工である。
父は子煩悩で優しい人だった。
幼い私をリヤカーに乗せて
取引先と自宅を往復していた。
中学に進学した私は
一年生の夏前に交通事故に遭った
右手を骨折してしまい、当時通学に使用していた
自転車を使う事が出来ず、父親が車で送り迎えしてくれた。
父親と言うものは一家の大黒柱、頼りになる存在。
悪いことをすれば怒られはするが、総じて安心できる家族
のはずだ。そうあって欲しかった。だが
中学一年になって数か月経った頃
父親の視線を自分の股間に感じるようになった。
じっと私の股間を見つめる父親の視線が常に有った。
小学生の頃だったら気にもしなかったであろうが
性に目覚め始めていた私にとって
股間に注がれる父親の眼差しが何を意味しているのか
理解すると同時にとにかく戸惑った
血の繋がった実の父親が実の息子の股間を見つめている。
私の入浴中は常に浴室の外に父の姿があった。
骨折していた右手が良くなってきた頃
ダイニングで父は私の右腕を取り患部を摩った。
一見すると息子の病状を心配する父親のごく当たり前の
一場面であるが、私はその時父の異常に気付いていた
患部を気遣うふりをして私の右手を摩りながら
鼻息は荒くなり、興奮している実の父親の鼓動が
肌を通して感じられた。
私はとっさに握られた手を振り払い、黙って食事を続けた。
以後、私はダイニングで食事をとることを止めた。
同じ家に住む同性愛者である父親からどう距離を取り
逃げるか。私の家での日常はこの事に腐心することとなる。
私が寝ている間に私の部屋に入られないように
ガムテープで入口を塞いだこともあった。
当時私の住んでいた家は安普請でただ広いだけが取り柄の
ボロ屋だった。部屋の音も筒抜けで両親がどんな話をしているのか
自分の部屋にまで聞こえてきた。
思春期に差し掛かっていた私は いや 思春期の男子ならば当時大体そうだと思うが
ある夜こっそりと自室のテレビで
イレブンPMを見ていた。勿論音が外に洩れないように
イヤホンを使いながら。
CM前のショットに今で言うグラドルがアップで映されたとき
両親の部屋から父親の声で
「○雄に似てるな」と言っているのが聞こえた。私の名前である。
途端に母親が「何 バカな事いっているの!」と
父を咎める声が重なって聞こえてきた。
こまかな事を論えれば切は無いが、この様な毎日を
送っていると、私の我慢も限界に達することがある。
そんな時は感情に任せて父親を怒鳴りつけたりもした。
いい加減にしてくれと、誰に対して何をしようとしているのかと。
その瞬間、父は人が変わったように激高し
私に暴力を振るってきた。
殺されるかもしれない、そう思えるほどの暴力だった。
数日後、意を決した私は母親にこれまでの事を
全て話してみた。母親ならば分かってくれるかもしれない
自分の味方になってくれるかもしれない。そんな思い一心で。
だが、私の告白を聞いた母親はただただ困惑し
空ろな目をし口を開いて出た言葉は「何をバカなことを言っているの!
もう二度とそんな事言わないで!」であった。
「お前が反抗期なのは分かっている。がもう少し我慢してくれないか」
とも言われた。「反抗期?何を言っているんだこの人は」
母親への直訴も受け入れてもらえず
父に抵抗すれば、暴力を振るわれる。
もう我慢するしかない。私は世間一般が送っているであろう
家族のだんらんと言うものを諦めた。
どれほど嫌気が付きまとう日常であったか
実の父親から性的対象として見つめられる実の息子。
中学校に通学していた三年間、自宅にいるより
とにかく学校にいる方が気が休まった。
友達も出来たし、初恋も経験した。残念ながら初恋は実らなかったが。
中学三年になり、相変わらずキツイ日常は続いていたが
受験勉強は頑張れた。勉強を頑張る事で嫌な父親の存在を
一瞬でも忘れることができたから。
しかし、心許せるはずだった学校でさえもそうではなくなる事になる。
中学三年の時クラス替えでクラスメイトになった男子が
私に妙な接近をするようになった。妙とは必ず私の隣に座り
私の腿に手を置き耳元に息を吹きかけてくる といった妙である。
父親の件もあったので、直ぐにこの男子も同性愛者なのだと
直感した。
私の通学していた中学では毎週土曜日給食は出ない為
弁当持参となっていた。
私は当時珍しいランチジャーを弁当として持って行っていた
するとその男子もすぐにランチジャーを弁当として
持ってくるようになった。
私はランチジャーを持っていくのを止めた。
男子は隙あらば私の股間をまさぐろうとしたり、私の家まで後を付けてきたりもした。
今で言うストーカーである。
高校に進学した私はそれまでの自転車通学からバス通学に変わった。
始発駅から近くにバス停があったので乗車時はいつも空いていた。
私はいつもバスの一番後ろの左隅に座ってボーっと外を眺めていた。
すると、あるバス停から乗車してくるオヤジが妙な態度を取るようになった。
指パッチンをしながら私の方を見たり、咳払いをしながら私の席に近づいて来たり。
あぁ またか と 私は頭を抱えた。
そんな同性愛者の一人に私と同じ高校生がいた。通っている高校は
何処も行く高校が無い程頭の悪い連中が通う、所謂バカ男子高校である。
彼はとにかく積極的にバスの乗車中私にアピールしてきた
ある日、意を決したの如く一輪の花と何やら紙包みを私の傍らに置いて
そそくさと立ち去って行った。
それが私に対して用意した物であることは容易に想像できたが
私はこれまでの同性愛者同様完全無視をした。
数日経って、バスターミナルのバーガーショップで買い食いをしバスを待っていると
件の男子高校生が連れ数人を連れて私の近くに現れた いや 現れたと言うより
私の後を付けてきていたのだ。
私の一挙手一投足を連れと共に見つめ、わたしがチョットした粗相を
する度に「あ~ぁ なにやってんだよぉ」と聞こえよがしに嫌味を言ってくる。
同性愛者のオヤジ達に対しては、乗るバスの時間をずらすことでやり過ごせるが
高校生となると、帰るバスが同じであることもありターミナルで待ち伏せされ
嫌がらせを受ける。
自宅には同性愛者の実の父親がおり、学校に行こうとすれば通学バスに
同性愛者が乗ってきてはチョッカイを出してくる。
中学同様、私の安住の地はまたしても学校となる。
人が嫌になった。
人の視線が嫌になっていた。
高校卒業後、進学するでもなく就職するでもなく
ただ自宅に、自室に引きこもった。
もう人に会わなくて済む。父親さえなんとかすれば
家に居る限りもう同性愛者に会わなくて済む。
当時の私は肥満児だった。
食べる事と眠る事。それしか楽しみはなかった。
そんな時、ボクシング漫画の「がんばれ元気」を
読む機会があった。
たまたま手にした巻の中で、主人公の元気が
後援者の招待を受け食事会に出席するシーンがあった。
元気はにこやかに談笑しながら食事をとり
「ちょっとトイレへ」と言って退席しトイレに行き
会食で食べたものを指を突っ込み無理やり吐いている場面があった
それを見た私は「あ これ 真似してみよう」と思う。
以後、私は食べたものをトイレで吐くを繰り返すようになり
百五キロあった体重はみるみる減っていった
何もやる気が出ない、誰とも関わりたくない。
そんな当時の自分にとって「体重が減る」と言う事は
これまで経験したことの無い事件だった。
以後、ひたすら食べては吐くを繰り返し百五キロあった体重は
六十キロを切るまでに減っていた。
ある日、入浴後脱衣所の鏡に映った自分の上半身を見た私はその異様さに愕然とする。
肋骨がくっきり浮き上がり、心臓の動きが皮膚の上からも分かるほどに
痩せ細っていた。
確か、私が二十歳の頃である。
デブ専と言う言葉があるが
どうやら同性愛者にもそれはあるようで
それまで執拗にまとわりついていた父親の異常な視線は
減量し細身になった私から離れていった。が
それでも私の中に生まれた父親への憎悪が消える事は無かった。
両親が営んでいたニット縫製業は傾いていた
借金に借金を重ね
返済のために借り入れをする。
まさに自転車操業状態だった。
私と言えば、未だ食べては吐くを繰り返していた。
進学もせず働きに出る事もないわが子が家に居る事は
人一倍世間体を気にする母親にとって頭の痛い事であったのだろう
私に家業を手伝うようにと言ってきた。
傾きかけている家業を手伝っても と思いはしたが
だからと言って外に働きに出るとまた同性愛者が
現れるかもしれない。
仕方なく私は家業を手伝うことにした。
帳簿上を専従者給与として毎月十五万円が私に支払われていることになっていたが
実際は一円も支給されることは無く、食費と光熱費がかからない住み込みの
丁稚のような扱いだった。
毎日の小遣いにも事欠き、穴の開いた靴下を履き続けタバコも満足に買えない。
そんな生活がおよそ8年続いた。
好きな音楽のCDも買えない、そもそもCDプレイヤーが無い
靴下は全て穴が開いていて新品の靴下を買う事も出来ない。
流石にこの生活に耐えかねた私は、外へ働きに出る決心をした。
新聞に入ってくる折込チラシの求人欄に早朝五時~八時までの三時間
時給千円の求人が目に留まった。ある食品メーカーの求人だった。
私は独断で面接を受け、無事採用となる。
勤めはアルバイトで早朝の三時間だけ
帰宅後は家業の手伝いを続けていた。
私はアルバイトを一日も休まずに続けた
初めて手にした給料は十万弱。当時の私にすれば信じられない大金であった。
この時点で私は二十九歳になっていた。
食べては吐くと言った悪習慣もいつの間にか無くなっていた。
毎日休まず勤務を続ける姿が現場を仕切る課長の目に留まり
正社員になってみないか?と誘いを受けた。
給料は私だったら三十万弱、ボーナスも年五ヶ月以上は出ると言う。
両親に正社員として働きに出る事、フルタイムで働くので
もう家業の手伝いは出来ないことを告げた。
以後、何度か転職を繰り返すが一度も同性愛者に遭遇することは無かった。
やはり、太った自分が同性愛者の目に留まったのだろう
そう思っていた。
正社員として勤務できたのは私が四十歳になる手前までの
短い間だった。最初に勤めた食品メーカーでは慣れない人間関係に
苦労し、退職した。他人の間に入り仕事をすることに慣れていなかった私には
大勢の他人と仕事をするにはやはり辛いものがあった。
二十二~三歳の頃に通信で宅建の勉強をし資格を取得していた。
それを頼りに賃貸不動産の仲介営業へと転職した。
職場は近所ではなく電車で一時間半かかる距離にあった。
前職と違い、職場の同僚との関係も良好
色々なお客様との出会いも新鮮で、思いもよらぬ事件が起こり
毎日がお祭り騒ぎのような、そんな職場だった。
難を言えば店長の人格に問題があり、どう向き合ったらいいのか
とにかく難しい人だった。仕事にも収入にも不満は無かったが
やはり電車で片道一時間半かかるところがネックとなってしまい
帰宅できない日が月の半分はあった。
徐々に疲労が体に蓄積して行き体が思うように動かなくなってしまった。
楽しい職場ではあったが止むを得ず退職した。
この時点で私は四十歳になろうとしていた。
年齢的にも経歴的にも直ぐに次の仕事を見つけることは難しく
仕事探しに苦労している時にある求人が目に留まった。
大手飲料メーカーでの勤務で年齢経験は不問とのことだったので
直ぐに面接を受けた。これが派遣労働者として働き始めるきっかけになる。
飲料メーカーでの仕事は決まらなかったが、それとは別に
半導体研究機関での物流の仕事を紹介されそこへ勤務することになる。
仕事の内容は研究用半導体のロット管理と梱包出荷業務。
一日の内実質働いている時間は二~三時間程度で
後はデスクに座ってパソコンをいじるだけ。
退屈ではあったがとにかく楽だった。この派遣の仕事を私は五年勤めた
退職したのは私の都合ではない。あくまで派遣先の都合だった。
派遣労働者がどういう身分なのか四十六を過ぎていた私は
改めて思い知らされることとなる。
流石に四十六を過ぎていては派遣と言えど直ぐに次の仕事は見つからず
一年程度無職となる。
やっと見つかった物流の仕事先で
ヤツが現れる。
新しく就業した派遣先の仕事はある給湯器メーカーの敷地を一部借りて
手のひらサイズの部品をピッキングし梱包発送する仕事だった。
ある日、休憩時間に喫煙所で一服していると
右後ろから足音が聞こえてきた。
喫煙所は屋外にあり、その時喫煙所には
私以外いなかった。足音は私の右側を通過し
私の目前で止まった。
雨除屋根の支柱を片手で握りくるりと一回りして
その男は私をじっと見つめていた。
その瞬間悟った。私の頭の中で二十数年間忘れていたあの嫌悪すべき
存在が、同性愛者という忌むべき存在が又しても目の前に現れたのだ。
男は見た目二十代の青年であった。青年は数分私を見つめると手前のベンチに後ろ向きで座り
そして徐々に 徐々に振り向き始めた。
このまま待っていたら目が合ってしまう。
青年が振り向き終わるか否かのタイミングで私は急いで喫煙所を後にした。
それから一年私はその職場に勤務したがその間
青年の異常行動は常に私を苦しめた。
休憩時間の度にその青年は私を待ち続け、私が青年を避けるように
全然違う位置のベンチに腰を下ろして煙草に火を付けると
青年は私の座っているベンチの端に座り、にじり寄ってきた。
当時私は車を持っておらず、自転車で通勤していたが
その青年も自転車通勤であった。
帰宅途中、青年の自転車が止まっているのを見かけた
が、本人の姿は無い。
そんな事が何度か繰り返された後
青年は自転車に乗りぐるぐる道を回りながら
私が来るのを待つようになっていた。
私が敷地を歩いていると、いつの間にやら青年が私の後をついて歩き
「バンバンバン」と何やら紙の束のようなものを叩き鳴らしたり
青年の異常行動は上げれば枚挙にいとまがないが
とにかく私は無視を続けた。
派遣労働者にはコーディネーターと呼ばれる人が付いていて
様々な手続きの代行や仕事の相談に乗ってくれたりする。
私は担当のコーディネーターにこの件を話し、改善できないものか相談した。
コーディネーターは話を聞いた後
「女性が職場でセクハラを受けたと言うケースは過去にあったが
こういった相談は前例もなく 何とも難しい」と言われた。
私が勤めている物流の事業所は前述したようにある給湯器メーカーの敷地を借りて営業している。
青年はその給湯器メーカーの社員なのだ
コーディネーターとしても、どう対処していいのか分からなかったのであろう。
職場の同僚にも相談してみたが「たしかにモーホーは嫌だなぁ」
とか「嫌なヤツだな」と同情はしてくれるもののそれ以上どうにかなる筈もなく。
その職場に勤務していた間、益々エスカレートする青年の異常行動を
とにかく無視し続け逃げ続けた。そして一年が経過した頃
間借りしていた職場の都合で事業所が移転する事となった。
新しく決まった事業所の移転先は
自転車では到底通勤が出来ない程遠方にあり
事業所の移転と同時に私はその事業所との契約を解除となった。
移転計画は事前に伝えられていたので、私は次の仕事先を確保していた。
一年の間、同性愛者の青年に付きまとわれたが
これでやっと縁を切る事が出来る。そう思っていた。
新しく勤務することになった職場は
自宅から十キロ近く離れてはいたが
電動アシスト自転車を購入した私には
大した距離ではなかった。
日勤と夜勤の交代勤務で時給も前職より良い。
勤務先へ向かう途中、ちょうど中間地点あたりに
コンビニがあった。私はそこに立ち寄りエナジードリンクを一本買い
職場に向かうことが習慣になっていた。
その日もいつものようにコンビニに寄りエナジードリンクを手に取り
会計を済ませ店を出ようとしたその時、後ろから妙な調子の口笛が聞こえてきた
何だろうと思い振り返ると、そこに例の青年がニタニタしながら立っていた。
何だ?なんでヤツがこんなところにいるんだ?
新しい職場は前の職場とは正反対の方向にあり、距離もかなりある
第一ヤツは給湯器メーカーで仕事をしているはずだ
なのになぜヤツがこんなところにいるんだ?
そう、青年は同性愛者のストーカーとなっていたのだ。
流石に新しい職場の敷地に入り込むことは出来ない様だったが
職場への道中での待ち伏せ等は当たり前となっていた。
自分の仕事はどうしているのか?なぜ私の勤務シフトを知っているのか?
疑問は多々あったが、日勤であろうと夜勤明けであろうとお構いなしに
青年のストーカー行為は続いた。
夜勤明け夜中に自転車で帰宅するときなどは何があるかわからず
とにかく怖かった。が、行き帰りの待ち伏せ以上の事を
青年はしてこなかった。
約半年ほどその職場に勤めた後、より良い条件の職場に私は転職した。
勤務開始から数日、私は用心した。またヤツが現れるのではないか?と
だが数週間が経ってもヤツが姿を現すことは無く
私の記憶からもヤツの姿が消えかかっていた。そんなある日
通勤途中、脇道の前を通り過ぎたその瞬間、その脇道に
自転車にまたがったままジッと私を見つめるヤツの姿が
目に入った。一瞬だったが間違いない、横目で見ただけだが確かにヤツだった。
まだ諦めないのか、なんてしつこいヤツなんだ。
だが、ヤツの姿を目にしたのはその時だけだった。
行き帰りに待ち伏せされることもなく、数か月が過ぎた。
経済的に余裕が出来た私はローンを組んで中古車を購入した。
車通勤を初めて二ヶ月ほど経った頃か
私が仕事を終え駐車場に向かって歩いていると
自転車置き場とは正反対の方向から数人が自転車に乗り
やけに燥ぎながら正門から出て行った。
別に気に留めるほどの事でもなかったのだが
そんな事があった日から、それまで静かだった昼休みに
遠くで騒いでいる男達の声が聞こえてくるようになった。
一緒に昼食をとっていた人が「なんか最近騒がしいなぁ」と言っていた。
当時私は派遣労働者から抜け出すべく就活をしていたのだが
その一社から面接をする旨の連絡を受けた。
休みをもらって面接を受けた数日後、採用の連絡が入ってきた。
距離は相当あったが、当時五十歳を超えていた自分としては
これが最後のチャンスかもしれないと思いその会社への就職を決めた。
現場の職長と派遣会社の担当者にこの事を話し
二週間待って退職する事が決まった。
二週間たった最後の日、私は屋外で作業をしていた
すると後方から「○○ちゃん」と私の名前を呼ぶ声が聞こえた。男性の声だ。
職場ではみんな私の事を苗字にさん付けで呼ぶ。
下の名前を呼ばれたことなど一度もない。
「○~○ちゃん」今度は間延びしたいい方でまた私の下の名前を呼んできた。
誰だ?と思い振り返ると同じ職場のヘルメットをかぶったヤツと
ヤツの仲間と思われる数人が立っていた。
振り返った私を見てヤツはほかの者たちに「ほら こっち見た」と
嬉しそうに笑っていた。
「殺意」瞬間その感情が私の頭の中をよぎった。
がそれと同時に、疑問も湧いてきた。私はヤツの顔は知っているが名前も年齢も知らない。
なのに何故ヤツは私の名前を知っているんだ?一緒にいる奴らは何者だ?
給湯器メーカーを辞めてこの職場に就職してきたのか?
考えれば考えるほど不気味になってくる。
私はすぐその場を離れ、屋内作業に切り替えた。
仕事も終わりが近くなってきた頃、外の作業をしようとしたその時
隣の作業場からもの凄い音量の口笛が聞こえてきた。
ヤツである事は明らかだったが、私は気にするのを止めた。どうせ此処も今日で最後だ
明日からは車でなければいけない遠方での勤務となる。
流石にもう追っかける事は出来ないだろう。
新しい職場は車で四十分以上かかる遠方にある
仏壇仏具を扱う会社だった。
勤めだして一ヶ月程経った頃だったろうか
帰宅の途に就いた私は、途中のコンビニに近づくと妙な動きをする車を目にする
辺りはすっかり日も落ち、暗がりの中でその車はコンビニの駐車場から出たり入ったりを
繰り返している。ライトはハイビームにしているらしく車の前がやけに明るい。
変なの と 思いながらそのコンビニに近づくとその車は、私の車にぶつかる勢いで
脇から突っ込んできた。慌ててハンドルを切りその車を回避したその時
コンビニの駐車場から「ウォウォウォウォウォ」と奇声が聞こえてきた。
ヤツだ!私は直感した。そしてヤツには仲間がいる事
その仲間の車に乗ってコンビニにやってきて私が来るのを待っていたのであろうことを理解した。
何故私の名前を知っていたのか?以前勤めていた職場での私の勤務シフトを何故知っていたのか?
仲間がいたのだ、何人いるのかは分からないが、何かしらの方法で私の名前や
勤務先でのシフトなどを数人で調べたのだろう。
初めてヤツに遭遇してからかれこれ三年は経っている。
一言も口をきいたことは無い。それでも執拗にストーカー行為を続けているのは
仲間がいると言う事もあるのだろう。仲間の誰かがヤツを焚き付けているのかもしれない。
だが、この事件を機にヤツの姿を見る事は無くなった。
肝心の仕事の方だが、就職した会社はドブラック企業であった。
夜中の零時を回るまで働かされても、残業手当が出るわけでもなく
深夜業手当が出るでもない。
給料も日給月給制で休めばそれだけ給料が減る。
面接のときにあまり待遇面をしつこく聞くと心証を悪くすると考えた私は
その点について詳しく聞くことを避けてしまった。
五十過ぎの派遣労働者が正社員となって働く事なんて
所詮無理なんだ。あるとしたらこういったブラック企業しかないんだな。
そう思った私は再び派遣労働者へと戻る事になる。
新しく決まった職場はオフィス家具の大手メーカーだった
案内された職場におかしな人はおらず
順調に仕事をこなせるようになった。
待遇も派遣としては悪くない。聞いた話によると働きぶり次第では
契約社員に取立ててくれるらしい。
ここで頑張ってみようと仕事に励むかたわらそれでも懲りない私は正規社員への道を探っていた。
職場での勤務形態は基本日勤なのだが
出社時間を後ろにずらしての出勤や、準夜勤になる事もしばしばあった。
休憩時間に外に出ると、バイクがしきりに空ぶかししている音が良く聞こえてきた。
一人暴走族? さみしい人もいるものだとその時は思っていた。
出社時間が午後四時からになり帰りが夜中過ぎになっていたある日の帰り道
交差点の赤信号につかまり停車していると
その交差点にあるコンビニの駐車場で例の空ぶかししているバイクが
停車している私の車の真横にやってきて猛烈な勢いで空ぶかしをしてきた。
うるせいなぁ と思い私がそのバイクの方を向くと
そのバイクは途端に後ろへ走り去っていった。
何だったんだ今のは。その時はただそう思うだけだった。
派遣労働者として働くかたわら
何とか派遣脱出を図っていた私にある会社の求人が目に留まった。
詳しい仕事の内容は伏せるが携帯電話の通信システムに関する仕事をしている会社であった。
履歴書を送ると面接の日時を知らせる連絡があり
面接を受けるのだが、前回の痛い経験もあり、仕事の内容その詳細
待遇面など落ちてもいいやと言った勢いで積極的に聞いた。
数日後メールで採用通知が届き、どうしようか迷ったが
面接の時に受けた仕事の詳細や待遇面などを聞く限り前回のようなブラック企業ではなさそうだ。
そこで、採用してくれた会社に入社までに一か月の猶予をもらい
勤めていたメーカーの課長に一か月後に退職する事
派遣会社の担当者にも同様の内容を伝え、一か月後円満退社し
新しい会社に契約社員として勤める事になった。
仕事は営業的な仕事ではあったがゴリゴリの営業と言うわけでもなく
割に淡々とこなせる仕事だった。
ある日会社と坂道を挟んで在るコンビニへ買い物に行こうとしたとき
その坂道を下ってくるバイクがあった。バイクは私の前で止まると
空ぶかしを始めた。アイツか?そう、前の職場にしばしば出没した空ぶかしをする一人暴走族。
同じなのかそうでないのか定かではなかったが、そのバイクに乗っている男を見ると
途端に空ぶかしを止め、来た坂道をまた登って行ってしまった。
まさかね、接点全然ないしバイクなんて乗ったことないし、あんな一人暴走族なんて知らないし。
偶然だろう。その日はそれで終わった。
折角手にした契約社員だったが
健康診断で引っ掛かり、再検査を受けると産業医から就業停止の勧告があった。
極端な貧血状態らしく、血液検査の結果からだと立っているのも困難な状態なのだそうだ。
自覚症状は全くなかったのだが
一時的に会社を休職し医者から鉄剤を処方されてそれを飲みながらの療養生活となる。
その間、とある派遣会社から連絡を受けた。仕事の紹介である。
私は、契約社員で働いている事を告げ断ったのだが、担当者は引き下がらず
破格の条件を出してきた。私は以前勤めていた事業所で仕事の関係上必要だった為
派遣会社の全額負担でフォークリフトと玉掛け、クレーン運転士の免許を取っていた。
その情報を色々な派遣会社に知らせていたことがヒットしたらしく、提示された条件は年収ベースで
契約社員の収入を超えるものだった。初めての人に会い交渉事をすることは
以前の不動産仲介営業で慣れていた。決して苦手な仕事ではなかったのだが
自宅療養をしている時だったので心が弱っていた為だろうか、派遣会社担当者の
話を聞いてしまった。「一度現場見学だけでも」と口説かれ
その職場の見学に行った。紹介された企業は大手電線メーカーで
そこでの製品加工とのことだった。
貧血の療養期間は二か月を超え給与にも影響が出てきた
何時から出社できるのか?と 当然ではあるが総務担当者から問い合わせが来る。
車検が近くなってきた頃、私はほぼ一文無しになっていた。
自動車のローンは終わっていたが、二か月の療養期間中最低限の給与しか
支給されなかったため、車検に必要な費用を用意する事が出来なくなっていた。
止むを得ず車を手放すこと、その為会社に通勤することが困難であることを伝え
契約社員を辞することになった。
又しても派遣労働者に戻る事となる。
見学に行った企業へは自転車でも通勤できたため、そこは助かったのだが
問題が一点あった。職場の問題ではない。その行き帰りである。
前述した一人暴走族、やたらと空ぶかししてくるバイクが通勤退勤時執拗に
追いかけてくるようになった。後ろからバイクが空ぶかししながら近づいてくる
何か叫んでいる。はじめは何を叫んでいるのか分からなかったが
空ぶかししながら近づいてくるバイクの男はこう叫んでいた
「こっちを向けよ~!」
当然私に対してである。バイクの男はそう叫びながらバイクを空ぶかしし
私を追い抜いてはターンして戻りまた後ろから私を叫びながら追い抜くを繰り返した。
その後数社勤務先を変えた。
変えるたびに同性愛者は現れた
退社した後次の勤め先へ通うとその帰り道で待ち伏せされ
「ひさしぶり」と声をかけてくる同性愛者もいた。
私はそんな輩は悉く無視し続けた。
ある日、勤め先へ出勤すると自宅の近くに白い軽自動車が止まっていた。
自転車でその軽を追い抜くとその軽自動車はすぐにエンジンをかけ
ゆっくりと自転車に乗っている私の後を付けてきた。
無視し続けた同性愛者の内の一人である。
現在私は六十一歳になり無職である。
自宅の近くまでバイクが現れエンジンをかけたまま暫く動かず数十分後に
何処かへ走り去っていく。
空ぶかししながら自宅の近くを走り回るバイク等、日常茶飯事である。
ここまで書いた事は事実だが、全てではない。
まだまだ書き残した同性愛者 いや くそホモ野郎は沢山いる。
ホモは何故こうも身勝手なのだろう?
一人で勝手に思い込みこちらの意思などお構いなしに
自分だけお花畑状態になる。
一度ロックオンした相手にはその瞬間から気持ちが通じたと思い込んでしまう。
たまたま目が合っただけで、チョット髪をかき上げただけで、一回咳払いをしただけで
そのすべてが自分に対するシグナルだと思い込む。
想いが届いているのかいないのかはっきりしない時はストーカーになる。
想いが届かないとなると途端に攻撃に出てくる。
ジェンダーレスの時代なのだそうだ
私だって、心は女性なのに性別が男であることに
悩み苦しむ性同一性障害の方たちの苦悩について理解は出来る。
だがそうした人たちは自分が男として扱われることを嫌悪し
男装を嫌がる。
だがホモは自分が男であることを当然のこととして受け入れておきながら
性欲の対象を同性に求めてくる。
相手がそれを受け入れるのであれば、つまり相手も同性愛者、同じホモならば
何も問題は無いだろう。だがそうではない場合、相手がホモではない場合
ロックオンされた相手は堪ったものではない。
恋はお互いが好き合い好かれ合って初めて成立する。
一方の想いだけを無理やり押し込もうとしても、決して成立はしない。
ホモも思いが届かないと分かったら、普通に失恋した時同様
スッパリ諦めてもらいたい。
近づこうとすればする程相手は逃げていく。それでも執拗に追えば
相手は嫌悪感を感じるようになる。好意を寄せた相手が自分を嫌悪するようになることを
ホモだって望んではいないはずだ。
何故、振り向いてくれないのか?なぜ毛嫌いされるのか?それは相手がどうこうの問題ではない。
原因は自分がホモだからだ。
ホモだから嫌われるのだ。嫌悪感を持たれるのだ。
だがホモは決してその結論に達しない。
ホモがその結論に達すると言う事は、完全な自己否定になってしまうからだ。
ホモも我々と同じ生物なので自己保存本能を備えている。
自分がホモだから嫌われた。自分がホモだから上手くいかなかったと
考えてしまうことは自己の保存を否定し、自身の存在そのものの否定となってしまう。
だからホモは決して原因を自らに求めない。全ては自分の想いを受け入れようとしない
相手が問題なのだと考える。よって思いが届かないと分かるや否や
可愛さ余って憎さ百倍、攻撃に出てくるのである。
こんな面倒くさい存在をこのまま漫然と人間社会は受け入れていいのだろうか?
ホモを擁護する論陣を張る非ホモの方たちに伺いたい。
あなたの周りの誰かが実はホモで、あなたに好意を持ちその気で迫ってきたら
逃げても追いかけてきたら、それでもあなたはホモを擁護できるだろうか?
実の父親が同性愛者で実の息子を性欲の対象として見る。
何年振り払い続けても執拗に纏わりついてくる。
ロックオンした相手の自宅近くをバイクで走り回りながら本人が家から出てくるのを待ち続ける。
その他諸々、ホモの異常行動を上げだしたらキリがない。
もういい加減にして欲しい。近づかないで欲しい。
ホモは地球上から消えて欲しい。
数十年にわたってホモと対峙し続けてきた私の偽らざる本音である。