井田書店
部活が終わり小雨になっている。陸上部のみんなもゾロゾロ帰っていく。静寂が戻ってくる。光喜は髪が乱れたとか言ってトイレに駆け込んでいった。小雨がさらさらと降り注ぐ五月雨のような感じがする。遠くから下駄箱のロッカーを閉める音がする。
「お待たせ!」
光喜が戻ってきた。
「お待たせしすぎだよ。そんなに気合い入れる?」
「お前分かってないな。55%の表情が視界から読み取られるんだぞ!これはキメていくしかないだろ!」
光喜はいつも馬鹿だ。単純だ。よく言えば純粋だ。
「さあ!早く行くぞ!」
光喜が走り出す。部活後だっていうのに元気だ。
商店街の角から緑色のナイロン屋根が見えてきた。光喜の姿はもうない。入店しているみたいだ。雨はまた少し強くなってきている。カランコロンと入店の鐘が鳴る。「いらっしゃい」と心地よい低めの声で男性老店員が出迎える。僕は少し頭を下げ奥の席へと向かう。奥から「ですよね!」と元気な声が聞こえる。
「遅いぞ!優希!」
そこには光喜とあの若い女性店員が椅子に腰かけていた。
「いらっしゃい。雨降ってたでしょう。」
女性店員がふわふわとした話しかけてきた。
「あ、はい。さっきよりかは強くなってきました」
そういうと立ち上がり、店内の奥へと入っていった。
「早いな。光喜」
「当たり前だろ!ってかお姉さん入って行っちゃったじゃん!」
小声で言う。僕のせいだというのか?
「くそ!また出てくるまで待ちだな」
「じゃ、僕は絵を描いとくね」
「そういや、今何を描いているんだ?」
「あまり見られたくないもの」
ほんとにそうだもん。別にいかがわしいことはない。何か悪いことをしているわけでもない。でもそう、なんていうか見られたくない感じ。
「そうか。まあそうなら見ないでおくよ」
光喜は物分かりが良い。察する能力が高い。だから居心地が良い。
「ありがと。また見せたい作品ができたら見せるよ」
「おう!」
店の奥から足音が近づいてきた。
「雨に濡れたでしょ。はい、これサービス」
女性店員だった。綺麗なグラスにキンキンの緑茶と茶団子、そしてタオルを出してくれた。
「ありがとうございます!」
光喜が嬉しそうだ。
「あの、お名前ってお伺いしていいですか?」
聞いていて損はないと思った。
「やだ、忘れていたわね」
驚いた顔をして答える。
「私は井田香耶、あっちは私の父茂三。ちょっと寡黙だけどね」
まさかの親子だった。性格も雰囲気も正反対で似ている要素がなかったので驚いた。
「親子だったんですか!」
光喜が驚きながら言う。
「そうなの、みんな最初は驚くよね」
そういって茂三のいるカウンターへと歩いて行った。
絵を描き始める。店内は光喜がページを捲った時の紙の擦れる音。鉛筆の走る音。雨の音。静かだ。静寂まではいかないけれどもとても居心地がいい。鉛筆が気持ちいいほど走る。意外にこの書店好きなのかもしれない。
気のせいかもしれない。